風の遊子(ゆうし)の楽がきノート

旅人を意味する遊子(ゆうし)のように、気ままに歩き、自己満足の域を出ない水彩画を描いたり、ちょっといい話を綴れたら・・・

楽書き雑記「水彩画仲間がメンバーの写真展に行ってきました」

2016-11-29 13:45:22 | 日記・エッセイ・コラム

水彩画教室の仲間の一人が、もう一つの趣味にしている写真の教室展に出かけてきました。29日、名古屋市民ギャラリーで始まった「グループ達写・写伸クラブ第15回合同写真展」。ともに、カルチャーセンターの同じ講師が指導する「花と風景を撮る写真教室」で学ぶメンバーです。

双方合わせて29人が出品。朝日や夕陽が染める空、夕刻の街。さまざまな草花にはトンボやクモ、チョウが羽を休めます。
「四季の移ろいや心に残る風景を、形や技法にとらわれずに撮る」といった講師の教え通り、自由にレンズを向け、撮ることを楽しんでいることが伝わってきます。

水彩画と写真の「両刀使い」を楽しんでいる、グループ達写の坂井勝次郎さんは、あちこちに出かけて撮った花や風景写真を、ブログ「美しい花と風景を楽しみましょう」(http://flowerandscenery.blog69.fc2.com/)でも紹介。今回出品しているのは、霧のすき間から覗く太陽を捉えた作品です。会期は12月4日(日)まで。






「楽書き雑記「素晴らしい作品と田渕俊夫・新理事長のギャラリートーク=再興第101回院展の名古屋展を鑑賞」

2016-11-27 08:51:52 | 日記・エッセイ・コラム

      



信仰の道  大野逸男

 再興第101回院展の名古屋展が26日から松坂屋美術館で始まり、さっそく水彩画仲間と2人で鑑賞してきました。12月4日(日)まで。
素晴らしい作品の数々に出会えたうえ、院展の新しい理事長になった田渕俊夫さんのギャラリートークも聞き、充実した一日でした。

同人の作品に素人鑑賞者はただ見入るばかりですが、作品のコメントに目を通し、描かれた風景への思い出などを織り交ぜて楽しみました。

熊野灘の浜に打ち寄せる波を描いた、清水達三さんの「潮騒」に引き寄せられました。お姿を拝見したこともありませんが、清水さんは和歌山県に生まれ、和歌山に住み地元を描き続けている作家とか。97回展の「波嵐」など、ふるさとに寄せる思いを感じながら拝見を楽しみにしています。
実は、僕は20歳の半ばごろ、仕事のため1年半ほど三重県熊野市で、熊野灘の七里御浜から数十㍍のところに居を構えたことがあります。
最初は眠りを妨げられた波の音が、やがて心地よい波枕になった日々を懐かしく思い出しながら、しばし見入りました。

宮廻正明さんのベトナムの川で漁師が投網を打つ風景には、子どものころ高知の四万十川で近所の「おんちゃん」たちが、黙々と無心に網を投げ、潜って魚を追っていた光景がよみがえりました。
松村公嗣さんの「春待つ」に描かれた雪の原に出てきたイタチとその足跡。数年前、水彩画仲間と早春の長野県伊那地方に出かけて、谷川の岸から雑木の山へと続く雪の原に水を飲みに来たらしい動物の足跡を発見。夢中になって絵にし、公募展で入選できたことを思い出しました。

文部科学大臣賞の大野逸男さん。事前に大野さんのプロフィールをネットで見ると、何と展覧会を見に一緒に来た水彩画仲間と大野さんの三人が、同い年で誕生月も同じだったのです。会ったこともなく、すごい画家なのに親近感を覚え、受賞作品の「信仰の道」をじっくり鑑賞しました。
「一気に半分ぐらい描いて少し休む。体力の衰えを感じる。手がしびれるような寒さのなかで・・・」
写生した時の様子が書かれたコメントに、エールを送りました。

取り留めのない鑑賞記ですが、田渕理事長のギャラリートークでは、趣味のお絵かきを楽しむ我々にとっても大切な心構えを聞くことができました。

田渕さんは教鞭をとったことのある愛知県立芸大の卒業生や生徒たちが今回も約50人が入選したことを紹介。自身の作品「飛鳥川心象 春萌ゆ」を前に、「今回は墨だけで描いた。白の丸いは塗ったわけではありません」と絵の中の若葉の表現について説明してくれました。
無数の白い点々。水墨を知らないとはいえ、白い絵の具を使ったのかなと思っていた僕は赤面する思いでした。水彩画では塗り残して白を表現しますが、未熟な僕はついガッシュに頼ってしまいます。それが、こんな大きな画面に無数の塗り残しをされるとは・・・。

田渕さんは「努力賞かな」と会場の笑いを誘うと、地元作家の作品を中心に講評に入りました。
樹木をテーマにした作品には「きれいに描けているが、この樹の葉を知っていればもっと良い作品が描けたはず」とひとこと。
鳥を描くために動物園に通い、動く鳥を細かにスケッチしたという自身の体験を話し、「写真では、風に揺れる葉でも波でも止まってしか見えない。やはり観察して十分に知らないと描けない」「人物も服や着物の中(身体)が見えるように描くこと」と続けました。

「とにかく『うまい』と言われて、褒められたと思ってはダメ。思えば、そこで止まってしまう」「展覧会に合わせてだけ描いているのではなく、人生をかけて絵にしがみついて欲しい」
「取材は、目をつむってもその様子や風景が浮かび、描けるだけの観察が必要」「絵の具の色が豊かになったが、それに頼ってばかりでない技法も編み出してもらえれば」
カルチャーセンターや画塾で日本画を学ぶ人ら大勢の聴衆に、新理事長として「日本画とは何か」を今一度考え、取り組んで欲しい、との思いを込めて話しているようでした。

また、ここ数年、僕が院展での鑑賞を楽しみにしている平田望さんや川島優さんといった愛知県立芸大出身の新鋭作家に対しては、大きな期待の言葉をかけました。
「従来の院展では受け入れにくかった新しい絵の流れをつくり、日本画の良さを取り入れて励んでいる。日本画の幅を広げてほしい」

※写真は展覧会のチラシと院展全作品集から掲載しました。




 

 



楽書き雑記「メタセコイア・皇帝ダリア・チトニア=名古屋市農業センターのノッポ3兄妹」

2016-11-25 07:33:33 | 日記・エッセイ・コラム


メタセコイア


皇帝ダリア

 
チトニア

名古屋市農業センターで、この時期の見ものは背の高いメタセコイアの木と皇帝ダリア、チトニアの花。さしずめ、ノッポ3兄妹ですが、花の方はどちらも寒さに極端に弱く、霜が降りるとダメになってしまいます。関東甲信地方への寒波到来に、名古屋の寒波も遠くないのでは、と急ぎカメラに収めてきました。

「生きた化石」とされるメタセコイアは、樹高が25~30㍍、直径1・5㍍にもなるスギ科(ヒノキ科とも)の木。15、6本ある農業センターのメタセコイアは、50年前の開園時に植えたもので、それほど大きくありませんが、シンボルツリーとして存在感は十分です。
朝夕の冷え込みに葉が日に日に赤や黄色味を増しており、茶色になって裸になれば名古屋も本格的な冬です。

皇帝ダリアも中南米が原産。背丈は3~4㍍になり、大きなピンクの花を咲かせた様子は、皇帝の名前が頷けます。ただ、寒さには弱くて霜が降りれば急激に萎れ、根も多くは越冬できません。
実は、我が家でも以前、皇帝ダリアを植えて2階のベランダまで届く巨大な花を楽しんでいました。竹状の幹を15㌢ほどに切って一方をミズゴケで包み、水耕栽培のようにして苗を作ったものです。しかし、越冬した前年の根から伸びた苗もあって、狭い庭はたちまち皇帝ダリアに占領されたため、農業センターなどで鑑賞するだけにしました。

チトニア。あまり聞きなれませんが、こちらも中南米が原産のキク科の花で、高さが4~5㍍になり「ガリバー」の別名も。小型のヒマワリのような花を、霜が降りるころまで咲かせるそうです。
名古屋では屋外での越冬は無理。農業センターでは、ポットで挿し木を作って室内で冬越しさせ、現在咲いているのは5月に植えた苗だそうです。




 




楽書き雑記「カメラに収めた道端の『晩秋色』=いつもの散歩道から」

2016-11-24 07:44:38 | 日記・エッセイ・コラム

  
  
       
  

 
  

自宅近くの散歩道で草木が彩る「晩秋色」を写真に収めてみました。雑木林と宅地造成後も空き地を中心に歩く30分ほどのコース。住宅の庭木や草花などは除外し、道端の草木に限定してカメラを構えました。

このコースはモミジの仲間は少なく、紅葉より黄葉が目立ちます。
ひと昔前に農家があったことを示す、野生化したお茶の花などにも出会いました。
庭や畑だと「雑草」として抜き取ってしまう草が咲かせた白い花。冷たい風に揺れるタンポポ。葉を落とした枝を赤や黄で飾るヤマイモなどツル性植物の色づいた葉。

「いつもの晩秋の風景」ですが、改めて気づくこともあります。
かつて大繁殖し、駆除活動に躍起になっていた外来種のセイタカアワダチソウです。ひところの勢いはとうに消え、見落とすくらいです。
地中の養分を吸収し尽くしたからとか、自らが持つアレロパシーという他の植物の成長を抑制する成分が自らに作用しているとか言われていますが、在来種の草が抵抗力を持って盛り返してきたせいもあるのかな、と想像を巡らしました。

数本のセイタカアワダチソウが、ススキなど在来種の草に覆いつくされそうになった風景も。今度はススキ対策が課題になっていることが理解できました。


野生化した茶ノ木の白い花
 

 


かつては勢力を誇ったセイタカアワダチソウが、ススキなどに追いやられています





  楽書き雑記「洋画部門に水彩画教室の仲間が2人=名古屋市民美術展始まる」

2016-11-22 17:24:17 | アート・文化


富岡僉治(緑区)  「造船所」


山本忠弘(東区)  「県芸大彫刻展示室」

名古屋市民美術展が22日、市民ギャラリーで開幕しました。秋にあった各区の区民美術展で市長賞か区長賞になった作品が一堂に集まっています。27日(日)まで。

日本画、洋画、書、彫刻、工芸、写真の6部門。作者の多くはカルチャーセンターなどの教室で学ぶ人たち。僕が学ぶ水彩画教室からも2人の仲間の作品が洋画部門で選ばれました。

緑区の富岡僉治さん(市長賞)と、東区の山本忠弘さん(区長賞)。
富岡さんは名古屋港近くの堀川運河沿いにある小規模な造船所、山本さんは愛知県立芸術大学にあるデッサン用の石膏像が並ぶ室内を描
いています。
どちらも、水彩画教室からスケッチ会に出掛けた時に選んだモチーフで、力強いタッチで描かれています。












 


楽書き雑記「五色もみじや逆さもみじ=ライトアップされた紅葉の名古屋・東山植物園に行ってきました」

2016-11-20 20:52:53 | 催し










前回掲載した名古屋・東山植物園「植物会館」で開催中の彫刻展を見たあと、園内の散策道に沢山のライトアップ用投光器が用意されているのを見て、20日夜に出直してきました。
この地方でも香嵐渓(豊田市足助町)をはじめ、あちこちで紅葉のライトアップが見られますが、東山植物園で見るのは初めて。規模や迫力は香嵐渓に譲るとはいえ、予想以上の艶やかで優美で幻想的な彩りを楽しめました。これも芸術、と言っていいですね。

植物園にはイロハモミジ、ハウチワカエデ、ヒトツバカエデやなどモミジの仲間など、美しく色づく木は500本以上。とりわけ日本庭園を中心に散策道は60種、200本が彩りを競演。まだ少し早めのようですが、ここが都心に近いことを忘れる光景です。
「五色もみじ」や湖面に映る「逆さもみじ」も見事でした。ライトアップの日は温室も夜間入場できるとか。

このあとライトアップが行われるのは、23日(水・祝)、25日(金)~27日(日)で、植物園エリアの一部を20時30分まで開園を延長(入園は20時まで)。ただし、動物園エリアは16時50分で閉園するそうです。
詳しくは東山動植物園のホームページで。



       





          
           ライトアップの日は温室も夜間開放   








楽書き雑記「名古屋・東山植物園の植物会館で見ごたえある「緑の中の彫刻展」

2016-11-18 07:11:04 | 催し



     

          




名古屋の東山植物園に出かけ、植物会館前の「第34回緑の中の彫刻展」という文字が目に留まり入ってみました。
彫刻は門外漢ですが、以前、園内の雑木林の中に分け入り、大きな狛犬のような彫刻に出会って驚いたのを思い出したからです。それらの作者とは直接関係はなかったようですが、なかなか楽しい作品に迎えられました。

壁に張られた出品者の一覧を見ると、出展者は10人。春陽会、日展、創彫会、国画会、日本彫刻会といった所属団体が並び、ひとり数点ずつ出しています。展覧会はこの中の創彫会と東山植物園の共催です。

素材はさまざま。作品も大小さまざまで、少女像や男性像、ウサギ、ゾウ、アジサイ、あるいはイモムシ?といろいろ。
素人目ですが、見ごたえがあり、なかなかのレベル。鑑賞して得した気分になりました。
会期は27日(日)まで。植物園内は「緑の中」というより、紅葉も見ごたえのある色になってきました。

 


 

 








楽描き水彩画「安土城跡石段道脇の側溝を描く」

2016-11-16 07:11:37 | アート・文化

今回は先に描いた安土城跡石段道の両脇にあった側溝です。
石段や周りの石垣に降った雨水を流す水路。石段、石垣と同様に、こちらも大きな岩石を積み重ねて造られており、この日も朝まで降っていた雨水が流れ下っていました。

幅1㍍余。大きな流れではありませんが、細かく見みると結構面白いものですね。岩にぶつかって飛び跳ねる水。岩肌を勢いよく滑るように下る流れ。岩の下に潜り込んで、反対側から出てくる流れも。小さな小さな滝だっていくつもあります。まさに谷川のミニチュアです。

それはともかく、もしこの側溝が無かったら・・・。大量の雨水が石段の上を流れるわけですから、我々がが天守跡を目指すなんてできっこありません。城主・織田信長からの緊急招集に駆けつける家臣たちも、容易でなかったでしょう。

絵は10号。さまざまな形と色の岩、水草やコケ。濡れた岩は乾いた状況とは全く違うことも頭に入れながら描きました。










楽書き雑記「草間彌生や芥川龍之介、上村松園・・・。豊田市美術館の『蜘蛛(クモ)の糸』展へ」

2016-11-14 11:45:34 | アート・文化



塩田千春「夢のあと」

「蜘蛛(クモ)」に対して、どんなイメージを持ちますか。
「不気味だよ。好きじゃないな」と答える人が少なくないですね。でも、そう答えた人も、クモが糸で織りなす繊細で幾何学的な網の美しさには驚かれるでしょう。
豊田市美術館で開催中の蜘蛛に魅せられたアーティストたちの展覧会「蜘蛛(クモ)の糸」展を見てきました。会期は作品の一部を入れ替え12月25日まで。

冒頭に掲載した展示ホールいっぱいに使って、10着の白いドレスを縦横に幾重にも張り巡らせた黒い糸で覆う塩田千春の大作「夢のあと」を皮切りに、絵画、彫刻、工芸、写真、映像、絵本、インスタレーションといった、多岐にわたる約80人の作品計158点が並びます。

絵画は草間彌生、上村松園、浅野弥衛、速水御舟、熊谷守一、イケムラレイコ、小茂田青樹、狗巻賢二、鴨居玲ら。それぞれ、蜘蛛や蜘蛛の巣を見事に描き込んでいます。鉄粉で約80枚ものクモの巣を描いた1点も。

2016年度の文化勲章を受章した世界的な現代アートの巨匠・草間彌生の作品は、黒の下地に白い層を重ねた210.3×414・4㌢の灰色の面に無数の白い弧を描いた「No. AB.」と題する大作(豊田市美術館所蔵)。制作は1959年。大器を思わせる30代に入ったばかりの作品です。

芥川龍之介が1918年に発表した小説、題名もズバリ「蜘蛛の糸」を掲載した児童雑誌「赤い鳥」創刊号の復刻版のページを読むこともできました。鴨居玲が芥川の「蜘蛛の糸」から描いた絵も展示されています。
写真では森村泰昌の「セルフポートレイト(女優)/ワカオアヤコとしての私」、荒木経惟の「緊縛シリーズ」の美しさが目を引きます。

工芸では、蜘蛛や蜘蛛の巣を蒔絵などで入れた根付や印籠、皿、小柄、太鼓、手箱、香箱、硯箱、煙管筒などが並んでいます。江戸から明治にかけての職人たちの傑作には改めて驚きました。

それにしても、全く違うジャンルのアートが違和感なく見事にコラボされた展覧会だな、という印象でした。
これも、鉄より強いと言われる「蜘蛛の糸」の成せる業でしょうか。

余談ですが、僕は少年時代にクモを飼っていたことがあります。友だちと蜘蛛を木の棒の上で戦わせるためです。周辺の樹木などに網を掛けた体調3㌢ほどの女郎蜘蛛(ジョロウグモ)のメス(オスはずっと小さいのです)を何匹も捕って来て庭へ放ち、大きく強くするためにセミやコガネムシを与えたものです。

また、絵を習い始めて蜘蛛の網を描いてみたいな、と何枚かカメラに収めことがあります。「僕の水彩画力では無理」とあきらめましたが、いずれ挑戦したいと思っています。
クモは寒くなると姿を消しますが、今回の「蜘蛛の糸」展に出かける前に庭を探してみたら、まだ下の写真のように小さなクモがしっかりと網を張っていました。


小茂田青樹「虫魚画巻」


熊谷守一「地蜘蛛」

 
 鴨居玲「蜘蛛の糸(芥川龍之介より)」

猪瀬光「ドグラ マグラ#10 大阪1983」

玉山「葛に蜘蛛の巣図文庫」


寒くなったのに庭で網をかけてエサを待つ蜘蛛





楽描き水彩画「北限?廃線跡トンネル見学会で出会ったった『エノキの板根(ばんこん)』を描く」

2016-11-13 07:13:51 | アート・文化

        

幹の途中から幹の部分が何枚かの板状になって地面に達する「板根(ばんこん)」。以前、愛知県春日井市と岐阜多治見市間の旧国鉄中央線愛岐トンネル群の見学会で見かけた落葉樹「エノキ」の板根です。その逞しさが気に入り、当時も絵にしましたが、再度描いてみました。

植物は根の周りの土が豪雨などで失われて根が伸ばせなくなると、このような板状の支持材を発生させることがあるそうです。熱帯地方ではたくさん見かけますが、本州では珍しく「このあたりが北限ではないでしょうか」と、保存会のガイドさんが説明してくれたのを思い出します。

樹高28㍍、根回り6㍍、推定樹齢200年。ゾウのようにザラザラした樹皮。地元では「山おやじ」と呼んでいると聞きました。
旧中央線愛岐トンネル群の見学会は、ことしも予定されています。

       





楽描き水彩画「安土城址の石段を描く」

2016-11-11 11:28:37 | アート・文化



水彩画教室のスケッチ会で出掛けた安土城址(滋賀県近江八幡市)の一枚目は、
降り続いていた雨があがり、われわれ「後期高齢者集団」が天守跡を目指して登り始めた石段です。

スケッチ会報告のブログでも書きましたが、安土城跡を訪れたのはスケッッチ会2日目。前日の八幡堀では降っていた雨は止んだとはいえ、石も土もツルツル。傾斜は地下鉄駅の階段ほどではないものの、段差が2倍近くあるところも。それが、曲がるたびに目の前に続きます。しかも、自分が履いていたのは滑りやすい靴。まさに無鉄砲な挑戦でした。

もし、自分一人で訪れていたら、間違いなく途中で断念して引き返していたでしょう。もうひとつ、助けてくれたのは登り口の入口に置いてあった1本の木の棒でした。
僕はこれまで、こうした杖を目にしても「まだ大丈夫」とほとんど手にしませんでした。この日も、迷いつつも手にせず、絵に描いた階段を10段ほど行ったところで不安になり、取りに戻ったのです。
素直になるのは大切なこと。改めてそう思いました。絵は10号です。


一人ひとり、天守跡に向けて登り始めたところです

 



楽描き水彩画「東山動物園の仲間たち=『何かしくじったのかな』頭をかく20歳のイクメンゴリラ・シャバーニ」

2016-11-10 06:56:51 | アート・文化

 「イケメンゴリラ」「イクメンゴリラ」の愛称で人気のシャバーニ。先月に20歳になりましたが、イクメンぶりは変わることなく、アニー(メス)とキヨマサ(オス)の2頭の子どもたちの頭をなでたり、抱きかかえたり。時には一緒に「連れション」も。
ところが、子どもたちは突然、プイとシャバーニの手を払いのけるようにして別のところへ行ってしまうことがあります。
「こんなの、面白くないわ」「もう、赤ちゃんじゃないよ」と言わんばかりです。

アニーは3歳。キヨマサはこの11月1日で4歳になりました。自我意識も強くなってきたようです。
しかし、シャバーニは、なぜ子どもたちがそうした反応を示すようになったのか、理解できないでしょう。

「俺のどこが悪かったのだろう?」「嫌われたのだろうか」。困惑気味に頭をかくしかありません。
「イクメンパパ」やご同輩の「イクメンジージ」のみなさん、同じ思いをすることがありますよね。


子どもをあやすシャバーニ

「オイ、どうして行ってしまうんだい」

やっぱり、こっちが面白いよ


 


楽描き水彩画「古民家の格子戸と板塀に見た職人の芸」

2016-11-08 06:57:48 | アート・文化



先の滋賀県近江八幡市のスケッチ会で、八幡堀から数分の城下町を散策していて目にした古民家の開き戸と板塀を描いてみました。

通りには、豊臣秀次の楽市楽座政策が起源ともされ、国内外で活躍した近江商人の旧家や屋敷が建ち並びます。
これらの古民家の白壁や、火災の延焼から守るうだつ、中二階の壁面に設けられた虫籠のように細い縦格子の「むしご窓」など、絵になる素材がいっぱい。枝ぶりの見事な松を外から見えるように植えた「見越しの松」も魅力的です。

そんな中で絵の素材にこの開き戸と板塀を選んだのは、断続的に降っていた雨がひと休みして、雲間からほんの少し覗いた日差しが染めていたからです。
開き戸の板にも、塀の板にも木目が見えます。板の下部の朽ちたような様子が年代を感じさせます。

もうひとつ、きれいだなと思ったのは板塀に削ったように並んでいる跡。よく見ると、あまり規則性はなさそうです。板のひび割れ防止などのためか、模様なのか分かりません。僕は大工が釿(ちょうな)のような道具で楽しそうに彫ったデザインだと想像しながら筆を進めました。



 

 

 


楽書き雑記「岡崎市美術博物館で開催中の『ブリューゲルとバロックの巨匠』展を見て」

2016-11-06 06:41:41 | アート・文化


ピーテル・ブリューゲル(子)『東方三博士の礼拝』が載った案内チラシ

ピーテル・ブリューゲル(子)『フランドルの村』

岡崎市美術博物館で開かれている「ブリューゲルとバロックの巨匠」展へ。同市制100周年と同館20周年の記念展。以前、ヨーロッパへの旅行で見かけた絵にも出会うこともできました。会期は11月27日(日)まで。

ブリューゲルといえば、現在のベルギーやオランダなどにまたがるネーデルラント地方で、5代にもわたって画家を輩出したという家系で知られます。だから、力を付けるために父や祖父の作品を真似て描いたり、ファーストネームも同じといったケースもあって、いささかややこしい鑑賞になるのは仕方がないですね。

今回展の「ブリューゲル」は『雪中の狩人』などで知られる初代の「ピーテル・ブリューゲル」の長男で、名前は同じ「ピーテル・ブリューゲル」。このため作品集などでは、父親には名前の跡に(父)とか(老)を、長男には(子)を付けて表記されています。

今回の展覧会の「ブリューゲル」は(子)の方です。
パンフレットの表面に掲載されているのが、代表作の1枚『東方三博士の礼拝』。新約聖書なるイエス誕生の祝福にやってきた3人を描いたという、この題名の絵は他の画家もたくさん描いています。
もちろん、農村の暮らしや文化、四季の移ろい、農民の生き生きとした情景を得意とした(父)も描いていますが、子のブリューゲルも負けずに制作。この絵が僕には一番心に残る作品です。

雪が降りしきる村。画面左下が画題の三博士礼拝の場面でしょう。
でも、中央に描かれているのは大きな荷物を背にして行き交い、山や田畑へ出かける男たち。水を運ぶ女たち。馬や犬の姿もあります。雪の中で寒そうですが、生き生きとした農民の談笑や息遣いが聞こえてきそうです。
「礼拝なんか自分たちには関係ない。さあ、急いで出かけよう」
主人公は民衆。宗教行事よりも、ここには農民の生活があるというわけでしょうね。

それにしても、ブリューゲル(子)にとって「親の七光り」と見られるのは不本意だっただろうし、何とか抜け出そうと思ったことでしょう。カタカナで書けば同じですが、(子)は名前の綴りのアルファベットを一部変えたりしたとの説明書きに、なるほどと思ったものです。東方三博士の礼拝にもその思いが込められているように感じました。

展示作品は44点。ブリューゲル(子)の『フランドルの村』、静物画を得意とした弟ヤン・ブリューゲルの作品も。ベラスケスやレンブラント、ルーベンスら光と影で明暗をはっきりさせたバロック絵画の巨匠たちの作品にも引き寄せられました。

     
     ヤン・ブリューゲル、フランス・フランケン『花環の中の聖母の結婚』
          

 
ベラスケス『自画像』             レンブラント『襞襟を着けた女性の肖像』


ルーベンス『十字架への道』



 


楽書き雑記「主役は名古屋コーチン=名古屋市農業センターで収穫祭」

2016-11-05 14:06:43 | 催し



      

名古屋市農業センター恒例の収穫祭「農業センターまつり」が5、6両日の日程で開幕。雲ひとつない秋晴れの初日に出かけると、朝から食・遊・楽の催しに大勢の家族連れらが訪れ、週末を楽しんでいました。

会場には団子やうどんなどの飲食をはじめ、市内の各JAからの野菜や果実のテントがずらり。姉妹都市・陸前高田市からの米や海産物の店も並び、大道芸や竹細工コーナーなども子どもたちの人気を集めていました。

家畜舎で賑わっていたのは名古屋コーチンなどがいる鶏舎。来年が酉年、つまり鶏であること、それに3月10日が「名古屋コーチンの日」に制定されたとあって、年賀状のカットにでもいうわけか、熱心にカメラを向ける姿がありました。

 
 名古屋コーチン