厚生年金会館で開催された小朝・楽太郎・昇太の三人会を聴いてきた。ネタは小朝が「牡丹燈篭」から「お札はがし」、楽太郎は「ずっこけ」、昇太は「つぼ算」だ。
落語は好きだが、趣味と言えるほど聴くわけではない。それでも小朝は昨年1月からこれまでの間で今日を含めて4回聴いたが3回が「お札はがし」で、昇太は2回で前回と同じ「つぼ算」。落語家も売れて仕事が増えれば落語だけをしているわけでもないので、掛けるネタは自ずと限られるのは理解できる。それにしても、4回聴いて3回同じというのはどうなのだろうかと、ちょっと引っ掛かった。
そもそも落語会を開くとき、ネタはどのように決めるのだろうか。滑稽物、人情物、怪談と、いろいろ種類があるものだし、自分で創作することもあるだろう。手許に矢野誠一が書いた「新版 落語手帖」があるが、ここに収められているのが274席の古典落語である。なかには「牡丹燈篭」のようにひとつの噺をいくつかに分けて口演されるのが一般的なものもあるので、実際の噺はもっと多い。勿論、古典の場合は時代背景が現在とは大きく異なるので、そのままでは使えないものも少なくない。ただ、落語とか芝居というのは、人間の精神活動を表現するもので、その道具立てとして噺の舞台があるので、枝葉末節にこだわる必要はあまり無いように思う。それでも、今そのまま口演するのは難しい噺が多いのは確かだろう。そうしたものを除いたとしても、100以上はある噺からどれを選んで自分の持ちネタとし、さらにそこから何を基準にその日の演目を選ぶのか、ということは大いに好奇心をそそられるところである。
毎回同じ噺を聴くことになったからといって、それが不満だというのではない。何度聴いても「またこれか」と思うよりは「おっ、でた」と思うものだし、またそう思わせなければ芸とは言えまい。ただ、「今日は何かな」と楽しみにしながら同じ落語家の高座に何度も足を運ぶ客も少なくないだろうし、そういう人に対してはどのように考えているのだろうかと、少し気になるところがあるということだ。
このところ暇さえあれば枝雀のDVDを観ている。去年の春頃に「枝雀十八番」というDVD9枚組のボックスを買った。他に特典CDとDVDが付いているが、9枚のDVDには各2席ずつ収められている。ふとした瞬間に頭の中にお気に入りの音楽が流れてきたりするものだが、私の場合は噺の一場面がふと脳裏に浮かぶ。それを反芻して楽しみ、その反芻が家に帰り着いたときに残っていれば、そこでDVDを取り出して観るというようなことを、ここ最近は続けている。このボックスに収められている噺はどれも大好きなのだが、今、この瞬間は「高津の富」とか「寝床」が気に入っていて、頻繁に観ている。今日は落語会で昇太の「つぼ算」を聴いたので、帰ってから早速、枝雀の「つぼ算」を観た。何度観ても飽きるということがない。
ちなみに、今日の落語会は出だしが林家ひろ木で、この噺家は二つ目なので、形の上では前座だが、実質的には前座無しということだ。座布団を整えたりめくりをめくったりしていたのは前座の春風亭ぽっぽ。3人会で開演からはねるまで3時間と、なかなか濃密な会だった。
落語は好きだが、趣味と言えるほど聴くわけではない。それでも小朝は昨年1月からこれまでの間で今日を含めて4回聴いたが3回が「お札はがし」で、昇太は2回で前回と同じ「つぼ算」。落語家も売れて仕事が増えれば落語だけをしているわけでもないので、掛けるネタは自ずと限られるのは理解できる。それにしても、4回聴いて3回同じというのはどうなのだろうかと、ちょっと引っ掛かった。
そもそも落語会を開くとき、ネタはどのように決めるのだろうか。滑稽物、人情物、怪談と、いろいろ種類があるものだし、自分で創作することもあるだろう。手許に矢野誠一が書いた「新版 落語手帖」があるが、ここに収められているのが274席の古典落語である。なかには「牡丹燈篭」のようにひとつの噺をいくつかに分けて口演されるのが一般的なものもあるので、実際の噺はもっと多い。勿論、古典の場合は時代背景が現在とは大きく異なるので、そのままでは使えないものも少なくない。ただ、落語とか芝居というのは、人間の精神活動を表現するもので、その道具立てとして噺の舞台があるので、枝葉末節にこだわる必要はあまり無いように思う。それでも、今そのまま口演するのは難しい噺が多いのは確かだろう。そうしたものを除いたとしても、100以上はある噺からどれを選んで自分の持ちネタとし、さらにそこから何を基準にその日の演目を選ぶのか、ということは大いに好奇心をそそられるところである。
毎回同じ噺を聴くことになったからといって、それが不満だというのではない。何度聴いても「またこれか」と思うよりは「おっ、でた」と思うものだし、またそう思わせなければ芸とは言えまい。ただ、「今日は何かな」と楽しみにしながら同じ落語家の高座に何度も足を運ぶ客も少なくないだろうし、そういう人に対してはどのように考えているのだろうかと、少し気になるところがあるということだ。
このところ暇さえあれば枝雀のDVDを観ている。去年の春頃に「枝雀十八番」というDVD9枚組のボックスを買った。他に特典CDとDVDが付いているが、9枚のDVDには各2席ずつ収められている。ふとした瞬間に頭の中にお気に入りの音楽が流れてきたりするものだが、私の場合は噺の一場面がふと脳裏に浮かぶ。それを反芻して楽しみ、その反芻が家に帰り着いたときに残っていれば、そこでDVDを取り出して観るというようなことを、ここ最近は続けている。このボックスに収められている噺はどれも大好きなのだが、今、この瞬間は「高津の富」とか「寝床」が気に入っていて、頻繁に観ている。今日は落語会で昇太の「つぼ算」を聴いたので、帰ってから早速、枝雀の「つぼ算」を観た。何度観ても飽きるということがない。
ちなみに、今日の落語会は出だしが林家ひろ木で、この噺家は二つ目なので、形の上では前座だが、実質的には前座無しということだ。座布団を整えたりめくりをめくったりしていたのは前座の春風亭ぽっぽ。3人会で開演からはねるまで3時間と、なかなか濃密な会だった。