僕が所属している朝日カルチャーセンター(名古屋)の「風景水彩画入門講座」の生徒たちは、年に1度の教室展とは別に公募展に出品したり、グループ展を企画しています。このうちゴルフ好きのメンバー8人が中心になり、僕を含めてゴルフ以外の集いには積極参加する3人も加えてもらって、計11人の第1回「風の響(おと)」展が、岐阜県瑞浪市の喫茶店「REALIZE(リアライズ)」で開かれています。
ゴルファーのひとりである宮内明男さんが、この店で個展を開いた縁もあって今回のグループ展が実現。6月1日から1か月の予定でしたが、延長を重ねて8月28日までのロングランとなりました。この間に作品の一部を取り替えに出かけるメンバーもいます。
店では食事もできます。この方面にドライブなどをされる際には、ご笑覧を。
夏祭り。全国のみなさんは、8月23日(金)から25日(日)まで、3日間の日程で催される「にっぽんど真ん中祭り」をご存知ですか。全国的にもかなり浸透しているとは思いますが「ど真ん中、というのだから名古屋あたりの祭りじゃないの」という方も少なくないでしょう。
生みの親は学生たち<o:p></o:p>
その通り、名古屋の祭りです。名古屋の学生たちが生み出し、「どまつり」の愛称(ネットでの検索もこの4文字で大丈夫です)で人気上昇中。ことしで15回目ですが、名古屋市など行政が主導する信長・秀吉・家康の郷土三英傑行列がメーンの「名古屋まつり」にひけをとらない祭りに育ちました。 祭りへの参加は地域や職場などでチームを構成、民謡の一節を入れた曲で鳴子を手に踊ることが条件。音響資材を積み込んだ地方車(じかたしゃ)を先頭に、久屋大通公園をメーン会場に3日間、趣向を凝らした振付の踊りと衣装で踊りまくるのです。 第1回の参加26チーム、観客32万人。それが今では200チームを超え、観客も200万人規模に。愛知県内だけでなく関東・関西の大学、企業、地域同好会らが集結、高知の「よさこい祭り」と掛け持ちで参加するチームもあります。 <o:p> </o:p>
1999年、札幌のYOSAKOIソーランまつりに名古屋から参加した大学生チームのメンバーたちが企画しました。企画立案から本番まで、その過程には広告取り、警察やマスコミへの協力願い、参加チームの募集など膨大な課題があります。当時、僕がいた職場で働いていた学生アルバイト君が実行委員会のリーダーとして、仕事を終えるとすぐさま委員会の運営に奔走する姿に、僕も学生時代を懐かしく振り返ったものです。
「よさこい・ソーラン」がルーツ<o:p></o:p>
僕が少年時代を過ごした高知の「よさこい祭り」と札幌の「YOSAKOIソーランまつり」をモチーフにした祭りですね。栄や名古屋駅周辺などの名古屋の都心だけでなく、地域の商店街などでも鳴子(なるこ)を響かせます。
「観客動員ゼロ」を目指していることも、この祭りの特長です。観ているよりも踊ろうという訳で、年齢、性別、職業、国籍を問わず全員が踊りに参加するプログラム「総踊り」もあります。
学生君はいま「統括者」<o:p></o:p>
学生たちの実行委員会は祭りの規模の拡大に伴って民間・個人・地域らで構成する組織に移行し、現在は「公益財団法人にっぽんど真ん中祭り文化財団」となりました。
なお、高知の「よさこい祭り」は今年60回目。還暦です。「どまつり」よりひと足早く8月9日(金)から12日(月)まで4日間の日程で、華やかに、賑やかに開催されます。<o:p></o:p>
第101回日本水彩展の名古屋展が23日、名古屋・栄の愛知県美術館で開幕しました。会場を彩る丹精込めた「ザ・水彩画」の数々。会期は28日(日)までです。
日本水彩展は、1913年(大正2年)に創立された日本水彩画会(昨年から公益社団法人日本水彩画会)が催している、わが国で最も歴史と伝統のある水彩画の公募展です。僕も同じ絵画教室に通う仲間と3年前から挑戦。このブログでも掲載(6月2日更新の楽描き風景水彩画「絵仲間3人組、日本水彩展にそろって入選」)させていただいたように、名古屋での巡回展を心待ちにしていました。
名古屋展の後は、広島展(8月8日~14日、福屋八丁堀本店)、京都展(9月10日~15日、京都市美術館別館)が予定されています。<o:p></o:p>
僕が時おり足を運ぶ名古屋市農業センター。野菜、家畜、花と幅広く、当然ながら四季おりおりの変化も楽しめます。それに何と言っても魅力なのは、入場無料。
今回は、超巨大な花と野菜を一点ずつ描いてみました。
「イエローカサブランカ」
今年は描くのをもたもたしているうちに開花期がほぼ終わってしまいましたが、最盛期は大人の背丈近くに伸びた茎に、直径が20センチもあろうかという花が次々と咲きます。
交配で開発されたこの花は、文字通りユリの女王といわれるカサブランカに黄色が入っています。ユリの多くに寄せられる言葉「清楚」なんて感じはありません。カサブランカが女王なら、こちらは大王といったところでしょうか。
「アトランティックジャイアント」
アメリカで家畜のエサとして栽培されてきた品種。カボチャの重さ比べなどで目にします。重いのは300キロを超えますが、カナダでは800余キロという記録があるそうです。
絵にした「アトランティックジャイアント」は、まだ成長段階。葉を押し分けるように図体をのぞかせてきました。これからどれだけ大きくなることやら・・・。
この農業センターには13品種のカボチャがぶら下がる「カボチャトンネル」がありますが、さすがにこれは横の畑に露地植えされています。
余談ですが、僕が少年時代を過ごした高知県の一部地域では、カボチャのことを「ぼおふら」(文字で書いた記憶はないので「ぼうふら」かもしれません)と呼びました。豊かな土佐弁の中でも、かなりユニークでしょ。
名古屋・三の丸を歩いていて、レンガ塀に沿って咲く青い花に足を止め絵にしました。昔も今も中部地方を代表する官庁街。花の名前は「アガパンサス」。広小路通りの中央分離帯をはじめ近所の花壇などでもよく見かけますが、ここのアガパンサスは紫混じりの青が鮮やかで、背後の時代を感じさせる赤レンガ塀とのコントラストが気に入りしました。
「レンガ塀は、この辺がCHQに接収されていた時代からありました。私は何という名前の花かは知らないが、以前からこの時期に咲いています。美しいので花瓶に挿してみたけど、すぐしぼんでしまいました」と、この一帯を知る人の話。実は僕も花の名前を知らなかったのです。
名古屋市農業センターの「宿根草園」に出かけて、「アガパンサス」という名前がわかりました。
ユリ科で南アフリカの原産。明治中期に渡来したそうで、ムラサキクンシランともいい、球根で増えます。花言葉は「知的な装い」とか。
農業センターでは最盛期が済み、咲いているアガパンサスは1本だけでしたが、10メートルほど離れたところで、葉も花も小ぶりな「姫アガパンサス」が何本も花を残していました。
名古屋市農業センターで咲く小ぶりな「姫アガパンサス」
愛知県体育館で開催されている大相撲名古屋場所(3日目)を観てきました。
久々の相撲見物。しかも、力士たちの息づかいを肌で感じることのできる土俵溜りで、座席も花道沿い。15年ぶりの日本人横綱が誕生するか、で注目される大関・稀勢の里が敗れる波乱もあって、勝負の厳しさや大相撲の魅力を目の当たりにることができました。
この相撲観戦に招いてくれたのは、先のブログ「82歳のハーモニカ奏者」で紹介しだ岡崎市の早川伸さん。共通の友である前豊田市長・鈴木公平さんと3人で溜り席に陣取りました。
ナマでの観戦は、勝敗はともかく、力士たちの真剣さや、きらびやかな刺繍を施した化粧回しの素晴らしさ、呼び出しや行司、場所の運営に当たる親方たちの表情など、テレビとは違った角度から味わえるのが魅力です。
今回も土俵に塩や水桶を運ぶ若者、観客を座席に案内する茶屋の人など、裏方さんたちのきびきびした動きが印象的でした。取り組みや決まり手などを放送するアナウンサーも、幕下から弓取り式までの間に3人が交代するのを知りました。
このところ八百長問題などで空席が目立った観客席の変化にも気付きました。空席が少しずつ埋まりつつあること、女性客が随分増えたこと、外国人のファンが目立つことなどです。
勝敗にかかわらず花道をさがる力士たちへの掛け声の温かさも、テレビでは知ることができないものでした。
観戦後は居酒屋へ。「今でも双葉山時代の番付を全部言える」という子どものころから大の相撲ファンで、名古屋場所へは毎年足を運んでいる早川さんの相撲談議、市長という重職を引退して新しい人生を楽しんでいる鈴木さんの近況などをサカナに酌み交わしました。
大相撲名古屋場所が7日、名古屋城そばの愛知県体育館で開幕しました。名古屋市内や近郊のお寺など約50カ所の宿舎では朝早くからぶつかり稽古の音と声が響き、駅や地下鉄の車内などでもひと際大きな「お相撲さん」と出合います。いわば、名古屋の夏の風物詩でもあるのです。
15年ぶりの日本人横綱誕生か、で関心を集める今場所ですが、今回書くのは数年前、名古屋の地下鉄車内での僕の体験です。
朝のラッシュがひと息ついて、車内は座席がちょうど埋まったぐらいでした。乗り込むと、座席に座る浴衣姿の「お相撲さん」が僕の目に入りました。「ああ、名古屋場所が始まったんだ」。そう思いつつ吊革に手をかけたとき、彼はゆっくりと立ちあがり、僕の方へ歩み寄ると「すいません。掛けてください」といったのです。
僕は立っていても大丈夫、と遠慮していた時代もあったのですが「席を譲られて断るのはマナー違反」との話を聞き、好意を素直に受けることにしています。
座って彼の方を見ました。番付で髪型・履物・着衣などが違う大相撲の世界から判断すると、彼の番付はかなり下のようです。「愛知県体育館に向かっているのだな。彼の地位だと取り組みが少ないので、一番いちばんが(十両以上の)関取以上に厳しいだろう」などと考えつつ、彼を改めて見て気付きました。
顔色がさえないのです。疲れているようにも見えます。足には大きなサポーターも。
「宿舎で早朝からの食事作りや掃除などの雑用、そして稽古。きょうは取り組みがなくても兄弟子の付き人などの役割もあるはず。座席に座っていたのは、体調が良くないからだろう」
「席を譲ってもらって申し訳ない。やっぱり、僕が立とうかな」などと思いをめぐらしました。
でも立ちませんでした。かえって、彼につらい思いをさせるのでは、と考えたからです。
約20分後。僕は乗り換えのため、立ち客でいっぱいなっていた車内から降りる際、彼に近づき「ありがとう。頑張ってくれよ」と声を掛けて肩を軽くたたきました。
その時の、頭をちょこんと下げ、はにかんだような彼の表情。心から「頑張ってほしい」と思ったものです。
<o:p> </o:p>
<o:p></o:p>
上げ馬神事や流鏑馬で知られる愛知県桑名市・多度大社の神馬です。上げ馬が駆け上がる急坂の脇の石段をのぼったところにある厩舎で迎えてくれます。
名前は「錦山=きんざん」。サラブレッドの雄、17歳。北海道浦河の牧場生まれの競走馬でしたが、5歳の時に足のけがで引退、多度大社にやってきて12年になります。人間なら還暦ぐらいの年齢になりました。
今でこそ白い馬ですが、もともとは芦毛(灰色がかった色)の馬。大社にきた時はたて髪も黒かったのですが、年をとるにつれて人間と同じように毛が白くなり、神馬らしくなってきたそうです。1日中厩舎にいるのも体に良くないので毎朝、境内を散歩しています。
多度大社には1500年前から白馬が棲み、農耕や安産、家族の幸せなど人々の祈りを神に届けてくれる、という白馬伝説があります。
錦山も街並みを見下ろす高台の厩舎で、地域住民の暮らしを見守り、訪れる人たちの願いをこの優しいまなざしで受け止めてくれているのでしょう。
参拝客の「まわれ」の声に、錦山は厩舎の中をひと回り。参拝客たちに笑みがこぼれました。<o:p></o:p>