万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

国連頼りではサミットの自己否定

2008年07月11日 13時34分04秒 | 国際政治
「国連での交渉に弾み」 首相、排出削減など成果強調 洞爺湖サミット(産経新聞) - goo ニュース
 1975年、第一次石油ショック未だ冷めやらぬ頃、第一回サミットは、フランスのジスカール・デスタン大統領の提唱の下で、パリ近郊で開催されました。先進国首脳が集まって討議し、直面する国際問題の解決を図るというこのスタイルは、今日まで継承されいます。

 ところで、70年代におけるサミット開設の背景には、冷戦下にあり、かつ、国連が大所帯であったことから、より実行力を持つ組織の設置が求められたという事情がありました。つまり、サミットは、その出発点において、現実的な問題解決のための機関として構想されたのです。

 しかしながら、福田総理の発言のように、国連に問題解決の手綱を預けるとなりますと、サミットの存在そのものの否定、あるいは、格下げに繋がるのではないか、と思うのです。もし、国連の方が合意に達し易いであるならば、わざわざ大仰にサミットを開催する必要性はありませんし、国連の準備機関として位置付けるにしても、もはや独自の存在意義を見いだせなくなります。

 問題解決能力を失ったサミットは、お飾りにしか過ぎなくなり、形骸化するとなりますと、緊急性を要する国際問題は、一体、誰が、どのように解決するというのでしょうか。

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