風の遊子(ゆうし)の楽がきノート

旅人を意味する遊子(ゆうし)のように、気ままに歩き、自己満足の域を出ない水彩画を描いたり、ちょっといい話を綴れたら・・・

楽描き風景水彩画「芽吹きの時迎えたプラタナス」

2013-03-28 20:54:26 | アート・文化

 

落葉樹のプラタナス(和名・スズカケノキ)は、僕の大好きな樹木のひとつです。
  

大木を覆う広葉は涼しい緑陰をつくり、黄褐色に染め上がる紅葉は晩秋の都市景観を演出。それを落とした冬は、ありがたい日差しを注いでくれます。樹幹のあちこちにあるこぶのような盛り上がりとゴツゴツ感。木の皮がはげ落ちたあとにのぞく薄緑がかった肌も魅力的です。

ヨーロッパの街路樹では古くから代表格の樹種で、日本にも明治期に導入されて以来、ケヤキやイチョウと並ぶ人気です。でも、大きな落ち葉の掃除や旺盛に伸びる枝の剪定に手間がかかるせいか、近年は街路樹としての採用は減っており、名古屋でも同様です。
  

それだけに名古屋・鶴舞公園のプラタナスに出会うとホッとします。小さなドーム状の屋根がある奏楽堂の周りに、手をつなぐようにして立つ26本。芽吹きの時を迎えた逞しい樹幹を描きました。

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楽書き雑記「絵仲間の快挙」

2013-03-26 20:32:17 | 日記・エッセイ・コラム

 

5回信州伊那高遠の四季展「奨励賞」
 
15回絵のまち尾道四季展「秀作] 

同じ教室で学ぶ絵仲間の草野二郎さんが、昨年夏からこの春にかけて成し遂げた連続入賞という快挙です。
 

僕たちの風景水彩画教室では以前から、描く目標の一つとして何人かがさまざまな公募展に挑戦しています。その結果、入選・入賞者も例年出ていますが、僕たちがあこがれの公募展と位置付けている高遠展と尾道展に入賞、しかも2つが連続するというのは、教室の仲間としても鼻が高いことなのです。

草野さんと塚原徹也さん、それに僕はどちらの作品展にも前回から一緒に応募してきました。3人とも同世代、勤め人あがり、絵の方も絵筆を手にしたのは中学校以来、といういわゆる初心者です。

一緒に美術館巡りや取材に出かけていますが、とりわけ草野さんは研究熱心です。図書館から借りてきた専門書で構図や混色を身につけたり、過去の入賞作品の傾向を調べたり・・・。それらのコピーや調べた結果を惜しげもなく僕にもくれます。でも、授業を休み友人のノートを借りて勉強したつもりになっていた学生時代と同様、なかなか身に付かないですね。

ともあれ、次回は挑戦しようという教室の白木宏平さんも加わって4人で尾道市立美術館出かけて草野さんの作品を鑑賞。日本画や油彩画など素晴らしい入賞作品の中でも堂々と存在感を示す草野さんの水彩画に拍手、拍手でした。

幸い塚原さんと僕も入選、アーケードのある商店街に展示された作品を称賛しあったあと、これまでの尾道詣でですっかりなじみになったレストランで 祝杯をあげた次第。もちろん、翌日は次回を目指して造船所や漁港を取材してきました。
 

入賞した草野さんの「尾道海流」と、入選した塚原さんの「出を待つ」、僕の「ハレの日」です。いずれも20号。
                          
    
 

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楽書き雑記「名古屋・大須の魅力」

2013-03-23 08:22:12 | 日記・エッセイ・コラム

 

名古屋の大須は、国内有数の「にぎわう街」でしょう。
 
 ひと昔前はお年寄りが楽しむ街のイメージがありましたが、今や街歩きの多くはウィークデーでも若者が8割、いやそれ以上を占めている感じがします。といって、僕のような1~2割組が肩身の狭い思いをしている様子はありません。「老若男女」。みんなの表情が明るく、リラックスしているのです。

 
 なごや大須商店街公式ホームページを開くと、「エリア内の店舗・施設は1200。年齢性別国籍を問わず、さまざまな文化を受け入れる『ごった煮』が大須の魅力のひとつです」とあります。確かにその通りと思いますが、先に絵画教室のスケッチ会が大須であった後に、再び大須へ出かけて「もっと大きな魅力がここにはある」と気付きました。

 
 「街歩きを楽しむには、地元の人との会話が一番」と考える僕は、道が分からないと、遠慮しないで積極的に尋ねることにしています。この日も3カ所、3人の方に尋ねました。
 
 最初は、散歩の途中でしょうか、僕と同年配と思われる男性。「少し来過ぎましたね。あの道をしばらく戻られると・・・」。身振り手振りをまじえ、ニコニコ顔の案内に、やや歩き疲れていた僕も元気になりました。
 
 次に声を掛けたのは、道路沿いの倉庫内を整理されていた僕よりかなり年下の女性。手を止めて出てきてくれた女性は「詳しく知らないから、ちょっと待ってくださいね」と家の奥へ。でも分からなかったらしく、今度は小走りで数軒離れた商店へ入って尋ねてきてくれました。
 
 3度目は僕よりずっと若い男性。商店の歩道わきで商品を整理中でしたが、「聞いてきます」とビルの階段を駆け上がっていきました。ほどなく戻ると「分かりました。次の信号を渡り終えたらすぐ左へ曲がってください。ちょっとだけ歩くと右側にあるそうです」。

 
 心から「ご丁寧に、ありがとうございました」の連続でした。そして、どんなキャンペーンよりも、地元の人たちの優しさ、温かさは、観光客をリピーターにするのだな、と大須のにぎわいの源を見た思いがしたのです。

10本もある商店街通りの一つ、東仁王門通り商店街のアーケードの天井から、名古屋弁とイラスト入りの楽しい垂れ幕が架かっています。その一枚。

「おみゃあさん 大須は楽しい ええとこだがや
連れってたるに いっしょに いこみゃあ」
(僕の訳:あなた 大須は楽しいいいところだよ 連れて行ってあげるから一緒に行きましょうよ) 
       
    
 

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楽描き風景水彩画「さくら・桜・サクラ」

2013-03-20 09:22:19 | アート・文化

 桜の季節の到来です。
 ことしはどこも早いようですね。
 名古屋でも19日に開花宣言が出ました。ひと足早く開いた東京・上野公園では、今日20日の春分の日が花見のスタートとか。
 そこで僕もひと足早く、これまで描いた桜の作品から3点をご覧いただくことにしました。
 最初が、絵を習い始めてしばらくしてからの作品。大胆にも名古屋・山崎川の夜桜に挑みました。スポットライトを浴びる桜が美しくて挑戦したのですが、絵にするというのは、そんな生易しいものではないことを思い知らされました。とりわけ夜の風景はむつかしいですね。
 2番目が3年前。名古屋の緑区内で見つけた桜です。枝が横へ広がった樹形の桜が多い中で、すくっと立ちがって咲いています。その姿に「立つ桜」と題してその年のグループ展「風の游子展」に出させてもらいました。
 3番目は昨年春の作品。岡崎市の伊賀川の堤防沿いにある老木の1本です。大勢の花見客でにぎわう岡崎城周辺の桜たちに引けを取らない美しさ。ごつごつした幹のあちこちから小さな枝を出して花びらを付けています。作品は「古桜の春」と名付けました。
 ことしはどんな花を描こうかな。楽しみです。


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楽書き雑記「ブログのタイトル『風の遊子』について」

2013-03-18 15:23:14 | 日記・エッセイ・コラム

 「遊子」(ゆうし)には、いろいろな意味があるようですが、ここでは「旅人」として使わせてもらいました。
 そうです。「小諸なる古城のほとり 雲白く遊子悲しむ」。島崎藤村の「千曲川旅情の歌」の一節ですね。
 風景水彩画の仲間たち数人で年に1度催すグーループ展の名称にも使っています。僕自身はそれほどではありませんが、仲間たちは絵だけでなく、書道やコーラス、小説書き、気功太極拳、ゴルフ、国内外への旅行など、さまざまなメニューで定年後の人生を楽しんでいます。
 もちろん、酒も欠かさないことはいうまでもありません。
 グループ展の名称は「風の游子展」。このような風の吹くままに人生を歩く旅人たちの作品展というわけで名づけました。「さんずいへん」が付いた「游子」にしたのは、「水で描く水彩展にふさわしいのでは」という理由です。
 「風の游子展」はことし6回目。6月に名古屋・栄の名古屋市民ギャラリーで開催します。
 近づいたら、このブログでも案内させていただきます。ご高覧ください。


楽描き風景水彩画「志摩スケッチ②」

2013-03-17 19:28:37 | アート・文化

  大王崎でも打ち寄せる太平洋の荒波、灯台を見上げる家々や小さな漁港など、絵はがきそのままの風景を歩きました。打ち寄せる波の絵の空は、水彩画の巨匠・ターナーを真似てみました。
 集落に向かって石段の道を登ります。途中、何カ所かに左右に分かれる二叉路、三叉路。この絵に描いた二叉路の右側を行くと、休憩所のような建物がありました。
 でもそれは、そんなのんきなものではありません。南海トラフを震源とする巨大地震が発生すれば、とてつもない規模で押し寄せると予想される津波からの避難所なのです。
 ここに逃げて来なければならないようなことが起きないよう、祈るばかりです。

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楽描き風景水彩画「志摩スケッチから」

2013-03-16 21:30:28 | アート・文化

  

カルチャーセンターの教室で志摩半島へスケッチ旅行した中から、まずは1枚をご覧ください。

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 安乗崎灯台。映画「喜びも悲しみも幾年月」(1957年松竹 監督・木下恵介 出演・佐田啓二、高峰秀子)のロケ地になったこともあります。高校生時代に観た映画のシーンを思い起こし、主題歌を口ずさみながら20号の作品にしました。

♪おいら岬の  灯台守は 

妻とふたりで 沖行く船の 

無事を祈って 灯をかざす 

灯をかざす♪

北から南まで最果てにある灯台を転々と勤務する灯台守夫婦の物語に、16歳の少年だった僕も深い感銘を受けました。

あれから半世紀。主題歌も4番までの歌詞のほとんどを覚えています。その高揚感もあって、空にも波にも力が入りました。

先日の教室展で展示され、さまざまな評をいただきましたが、最もきつかったのは、絵かきでは先輩の妻のひとこと。
 

「灯台が軽いなあ。浮いているみたい。無くても良かったんじゃない?」

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楽書き雑記「ブログデビューの挨拶を兼ねて」

2013-03-16 17:42:51 | 日記・エッセイ・コラム

 

 お絵かきは子どものころから苦手な科目のひとつでした。それを趣味にしようと思い立ったのは、第2の定年の65歳を前にして、大学時代の友人と残り時間の使い方をめぐり盛り上がったのがきっかけです。

 「時間は多くないから、これまでの仕事には関係の無いことでいこう」「不得手で尻込みしたくなることか、やりたくてもできなかったことのどちらかだな」。そこで、あまのじゃくの僕は「前者を選ぶ」と宣言したのです。いわば、軽いノリでした。
 

 名古屋の朝日カルチャーセンターの教室「風景水彩画入門講座」を選びました。「入門」の文字と講座案内の「絵筆を握ったことのない人も、1つのきまった技法ではなく、自分の好きなように描いていく」のフレーズに、これなら僕でもやれそう、と安心したからです。それがどれだけ大変なことかを知ったのは、ずっと後になってからでした。

  友人は「政治家か宗教家になりたかったが、この歳だと政治家は郷里の町会議員でもむつかしい」と、仏教の専門学校に入学。得度も果たしましたが、彼ほどの覚悟も能力もなかった僕は、繰り返し立ちはだかる壁に気力だけでぶつかっているのが現状です。

 でも、教室の生徒のほとんどが同世代、同様の初心者、同様の企業戦士あがり。スケッチ旅行と称する飲み食いが最優先の旅、誰もマイクを離そうとしないカラオケタイム、プレーのスコアもさることながら19番ホールでも絶好調(ゴルフをしない僕は、勝手気ままな評論・解説に徹します)といったイベントも、次々と企画されています。
 

 こんな男たちより、さらに魅力的なのは、同世代と言っては失礼になる元気で、温かく、可愛いマドンナたち。だから、実は絵の壁なんかどうでもよくなってしまうのです。

 こうした集団の真ん中にいるのは、現代美術作家の山田彊一先生。指導ぶりや人となりのユニークさはかなりのものです。
 

 僕の説明よりも、山田先生のブログ(http://artistyamakyo.blog75.fc2.com/)を開いていただいた方がいいでしょう。