今日は夜に日本民藝館での講演会があり、その前に時間が中途半端に空いてしまったので、山種美術館に寄ってみた。「美術館で旅行!」というチャラいタイトルだが、これがなかなか見応えのある展示だった。展示は大きく分けると広重の「五十三次」シリーズ、日本画の日本の風景画、日本画の海外の風景画、洋画の風景画、という4つのカテゴリーだ。テーマのまとまりという点でも、作品数という点でも、「五十三次」は面白かった。これは単に江戸日本橋から京都三条大橋までの宿場の風景を並べたというのではなく、時間の流れに留意しつつ、時にそれを崩すことで単調に陥らないようにする、というような配慮がなされているらしい。出発点は江戸の日本橋。「朝之景」とあるように時刻は暁七つ、画面からもわかるように夜明けの時分だ。画面全体の明暗もさることながら、時刻の表現は空の描き方が肝要と言えるだろう。手前の木戸、仕入れた魚介類を天秤棒にぶらさげて歩く魚屋の一団、日本橋を越えてくる大名行列の先頭、その毛槍と円形の火の見櫓が響き合い、その向こう側に広がる明け方の空が刻々を変わりゆくかのように見せている。空の青の濃淡といい、そうした全体の表現といい、こういうものが版画として多くの人々の目に触れていたということに心動かされる。浮世絵とういものはすごいものだなと改めて思う。作り手も、それを需要する側もどちらもだ。今回の展示で初めて知ったのだが、大井川の川越(かわこし)風景は2点ある。嶋田と金谷であり、嶋田のほうは川を越えようというところの風景で、金谷のほうは越えたところの風景だ。同じ場面を2点で表現するというのは、それだけこの川を越えることが大変だったということなのだろう。
箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川
難所と言われた「天下の嶮」箱根より、もっと大変だというのである。その箱根のほうは、ちょっとモダンな感じの画面だ。山のモザイクのような表現が近代以降の抽象画を彷彿させる。
山種美術館は山種証券(現 SMBCフレンド証券)の創業者である山崎種二のコレクションをもとに設立されたものである。証券不況や相続で流出した作品もあるようだが、蒐集の視点に統一性があり、いつ出かけてみてもがっかりさせられることの無い美術館だ。今日は週末であるにもかかわらず、暑い所為なのか、タイトルがいまひとつの所為なのか、来館者も少なくていつになく気持ちよく鑑賞を楽しむことができた。欧米の大都市と違って東京には弩級美術館が無いが、山種のように、ちょっと思いついてふらっと立ち寄って、あぁいぃなぁ、という気分になる美術館が数多くある。こういうところはデジタルで表現できないが、間違いなく「豊かさ」のバロメーターのひとつだと思う。むしろ言語化できない「豊かさ」をどれほど抱えているかということのほうが、GDPだの国民所得だのといったもので測られるものよりも個人の生活にとっては余程重要なのではないか。その「豊かさ」を守り育てるのは、結局はそこで生活するひとりひとりが、そうしたものを眺め楽しむということを生活のなかの当たり前のことにするという以外にはないだろう。そのためにはどうしたらよいか、自ずと明らかだ。