熊本熊的日常

日常生活についての雑記

連休明け

2010年05月06日 | Weblog
10時半開始の出光美術館の列品解説を聴きに行く。開催中の「茶 喫茶のたのしみ」は喫茶をテーマにした展示。抹茶関係の展示は常にどこかしかで行われているが、喫茶は珍しい。出光では12年ぶりだそうだ。連休明けの平日の午前ということだと、それなりに気力がないとこうした娯楽の場に出かけることはできないものである。気の所為かもしれないが、普段よりも参加者の平均年齢が低いようだ。解説はいつものことながら、わかりやすくて楽しい。道具は使ってなんぼのものだが、美術館に陳列されているものを使うわけにはいかない。そこで今回は展示品の写真をCG加工して使っている様子を想像したパネルが数点だけだが用意されていた。これは面白い試みだと思う。解説自体は30分程度だが、その後、解説を思い出しながら館内を徘徊していたら12時40分になっていた。

出光に来たので、昼食は久しぶりに伊勢廣でやきとり重を食べようと思った。まだ13時前だったので店の前には順番待ちの人が何人かいる。並んでものを食べるというのは嫌いなので、先に交通違反の罰金を払いに銀行へ行くことにする。最寄の銀行に入り、用紙に必要なことを記入して、はたと現金の持ち合わせがないことに気がついた。仕方が無いので、伊勢廣に戻ると10分前の様子が嘘のように空いていた。

酒を飲まないので焼き鳥を食べる機会というのはそれほど無いのだが、ここの焼き鳥は美味しいと思う。昔、就職して最初の3年ほどは職場が丸の内3丁目にあったので、このあたりは昼食エリア内であった。尤も、当時は給料が少ないのでそうそう外食をする余裕は無くて現物支給の食券を使って社員食堂で食べていたが、毎食社員食堂だと月5,000円相当の食券が足りなくなるので週に1回程度は外食という調子だった。ちなみに、当時は週休2日ではなく、土曜も半日だけだが勤務があったので外食の割合は週1回超である。当時と今とでは丸の内界隈の様子は大きく変化したが、伊勢廣のように当時と変わらぬ姿で営業している店もある。こういう場所を訪れるとなんとなくほっとするものである。

腹ごしらえの後、コンビニに寄って現金を用意して、東京三菱UFJ本店に行く。番号札を引こうとしたら待ち人数がゼロだったので、先に用紙の記入を済ませてから番号を引く。すぐに呼ばれて窓口へ。払い込み票を見れば、それが罰金であることは一目瞭然なのだが、なんとなく黙っていられなくて
「交通違反の罰金です」
などと余計なことを口にする。すると窓口の行員が
「それは残念でしたね」
と返してきた。それが嫌味でもなんでもなく、自然な感じで良かった。本店というところは支店とは行員の質が違うような気がする。
「まぁ、しかたないです」
「でも悔しいですよね」
「いや、そうでもないですよ」
「そうですか」
「まぁ、事故じゃなくてよかったです」
「それはそうですね」
文字にすると伝わらないのだが、気持ちのよい遣り取りだった。なんとはなしに晴れ晴れとした心持で銀行を後にした。

まだ14時前だったので、その気になれば竹橋の近代美術館か八重洲のブリヂストンへ足を伸ばすこともできたのだが、職場のあるビルのラウンジで始業までゆっくりと過ごすことにした。

黄金週間のアリバイ

2010年05月05日 | Weblog
豚もおだてりゃ木に登る、という。4月20日付「アリバイ」に「おもしろい」というコメントを頂いたので、性懲りも無く似たようなことを書いてみる。今回は移動履歴も重ねてみる。

2010/5/1 17:-- 東京都豊島区 巣鴨 発 JR東日本 山手線内回り
2010/5/1 17:-- 東京都豊島区 池袋 着
2010/5/1 17:57 東京都豊島区 西武百貨店 書籍購入
2010/5/1 18:37 東京都豊島区 無印良品 衣料品と浄水器カートリッジを購入
2010/5/1 18:46 東京都豊島区 池袋 発 JR東日本 埼京線 快速 川越行き
2010/5/1 19:00 埼玉県戸田市 戸田公園 着
2010/5/1 21:01 埼玉県戸田市 戸田公園 発 JR東日本 埼京線 各駅停車 新宿行き
2010/5/1 21:17 東京都豊島区 池袋 着
2010/5/1 21:21 東京都豊島区 池袋 発 JR東日本 山手線外回り
2010/5/1 21:25 東京都豊島区 巣鴨 着

2010/5/2 09:-- 東京都豊島区 巣鴨 発 JR東日本 山手線内回り
2010/5/2 09:-- 東京都豊島区 池袋 着
2010/5/2 09:31 東京都豊島区 池袋 発 JR東日本 湘南新宿ライン 宇都宮行き
2010/5/2 11:05 栃木県宇都宮市 宇都宮 着
2010/5/2 11:15 栃木県宇都宮市 宇都宮駅 発 関東バス 宇都宮美術館行き
2010/5/2 11:4- 栃木県宇都宮市 宇都宮美術館 着
2010/5/2 11:4- 栃木県宇都宮市 宇都宮美術館 小倉遊亀展 入場料支払
2010/5/2 11:4- 栃木県宇都宮市 カセットミュージアム 小倉遊亀展 音声ガイド借受
2010/5/2 13:37 栃木県宇都宮市 宇都宮美術館 ミュージアムショップ 図録など購入
2010/5/2 13:50 栃木県宇都宮市 宇都宮美術館 発 関東バス 宇都宮駅行き
2010/5/2 14:-- 栃木県宇都宮市 宮島町十文字 着
2010/5/2 14:-- 栃木県宇都宮市 宮島町十文字 発 関東バス 作新学院方面行き
2010/5/2 14:-- 栃木県宇都宮市 桜通十文字 着
2010/5/2 14:-- 栃木県宇都宮市 つくし ホットケーキセット
2010/5/2 14:-- 栃木県宇都宮市 栃木県立美術館 知られざる濱田庄司 入場料支払
2010/5/2 16:55 栃木県宇都宮市 栃木県立美術館友の会 図録購入
2010/5/2 17:-- 栃木県宇都宮市 桜通十文字 発 関東バス 宇都宮駅行き
2010/5/2 17:-- 栃木県宇都宮市 東武駅前 着
2010/5/2 17:16 栃木県宇都宮市 東武宇都宮 発 東武鉄道 各駅停車 栃木行き
2010/5/2 17:51 栃木県栃木市 新栃木 着
2010/5/2 17:59 栃木県栃木市 新栃木 発 東武鉄道 区間快速 浅草行き
2010/5/2 19:00 埼玉県春日部市 春日部 着
2010/5/2 19:09 埼玉県春日部市 春日部 発 東武鉄道 各駅停車 大宮行き
2010/5/2 19:30 埼玉県さいたま市 大宮 着
2010/5/2 19:43 埼玉県さいたま市 大宮 発 JR東日本 湘南新宿ライナー 逗子行き
2010/5/2 20:08 東京都豊島区 池袋 着
2010/5/2 20:12 東京都豊島区 池袋 発 JR東日本 山手線 外回り
2010/5/2 20:16 東京都豊島区 巣鴨 着

2010/5/3 18:41 東京都豊島区 豊島区巣鴨体育館 プール利用料支払

2010/5/4 08:30 東京都豊島区 トヨタレンタリース東京 巣鴨店 レンタカー借受
2010/5/4 08:31 東京都豊島区 ヤマト運輸 アマゾン出荷費用支払
2010/5/4 09:35 神奈川県川崎市 神奈川県警察高速道路交通警察隊
2010/5/4 11:05 神奈川県横須賀市 東京湾フェリー くりはま丸 久里浜港 出港
2010/5/4 11:45 千葉県富津市 東京湾フェリー くりはま丸 金谷港 入港
2010/5/4 13:4- 千葉県勝浦市 ギャラリー 洋陽社 湯呑茶碗購入
2010/5/4 14:4- 千葉県勝浦市 和可奈 寿司(おまかせ)
2010/5/4 --:-- 千葉県道路公社 九十九里有料道路
2010/5/4 --:-- 千葉県道路公社 東金九十九里有料道路
2010/5/4 18:36 千葉県千葉市 東関道湾岸幕張上線売店 あんぱんと充実野菜購入
2010/5/4 19:50 東京都豊島区 中央シェル石油販売 セルフ西巣鴨 ガソリン購入
2010/5/4 19:56 東京都豊島区 トヨタレンタリース東京 巣鴨店 レンタカー返却
2010/5/4 20:27 東京都豊島区 デニーズ 巣鴨駅前店 アボカドバーガー、サラダ
2010/5/4 20:33 東京都豊島区 Café MUJI Caféアトレヴィ巣鴨 パン購入

2010/5/5 08:40 東京都豊島区 巣鴨 発 JR東日本 山手線内回り
2010/5/5 08:50 東京都新宿区 高田馬場 着
2010/5/5 08:56 東京都新宿区 高田馬場 発 西武鉄道 急行 本川越行き
2010/5/5 09:23 東京都東村山市 東村山 着
2010/5/5 09:30 東京都東村山市 木工庵木楽
2010/5/5 12:35 東京都東村山市 ますも庵 山菜天せいろ
2010/5/5 13:01 東京都東村山市 東村山 発 西武鉄道 急行 西武新宿行き
2010/5/5 13:29 東京都新宿区 高田馬場 着
2010/5/5 13:33 東京都新宿区 高田馬場 発 JR東日本 山手線外回り
2010/5/5 13:42 東京都豊島区 巣鴨 着
2010/5/5 17:50 東京都豊島区 ベルアルプ パン購入
2010/5/5 17:51 東京都豊島区 飛安 たいやき購入

5月1日は実家に出かけただけである。行く途中、池袋で途中下車して、リブロで取り置きしておいてもらった雑誌を買う。ちょうど無印が会員対象に10%割引セールをしているので、こちらにも立ち寄って衣料品と浄水器のフィルターを買った。

5月2日は8時前に目覚めたので、かねてから気になっていた濱田庄司展を観に出かけることにした。とりあえず池袋に出てみたら、ちょうど湘南新宿ライナーの宇都宮行きが来るところだったので、それに乗った。けっこう混んでいたが、赤羽で少し空き、大宮は降りた人と乗る人とが同じくらいだったが、そこから先は少しずつ人が減り、小山を発車する頃には空席が目立つようになっていた。宇都宮に来た第一の目的は濱田庄司なのだが、宇都宮美術館にも足を伸ばそうと思い、交通の便の関係で、宇都宮美術館を先にした。

東京への帰りは往路とは別の経路にしてみようと思い、東武を利用した。今で言うところの「乗り鉄」の元祖のような人で内田百という人があるが、その逸話のなかにこのようなものがある。陸軍士官学校の教授であった頃、出張で東京から仙台へ行った。その帰り、日本海側へ出て北陸本線を南下、京都を経て東海道本線で帰京したというのである。それにあやかるつもりはないが、急ぎの外出でもないので、往復同じ経路というのではおもしろくないだろうと考えた。宇都宮から東京へ戻るのに、さすがに日本海側へ出て東海道線経由ということまでは考え至らず、郡山まで北上し、磐越東線でいわきへ出て常磐線で南下ということすら思い至らない。ささやかな回り道である。

栃木県立美術館を17時頃に出て、バスを東武駅前で下車。東武宇都宮は東武百貨店と同じ建物のなかにあり、百貨店はオリオン通りという繁華街の一角にあるのだが、信じられないほど閑散としていた。ここから単線の路線を栃木まで行き、そこで日光から浅草へ向かう区間快速に乗り換える。区間快速というのは東武動物公園から先は春日部と北千住にしか停車しない「快速」なのだが、東武動物公園までは各駅停車である。おそらく日光を発車する時点で満席だったのだろう。6両編成ということもあり栃木で既にそこそこの混み具合だ。藤岡を過ぎ板倉東洋大前へ向かう途中で日没を迎えた。板倉東洋大前までが栃木県、次の柳生から埼玉県である。ときどき半蔵門線を利用するのだが、それに南栗橋行きというのがある。南栗橋というのはどのようなところなのかと常日頃から思っていたのだが、電車の中から見る限り、ただの寂しい駅だった。19時ちょうどに春日部に到着。なんとなく「木綿のハンカチーフ」を口ずさんでみる。ここで野田線の大宮行きに乗り換えた。浅草まで出てしまってもよかったのだが、なるべく都心は避けたいという気持ちがあったのと、たまたま最近ウエッブ版の朝日新聞の「どらく」が太田裕美を取り上げていたのを読んだのを思い出し、春日部で引っ掛かってみたかったのである。大宮行きは19時06分発なのだが3分遅れで、その3分遅れのまま19時30分に大宮到着。ここで街へ出て何か食べてから帰ろうかとも考えたのだが、あてがあるわけでもなく、家に早く片付けてしまいたい生ものもあるので、そのままJRの改札を通過して43分発の湘南新宿ライナー逗子行きに乗ってしまった。行き帰りの経路を変えるといっても、巣鴨と大宮の間は同じになってしまった。やることが中途半端でよくない。

5月3日は近所のプールに出かけた以外は終日家で過ごした。

5月4日はレンタカーで勝浦まで往復。レンタカーの予約は8時から20時までの12時間だったのだが、アマゾンのマーケットプレイスに売りに出していた本が1冊売れたので、その梱包作業をしていたら、少し遅くなってしまい8時30分から20時30分までの12時間となった。まず、巣鴨の家のすぐ近くにあるトヨタレンタカーの事務所へ行って車を借り、ヤマト運輸の巣鴨2丁目センターに寄って本を発送する。それからカーナビの指示に従って首都高5号線に護国寺で乗り、環状線に入って浜崎橋へ。カーナビではアクアラインで房総半島に渡ることになっているが、渋滞が酷くて羽田空港の手前までアクアラインへ入る車の列が続いている。これに並んでいては今日中に往復することはおろか、勝浦にさえ辿り着けないのではないかと思い、横須賀まで行ってフェリーに乗ることにする。アクアライン待ちの渋滞を抜け追い越し車線を順調に走行して神奈川県に入ったら、交通違反で捕まった。反則場所は川崎市川崎区東扇島31-4湾岸線下り37.0㎞付近。

初めて警察に捕まった時は、精神的に打撃を受けたものだが、さすがに回数を重ねると淡々としたものだ。むしろ、日頃あまり無い経験なので嬉しくすら感じる。違反の詳細は伏せるが、一言でまとめると、オマケして頂いた。交通反則告知書の作成で20分ほど留め置かれる。作成担当は神奈川県警察高速道路交通警察隊の福瀧瞬介さん。

停車したついでにカーナビの目的地に久里浜港のフェリー乗り場を追加する。首都高湾岸線から横横道路に入り、浦賀で下りる。本当はひとつ手前の佐原で下りるはずだったようなのだが、カーナビの指示がわかりにくかった。浦賀からは海沿いの細い道を走って久里浜港へ。アクアラインの混雑が嘘のように、フェリー乗り場は余裕があった。乗船待ちの車が駐車する場所は半分も埋まっていない。乗船時間が迫っていたので急いで乗船券を買い求め、車に戻ったところで、自分が並んでいる列が動きだした。船は11時05分発のくりはま丸。

浦賀水道は釣り船で混み合っていて、それを縫うようにフェリーが鍵型の航跡を残しながら進む。40分ほどの航海だが、天気晴朗波静かで気持ちのよいひとときを過ごす。

金谷から127号線を南下。少し渋滞していたが、これは鋸山のロープウェー乗り場へ向かう車列らしい。この車列を過ぎると道路は当たり前のように流れている。保田で34号線に入るはずだったのだが、道を曲がりそこない、そのまま127号線を進む。下佐久間で184号線に入るが、少し迂回になってしまった。津辺野山を正面にした景色がなんとなく良い感じで、車を停めて写真を撮ろうかとも思ったが、後続車があったのでそのまま進む。この先は、概ね整備された片側1車線の道路なのだが、所々に全幅1車線分しかないところがある。佐久間ダムを過ぎたところで88号線を左折し、34号線に出る。このまま鴨川へ。

鴨川で128号線に入ると渋滞。これはシーワールドを起点とするものだった。この後は何事も無く勝浦に到着。結果として迂回になったが、巣鴨を出る時にカーナビに表示されていた到着予定時刻とほぼ同じ時刻に目的地に着いた。

勝浦で、陶芸の先生の個展会場にお邪魔する。先生はいらっしゃらず、店の人と馴染客らしい人がいるだけだ。綺麗なギャラリーで、主な取り扱い商品は陶磁器だが、企画展などで絵やガラス器なども扱うのだそうだ。店の人と話をしながら1時間ほどその店で過ごす。昼飯をまだ食べていなかったので、店の人にお勧めの店を尋ねたが、その店の昼の営業時間がちょうど終わったところだったので、その隣の寿司屋でにぎりのおまかせを頂く。

ギャラリーや寿司屋のある界隈を30分ほど徘徊して、巣鴨に戻るべく出発。帰りは128号線をそのまま北上し、九十九里ビーチラインに入り、九十九里浜有料道路、東金九十九里有料道路、千葉東金道路を経て京葉道路へ。千葉東から宮野木あたりまで渋滞。これは道路の合流によるものだった。宮野木から東関道に入り湾岸幕張PAで一休み。

そのまま首都高湾岸線へ進み、辰巳で9号線に入って、箱崎の渋滞の手前、福住で一般道へ下りる。休日夜の都内一般道は空いている。この日も例外ではなかった。結局、持ち時間を30分ほど残して車を返却することができた。

道路会社のサイトを見ると、今年のゴールデンウィークのアクアライン交通量は1日平均46,100台で昨年に比べると14%多かった。ピークは5月3日で57,300台、昨年のピークに対し7%増である。

5月5日は普段の水曜と同じように、木工教室へ。帰ってから昼寝をして、夕方に近所のパン屋へ、朝食べるパンを買いに行く。そのパン屋の近くにあるたい焼き屋でたい焼きを買い、食べながら家に戻る。平和な一日。平和な連休。

無事に楽しい時間を過ごすことができたことに感謝。

東京湾のまわりをぐるっと

2010年05月04日 | Weblog
ゲームのような一日だった。8時半にレンタカーを12時間の予定で借り受け、目的地を目指すのである。途中、至るところに渋滞があり、晴れて時間内で出発地に戻ってくることができるか否かを試す、というようなゲームだ。

連休後半になり幹線道路の上り線に渋滞が発生している上に、私のような日帰り族もあり、下り線も順調というわけではない。そうしたなかで千葉県勝浦まで往復してきた。

千葉県は東京から近い割に気候温暖風光明媚である上に、人出もそれほどではないという穴場的な場所が多いように思う。例えば東京駅を起点に半径100㎞の範囲内には、今回の目的地である勝浦も入れば、箱根も入るし、富士山も射程内である。
http://worldmaps.web.infoseek.co.jp/distance_calculation.htm
しかし、神奈川県方面へ行くのと千葉県方面へ行くのとでは交通量はかなり差があるように感じるし、行楽に直接関係は無いが、湘南地域と房総地域とでは地価に大きな違いがある。地価の差というのはその地域の生活の違いとして現れることが多い。この点、深入りしないが、何にせよ物価の安いというのは有り難い。

考えることは誰でも似たり寄ったりということなのか、朝、レンタカーを借りて、カーナビの目的地に勝浦駅を設定して、出発する。護国寺から首都高5号に乗り、環状線、湾岸線と順調に進むが、芝浦あたりから渋滞が始まる。一番左側の車線が混んでいて通常なら追い越し車線となるところがなんとか流れている。カーナビの指示によれば、アクアラインで房総半島に渡ることになっている。浮島まではまだ距離があるので、とりあえず流れているほうの車線に入る。左車線は羽田に近づくにつれで渋滞が酷くなり、羽田を過ぎるとますます酷くなる。この渋滞はアクアラインに入ろうとする車列だったのである。

アクアラインを諦めてフェリーで房総半島へ渡ることにして、そのまま追い越し車線を順調に走る。浮島を過ぎると道路はガラガラだ。その割りになんとなく車の流れが遅いと思っていると、後ろにパトカーがつけていた。交通違反の処理で30分近く足止めを食らい、停車したついでにカーナビの目的地に久里浜のフェリー乗り場を追加する。

三浦半島はときどき訪れる。横須賀美術館とか神奈川県立美術館へ足を運ぶことがある。これまでは鉄道を利用していて、その車窓の風景が妙に印象的だと感じていたが、車で横横道路を走ってみても、時折視界に入る住宅街の風景は他の地域では見ることのできないものだと思う。ところどころに起伏があり、その地面の瘤を覆うように住宅が建っているのである。それがなんとも言えず奇妙な感じがして、脳裏から離れない。

横横を浦賀で降り、海岸を目指して走ると京浜急行の浦賀駅の前に出る。ここは横須賀美術館の最寄り駅なので、見覚えのある場所だ。美術館のある観音崎とは反対方向に向かい海沿いの細い道を走る。近頃は自転車が流行のようだが、海沿いで交通量の少ないこの道は本格的な自転車に本格的な恰好で乗っている人の姿が多い。ただ、車に乗っていると、自転車というのは障害物にしか見えない。他人事ながら、事故のないことを祈るばかりである。やがて左手にカインズが見えてくる。以前にフェリーに乗ったときもここにカインズがあっただろうかと思うほど新鮮に見えた。カインズの前を過ぎるとすぐにフェリー乗り場である。

出航時間まで15分ほどだったので、乗船待ちの車列に駐車して、急いで乗船券を買いに行く。アクアラインの渋滞が嘘のように、こちらはのんびりとした雰囲気だ。乗船待ちの車もそれほど多くはないし、乗船券売り場の窓口も空いていた。乗船券を買って車に戻ると程なく乗船が始まった。私の前の車までがメインデッキで私からは2階デッキへ誘導された。車を停めると係りの人たちが手際よく車止めを嵌める。結局2階デッキが半分ほど車で埋まったところで出航になった。

浦賀水道の真ん中あたりに釣り船がかたまっている場所がある。その釣り船を縫うようにフェリーが進む。釣り船の人たちのなかにはフェリーに手を振る人もいて、長閑な様子に見えるが、フェリーの航跡は鉤型になっていて、おそらく操舵しているほうにとっては神経を使う海域だろう。やがて房総半島が間近に迫ってくると、金谷を出たフェリーとすれ違う。すぐに金谷港に到着だ。

金谷のフェリー乗り場を出るとすぐ渋滞に遭遇する。ただ、これはすぐに抜けることができた。鋸山のロープウェー乗り場へ向かう車列のようだった。この後はひたすら海沿いの道を南下する。調子に乗って走っていたら、長狭街道に入るはずの交差点を曲がりそこない、仕方が無いのでそのまま127号線を南下し続ける。JRの安房勝山駅を過ぎたところで184号線に入り、房総半島の懐へと入り込む。富津館山道路の向こうに見える山がなんとなくいい感じで、車を停めて写真でも撮ろうかと考えたのだが、後続車があったのと、適当な停車場所がなかったのとで、ついそのまま通り過ぎてしまった。富津館山道路のガードをくぐるといよいよ山のなかという様子になってくる。多少心細さを感じないわけでもないのだが、バス停があるので、多少は安心して走っていられる。

佐久間ダムを過ぎ、山道のようになったところで184号線から88号線へ入る。依然として山の中だが、山道が一段落してやれやれと思ったあたりで、さきほど通り過ぎてしまった長狭街道に出る。一体どれほど回り道をしたのだろう。

長狭街道は、交通量もそれなりにあり、内房と外房を結ぶ幹線道路としての貫禄のような雰囲気さえある。尤も、それまで山道を走ってきたからそう感じるだけなのかもしれない。鴨川市に入ると渋滞の気配がしてくる。外房黒潮ラインに入ると、道路の幅が広くなるので交通の流れは良くなるが、左車線が渋滞している。これは鴨川シーワールドへ向かう車列である。シーワールドを過ぎると対向車線が同じように渋滞している。シーワールドがこれほど人気があるとは知らなかった。過去に何回か来たことがあるが、いずれも空いていて、こんなに空いていて大丈夫なのかと心配になったほどだった。

このあとは順調に勝浦まで進み、勝浦駅付近で少し渋滞したものの、巣鴨を出るときにカーナビが示していた到着時間とほぼ同じ13時45分に目的地であるギャラリー洋陽社に着いた。

ギャラリー洋陽社は開店して10年以上になるのだそうだ。場所が朝市通りということもあり、朝市の客が立ち寄ることも多いとのことだが、私が店にお邪魔していた1時間半ほどの間に地元の常連客と思しき人が入れ替わりで2人来店し、それぞれに買い物をしていかれた。私も今回は自分の先生の作品をひとつ手許に持っておきたいと思って遥々やって来たので、「社長」と呼ばれている店の人とあれこれ話をしながら、じっくりと作品を拝見させて頂いた。結局、内側が透明釉で外側が鉄釉の小さな湯呑をひとつ購入した。内も外も鉄釉という作品が多かったのだが、私の場合はコーヒーを飲むのに使いたかったので、内側が黒っぽいのはコーヒーの色がわからなくなってしまうので困るのである。内が黒くてもよいのは酒とか抹茶であろう。小さな湯呑を買うことを決めるのにさんざん時間をかけ、3つあった湯呑のなかのどれにするかで、さらにさんざん時間をかけた。当然のことだが、ひとつひとつ作るので同じものは無いのである。形や大きさはほぼ揃っていても、釉の景色は微妙に異なる。なにがどうというのではなく、結局はなんとなく気に入ったものを選ぶことになる。

昼食がまだだったので、ギャラリーの「社長」にお勧めの店をうかがい、その隣の寿司屋で握りを食べた。そのお勧めが既にランチの営業を終えてしまっていたからだ。次回は鉄道を利用するか、あるいは泊りがけで、もう少し時間の余裕を持って訪ねてみたい。

帰りは勝浦から外房黒潮ラインを北上し、一宮から九十九里ビーチラインに入る。そのまま九十九里有料道路を行き、東金九十九里有料道路、千葉東金道路と進む。九十九里沿いでは車を停めてゆっくりと風景を眺めてみたいところがいくつもあったのだが、帰りの時間が決まっているので、とにかく進むことができるうちにできるだけ東京に近づいておかなくてはいけない。

房総半島を無事に横断し京葉道路へ入るところで帰路最初の渋滞にはまる。ジャンクションを起点にした自然渋滞なのだが、自然渋滞があるということは、交通量が道路の容量を超えているということでもある。京葉道路に入って、少し流れたが穴川あたりからは完全なる渋滞だ。のろのろと宮野木まで進み、東関道に入って再び流れ出す。幕張のサービスエリアで少し休憩。ここからは順調に進むが首都高湾岸線から9号線に入るとやがて箱崎の渋滞になる。箱崎の渋滞はほぼ毎日終日なのだが、このあたりまで来てしまえば、一般道に降りても巣鴨まではすぐなので、渋滞の列には並ばずに福住で首都高を降りてしまう。

休日の夜の都心の道路はがらがらだ。隅田川を越え、秋葉原の手前から神田川沿いに水道橋へ進み、そこからは白山通りで一気に西巣鴨まで。ガソリンスタンドでガソリンを満タンにして巣鴨へ戻り車を返却する。出発してから11時間半が経過していた。30分の余裕を持って今日の全行程を無事に終了。駅へ行って、最近できたばかりのアトレのなかにある無印カフェで明日の朝に食べるパンを買い、駅前のデニーズで夕飯を食べて帰る。デニーズは滅多に利用しないのだが、ナナコのクーポンを事前に入手しておいたので、それを使おうと思ってデニーズにしただけのことだ。

連休は残すところあと1日。明日は通常通り木工の日。

高々100年 されど100年

2010年05月03日 | Weblog
昨日、宇都宮で小倉遊亀展も観てきた。今年、没後10年で回顧展なのだそうだ。

実はこの人の作品は観たことが無かった。濱田庄司展だけのために宇都宮まで足を運ぶというのもどうかと思い、こちらの展覧会にも足を伸ばしたのである。本展はかなり大掛かりなもので、その仕事が単に本業の日本画を描くことにとどまらず、本の挿絵や陶器の絵付け、雑誌の表紙など幅広い。陶器の絵付けは100歳を過ぎてから始めたことだそうだ。

生涯のうちに画風が変化しない画家もいれば大きく変化する人もいる。小倉は典型的に後者で、戦前戦後で違うし、戦前でも結婚前後で変化しているように見える。戦後も一見してマチスのような作品を描いている時期もあり、そこから先はなんとなく世界観が別次元の境地にはいっているかのようだ。

回顧展なので時代を追って作品が陳列されている。私は彼女70歳代の静物画が好きだ。繊細さとフォビズム風の大胆さとが微妙な緊張感を醸し出しながら調和しているような面白さを感じる。この時代よりも年齢が進むと繊細さがやや欠けてくるような印象がある。加齢に伴う身体能力の低下の所為ではないかと勝手に想像している。

静物画といえば、一般には花とか果物といったものに重点が置かれているように思うが、この作家の場合は、それらが飾られている器の表現が精緻である。しかも、絵柄が細かい九谷焼であったりする。焼き物が好きな人だったのだろう。おそらく、花や果物と器という2つの主題が一枚の絵のなかに同居していることで独特の世界が広がるという効果が出ているのではないだろうか。絵のことは何も知らないのだが、素人眼にはそのように感じられる。

90年とか100年といった長命で、しかも亡くなる直前まで作品を作り続けた作家の作品展を観ると、勿論、加齢によるある部分の衰えというようなものも感じられるのだが、年齢を重ねることでしか作ることのできないような世界というものも感じられる。このブログのなかで私はしばしば「高々100年の人生」などというようなことを書いているのだが、傍目には一瞬のように見えても生きている当事者にとっては長い時間だ。100年でできることというのは、その気になれば膨大なことであるように思う。殊に、今日の回顧展のようなものを観ると、人一人の力の大きさというものに驚嘆しないわけにはいかない。

濱田庄司

2010年05月02日 | Weblog
ルーシー・リーを観たので、濱田庄司も観ておこうと思い、宇都宮まで出かけてきた。

濱田は川崎の生まれだが、1924年に英国から帰国して以降、亡くなるまで生活の拠点を栃木県益子に置いている。今回の展覧会は大阪市立東洋陶磁器美術館所蔵品によるものだが、栃木県立美術館で濱田の作品展を行うのは自然なことに感じられる。

濱田の作品は益子の参考館や駒場の日本民藝館をはじめとして、国内外至るところの美術館や博物館で観ることができると言っても過言ではない。しかし、こうしてまとまった数の作品を鑑賞するのはこれが初めてのことである。先日、ルーシー・リーの作品展を観たばかりでもあるので、その対比もできるし、一口に陶磁器と言っても多様なスタイルがあることが実感できる。

やはり、濱田の作品を眺めると、ほっとするというか、あるべきところへ戻ったような心持になる。この人は生活と道具との関係に注目していたように感じられる。1920年にバーナード・リーチに誘われてSt Ivesに渡った経験は帰国後の彼の作品を観れば余程強い影響を受けたことが窺える。その当時の日本の姿も英国の様子も日本から英国への旅も、今という時代しか経験の無い身には想像もつかないのだが、おそらく物事の考え方というような自身の存在の根本を激しく揺さぶられたことだろうと思う。彼の書いたものとか残されている言葉の断片から推察するに、それぞれの土地とそこでの暮らしの関係とか、陶芸という自分の仕事を通じて知り合った外国の同業者の生活に強い印象を受けたようだ。帰国後の生活の拠点を、生まれ育った川崎や陶芸を学んだ東京や京都ではなく、陶器の産地ではあっても陶芸とは縁の薄い栃木県益子に定めたことが、彼が英国で経験したことを端的に物語っているのだろう。

古い写真を見る限り、St Ivesの街並みは濱田が暮らした頃も今とそれほど違わないようだ。このブログの2008年6月21日22日付の「備忘録」にあるように、私もそのSt Ivesという場所を見に出かけたことがある。どのようないきさつがあってそうなったのか知らないのだが、この辺鄙な町は当時も今も芸術家が集まっている。面白いことに、芸術の町として知られているのだが、町が発展する気配が無い。そこに集まる人たちは、その鄙びた感じとか、風景の美しさに惹かれてやってくるのだろうが、惹かれる人が少ないということならば、町はこれほど有名にはならないだろうし、名前が知られている割には小さな町のままである。尤も、英国にはそういう場所は少なくない。むしろ東京のように、日本中の人が「おら東京さいぐだ」という雰囲気のあるところのほうが世界的には珍しいのかもしれない。

濱田庄司展には作品に合わせて彼の言葉がパネルに飾られている。その言葉が含蓄に富んでいて、作品もさることながら言葉と作品を一体のものとして眺めるとなお一層興味深い。展示と同じように図録には濱田の言葉も紹介されているのかと思ったら、言葉のほうは図録にはなかった。どうしても彼の言葉を改めて読みたくなり、講談社文芸文庫の「無盡蔵」と日本図書センターの「浜田庄司 窯にまかせて」をネットで注文した。

春眠暁を覚えず

2010年05月01日 | Weblog
昨夜は帰宅が遅くなったので、今日は午前中一杯寝床で過ごそうと決めていた。今年の春は気温の上下が激しく、全体としては寒さが長引いていて気持ちよく眠ることのできる温度には少し足りない日が多かったように思う。今日は漸く春眠にふさわしい日になったように思う。

世間では「ゴールデンウィーク」などと言って、なんだか遊びにいかないといけないかのような雰囲気が無いわけでもないのだが、カレンダーを眺めてみれば、少しばかり余計に休日が並んでいるというだけのことだ。まして、私の場合は普段でも平日昼間が空いているので、毎日が休日と言えなくもなく、ことさらに「黄金週間」というほどのことはない。年がら年中「黄昏週間」なのである。

昨夜帰宅のときに利用したタクシーの運転手さんと、なぜ人は「ゴールデンウィーク」が混雑することを承知していながら敢えて出かけるのか、という会話をした。彼曰く、「帰省でしょう」という。「正月とゴールデンウィークくらいしか帰省できない」という人は案外多いというのである。私は自分が帰省というものから無縁である上に、交友範囲に帰省を習慣付けられている人が少ない所為もあり、帰省の義務感のようなものが全く想像できない。これだけ情報通信技術が発達して、果たして東京などの特定の都市に集中して居住しなければならない理由があるのだろうかとも思うのだが、現実は一極集中が益々進み、地方経済は崩壊寸前である。国会議員はそれぞれの選挙区から選ばれて、それぞれの地域の利害を代弁しているはずなのだが、地方の凋落に歯止めがかかっている様子はない。だからこそ長年政権を担ってきた自民党は野党になってしまったのだが、政権交代でも状況に変化は無い。政治というのは現状を追認するものであって変革するものではないのだが、なぜか「政治が変る」という幻想は蔓延しやすい。不思議なことである。

ところで黄金週間だが、夕方に出勤しなくてはいけない、ということが無いので、休日らしく過ごすことになると思う。まず、今日は第一に眠ること、第二に洗濯すること、第三に消耗した衣料品を補充すべく買い物にでかけること、が課題であって、さらに余裕があれば、その時考えるということにした。幸い、今日の課題は全て完了。