熊本熊的日常

日常生活についての雑記

やっぱり顔が語る

2012年08月28日 | Weblog

何ヶ月かおきに必ず連絡をくれる友人がいる。今日の午前中、彼から電話があって昼食を共にすることになった。そこでは当然に互いの近況の話になるのだが、私たちが働いている業界は構造不況業種なので、どこがリストラをしたとか、どこが身売りをしたとか、あまり明るいとは言えない話題が多い。尤も、今や日本の産業はどれも構造不況業種なので、我々だけのことではないのだろう。今日のことに限らず、同業の友人知人と私的な会合を持てば、必ずと言っていいほどに雇用に対する不安が話題に上る。

 今日会った彼は、最近、中学の同窓会に何十年ぶりかで出席したそうだ。郊外の比較的農地が多い地域なので、農業をしている人も少なくないとのこと。そこで彼はあまりあくせくしているようには見えない農業をしている友人たちにある種の憧憬を抱いたというのである。それとは対照的に、大学卒業後最初に勤めた先の同期会も同時期にあって、それには出席しなかったが、その写真がSNSにアップされていたそうだ。つまり、どちらも出席者の年齢は同じなのだが、外見がかなり違うというのである。当然ながら、農業をしている人のほうが見た目が健康的で、それもまた憧憬の一要素なのだろう。おそらく、そこには体型の違いだけでなく顔や表情といったものの違いもあるはずだ。

先日、レーピン展で肖像画が面白かったという話をここに書いた。やはりある程度の年齢になると、自分の顔というものを良くしようという強い意志がないと、生活に流されたものになってしまうということなのだろう。その生活がしっかりとしていればそれに越した事はないのだが、椅子取りゲームのような社会のなかで鷹揚に構えているには、やはり強い精神力が必要になる。その力は自分が何を良いと考え、どのように残りの人生を送ろうとしているのか、というような価値観の有無に依拠するのだろう。やはり顔は大事だとの思いを新たにした。