ことしも間もなく8月15日(終戦記念日)。今回の作品は、第2次世界大戦の名古屋大空襲で被災しながらも生き残り、戦争の愚かさ、悲惨さを今に伝える名古屋中区大須の寺院・七寺(ななつでら)の大日如来像を描いたものです。
三菱重工など軍需産業の集積地だった名古屋は、繰り返し米軍機の襲来を受けました。とりわけ市街地を標的とした大戦末期の相次ぐ空襲は、名古屋の街を焦土と化しました。
七寺の住職の話では、七寺が被災したのは1945年(昭和20年)3月19日の大空襲。東京大空襲の9日後です。
総務省などの記録によれば、午前2時ごろ米軍のB29爆撃機320機が名古屋上空に来襲。この夜だけで中村区、中区、東区などの約4万戸が焼夷弾などで焼失し、約15万人が被災。竣工して間もない6階建ての名古屋駅も炎上しました。
七寺の周辺も焼け野原になり、七寺では七堂伽藍の全てが焼け、旧国宝の本堂や阿弥陀如来座像などが焼失しました。
そんな中で大日如来像は銅版の身体が焼けただれたものの、辛うじて生き残りました。体のあちこちに残る手当ての跡。境内に鎮座して68年の風雪も何とか乗り越えてきたのです。