五島美術館で開催中の書跡展を観に出かけてきた。古筆に関するギャラリートークがあり、それを聴いてみたいと思ったのである。ギャラリートークというと、展示品を前にして30分から1時間程度、学芸員が解説をするという形式が一般的だが、ここは展示室が小さい所為なのか、別館のホールで講義形式によるものだった。規模は小さいながら、著名なコレクションを数多く抱える美術館なので、日曜ということもあり、驚くほどの集客力だ。開始30分前に会場に着いたら、かなり大きな会場が7割程度埋まっていた。
万葉仮名において、漢字1字で1音を表現するという方法が確立されていたにもかかわらず、そこからさらに仮名へと発展したのは何故だろうか。解説のなかでは「日本の美意識」ということも言われていたが、漢字による表現と仮名による表現を分離しなければならない思考や言語運用上の必然性があったのだろう。
漢字だけの時代から仮名も使われる時代になり、大きく変化したのが表記方法だ。「散らし書き」という、紙面に大きく余白を取りながら文字を散らすように書くものが、和歌などの表記を中心に行われるようになる。当時、紙は高価なものだったので、それを贅沢に使うことで書き手は自分の権勢を誇示したという側面もあっただろう。しかし、それ以上に、文字と余白とが上手く調和すると、そこに立体感や動きが感じられるようになることが注目されたのであろう。自然光の下で人々の暮らしが営まれていた時代、和紙そのものの表情も日照の位置や強さによって変化する。そこに書かれた文字は、おそらく見方によって、躍るように見えたかもしれない。「言霊」という言葉があるが、それは決して呪術的な意味だけではなく、紙の上で時間の経過と共に変化する文字の様子から、文字や言葉が生き物のように感じられて生まれた表現かもしれない。
漢字、ひらがな、カタカナという3種類の文字を使って現代の日本語は表記される。その3種類の文字それぞれに存在意義があり、どれひとつ欠けても思考や感情の表現に不自由することになる。もしかしたら、この国の知識階級の人々はその昔、これらの文字に加えて墨の濃淡や行間あるいは空白、紙の種類といったものを巧みに組み合わせ、そこに光という時間とともに変化する要素までをも加えて、意思や感情を伝え合ったのではないか、という夢のような仮説を考えることが、できないわけでもあるまい。
京都で見聞した茶室の話や、以前に別の美術館で聴いた書についてのギャラリートーク、その他諸々と、今回の話とが重なり合って、目から鱗が落ちるように、仮名というものの存在意義や日本語の豊かさが了解されたように感じた。
万葉仮名において、漢字1字で1音を表現するという方法が確立されていたにもかかわらず、そこからさらに仮名へと発展したのは何故だろうか。解説のなかでは「日本の美意識」ということも言われていたが、漢字による表現と仮名による表現を分離しなければならない思考や言語運用上の必然性があったのだろう。
漢字だけの時代から仮名も使われる時代になり、大きく変化したのが表記方法だ。「散らし書き」という、紙面に大きく余白を取りながら文字を散らすように書くものが、和歌などの表記を中心に行われるようになる。当時、紙は高価なものだったので、それを贅沢に使うことで書き手は自分の権勢を誇示したという側面もあっただろう。しかし、それ以上に、文字と余白とが上手く調和すると、そこに立体感や動きが感じられるようになることが注目されたのであろう。自然光の下で人々の暮らしが営まれていた時代、和紙そのものの表情も日照の位置や強さによって変化する。そこに書かれた文字は、おそらく見方によって、躍るように見えたかもしれない。「言霊」という言葉があるが、それは決して呪術的な意味だけではなく、紙の上で時間の経過と共に変化する文字の様子から、文字や言葉が生き物のように感じられて生まれた表現かもしれない。
漢字、ひらがな、カタカナという3種類の文字を使って現代の日本語は表記される。その3種類の文字それぞれに存在意義があり、どれひとつ欠けても思考や感情の表現に不自由することになる。もしかしたら、この国の知識階級の人々はその昔、これらの文字に加えて墨の濃淡や行間あるいは空白、紙の種類といったものを巧みに組み合わせ、そこに光という時間とともに変化する要素までをも加えて、意思や感情を伝え合ったのではないか、という夢のような仮説を考えることが、できないわけでもあるまい。
京都で見聞した茶室の話や、以前に別の美術館で聴いた書についてのギャラリートーク、その他諸々と、今回の話とが重なり合って、目から鱗が落ちるように、仮名というものの存在意義や日本語の豊かさが了解されたように感じた。