熊本熊的日常

日常生活についての雑記

茶室に思う

2010年06月05日 | Weblog
「芸術新潮」2008年3月号の特集が「樂吉左衞門が語りつくす茶碗・茶室・茶の湯とはなにか」というものだった。このなかに登場する佐川美術館の樂吉左衞門館というものを、いつか観てみたいと思っていた。ようやく今日、見学することができた。

佐川美術館自体が広島の厳島神社をイメージして作られており、水のなかに浮かんでいるように建てられている。樂吉左衞門館も水に浮かぶ島のように建てられている。本館から一旦水面下へ降り、地下から樂吉左衞門館の茶室へと登るようになっている。しかし、建物の中では水を感じる場所というのはかなり限定されている。

地下の茶室入り口から路が走る。床はオーストラリアで使われていた鉄道の枕木を並べたものだ。照明は足元を照らしているだけで、暗がりのなかをゆっくりと歩かざるを得ない。路の突き当たりに寄付がある。大きな一枚板のテーブルと木の椅子が並んでいる。テーブルに使われている板は、名前を忘れてしまったが、大変硬く重い木なのだそうだ。偶然、四国の材木問屋に一枚だけ在庫があり、それを使ったという。

寄付から水露地に出ると、円筒形の壁からは水が流れ落ちている。流れ落ちる音にこだわったのだそうで、壁はコンクリートの打ちっぱなしなのだが、枠板の角度を練りに練って実現したものだという。水露地から中潜を抜けて再び闇の中へと入る。そこに蹲がある。

蹲のある壁にひとつだけスリットのように細長い窓が切ってある。手や口を清めようと蹲に屈みこむと、その水面に窓が映る。その光の所為で蹲の水底は果てしなく深く感じられる。茶会の時ならば、蹲で清めた後、小間で濃茶をいただくことになるのだろう。この小間は「盤陀庵」という名前が付けられている。広さは三畳半。蹲に面した二面は越前和紙で囲い、残りの二面はやはり打ちっぱなしのコンクリート。和紙の壁と天井の隙間から光が差し込む。窓は無い。床板や床柱はバリ島から運んできた古材だそうだ。

小間の前にある階段を上ると視界が一気に広がる。足元の床がそのまま外の水面に続いているかのような感覚だ。茶室と水面との間には黒い石が敷き詰めてある。立っているとよくわからないが、座って外を眺めると、黒い石は遠くの水面から波が茶室に向かって押し寄せてくるかのように波型に加工されている。さらに茶室と接する部分は磨かれていて、まるで波が小さく弾けているかのように光って見える。石が奏でる波の向こうに本物の水面、所々に葦が生え、その水面がさらに向こうの琵琶湖に続いているように見え、さらにその先の比叡山へとつながる。

こちらの広間は「俯仰軒」。「俯仰」というのは、ごろっと仰向けになることだ。水面下の闇や小間の緊張感から解き放たれて、ごろっとしたくなるような開放感がある。天井は煤竹。広さは8畳。小間と同じく2面が外に向いている。外の光がなんとなく水面や石面に反射しながら、磨き上げられたような煤竹の天井を柔らかに照らすというような仕掛けだ。外光は自然光なので、時の移ろいとともに茶室の明るさもゆっくりと変化する。それは、この建物のなかの他の場所も同じことだ。時間と共に変化する様子は1回きりのこと。同じ光、同じ光景というのは、おそらく二度と無い。

古材と打ちっぱなしのコンクリートで作られている、というと絢爛豪華なイメージは浮かばないだろう。古材もコンクリートも、それだけを取り出せば、あるいは廃棄物にだってなってしまう。それを細心の考慮を払いながら組み合わせ加工することで、自分が確かに宇宙とつながっていることを思わせるような舞台ができあがる。それは決して心安らぐ場所ではない。自分を捨てきれないからか、あるは単に貧乏性だからなのか、どこかに日常を超えた緊張感が残る。その微妙な非日常性こそが茶室の本来の在りようなのだろうか。

ところで、茶の湯とはそもそも何だろう。