県教委元幹部、10人挙げ「合格」指示 教員採用汚職(朝日新聞) - goo ニュース
”教育者たる者、これだけは守るべし”、という道徳律の中で、まっ先に挙げられるのは、”すべての生徒さんに対して公平であること”です。生徒さんの先生に対する悪口の一番は、”えこ贔屓”ですし、不公平な態度をとる教員は、生徒さんからの信頼も失うものです。
そうして、もうひとつ、教育者が守るべき態度とは、”生徒さんの個々の能力や実力をその通りに評価する”ということです。能力や資質には個人差がありますので、それに見合った評価をしませんと、これもまた、不公平になってしまうのです。
教育の場では、均等平等と比例平等とを上手に組み合わせ、公平な”教室”を実現しなくてはならないのですが、大分県の教員採用をめぐる汚職事件を見てみますと、全く逆の状況が生じているようです。何故ならば、教員自らが、身内を贔屓し、実力が不足しているにもかかわらず、試験に合格させたのですから。
これでは、一生懸命に頑張って、教員試験のための勉強をし、実力がありながら不合格となった受験者の方々が可哀想でなりません。もし、組織的な”つて”と”賄賂”がなくては採用されない、となりますと、誰も、教員試験を受けようとはしなくなり、延いては、教員の質も低下の一途を辿ることになりましょう。しかも、先に述べた道徳律を無視してきた側の人々が、人を教える立場に立つのですから、社会的害悪となること、この上ありません。
組織的な不正に対しては厳しく対処し、公平な社会の仕組みをつくるよう、不断の努力を続けませんと、いつの間にか、日本の社会は、活力を失い沈滞し、腐敗してしまうのではないか、と心配になるのです。
よろしければ、クリックをお願い申し上げます。
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