熊本熊的日常

日常生活についての雑記

乗って楽しく

2010年06月11日 | Weblog
先週京都を訪れたときのことで、もうひとつ書いておきたいことがある。京阪電車のことだ。

京都から佐川美術館へ向かう途中、山科駅でパステルカラーの電車が眼下を並走していた。ちょっと乗ってみたくなり、帰りは山科で下車してこれに乗ってみようと思った。そのときはそのまま湖西線で堅田へ行き、そこから美術館行きのバスに乗った。ところが、このバスは1時間に1本あるかないかという運転頻度だ。自然に帰りは守山駅へ出るバスに乗ることになった。佐川美術館から発車するバスは、堅田行きと守山行きとを併せて1時間に1本程度の運転頻度である。

京都への帰り路、守山から乗ったJR線が石山駅に到着しようというとき、車内放送で京阪電車に乗り換えることができるのを知った。それで石山で下車してしまった。京阪石山駅は小さな駅だった。一見して1両かせいぜい2両編成の電車しか発着できないことがわかる。やがて入線してきた電車は2両編成だった。

石山から坂本行きの電車に乗る。石山を発車してすぐに右へ急カーブをして、それまで並走していたJR東海道本線を横断する。その後は住宅街を縫うようにくねくねと走る。その車窓の眺めが新鮮だ。住宅街を走るだけなら都電だって同じだ。ただ、都電沿線よりも緑が多く起伏が激しいので、揺れ具合と風景の変化が楽しい。

京都へ行くには浜大津で京阪京津線に乗り換える。乗り換えは降りたホームで、山科方面へ向かう電車に乗る。この電車が佐川美術館へ向かう途中で見かけた電車だ。4両編成で、御陵から先は京都市営地下鉄に乗り入れる。

浜大津の駅を発車するとすぐに踏み切りを通過する。これがただの踏切ではない。踏み切りの途中にポイントがあり、そこから道路の中央を走るのである。4両編成の路面電車だ。こんなの初めてだ。次の上栄町まで道路の軌道を走った後は専用軌道になるのだが、続く大谷駅、追分駅、四宮駅と道路と並走する。ほぼ同区間をJR東海道線も走っているが、こちらは殆どがトンネル区間である。つまり、上栄町から四宮に至る京阪電車は登山電車のように山間を縫うように走る。路面電車が一転して登山電車になるのだ。四宮から山科までは凡庸な区間になり、乗っている私の気持ちも少し落ち着いた頃、地下鉄に乗り入れる。路面電車、登山鉄道、一般鉄道、地下鉄、という具合に変化に富んだ走りを味わうことのできるのが、この京阪京津線なのである。こういうしょうもない感動というのがとても楽しい。

ちなみに、今日乗車した石山坂本線と京津線を総称して大津線というのだそうだ。

崩れゆく身体

2010年06月10日 | Weblog
日焼けした顔面の皮膚がボロボロと剥落を始めた。炎天下の京都の町を3日間彷徨した後、炎天下の大森のグランドでタッチラグビーの講習会に参加したら、すっかり体力を消耗してしまった。

日曜日、講習会からの帰り道、マツキヨで湿布薬を買う。シャワーを浴びた後、首、肩、腰、脚などに湿布を貼りまくる。そして、早めの就寝。

月曜日、早めの手入れが功を奏したのか、足腰の痛みや疲労感は覚悟していたよりも軽かった。それでも、階段を上る時、左足に重心がかかると辛い。たまたまこの日は定期的に通っているカイロプラクテックの日だったので少し時間をかけて施術を受けた。就寝前にまたべたべたと湿布を貼る。

火曜日、早めの手入れとカイロの効果か、左脛に打撲の痛みが多少残った以外、筋肉痛の類はほぼ解消し、階段の上り下りも問題なくなった、かに思われた。

水曜日、左下肢全体に痛み復活。特に脛から踝にかけて腫れがあり、内出血も何箇所か見られる。2月の健康診断の時も採血の針の跡に内出血があり、しばらくそれが残っていた。その部位は強く押せば多少の痛みはあるのだが、日常生活に支障のあるようなことは無い。見た目は酷いが、見た目ほどの苦痛は無い。ただ、前の晩に激しい雨が降って気温が下がった所為かもしれないが、午前中に木工に出かけて午後に帰ってから酷い睡魔に襲われ、2時間ほど眠ってしまった。陶芸や木工の後で眠くなるのはよくあることなのだが、眠気の程度が普段よりも重い。

今日、木曜日、冒頭に書いたように日焼けした皮膚の剥落が本格化した。左下肢の痛みや腫れは前日とほぼ変らず。仕事の帰り、電車に間に合おうと東京駅前の横断歩道を小走りに走ったら、今まで何とも無かった右脚まで痛み出した。就寝前、湿布が足りない。

高名の木登り

2010年06月09日 | Weblog
高名の木登りといひし男、人を掟てて、高き木に登せて、梢を切らせしに、いと危く見えしほどは言ふ事もなくて、降るゝ時に、軒長ばかりに成りて、「あやまちすな。心して降りよ」と言葉をかけ侍りしを、「かばかりになりては、飛び降るとも降りなん。如何にかく言ふぞ」と申し侍りしかば、「その事に候ふ。目くるめき、枝危きほどは、己れが恐れ侍れば、申さず。あやまちは、安き所に成りて、必ず仕る事に候ふ」と言う。
あやしき下なれども、聖人の戒めにかなへり。鞠も、難き所を蹴出して後、安く思へば必ず落つと侍るやらん。
(「徒然草」第百九段 岩波文庫 第114刷 2007年11月26日発行)

木工で製作中のレターケースが漸く完成間近となった。最後は全体にオイルを塗る。今日はその下準備である。全体に紙やすりをかける。使用する際に手が触れる可能性のあるところはすべて磨いたつもりだ。圧縮空気で研磨屑を吹き払い、塗装前のマスキングを行う。家具の塗装というのは手間賃が高いのだそうだが、それは下準備に時間がかかるという事情も大きいらしい。完成目前でつい気が急くのだが、それを抑えつつ慎重にマスキングを進める。結局、今日は研磨とマスキングで終わった。来週は木工教室が休講なので、次回の作業は再来週である。オイル塗装の後、裏板を嵌めて、全体が乾燥すれば完成だ。おそらく次回で作業は完了するだろう。乾燥させるのに時間がかかるので持ち帰りは更にその次、6月30日になりそうだ。終わりが見えたところから緊張を持続させるのは容易ではない。「あやまちすな。心して降りよ」と自分に言い聞かせる。

会心作は偶然に

2010年06月08日 | Weblog
昨年9月に轆轤を挽くようになってから、ずっと赤土を使っていたのだが、そろそろ別の土を挽いてみようかと思い、並信楽を使ってみた。その最初の作品が焼きあがった。相変わらず茶碗なのだが、5つ本焼きをして、2つを酸化、3つを還元で焼いた。その還元のほうが今日焼きあがってきたのである。

3つのうちのひとつは大きさ形ともに良く、窯変で梅花皮と斑点ができて景色も良い。いくつもの幸運が重なったような心持がして、つくづくやきものというのは面白いと思う。

京都での食事

2010年06月07日 | Weblog
京都ではなるべくきちんと作られたものを食べるということを心がけた。ひとりでふらりと入ってそれなりに満足できる店というのはそれほど無かったように思うが、今回の旅行ではそうした不便は全く感じなかった。

6月3日の夜は宿泊先に近い六角通りにあるガリーレというトラットリアで「おすすめコース」をいただいた。この店は魚介料理専門店だ。京都に在りながら明石や淡路といった瀬戸内海の幸を中心に使っているのだそうだ。19時頃に訪れた。寺町を歩いた後、空腹を覚えたので繁華街を外れて、なんとなく宿泊先方面へ歩いていて、この店の前を通りかかった。通りから中を覗くと奥行きの深い造りに見えるが、それは奥の壁全面に貼られた鏡の所為だ。どの席でもよいというので、カウンター席に腰掛けた。席からは厨房は見えない。厨房は鏡の向こう側で、カウンターの中は酒類やグラスなどが並ぶ。カウンターの中にフロア担当の若い男性がいて、料理を出す時にその説明をしてくれる。こちらも興味を覚えたことや疑問に感じたことは尋ねてみるので、自然に会話が成り立つ。料理もおいしかったが、会話も楽しかった。彼はこの店のアルバイトなのだそうだが、それにしては料理の説明がしっかりしていた。ちなみにコースのメインは鱸のポアレ。夏である。

6月4日の昼は樂美術館の向かいにあるShiじMaという店で「かんたんなお昼のコース」をいただいた。この店はおそらく民家だった建物だ。特に観光シーズンというわけでもない平日の昼間は静かである。通りに面したところから細長い通路を歩いて建物に至る。通路の両側には手入れの行き届いた草花が植えられてある。玄関を入ると靴を脱ぎ、通り側のテーブルに案内される。テーブル3つか4つほどの小さな店だ。窓からはさきほど歩いてきた通路や通りに面して建つ家の裏側にある庭が見える。手入れの行き届いた通路や庭の緑と室内の様子が言いようもなく気持ちよい。他に客がいなくて静かだった所為もあるのかもしれないが、レストランに来たというよりも知り合いの家を訪ねているような心持がする。店の人はフロアに1人と厨房に1人。厨房は席から見えないが、フロアの人との遣り取りと、なんとなく気配でそのように感じた。会話の言葉遣いの雰囲気から家族のようである。料理は前菜の盛り合わせにとメインと甘味だが、どれひとつとして出来合いのものが無い。香の物に至るまで全て手作りだ。しかも、家庭料理のように見えて、それに一手間添えられている。おいしいとかおいしくないとか、そういう味覚の世界を超えた料理だ。こういうものに出会うと、生きていてよかったと思う。

6月4日の夜は宿泊先の近くにあるカレー専門店の地カレー家でカレーをいただく。店の名は「地カレー家」だが「京都咖哩博物館」と銘打ってある。店内調理のカレーは特にこれといった特徴の無いありきたりのカレーなのだが、この店は日本各地で販売されているレトルトカレーを150種類以上取り揃えている。レトルトなのでそのまま持ち帰ることもできるし、この店で温めもらって食べていくこともできる。これはこれでひとつのアイディアだろう。偶然、地元のミニコミ誌と思しき取材の真っ最中で、そのやり取りを聞きながらいただいた。

6月5日の昼は佐川美術館のレストランで毎日数量限定のお弁当をいただく。弁当なのでお碗以外は作りたてというわけにはいかないが、食材の配置がたいへん凝っていて、蓋を開くと「おっ」と思う。味もまずまずで、目で楽しみ食べて楽しむという弁当の王道を行くものだ。私は12時数分前に注文して「最後のひとつ」と言われた。その日の来館客の多寡にもよるのだろうが、この弁当を食べようと思うなら、早めに食事に来たほうがよいだろう。

6月5日の夜は寺町の万寿寺に近い三里舞昧(さりぶみ)で前菜の盛り合わせと上海やきそばをいただく。中華を中心にアジア料理を揃えている店だ。夜は一人用のセットメニューのようなものが無いようなので、ひとりで行くと割高感は否めない。しかし、ひとつひとつの料理にこの店の独自色を出そうという意気が感じられる。アルバイトのフロア担当はもう少し料理の知識を持って仕事をしたほうがよいのではないかと思うが、全体としては感じの良い店だ。

以前にもこのブログのどこかに書いたかもしれないが、食べることは大好きなので、初めての土地を訪れたときに、そこで食べたものによって、その土地全体の印象が大きく左右される。京都は仕事では何度も訪れているが、個人的に訪れるのは今回が初めてである。おかげさまで大変満足して旅行を終えることができた。

※「京都咖哩博物館」の「哩」は口ヘンに「厘」

ふと気付く

2010年06月06日 | Weblog
初めてタッチラグビーというものを経験した。ラグビーを簡単にしたようなスポーツで、老若男女誰でもそれぞれに楽しめるようにと考案されたものらしい。ルールも何も知らないので、今日は講習会というものに参加した。

場所は大森の東京ガスグランド。天然芝で見た目にも足の感触も気持ちがよい。ここで10時から13時まで多少の休憩を挟みながら汗を流した。球技というのは、ボールを媒体として競技者が組織的に行動するものだ。そこで社会性であるとか行動戦略といったものを自然に学習するのだろう。社会性というと身近なことには感じられないが、要するに他人を信頼する感覚ということだ。自分が自分の持ち場で最善を尽くし、相手も同じように努めているという前提の下に、自分の成し終えた作業を相手に託す。相手を信頼しなければ託すという行為は成り立たない。また、信頼することは自分も信頼されるように務めることでもある。相手に対する信頼感と自分自身の誠実さは、おそらく均衡しているのではないだろうか。いい加減な人間は、他人もいい加減だと思うから他人を信用できない。誠実な人間は他人も同様に誠実であることを前提に物事を考えるだろうから、他人を信頼するということを知っている。そんなことを思った。

ふと、自分がそのような他人との密な関係を殆ど経験していないことに気付いた。スポーツだけが信頼感醸成の手段ではないが、チームワークというものを体感する場として、スポーツというのは最も身近なものであるように思う。今頃そんなことを思っても何が変るわけでもないだろうが、今まで思いもしなかったことを思うということ自体が、なんとなく楽しいことでもある。

茶室に思う

2010年06月05日 | Weblog
「芸術新潮」2008年3月号の特集が「樂吉左衞門が語りつくす茶碗・茶室・茶の湯とはなにか」というものだった。このなかに登場する佐川美術館の樂吉左衞門館というものを、いつか観てみたいと思っていた。ようやく今日、見学することができた。

佐川美術館自体が広島の厳島神社をイメージして作られており、水のなかに浮かんでいるように建てられている。樂吉左衞門館も水に浮かぶ島のように建てられている。本館から一旦水面下へ降り、地下から樂吉左衞門館の茶室へと登るようになっている。しかし、建物の中では水を感じる場所というのはかなり限定されている。

地下の茶室入り口から路が走る。床はオーストラリアで使われていた鉄道の枕木を並べたものだ。照明は足元を照らしているだけで、暗がりのなかをゆっくりと歩かざるを得ない。路の突き当たりに寄付がある。大きな一枚板のテーブルと木の椅子が並んでいる。テーブルに使われている板は、名前を忘れてしまったが、大変硬く重い木なのだそうだ。偶然、四国の材木問屋に一枚だけ在庫があり、それを使ったという。

寄付から水露地に出ると、円筒形の壁からは水が流れ落ちている。流れ落ちる音にこだわったのだそうで、壁はコンクリートの打ちっぱなしなのだが、枠板の角度を練りに練って実現したものだという。水露地から中潜を抜けて再び闇の中へと入る。そこに蹲がある。

蹲のある壁にひとつだけスリットのように細長い窓が切ってある。手や口を清めようと蹲に屈みこむと、その水面に窓が映る。その光の所為で蹲の水底は果てしなく深く感じられる。茶会の時ならば、蹲で清めた後、小間で濃茶をいただくことになるのだろう。この小間は「盤陀庵」という名前が付けられている。広さは三畳半。蹲に面した二面は越前和紙で囲い、残りの二面はやはり打ちっぱなしのコンクリート。和紙の壁と天井の隙間から光が差し込む。窓は無い。床板や床柱はバリ島から運んできた古材だそうだ。

小間の前にある階段を上ると視界が一気に広がる。足元の床がそのまま外の水面に続いているかのような感覚だ。茶室と水面との間には黒い石が敷き詰めてある。立っているとよくわからないが、座って外を眺めると、黒い石は遠くの水面から波が茶室に向かって押し寄せてくるかのように波型に加工されている。さらに茶室と接する部分は磨かれていて、まるで波が小さく弾けているかのように光って見える。石が奏でる波の向こうに本物の水面、所々に葦が生え、その水面がさらに向こうの琵琶湖に続いているように見え、さらにその先の比叡山へとつながる。

こちらの広間は「俯仰軒」。「俯仰」というのは、ごろっと仰向けになることだ。水面下の闇や小間の緊張感から解き放たれて、ごろっとしたくなるような開放感がある。天井は煤竹。広さは8畳。小間と同じく2面が外に向いている。外の光がなんとなく水面や石面に反射しながら、磨き上げられたような煤竹の天井を柔らかに照らすというような仕掛けだ。外光は自然光なので、時の移ろいとともに茶室の明るさもゆっくりと変化する。それは、この建物のなかの他の場所も同じことだ。時間と共に変化する様子は1回きりのこと。同じ光、同じ光景というのは、おそらく二度と無い。

古材と打ちっぱなしのコンクリートで作られている、というと絢爛豪華なイメージは浮かばないだろう。古材もコンクリートも、それだけを取り出せば、あるいは廃棄物にだってなってしまう。それを細心の考慮を払いながら組み合わせ加工することで、自分が確かに宇宙とつながっていることを思わせるような舞台ができあがる。それは決して心安らぐ場所ではない。自分を捨てきれないからか、あるは単に貧乏性だからなのか、どこかに日常を超えた緊張感が残る。その微妙な非日常性こそが茶室の本来の在りようなのだろうか。

ところで、茶の湯とはそもそも何だろう。

違うけれど同じ

2010年06月04日 | Weblog
「冷泉家 王朝の和歌守展」の音声ガイドで面白いことが語られていた。「私とあなたは違う」ということを詠うのが現代短歌で、「私とあなたは同じ」と詠うのが和歌だというのである。語っているのは上冷泉家の現当主冷泉為人の妻、貴実子(敬称略)。冷泉家は藤原定家の孫、冷泉為相に始まる。藤原俊成、定家親子は和歌の標準を作り上げたと言っても過言ではないだろう。その標準を今に守り伝えているのが冷泉家だ。

和歌は今でこそ趣味の領域であるかの印象が強いが、その昔は国政を担う人々の基礎的教養のひとつで、和歌の出来不出来で出世まで左右されたという。現在の皇室行事にも和歌を詠うものはあり、正月のニュースで必ずと言っていいほどに耳にする歌会始は、その最たる例だ。和歌が政治と関連していたのは、それが日本語の共通認識の標準であるからではないだろうか。政治というのは国家という巨大組織の運営である。法、行政、財務、税務など、国家運営の諸々を、それに関わる人々の間で適切に意思疎通を図りながら滞りなく執行しようとすれば、言葉というものについての共通認識を確認し続けることが必要不可欠であったということだろう。

和歌は自然の美しさを詠む。自然はかならずしも花鳥風月だけではなく、人の心も、あるいは人そのものの在りようも自然の一部である。花鳥風月と国家とは全く異質のことに感じられるかもしれないが、国家を構成しているのはひとりひとりの人間である。人の感性を言語化する作業とは、人の知性を理解しようとする試みとも言える。為政者やその配下が、自分たちが統治する人々をしらずして政治が可能であろうか。和歌が政治と結びつくのは、政治の基礎に人があるからということではないだろうか。

発想や思考は言語構造に依存する。「国民性」と呼ばれることが多いように感じるが、物事をどのように認識し理解するか、というのは結局のところ言語の問題だろう。考えるという行為は言語を使って行うのである。当然にその言語の特質が思考に反映される。誰もが和歌を解釈したり作ったりできるわけではないが、先人から綿々と積み重ねられた言語遺産の蓄積があればこそ、教育が成り立つ。教育があればこそ、文明があり、文明があるからこそ世界のなかでそれなりの地位を占めることができるのである。

個人の存在を尊重するのは、所謂「最大多数の最大幸福」という社会の理想とするところを追求する上で欠くことのできない姿勢である。しかし、治安や公共の福祉を担保しなければ、我々は安心して暮らすことができない。人の欲望は無限である。どのように個人の欲求の満足と社会の秩序の維持との均衡を図るべきなのか。そこに原理原則や哲学が求められるのであろう。

人には「私とあなたは同じ」という面もあれば「私とあなたは違う」面もある。どちらか一方だけを偏重してしまうと、世の中は住みにくくなるのではないか。「同じ」と「違う」に線引きをするということではなしに、「同じ」でもあり「違う」こともあるというところの背後に、しっかりとした哲学があるならば、「違うけれど同じ」「同じだけれど違う」諸事雑多は政治に支障のない程度の多数の人々に受け入れられるのではないだろうか。

腑に落ちる

2010年06月03日 | Weblog
2008年8月6日付の「PingMag」というウエッブジャーナルに「ものに恋する板金工:渓水」という記事が掲載されていた。偶然、何かのきっかけがあってそれを読み、いい話だと感心した。

知恩院と鴨川の間には、古美術品を扱う店が軒を連ねている。そのなかを新門前通が走り、縄手通と吉今旅館の間あたりに格子戸がある。その上にAERO CONCEPTの看板が出ていて、3つ並んだ表札の一番右側もAERO CONCEPTのマークだ。看板は決して小さなものではないのだが、色形様子が周囲に溶け込んでいるために、注意を払わないと見逃してしまうかもしれない。

格子戸に手をかける。ガラガラと開くわけではない。きちんと両手で持って、少し持ち上げるような感じで開く。細い路地で両側は隣家の壁が続く。突き当たりに近いところに、そこだけ別世界のような空間が浮いている。長屋で奥は人が住んでいる。格子に硝子が入った玄関の戸に手をかける。今度は片手で難なく開く。

店の人に断って店内を見せて頂く。もとは民家なので、玄関を入ってすぐ、かつて土間だった部分と座敷だった部分との段差がある。靴は脱がなくていい。広くはない。玄関の段を上がった右側、外に向いたショーウィンドーに面した位置に高さ50センチほどの硝子の天板の陳列台がある。大小さまざまのカバンや小物が並ぶ。玄関の左側奥は吹き抜けになっていて、天窓から光が漏れている。その光の下でギターケースが輝いている。光の道に照らされて壁の煤が視界に入る。この吹き抜けは台所で、煤の直下に竃があったのだろう。壁の煤に始まって、柱や梁をひとつひとつ眺めると、どれも相当な年季が感じられる。民家だった頃の姿を残しながら店舗に改装されているのである。天井が低く感じられるのは、座敷だったところを、畳から板に替えてそのままの高さで使っているからだろうし、空間の密度が濃く感じられるのは、そこが生活の場であったからだろう。その濃い感じが茶室のようでもある。

古い民家が、見方を変えることで、周囲の古美術商街とも隣の民家とも然して違和感のないカバンの店舗になる。並んでいるカバンは、飛行機の座席の骨組みに使われるジュラルミンの板である。こちらも、金属の板材にしか見えないものが、恰好の良いカバンになる。店の在りようが、単に商品のショールームたることを超えて、そこに並ぶ商品がどのような発想で生まれたかということまでをも示唆している、というふうにも見える。

このカバンの製作者である菅野さんは、誰もが知っている皮革製品ブランドや自動車メーカーなどとの提携話を断ったのだそうだ。その話を冒頭のウエッブサイトで読んだ時は、そういうことは職人気質の人には珍しいことではないのかもしれないと漠然と思っただけだった。その後、菅野さんにお目にかかり、工場にもお邪魔し、カバンのことや諸々のお話しを伺う機会に恵まれたのだが、そうした積み重ねの上でこの店舗を見て、それまでの小さな謎の断片が散らばっていたような感覚が一気に解消したような心持ちになった。もちろん私の勝手な思い込みであって、ご本人の想いは別なのだが、それでも私にとっては「腑に落ちる」という言葉を当てるのがふさわしい経験だった。

今年も鴨が来て

2010年06月02日 | Weblog
東村山駅前のローターリーには池がある。この時期はそこに鴨の親子がいる。

去年の今頃、鴨の子を眺めながら、こいつらの成長するのと自分の木工の腕の上がるのとどちらが速いだろうか、などと考えていた。鴨の子の成長速度は凄まじく、月の終わり頃には、親子の区別がつかないほどに成長した。比べる対象がそもそも適切ではなかった。

先週の木工の日、鴨の親子が池にいた。子鴨は風呂場のおもちゃのようだった。今日はそれが生き物であるように見える。去年も5羽くらいの子鴨がいたように記憶しているのだが、この池にやってくるのは一羽の親鴨とやはり5羽くらいの子鴨である。鴨は育児のための場をどのようにして決めるのだろうか。自分が育った場所を選ぶとすれば、この池にはもっとたくさんの親子が居て然るべきである。ところが今年も一家だか一組だか知らないが、去年と似たような組み合わせだ。

鴨の死亡率は、おそらく人間よりは高いだろう。それにしても1年後の生存率は20%というのは過酷ではないか。確かに私のように鴨好きの人間は少なくないだろう。北京ダックなど、なぜ皮だけなのかといつも不思議に思う。北京で食べたときも、マンチェスターで食べたときも、ちゃんと身まで食卓に並び、たらふく食べたものである。それが、なぜ東京では、しみったれた出し方をするのだろう。北京ダックでなくとも、鴨は旨い。それで生存率が20%になってしまうのだろうか。

北京ダックと言えば、昔、香港に遊びに行ったことがある。社会人になって最初の正月だった。何故香港かと言うと、当時の香港はイギリス領だった。そのイギリス領と中国領との国境を見てみたかったのである。まだ陸続きの国境というものを見たことが無かった。一番近いのは北朝鮮と韓国との国境だが、当時はどちらも軍事政権だったので、物騒な気がして候補から外れた。次に近いのはソ連と中国との国境だが、これもなんとなく腰が引けてしまった。それで香港だったのである。

香港の九龍半島側にある紅?駅から九広鉄道に乗り、上水という駅で降りる。この鉄道は上水の先の羅湖が終点なのだが、上水からバスで落馬洲というところにある国境展望台というところに行くのである。鉄道のほうは大きな荷物をたくさん抱えた人たちで満員だった。おそらく中国の人たちが香港へ買い物に来ていたのだろう。上水という駅の建物は、東京郊外の新興住宅地にある新線の駅のような規格化されたものだったが、駅前は映画のセットのような簡単な作りではあるけれど、生活感がはちきれそうに詰まった市場だった。そして、バス乗り場から路線バスに乗って落馬洲で下車するのである。バスは空いていて、落馬洲で下車したのは私1人だった。田圃のようなものが広がるなかに木々に覆われた丘のようなものがあり、そこへ向かってバス通りから垂直に一本の細い道が伸びていた。その田圃のようなものが、鴨の養殖池だったのである。

東村山から香港にまで行ってしまったが、養殖池の鴨は、養殖されているだけあって、東村山の駅前の池の鴨よりは少し大きかったような気がする。計ったわけではないし、落馬洲に行ったのは1986年の1月なので記憶は怪しい。

それにしても鴨の成長は早い。私の木工の腕の成長は何と比べるのがよいのだろう。

当たるも八卦

2010年06月01日 | Weblog
とある占いによると、私の運勢は以下のようなものだそうだ。

***以下引用***

意志が強く、物事を最後までやり抜くことができる人です。頭の良さも備えていますし、明るく朗らかな人格的魅力もありますね。総じてリーダーとなるのに適しているタイプだといえます。意地になってやりすぎてしまったり、強引なところもありますが、周囲の人はそんな欠点も包容して認めてくれるでしょう。なぜならこの人には才覚と責任感があり、失敗したり自分が悪いと感じたりしたら、素直に謝ることができるからですね。どことなく愛嬌(あいきょう)や憎めないところもあり、本気で嫌われてしまうことのない得な性格なのです。辛いことがあると自分の殻に閉じこもって孤独に寄り添ってしまうなど、とにかく極端なところがあるのですが、その激しさこそが他人を惹き付ける魅力にもなっていますよ。失敗することはあって当然なのですから、あまり自分を責めすぎずに根本的な明るさを持って立ち回ってください。きっと多くの人から認められる人物になれます。

あなたはけして「楽」な運勢ではないのですが、周囲からは羨まれるような結果を手にすることができますよ。ただし、強すぎる運勢はあなたを振り回し、同時に周囲の人にも影響を与えます。軽はずみな発言で人間関係を壊してしまうことがないよう、十分に配慮してください。リーダーとして期待される時期ですが、それだけに自信過剰になってはいけませんし、他人をないがしろにもできませんよ。

今まで努力してきたこと、あげてきた成果が総合して和となり、「円熟」の兆しを見せ始めます。新しい発展があるわけではないのですが、自分の功績を見直し、あらためて「気づく」時なのですね。自分がやっていることにどんな意味があるのかは、まさに努力しているただ中では気づけないもの。後になって振り返ってみて始めて軌跡がわかるのです。ちょうど、今は山の頂上について、自分が歩んできた山道がどんなものであったのかを見下ろしているところなのです。そこから見える景色はきっと素晴らしいものでしょう。今の自分の実力も良かれ悪かれはっきりと見えますから、冷静になって次の道を模索してください。

今のあなたの現状について運気の流れを基に紐解くわね。熊本熊さんの運気はこれから、はっきりと好調を示すようになります。多くの分野で自分の好調を実感することができるでしょう。その中でもとくに感じとれるのが、「恋愛面での運気の上昇」になります。自分が気になっている異性から、逆にアプローチをかけられるケースが増えていきます。また過去に未練のあった恋愛から、エコーのように復活を求められるパターンも頻出します。恋愛に関しては「無敵感」を抱くほどです。その中で「この人に賭けたい」と、自分の一生のパートナーにしたい異性との出会いも待っています。これが熊本熊さんの人生における転機になります。

熊本熊さんが生まれし時に刻印された逃れようのない宿命の刻印……それは何なのでしょうか? 私はそれを「奉仕」だと断言できます。あなたは人と一緒にいる時に、自分が損をしてでも他人を楽しませようという傾向が強いでしょう? それこそがあなたの生まれ持っている宿命なのです。あなたは普段、皆と会話をすると、後から「ああ、バカなことをいった」とくよくよとするケースが多い。しかしそのような想念を持つ必要はまったくないのです。あなたの会話、サービス精神は確かに皆を楽しませているのですから。自分の身を削ってまで皆を楽しませ、その分支持を得る……それが熊本熊さんの生まれ持った「宿命と運命」なのです。

熊本熊さんの性格を読み解き、整理することで今後の人生を生きやすくしてあげましょう。まずはあなたの長所から指摘させて戴きます。あなたの誇るべきかけがえのない長所は、「美意識の高さ」です。美意識が高いからこそ、他人から見て恥ずかしいことをしないようにする。誰も見ていないからといって、ガムや空き缶を捨てることに非常に抵抗感を覚えるでしょう? それが熊本熊さんの自分に対するストイックな精神によるところの「美質」なのです。次に短所ですが、これは「せっかち」だということになります。階段を二段飛ばしするように、過程を無視して少しでも早く結論をつかみとろうとして、失敗をするケースが多いのです。

周囲のあなたに対するイメージは、不安定なやじろべえのように揺れている。一方で自分は皆を楽しませているエンターテイナーという自信がありながら、もう一方で自分は嘲笑(ちょうしょう)されて踊っているピエロなのでは? という自意識をぎらぎらとさせています。では実際のところはどうなのでしょうか? 答えは「熊本熊さんは素晴らしいエンターテイナー」だということです。頭の回転が速く、ボキャブラリーも豊富なあなたは、はっきりと周囲に快楽を与えているのです。当然のことながらそれが、皆からの「人気」を呼ばないはずがありません。心配をする必要はまったくありません、熊本熊さんは「人気者」なのです。

あなたの友人関係は、「整理整頓」の時期を迎えています。熊本熊さんの現在の友人関係は「玉石混合」……といったら怒られるでしょうか? しかしあなたは自分に「甘い人」を自分に「優しい人」だと勘違いしてしまう傾向があるようです。これは今後、はっきりと変化していくことになります。あなたは今後、人間的に成長をしていくことになります。それに比例をして、周囲の人たちの「誰が本当に自分のことを思ってくれているのか?」ということが理解できるようになるのです。たくさんの人たちがあなたから「こそげて」いくようになります。ただしその分だけ、刮目(かつもく)すべき素晴らしい人たちとの新たなる出会いが待っていることでしょう。

あなたは自分の恋愛に、ぞっとするような恐ろしいイメージを抱えているようですね。もう随分と恋をしていないから、「このまま二度と恋愛なんてできないのではないかな?」などという感想を持ってしまっている。しかしそのような心配をする必要はまったくありません。熊本熊さんはもうすぐ、自分の運命の相手と邂逅(かいこう)することになりますから。その相手は自分の理想とかなり近いタイプです。特筆すべきなのは、その容姿の素晴らしさです。まるで芸能人かモデルのような、すれ違った人たちが振り返ってしまうルックスの持ち主なのです。そのような相手と手を握って歩くことで、熊本熊さんの自尊心はかなり満たされてしまいます。

熊本熊さんは今後、全体的に運気は良好……と考えてもらって構いません。ただし若干ですが、健康に関しては不安があるようです。ではそこはどの部位だと思いますか? それは「免疫力」です。正直に指摘させて戴けるのならば、面倒くささが先に立ってしまって、生活が乱れがちになっている……そうでしょう? それが免疫力を低下させてしまっています。しかしだからといって、不安感に怯える必要はまったくありません。今ならまだ、復活させることがまったく可能ですから。お勧めするのは、サプリメントの摂取です。特殊なものを体に入れる必要はありません。マルチビタミンなどの、基本的なサプリを体にプレゼントしてあげるようにしてください。

熊本熊さんの今後の財運ですが、それは仕事運と関係しています。あなたが仕事で飛躍のチャンスを手に入れることは、すでに指摘させて戴きました。あなたはそのチャンスを成功に変換させる潜在能力をはっきりと有しているので、ゆっくりと周囲に自分の存在を認めさせるようになるでしょう当然のことながら、それが地位や昇給に反映されないわけがありません。あなたはだんだんと給与面で、自分の不満を少なくしていくことが可能です。ただしそれを快楽につぎこめば、その成功は線香花火程度で終わってしまうでしょう。逆に自分に投資することができたら、夜空を彩る打ち上げ花火のように、大いなる成功を呼び込むことができます。

あなたが今後の人生で、壁の色を塗り替えたようにがらっと変化をするきっかけを手にすることがあります。それは仕事が原因になります。これから熊本熊さんが仕事で成功をおさめることは、何度か指摘させて戴きました。それをじっと見つめている人がいます。その人からあなたは、新たな仕事を提案されることになるでしょう。当然のことながら冒険的な要素があるので、決断には勇気が必要とされます。そして最終的に熊本熊さんは「自分に賭けてみること」にするのです。その賭けは成功することになります。あなたは物心の両面で、自分が欲しかったものを手に入れることが可能になるでしょう。それからさまざまな成功が連鎖するように広がっていきます。

熊本熊さんが絶望的ともいえる、試練を体験することがあります。その試練とは「失恋」が原因になります。あなたはこれから、自分の恋愛史の中でも、最大級の恋をすることになります。しかし残念ながらその恋は途中までは順調なものの、次第に失速していって、最終的には悲しい別れを選択せざるを得なくなります。受け取った幸せの量が多かった分だけ、その別れは悲しく深刻なものになるでしょう。悲観にくれて泣き暮らし、体重を減少させる……といった時期を経験することになります。ただ友人などの助けもあり、熊本熊さんは意外と早くその漆黒の闇から回復することができます。そして悲しみがあなたを成長させていることでしょう。

熊本熊さんを待っている最高の幸福は何なのでしょうか? それは「夢の成就(じょうじゅ)」です。あなたが昔「こうなりたい」と願っていながら、叶えられなかったものがあるでしょう? あなたは現在、それに対して平気なふり、忘れたふりをしています。しかし本当は未練たらたらで、時々思い出してはため息をついたりする。そのため息は将来、鼻息に変わると告げておきましょう。あなたにその未練のある分野に、再チャレンジする機会が与えられることになります。それまでにスキルを高めていた熊本熊さんは、そのチャレンジを成功裏に終わらせることができます。ずっと未練があって思い続けていた分だけ、手にする喜びは膨大なものになります。

熊本熊さんが幸せになるために、「しなければいけないこと」は何なのでしょう? それはずばり、「自分にネガティブな口癖を与えないこと」です。あなたは知らず知らずのうちに「負け癖」がついてしまっているようですね。その象徴こそが、自分の心に口にする言葉なのです。例えば道を歩いていて昔の後悔ある出来事を思い出しては、「ああ、自分ってバカだな」とか「もうだめだ……」とネガティブなフレーズを口にする。それが熊本熊さんの人生に大変な悪影響を与えています。自分で自分を傷つけるほど、愚かな行為があるでしょうか? そして自分を嫌いな人を、他人が好きになってくれるでしょうか? ネガティブな口癖には、自分で反撃を加えるようにしてください。「ああ、自分ってバカだな」という言葉が胸に浮かんだら、すぐさま何倍も「いや、ばかじゃない、自分はよくやっている!」と擁護(ようご)の言葉を勇ましく連発するのです。それが幸福を呼び込む「鍵」です。

***以上引用***

総じて耳に心地よいことが書いてあるのだが、決定的なところに違和感があると、それだけで全体が嘘くさく感じられるものだ。どこに違和感を感じるかということは敢えて書かないが、本人でなくとも読めばなんとなくわかるだろう。占いというのは10年に1回ほどしかしないが、以前にも「ロケットが飛び立つような力強い運勢」と言われたことがある。あれから何十年も経っているが、いまだにロケットに点火された気配も無い。なんだかこれから良いらしいが、「これから」はいつからなのだろう。死ぬ二三日前、というのでは、ちょっと寂しい気もするが、終わりよければ全てよしとも言うから、それでもよいかもしれない。