ヒガンバナ(リコリス)の季節も、そろそろ終盤。名古屋市農業センターでは、遅めに開花する黄色いヒガンバナが最盛期を迎えていました。
ヒガンバナには橙や赤、青、白、ピンク、黄、白に橙の花弁が一緒になったような品種など、結構多色のようです。
このセンターでは遊歩道や竹林、しだれ梅園などの傍らで、赤に始まり、白、そして黄色の3色が咲いてシーズンが終わります。それぞれ花期が短く、ことしは訪ねる日が少し空いた間に白い花を見逃しました。
ヒガンバナ(リコリス)の季節も、そろそろ終盤。名古屋市農業センターでは、遅めに開花する黄色いヒガンバナが最盛期を迎えていました。
ヒガンバナには橙や赤、青、白、ピンク、黄、白に橙の花弁が一緒になったような品種など、結構多色のようです。
このセンターでは遊歩道や竹林、しだれ梅園などの傍らで、赤に始まり、白、そして黄色の3色が咲いてシーズンが終わります。それぞれ花期が短く、ことしは訪ねる日が少し空いた間に白い花を見逃しました。
エンドウマメやソラマメの何倍も大きく、ギザギザ感のある鞘の断面は四角いマメ。熱帯アジアの原産で、沖縄ではウリズンマメとも呼ばれる「四角豆」が、名古屋市農業センターにある草花と野菜の畑で育っています。
花もエンドウマメの2倍ほどあり、花弁も分厚そう。この花も葉も調理に使われるそうです。
風景水彩画教室で11月に計画している浜松方面への「一泊スケッチ取材」の下見に行ってきました。
生徒・講師18人の教室では、3ヶ月ごとに年4回、名古屋を中心にスケッチ取材へ出かけており、うち1回は1泊旅行にしています。これらの行き先や交通手段、宿泊ホテルの確保、必要なら現地の下見など、準備の一切は男女合わせて3人の幹事が進めており、私は今年の幹事のひとりです。
男性幹事2人で出掛けた今回の下見は、第一日の日程部分。具体的には、浜松北部の浜名湖畔を1時間に、1両の車両が1本しか走っていない天竜浜名湖鉄道(天浜線)に乗り、途中下車しながら湖畔の風景や美術館を訪ねるコースを事前に体験しておこうとのねらいです。
JR名古屋駅ホームで落ちあい、東海道線の新快速で天浜線の始発駅である新所原へ。天浜線の半分にあたる天竜二俣駅まで、乗り降り自由に往復もできるというフリー切符を買いました。天気はこの秋一番の快晴。左右に広がる浜名湖のきらめく湖面や色づいたミカン畑、車両を包む緑のトンネル、ヒガンバナ、スイフヨウ・・・。「下見にはもったいない」と思ったほどです。
最初に下車したのは、浜名湖畔の浜名湖佐久米という駅。ここは浜名湖の風景もさることながら、11月から3月までは飛来するユリカモメの乱舞が期待できると言われています。
次いで気賀駅。ちょうど昼時。ここでは浜名湖名物の鰻丼を昼食に、との計画を立ててあり、鰻屋ののれんをくぐりました。
宮口駅という無人駅でも下車。駅舎が国の登録有形文化財で、近くにはこの地方では指折りの銘柄酒・花の舞の酒造場へ。見学OK。計画通り訪ねてきました。
フリー切符終点の天竜二俣駅。近くには、この地に生まれ、文化勲章を受けた女流画家・秋野不矩の作品を所蔵している浜松市秋野不矩美術館があります。建物は著名な設計士らの造り。スリッパに書き換えて、開かれていた秋野作品の常設展を見てきました。
この後は、例年なら「旅の本当の目的」とばかり楽しむホテルでの宴会場の下見となるのですが、コロナのために昨年に続いて断念。下見もここまでとしました。
下見の結論から言えば、車窓からの眺め、取材スポットは十分。ただ、気がかりなのは見通しの立たないコロナと、我々が、講師も含めて平均年齢80歳を超える高齢集団であることです。また、食事の場所を確保しておこうとして知ったことですが、「予約お断り」の店が目立つことです。
その背景には、コロナ禍に加え、安易な通信手段で無責任な予約が増えて、キャンセルに泣かされている実情があるのでしょう。現役時代から数多くの幹事役をしてきましたが、さみしいことです。
帰りの車内で、検討会。
「天浜線は各駅停車だから空気の入れ替えが多く、安心だ」「下車した駅のトイレは感じが良かった」「高齢なので下車駅を減らすことや、美術館から浜松駅近くのホテルまでなどは、タクシーなどの活用がベターだ」
「宴会はやめても、夕食を複数の店に分散することなくできないか」「浜松駅からの帰りは新幹線利用も考えられるが、特急料金約3000円の上積みは重いのでは」「列車と列車の間の1時間内に、駅から離れたところで昼食を取るのは、店との往復や食事時間を考えると、不安がある」「秋野不矩美術館の訪問日は常設展ではなく特別展だが、期待できそうだ」
こんなことを話し合った結果、下車駅など計画していたルートの一部変更は必要、との認識で一致しました。それにしても、問題は「当日のお天気」。でも、こればかりは・・・。
我が家の庭に「トラノオ」が戻ってきました。庭の主の勝手な振る舞いで「絶滅寸前」になったのですが、主が反省したことで蘇ったのです。
草丈1㍍ほどの頂部に、トラのしっぽのような形をした花穂。白やピンクもあるそうですが、我が家では秋の声を聞くと、紫色の花穂が下部ら先端に向かって次々に開き、秋が深まっても咲き続けます。
精力旺盛な多年草。地中に広げた根を低木の根の間に入り込み、5年ほど前には狭い庭がトラノオに占領された状態になりました。
そこで、5年ほど前から掃討作戦を展開。スコップで掘り起こして根を除去、春には伸びてきたのを取り除いた結果、3年後には数えるほどに減りましたが、主はトラノオの少ない風景が寂しくなり、作戦を中止したのです。
この秋は数えると、150本はゆうに超えています。花穂の間には、アリたちが上ってきています。
長さ50~70㌢の針金のような細い花茎に、祝儀袋の水引を思わせる赤い粒々の花を咲かせるミズヒキ。とにかく丈夫な多年草で、手入れをしていない我が家の庭でも毎年見かけますが、このような群生状態で目にしたのは初めてです。
ここは竹林に沿った散歩道。畳2枚ほどの広さでしょうか。びっしりと赤いミズヒキが伸びています。まわりにも4~5本伸びたところが何カ所もありますが、こんな光景はここだけ。こぼれ種で増えたのでしょうが、これほどの面積になるには2~3年はかかったのでは、と推測しました。
名古屋のJR中央線と地下鉄鶴舞線が交差する鶴舞駅前にある、駐輪用ビルの壁面を描きました。
駅に面した表側は普通の壁ですが、大通りに面した裏側は、窓を除いて蔓性植物が壁一面を覆っています。無数の大きな緑の葉が、日差しを浴びて白っぽくキラキラ光っていますが、秋に入って色づいた葉も増えてきました。
鶴舞公園にある小さな温室で咲く3つの鮮やかな花。ゴクラクチョウカ(極楽鳥花)とサンタンカ、温帯スイレンです。
ゴクラクチョウカは南アフリカの原産。大きな楕円形の葉の間にから覗くオレンジと青い花片。飾り羽のある大きな鳥が、長いくちばしを伸ばして蜜を吸っているような姿です。
熱帯地域では庭木として人気があるという、常緑性の低木サンタンカ。花茎3㌢ほどの赤い花が集まってこんもりとした半円球を作っています。
温室内の小さな池には温帯スイレン。花数は2~3個と少ないですが、何本かの蕾があり、いつも咲いている感じです。プレートには「フランスの画家クロード・モネのスイレンはこちら」と紹介されています。
ゴクラクチョウカ
サンタンカ
温帯スイレン
ヒガンバナの季節です。散歩コースの名古屋市農業センターのヒガンバナも、赤い花を中心に園内を彩っています。
しだれ梅園や竹林、散策道沿いなど、あちこちで赤い花が先行する形で咲き始め、少し遅れて白い花が続きます。河川敷堤防など大規模なヒガンバナ畑とは趣が違いますが、周りの草木と同居する姿もいいものです。白い花が咲きそろうころには改めて訪ねたいと思います。
咲き誇る花に感動しながらも、花後の姿にはあまり関心がありません。名古屋・鶴舞公園のハス園とヒマワリ畑で花後の風景を見てきました。
胡蝶ヶ池のハス園。7月から8月にかけてピンクに彩っていたハスは、とうに花期を終え、花茎の頂部はピンクに変わって直径10㌢ほどの半円形の黒い塊に。
蜂の巣のような塊の穴からは、椎の実のような種が1個ずつ覗いています。
草丈1㍍前後の小柄な遅咲き品種をびっしり咲かせていた、ヒマワリ園も同様です。種子を詰め込んだ円盤形の頭を一斉に垂れています。
数個だけ蕾や花も残っていました
水彩画教室のスケッチ取材で出掛けた名古屋市西区の明道町界隈では、菓子問屋以外にも、豆菓子製造の老舗や大きなおもちゃ問屋なども訪ねました。
懐かしいおもちゃから、最新のおもちゃまで。都心の店とはちょっと違った品揃えに、問屋の街らしさを感じながら歩きました。
5代続くというおもちゃ問屋の老舗の店は、ひな人形から五月人形、祭り用品、クリスマスプレゼントまで四季折々の人形や、花火なども扱っているようです。広い店内にびっしり並び、「おもちゃって、こんなにもあるのだ」と驚くばかり。
来月末のハロウィンに向けて、どの店もカボチャのお化けなどハロウィングッズでいっぱいです。
駄菓子屋でもそうでしたが、おもちゃ店でも商品は透明の詰めがほとんど。イベント向けなど、たくさん買われるケースが多いから当然ですが、コロナ感染防止も無関係ではなさそうです。
コロナと言えば、大通りに面した店のウインドーには、弾ける花火が描かれていました。コロナのため昨年に続き、この夏も多くの花火大会、それに自宅の庭での線香花火も中止になりました。花火が打ち上がる日が早いことを祈るばかりです。
水彩画教室のスケッチ取材で、名古屋市西区の明道町(めいどうちょう)界隈にある「駄菓子問屋街」へ出かけてきました。
ウイキペディアなどによれば、名古屋の菓子問屋の歴史は400年前にさかのぼります。
徳川家康による名古屋城の築城(1609年)で、全国から駆り出された労働者の疲労回復用に甘未菓子が売り出された、というのです。その後、尾張藩下級武士の手内職や、関東大震災の被災地支援などで、全国最大規模の駄菓子問屋街に成長しました。
しかし、派手な嫁入りのイベントをはじめ、地鎮祭や棟上げ式などでの餅まきや菓子まきの風習も時代とともに激減。通りを埋めていた菓子問屋は次々に閉鎖や転業して、問屋街というイメージは消えた感じです。
でも歩けば、生き残りにかける店など、かつての面影に次々出会えました。
軒下まで積まれた菓子袋の山。「旅行・嫁入り・イベント用、子ども会用、くじ引き遊び用」などといった文字も目にします。問屋といっても、多くが「小売します。一般の方もどうぞ」です。
取材では、駄菓子問屋とともに、豆菓子製造・販売の老舗や大きなおもちゃ店なども訪ねました。長くなるので、2回に分けて掲載します。
名古屋市農業センターに立ち寄ると、青紫のキキョウが花数を増やしていました。開花期が6月から10月までと長い花ですが、キキョウは秋の七草のひとつ。やっぱり、秋が似合います。
万葉の時代から暮らしの中で親しまれ、民赤の庭でも馴染みの花でしたが、海外から入ってきたカラフルな花に押されてか、あまり見かけなくなりました。野生種は激減しており、絶滅危惧種Ⅱ類に指定されています。
長々と伸びた蔓と、重なり合った手のひら大の葉の間から、見え隠れする太さ3~5㌢、長さ15~20㌢はどの赤紫の花穂。秋の七草のひとつで、古くから和菓子用の澱粉を取ったり、さまざまな効能の生薬として活用されてきた、秋の七草の一つです。
驚くのは、逞しい生命力。道端や造成地など、どんな荒れ地でも、ススキや低木を覆うようにして蔓延っています。花言葉も活力や芯の強さ。でも、そのせいで、我が国から飼料用や地固め用としてアメリカに渡ったクズは、果物や植林など他の作物を脅かす侵略的外来種のワースト100に入っているそうです。
我が家の庭でも、ハギの開花が盛りを迎えました。時おり降る雨に打たれながらも、白地に紫の絞り模様の「江戸絞り」が気品を漂わせています。
我が家の庭では4年前まで「荒地盗人萩」という、とてつもない繁殖力に加え、種房が衣服にくっ付く品種だったのを除去。秋の七草展会場で買ってきた江戸絞りと、白萩に植え替えました。
以来、衣服にくっ付く悩みは消えたものの、旺盛さは予想以上。春に新しい茎が50~60㌢ほどになったところで剪定しているのですが、切り方が甘いのか今年も2㍍以上になっています。
花を細かく見ると、旗が立っているような花びらを旗弁、左右に広がっているのを翼弁、小さな舟のような形は舟弁と呼ぶそうですが、その見事な造形には驚きです。2週間もすれば、白萩も咲きそろいます。
私の手元に、2冊の新刊書が届きました。文明論と絵本。ジャンルは全く違いますが、どちらも現役時代からの仲間によるものです。
「私たちはどこから来たのか 私たちは何者か 私たちはどこへ行くのか」(ミネルヴァ書房)は、元朝日新聞社社長・木村伊量さんの力作。ポール・ゴーギャンの名画そのままの題名で、表紙絵にもしていますが、絵画を論じたものではありません。大胆な構想と巧みな手法で展開し、ゴーギャンの問いかけに対する答えを見つけようとする文明論です。
木村さんは社長退任後、夫婦で渡英。古今東西の歴史、思想史、哲学、宗教、古文から量子論、天文学まで学び直し、文明史の研究に打ち込んだといいます。
全500ページを超える大作。3人の個性的な論客による知の饗宴を、元政治記者がまとめるかたちで進行します。サブタイトルには、自由民権運動家・中江兆民の著作「三酔人経綸問答」をもじった「三酔人文明究極問答」とつけています。文中の注釈や膨大な参考文献の一覧も丁寧に付記してあり、読みごたえは十分。秋の夜長が楽しみになりました。
「絵本で知ろう二十四節気 夏」(文研出版)は、わらべ絵画家・喜田川昌之さんの作品。喜田川さんは、季節の中を伸び伸びと駆け回っていた「昭和の子どものたちの光景」を描き続けています。静岡県伊東市の伊豆高原には、その「喜田川ワールド」が広がる「喜田川昌之わらべ絵館」も開設しています。
絵本は、昔から私たちが暮らしの節目にしてきた立夏、小満、芒種などといった春夏秋冬の二十四節気の子どもの風景。待ち遠しかった行事や季節を生き生きと楽しむ子どもたちを、児童書作家・ふじもとみさとさんの文とともに描いており、今回はその夏編です。こちらは、お孫さんと開いてみてはいかがですか。