名古屋・栄に出かけたついでに、喧騒が届かない街なかのオアシス「フラリエ」に立ち寄ってきました。コロナ禍のため昨年に続いて、今年もさまざまなイベントが中止されましたが、園内の手入れの行き届いた花壇など、花と緑は絶えることなく癒してくれました。
晩秋に入ったいま、花数は多くありません。でも、コスモスやケイトウ、ベゴニアなどの花と始まったばかりの紅葉が、秋の日差しを浴びてキラキラ。池のスイレンの花も、ほんの少し残っていました。
名古屋・栄に出かけたついでに、喧騒が届かない街なかのオアシス「フラリエ」に立ち寄ってきました。コロナ禍のため昨年に続いて、今年もさまざまなイベントが中止されましたが、園内の手入れの行き届いた花壇など、花と緑は絶えることなく癒してくれました。
晩秋に入ったいま、花数は多くありません。でも、コスモスやケイトウ、ベゴニアなどの花と始まったばかりの紅葉が、秋の日差しを浴びてキラキラ。池のスイレンの花も、ほんの少し残っていました。
昨日紹介した水彩画仲間のグループ展「風の游子展」(11月23日~28日)に、私が出展を予定している作品を、順次掲載させていただきます。一作目は、名古屋の城下町・四間道(しけみち)で以前あった、古民家見学会で目にしたたくさんの靴が並ぶ土間の様子を描いた50号の作品です。
この日は、土砂降りの雨と青空が繰り返されるという珍しい日。「こんな天候では、客は少ないだろう」と思いきや、旧豪商宅の土間は訪れる見学者の靴でいっぱい。さらに、驚いたのは「古民家見学会なんて、高齢者だけだろう」と思っていたのが大間違い。若い男女中心の見学会でした。
「土間を埋めた靴がそれを物語っている。おもしろい」と、描き進めました。題名は「古民家見学会Ⅰ」。Ⅱは、次回に掲載します。
コロナのため中止していた水彩画仲間6人のグループ展「第13回風の游子展」を、11月23日(火)から28日(日)まで、名古屋市民ギャラリー栄7階の第2展示室で開催します。
グループは、朝日カルチャーセンター名古屋の風景水彩画教室の受講生有志。「教室展以外に成果が発表できる場を」と、13年前に「風の游子展」をスタートさせ、これまでにメンバーの交代はありましたが、初夏の季節に開いてきました。
しかし、コロナのため昨年は教室展とともに中止。今年も昨年に続いて、どちらも中止せざるをえませんでしたが、「半年先ならコロナだって落ち着いているだろう」と、市民ギャラリー栄の空き室があった11月に「風の游子展」を、12月に教室展「KAZEの会展」を予約してありました。
游子展では、公募展などに出した作品も含めて、各自8点前後を出品します。
KAZEの会展は、12月7日(火)から12日(日)まで、市民ギャラリー栄8階の第9展示室で催します。
「花の命は短い」と言われますが、長期間咲き続ける花も少なくありません。開花期が初夏から晩秋まで7カ月間という「ルリマツリ」(別名・ブルンバゴ)もその仲間です。
名古屋市農業センターの指導館前でも、可愛い薄紫色の小花を次々に咲かせています。
南アフリカが原産地の半蔓性常緑草木で、草丈は30㌢~3㍍。指導館前の庭に露地植えされ、左右にこんもりと広がっています。
寒さにはやや弱いですが、暑さには強く精力旺盛。病害虫の心配もほとんどないとか。花言葉は「いつも明るい」だそうです。
水彩画教室のスケッチ取材で出掛けた、名古屋市西区の明道町(めいどうちょう)界隈にある「菓子問屋街」での1枚です。
名古屋では約400年前、徳川家康による名古屋城建設の過程で、全国から駆り出された労働者の疲労回復用として、駄菓子作りと販売がスタート。関東大震災の被災地支援などで、大きく成長しましたが、嫁入りや棟上げ式での菓子まきイベントなども廃れたいま、面影を残す菓子問屋は数少なくなりました。
描いたのは、その一軒。建物の老朽化が進んでいますが、全国のメーカーから大量の駄菓子が届いていることを、店頭に積まれた段ボール箱が物語ります。
名古屋市農業センターの温室裏の畑で、ひときわ目を引く真っ赤な実をつけた低木。ハイビスカスティーで知られるローゼル(別名ハイビスカスローゼル)です。
西アフリカ原産で、アオイ科フヨウ属の常緑低木樹。
古代エジプトの時代から王家の不老長寿の秘薬とされ、クレオパトラも愛でたとか。現代では赤い額や苞がハイビスカスティーになるだけでなく、葉なども食用や美容や健康のため生薬などになっているそうです。
我が家の庭で鉢植えと、露地植えにしてあるフジバカマが、満開になりました。19日午後には、待っていた「渡りチョウ」のアサギマダラが飛来、カメラに収めることができました。
数本のフジバカマの苗を鉢に植えたのは3年前。ひょっとしたら、日本列島と南方の島々とを往来するアサギマダラが、海を渡る前に立ち寄ってくれるのでは、と期待して植えたのですが、鉢植えにまでに来ることはあるまい、というのが本音でした。
ところが、昨年、わずか一匹だけ飛んできて、蜜を吸う姿を見ることができたのです。
今年は直径30㌢ほどの鉢がいっぱいになったため、半分を露地に移して栽培。どちらも勢いよく伸びて広がり、アサギマダラも一匹が姿を見せました。
よく見ると、羽にマークが入っています。マーキング調査に参加している人たちが入れたのでしょう。
我が家の庭に飛来するアサギマダラの個体数が増えたら、マーキング調査に参加するのも楽しいだろうな、とも考えています。
ただ、心配なのはフジバカマのすごい繁殖力。このままでは、根を伸ばして他の草花をたちまち追いやってしまいそうな勢いです。周りの地中へ、障壁用の板を差し込むべきかどうか、新たな課題になりそうです。
やはり、僕の間違いでした。今年5月30日に掲載した名古屋・鶴舞公園内の図書館前にある立ち木の庭に咲いた真っ白な花についてです。
僕が「ヒマラヤトキワサンザシ」としたところ、ブロガーさんから「ネズミモチ」ではないか、とのご指摘をいただきました。図鑑を開いて「なるほど、その通りかもしれないな」と思いながらも、「実のなる秋までの宿題」にさせてもらっていたのです。
花後に実ったのは、この通り。楕円形で米粒より大きめな緑色の実がびっしりなっています。ネズミモチの実です。丸くて赤い実のヒマラヤトキワサンザシとは全く違います。
秋が深まれば、この緑の実は黒ずんで、ネズミのモチと言うより、フンのようになります。ブロガーさん、ありがとうございました。
今年5月に掲載したネズミモチの花です
あちこちで目にするハロウィン(今年は10月31日)の関連グッズ。名古屋市農業センターの温室でも、カボチャアートが訪れる園児たちを楽しませています。
同センターでは毎年、鑑賞用にさまざまなカボチャを栽培しており、ここに並ぶ作品にもなっているようです。中にはジャンボカボチャのアトランティック・ジャイアントも。見た目ほど丈夫ではないので「乗ったりしないでね」と。
「一雨一度(ひとあめいちど)」とは、よく言ったものです。30度近くあった名古屋の気温も、着実に低下。庭の赤紫のホトトギスや青紫のアメジストセージも、さわやかな風に揺れています。
ホトトギスは他の草花に囲まれた中で花柄を伸ばすようにして広がり、白地に紫色の斑点模様の花を咲かせています。古くから親しまれてきた日本特産の花。今では花壇でも少数派になったようですが、20種ほどあるといい、花の色も紫、白、ピンク、黄色と多彩です。
昨年、半日陰の我が家の庭では「特選地」といえる日差しのある場所へ移したアメジストセージは、草丈がそれまでの倍の1・5㍍近くに。半日陰時代の不遇を取り戻すかのように、紫水晶色の花穂を伸ばしています。
散歩道のあちこちで、セイタカアワダチソウが黄金の世界を広げています。
ほくべい原産で精力旺盛。かつて花粉症との関連も疑われて駆除活動が展開され、ススキなどにとって代られていましたが、次第に復活してきました。散歩道の宅地造成地や竹藪沿いでは、今年もススキやクズなどとの一進一退の陣取合戦を繰り広げています。
蔓性植物には敵わないようです
久しぶりに名古屋・鶴舞公園に出かけると、満開のスイフヨウ(酔芙蓉)に迎えられました。公園内のスイフヨウに咲くのは約70株。昨年の花後に、スイフヨウの植え替えや周りの立ち木が整理され、すっきりした感じです。
朝に咲き、夕方には萎む一日花。この日朝咲いた花のそばには、前日に咲いて夕方までに白からピンク、赤へと変化して萎んだ真っ赤な花殻の球も。それに翌日咲く蕾が一緒になって膨らんでいます。
気温など天候に左右されるでしょうが、蕾の数や様子を見ると、まだしばらくは楽しめそうです。
キンモクセイの季節。庭のキンモクセイも、秋の装いになりました。
老木と言うほどでもないのに、数年前に1年間に2度咲きしたあたりから、少ない花数と艶の無い色、感じさせない香りなど、すべてが物足りなかった我が家のキンモクセイ。対応策が分からないままでしたが、少しずつ回復、今年の花数は最盛期に比べて6割ほどになり、色あせた感じは少なくなりました。
最も大事な香りも、一時は鼻を近づけてやっと匂う程度だったのが2~3㍍までに。この調子だと、通りがかりの人たちに芳香が届くまでに回復するかもしれません。
自宅庭で花期が過ぎたシラハギです。半日陰の中に白い世界をつくっていたのですが、ブログ掲載を油断している間に、このように花殻が目立つようになりました。
それにしても、ことしも木が大きくなり過ぎました。ことしは新しい枝が60㌢ほどになったところで、25㌢ほど剪定したものの、たちまち多くの枝が2㍍を超えてしまいました。剪定の時期や強弱など、こちらも油断せずに対処することが、来年の課題になりました。
10日ほど前は、こんなに咲いていたのです
コロナの緊急宣言解除で、男の子2人の孫たち一家と出掛けた奥飛騨旅行2日目は、北アルプス最高峰の乗鞍岳(標高3026㍍)へ。つづら折りの乗鞍スカイラインを走るバスの車窓に広がる山肌は、始まって間もない紅葉に彩られていました。
終点の畳平(2702㍍)で下車。冷気に包まれ、急いでセーターとウインドブレーカーを着こみ、旅先でも私はあまり着用しない帽子も、売店で買い求めました。
一般車の乗り入れは禁止されており、バスでやってきた色とりどりの防寒着とリュック、登山靴で整えた人たちがあちこちに。巨岩のガレ場が連なる山肌や周りの雄大な峰々を仰ぎ、歓声を上げながら、思い思いのルートに向かっています。
こちらは写真を撮ったり、売店をのぞいたり、食事をしたり・・・。その間に、5度だった気温標識は7度を示しています。シーズンが終わった広大なお花畑を目に「花の季節だったら、あの中を歩くだろうなあ」などと考えていた時でした。中学生と小学生の孫たちが「剣ヶ峰まで登ろうよ」と言いだしたのです。
畳平と最高峰の3026㍍にある剣ヶ峰との高低差は324㍍。パンフレットには「日本100名山の中で唯一、片道2時間以内で登頂できる山。3000㍍級の山岳登山に比較的挑戦しやすい岳人入門の山」とあります。
といっても、孫たちは、まだ中学生と小学生。親が付き添うにしても、途中にはガレ場もあり、不安はぬぐえません。
改めて山腹に目を向けると、剣ケ峰へ向かう人の姿が断続的に見えます。「普段からトレッキングやワンダーホーゲルをやっている人たちだよ」「もっと山のことを勉強してからの方がいいね」と私。
しかし、剣ヶ峰踏破を今回の旅の一番の目的にしてきたという2人は、納得できないようです。それに、高齢者である私たちのことを気遣って、言い出すのを遠慮していたらしいことが分かります。
しばし、沈黙。私自身の70年前の自分を蘇らせ、今ある自分の思考力や判断力、表現力など、言わば「生きる力」を身に付けてきたことを思い起しました。
「それは、学校での学習だけでなく、自ら求め、吸収した読書や見聞、さまざまな体験であり、挫折感や達成感を味わったことではなかったか」「自分は今、孫のそれを摘み取ろうとしているのではないか」「ここは親の判断に任せよう」と結論しました。
「よし分かった。爺ちゃんたちは残るが、まず途中にあるコロナ観測所を目標に登り、あとは体の調子などを考えて・・・」「途中で引き返すことも、勇気だからね」と聞いたような口を利き、小躍りして駆け出す孫たちを見送りました、
約3時間後。無事下山の知らせ。スマホに送られてきた写真には「剣ヶ峰」の標柱に並んで立つ「どや顔」がありました。
飛騨乗鞍観光協会のパンフから
写真では見えにくいですが、7度と表示されています
剣ヶ峰へのルートに、コロナ観測所が見えます
車窓から