熊本熊的日常

日常生活についての雑記

ラストピースでピース

2012年08月08日 | Weblog

東京で暮らしていると人口が減ったという実感は湧かない。それもそのはずで、東京都だけ取り出せば、1990年代後半以降人口流入超過状態が継続している。しかし、日本全体では減っているというのは、あちこちで話題になっているので今や周知のことである。我々が生活している場において、数自体が力であるというのはよくあることだ。その上、社会の仕組みが人口が増加を続けるという前提で作られている。典型的には年金がそれにあたる。人口はある程度予測可能なので、人口が減ること自体は想定の内であったはずで、だからこそかなり以前から「制度改革」ということが念仏のようにあちこち至るところで唱えられてきた。もちろん、それで「改革」されたことは少なくないだろうし、消費税率が引き上げられるのもそうした「改革」の一環だろう。誰でも既得権益には敏感なので、「改革」というものがどれほど理にかなったものであったとしても総論賛成各論反対になるのは当然だ。それで本来は仕組みとして、一揃いとして設計された「改革」が部分だけ実施されて様々な新たな不都合が発生するということも、今はまだあまり聞かないが、そのうち出てくるのだろう。しかし、人口減少に伴う不都合や不合理がまだ現実味を帯びる状況にまでは至っていないので、どこか「改革」の真剣さが足りないようにも感じられる。不都合や不合理が現実の生活に濃い影を落とすようになってしまってからでは、どのような「改革」も役には立たないようにも思う。おそらく、そういう深刻な状況に置かれるのが自分なのだと理屈ではわかるのだが、現実味を感じることができない。尤も、そういう時を迎えるまで生きているかどうかもわからない。人口が減り始めた。いまにたいへんなことが起こる。なんとかしなければ。でも、生きているかどうかわからない。自分の経験の無いことを考えなければならないということが、自分自身の「改革」に真剣に取り組むことのできない最大の理由であると思うのだが、生きているかどうかわからないという要素も真剣になれない理由のひとつのような気がする。