2月に広島を訪れたとき、その活気に驚いた。そのことはこのブログにも書いたと思う。そのとき、少し考えれば気づいてもおかしくはなかったのだが、驚いて、その復興に励まされて、それだけで終ってしまったのは自分の思考力の欠如の証左だと今日気づいた。確かに妙なことだと思う。
仕事帰りに銀座シネパトスで『ニッポンの嘘 報道写真家 福島菊次郎90歳』を観た。現役カメラマンである福島氏に2009年から2011年まで密着して撮影されたドキュメンタリー作品だ。映画のことは様々なメディアに紹介されているし、トレイラーや各種映画サイトに詳しいので、ここでは書かない。ただ、映像を観ていて感じたのだが、人は原理原則を貫こうとすると狂人のような存在になってしまう。確かに、映像作品化されているとはいえ、福島菊次郎はかっこいい。しかし、身近で暮らす人たちには「へんなジジイ」に見えているのではないだろうかとも思う。逆に言えば、我々の「常識的」な生活というものがいかに妥協と曖昧とに満ちているかということでもある。
いったい何を書こうというのだろう、とこれを読む人は思っているだろう。まず、この映像作品を観て、その上で読み直してもらえば、少しは違って読めるかもしれない。
それで広島だが、日本中至る所が人口減少と景気低迷の長期化に苛まれているなかで、広島も例外ではない。にもかかわらず、活気ある街の風景が現出しているのは人口の絶対数が117万人と大きい所為もあるだろうし、その知名度の高さから観光客が通年で多いという事情もあるだろう。県単位で見ても広島県は人口に関しては中国・四国地方において最大(約285万人、次が岡山県193万人、いずれも住民基本台帳に基づく2012年3月31日現在の数値)で、京阪神と九州北部との間を埋める地理的歴史的位置付けという事情も関係あるはずだ。それにしても、都内ですら年々シャッター商店街が増えているのに、なぜ、との思いが消えなかった。
それが今日観た映画の内容からなんとなく想像がついたのである。おそらく、原発や核処理施設の立地する自治体に様々な名目で様々な施策が打たれるように、広島も特別な土地なのだろう。自然に復興したのではなく、極めて強力な権力の意志によってそうなったのである。そして、その「復興」のイメージにそぐわないものは徹底的に排除されたのである。都市まるごとプロパガンダということだ。そして、そのプロパガンダにまんまとはまったのである。これが落ち込まずにいられようか。