密約暴いた西山元記者「やっと出たか…」 外交文書公開(朝日新聞) - goo ニュース
尖閣ビデオのネット公開やウィキリークスの暴露が賛否両論の議論を巻き起こしたように、外交機密の関する文書の公表には、国益の保護と国民の知る権利との間の葛藤を孕むものです。
例えば、沖縄返還に関する”密約”問題については、(1)外務省が密約を否定していたことの是非、(2)沖縄米軍基地施設改修費の肩代わりの妥当性、(3)西山元記者の逮捕の合法性…、といった論点があります。(1)については、現実に存在していた事実を否定したわけですから、外務省の密約否定は虚偽ということになり、当然、虚偽の発言をした責任は、当時の政治家ならびに外務省にあるということになります。しかしながらその半面、密約の事実を伏せることにより、反対派を刺激することなく、沖縄返還が円滑に実現したとしますと、日米の国益には適っていたことになります。また、(2)についても、沖縄返還の代償の意味合いがありましたし、”思いやり予算”と同様に、片務性の強い日米安保条約の下では、日本国側が一定の財政負担を負うことには合理性があります。不透明な財政支出を行ったことには問題がありますが、密約による負担が、著しい国益の損失を招いたとは判断できないのです。それでは、(3)はどうでしょうか。尖閣ビデオの場合には、国家公務員法に基づく停職処分の上、刑事告訴されるのではなかと報じられており、その行為が結果として国益を守るものであったがゆえに、国民の多くから同情を集めています。一方、西山氏の場合には、暴露の目的が安保反対となりますと、国益にプラスであったとは言い難いように思うのです。何れにしても、機密情報の開示という行為を一律に違法行為とするならば、教唆とはいえ、西山氏もまた、この罪を犯しているということになるのです。
こうした密約暴露事件は、今後の外交のあり方に教訓を残しています。最も基本に据えるべきは、政府は、公開できない秘密を持つべきではなく、可能な限り、国民に説明のできる外交を行うべきであり、かつ、あらゆる情報が公開されてもなお評価に耐える外交に努めるべきということです。情報公開が一般化した時代にあっては、外交スタイルもまた、変化に晒されていると思うのです。
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尖閣ビデオのネット公開やウィキリークスの暴露が賛否両論の議論を巻き起こしたように、外交機密の関する文書の公表には、国益の保護と国民の知る権利との間の葛藤を孕むものです。
例えば、沖縄返還に関する”密約”問題については、(1)外務省が密約を否定していたことの是非、(2)沖縄米軍基地施設改修費の肩代わりの妥当性、(3)西山元記者の逮捕の合法性…、といった論点があります。(1)については、現実に存在していた事実を否定したわけですから、外務省の密約否定は虚偽ということになり、当然、虚偽の発言をした責任は、当時の政治家ならびに外務省にあるということになります。しかしながらその半面、密約の事実を伏せることにより、反対派を刺激することなく、沖縄返還が円滑に実現したとしますと、日米の国益には適っていたことになります。また、(2)についても、沖縄返還の代償の意味合いがありましたし、”思いやり予算”と同様に、片務性の強い日米安保条約の下では、日本国側が一定の財政負担を負うことには合理性があります。不透明な財政支出を行ったことには問題がありますが、密約による負担が、著しい国益の損失を招いたとは判断できないのです。それでは、(3)はどうでしょうか。尖閣ビデオの場合には、国家公務員法に基づく停職処分の上、刑事告訴されるのではなかと報じられており、その行為が結果として国益を守るものであったがゆえに、国民の多くから同情を集めています。一方、西山氏の場合には、暴露の目的が安保反対となりますと、国益にプラスであったとは言い難いように思うのです。何れにしても、機密情報の開示という行為を一律に違法行為とするならば、教唆とはいえ、西山氏もまた、この罪を犯しているということになるのです。
こうした密約暴露事件は、今後の外交のあり方に教訓を残しています。最も基本に据えるべきは、政府は、公開できない秘密を持つべきではなく、可能な限り、国民に説明のできる外交を行うべきであり、かつ、あらゆる情報が公開されてもなお評価に耐える外交に努めるべきということです。情報公開が一般化した時代にあっては、外交スタイルもまた、変化に晒されていると思うのです。
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