今日の日経の夕刊に小川洋子の記事が出ていた。「人間の本質に迫るには」と題して記者がインタビューをもとにまとめた記事のようだ。小川の作品は『妊娠カレンダー』と『博士の愛した数式』しか読んだことがないが、同世代ということもあり自然と気になる作家のひとりだ。職場の片隅に置かれていた新聞を何気なく手にして見つけた記事だが、つい引き込まれてしまった。その記事のなかから気になったところを抜き書きする。
「感情によって人間の心は入り乱れているけれど、実は感情を表現する言葉はものすごく力が弱い。「寂しい」と書いたら、「寂しい」より先のところには行き着けない。」
「境界線がはっきりしているところに立つと、そこで暮らした人が見えてくるような気がする。」
「制限されるほど頭の中は遠くに行ける。」
「肉体がとじ込められるほど意識は自由になって、人間の心の奥底まで表現できるのかもしれない。」
「登場人物と境遇の重なる部分があるから共感できる、そんなレベルの小説はつまらない。」
「ツイッターなどで「僕はひとりじゃないんだ」と日々確認することが、重要なことだと私は思わない。「僕はひとりきりだけど、この物語の登場人物だけが私をわかってくれる」。それぐらいの深い共感をもたらすものが文学であって欲しいと願っている。」
面白いと思う。ところで、そもそも人間に本質というものがあるのだろうか。本質、というものを想定できるほど人間は確かな存在なのだろうか。