第58回日本水彩名古屋支部小品展が、年明けの1月6日から10日(日)までの日程で、名古屋・栄の名古屋市民ギャラリー8階の第7・8展示室を会場に開かれます。
展示されるのは8号以内の作品約100点。小ぶりな作品とはいえ、支部員にとっては新年の創作にかける意気込みを秘めた作品です。
市民アートの発表の場である同ギャラリーの新年の幕開けにふさわしい展覧会といえるでしょう。
切り替えの速さというか、商魂のたくましさというべきか。
前日までクリスマス一色だった名古屋の街も、例年のことながら一夜にして門松が立ち、クリアランスセールや初売りなどの文字が躍る迎春モードに。
そんな街の一部をカメラに収めてきました。
名古屋城の正門に立つ門松
愛知県護国神社の門松
地下街にも謹賀新年や新春バザールなどの文字が
名古屋三越の門松、ライオンもサンタの帽子をとりました
名鉄百貨店の門松
名鉄百貨店の初売りセールの案内
名古屋高島屋にも迎春のお飾りが
ナナちゃんも新春の装いで
紅葉の落ち葉を敷き詰めた竹林を描きました。
ところは京都・嵯峨野の化野(あだしの)念仏寺の竹林。差し込む光の少ない散策路に入って気付きました。
竹林の地面の多くは降り積もった竹笹で覆われています。
ところが、一部が竹笹の「畳」の上に真っ赤なじゅうたんが敷きつめられていたのです。竹林のまわりの紅葉が強い風に舞い、竹林の中へも降り注いだのでしょう。
さすが「竹と紅葉の京都」ですね。
例年のことながら、追い詰められて取り掛かる年賀状づくり。
「新しい年はサル年。だから、カットには『東山動物園の仲間たち』としてこれまでに何枚か描いた類人猿の絵を使おう」とのんびり構え、時が過ぎてしまいました。
ノミネートしたのは、ブログで掲載したのを含めて5枚。
ゴリラは、写真集まで出版されて今年の東山動物園の主役的存在だったオスのシャバーニ、それに自立心がうかがえるようになった3歳のキヨマサと母のひとときを選びました。
オランウータンは、13歳になったアキ(メス)がボールで遊ぶ姿と野菜をかじる様子。そして類人猿の中でも最もヒトに近いとされるチンパンジーの1枚の計5枚です。
どれも絵画としてはイマイチですが、それぞれ愛着があって迷います。パソコンで2、3種類作ってから選びます。それにしても急がなきゃ。
90歳になった安藤隆夫さんの作品
「すごい。ボールペンでこんな絵が描けるなんて」
名古屋・栄の市民ギャラリーで開かれている日本ボールペン画協会(日置英治会長)の作品展を、驚嘆するお思いで拝見してきました。20日(日)まで。
同協会は4年半ほど前に、愛知県内のカルチャーセンターなどのボールペン画教室が参加して発足しました。現在、24教室、350人ほどの会員がいて、協会展は昨年に続き2回目。「絵画の新しい分野になること」を目指しているそうです。
市民ギャラリーの3部屋を使って開かれた今回の協会展には、F6前後の作品を中心に約200点が展示。
風景、動物、仏像、乗り物などさまざまで、中には1945年(昭和20年)3月19日未明の名古屋空襲の光景を、当時10歳の脳裏に刻まれた記憶で描いた作品も展示されています。
どの作品からも、気が遠くなるような細かい創作ぶりが伝わってきます。白と黒で表現されているのに色彩を感じます。
「他の趣味もあるので、F3号でも1~3カ月はかかります」「家事の合間に描いているだけですから」「2時間ぐらいでペンを置きます。それ以上は集中力が続きませんから」
確かに、この世界も大切なのは「集中力と根気」でしょうね。
展示作品の中に、ちょうど1年前の14年12月17日にこのブログへ「卒寿画家のボールペン画展」として掲載した安藤隆夫さんの作品にも出会いました。
イタリア北東部の山岳地帯を描いた作品の精細なタッチに、90歳になられてもボールペン画を一層楽しまれている様子がうかがえ、嬉しく思いました。
先日出かけた京都・嵯峨野路の風景の1枚です。
冬に入ったいま、紅葉は望めないのではと思っていたのですが、小倉山の麓では赤と黄の競演・共演シーンがあちこちに見られました。
しかし、それを実際に描くとなると・・・。
毎度のことながら、整いすぎた美しさに圧倒され、描き切れないままになってしまいました。
街はクリスマス一色です。
12日、名古屋都心の栄に出かけると、久屋大通公園の久屋広場ではクリスマスマーケットが開催中。中日ビルでは金城学院グリークラブによる恒例のクリスマスキャロルコンサートが開かれており、美しい歌声に聴き入ることができました。
「名古屋クリスマスマーケット」は、広場にテント張りの店が並び、メリーゴーランドや大きなモミの木のクリスマスツリーも。
大勢の家族連れが訪れ、ガラスのツリーやポストカード、スノードーム、人形などのクリスマスグッズを品定め。ステージでは、名古屋市消防音楽隊・リリーエンジェルスが軽快な演奏で盛り上げていました。25日まで。
中日ビル一階では、エスカレーターを舞台に金城学院中学・高校グリークラブのクリスマスキャロルコンサート。
グリークラブ員たちは毎日のように練習を重ね、この季節にはさまざまな会場で成果を披露してり、ここでのコンサートは今年がちょうど50回目とか。
「ジングルベル」「赤鼻のトナカイ」「サンタが街にやってきた」「きよしこの夜」などのクリスマスソングを次々に歌い上げ、訪れた市民を魅了していました。
「小倉山 峰のもみぢ葉 心あらば 今ひとたびの 行幸(みゆき)またなむ」(藤原忠平)
水彩画教室の仲間たちと、京都・嵯峨野路のうち小倉山周辺に日帰りの旅を楽しんできました。
すでに冬。紅葉は色あせてしまっただろう、と思っていたのですが、さにあらず。平均年齢70歳をとうに過ぎ、行幸というのは不遜な我々を、彼女たちは真っ赤な装いで待っていてくれました。
まず訪ねたのは、化野(あだしの)念仏寺。
その昔、この辺は死者が風葬だったのを弘法大師によって土葬され、寺ができたとか。明治になり一帯の無縁仏を集めて祀った約8000体の石仏が並んでいます。
霊園に続く昼間も日差しが届かない竹林。出発したばかりなのでさほど疲れはありませんが、心なしゆっくり、口数も少なめになりました。
「嵯峨の釈迦堂」としても知られる895年建立の清凉寺。若き日の浄土宗の元祖法然上人が仏教を究めるためにこもったことから「元祖おこもりの寺」とも呼ばれているそうです。
本尊の釈迦如来はじめ、いくつもの国宝や重文を拝観。
湯豆腐で昼食、一息入れました。
平清盛の寵愛を受け、やがて清盛の心変わりで出家した白拍子の祇王(ぎおう)や母、妹らが祀られた尼寺の祇王寺。庭も屋根も赤、黄、深紅に染め上げられています。「京都に来ているのだ」の思いが一層高まりました。
徒歩数分の二尊院(にそんいん)へ。
その背後には、冒頭の小倉百人一首にある小倉山(おぐらやま)が、どっかりと座っています。
標高300メートにも満たないこの山の麓や周辺は、平安時代から貴人・文人・賢人たちが政治や文化の歴史をつくってきた舞台でもあったのでしょう。
小倉百人一首を撰集した鎌倉初期の歌人・藤原定家も、この地に山荘を構えていたとされています。
散策は俳句ゆかりの地へも。
落柿舎(らくししゃ)。芭蕉の高弟である蕉門十哲のひとり、向井去来の草庵です。
土地の主が庭にあった40本の柿の木ごと商人に売却したところ、夜中の強風でほとんどが落果したので商人に金を返した、との逸話からこの名がついたとか。
茅葺の庵、吟行に使われた蓑や笠。何本かの柿の木も真っ赤な実を残していました。
自然石に刻まれた芭蕉ら13人の句碑を巡ります。
柿主(かきぬし)や梢(こずえ)はちかきあらしやま 去来
五月雨(さみだれ)や色紙へぎたる壁の跡(あと) 芭蕉
凡(およ)そ天下に去来ほどの小さき墓に詣(まい)りけり 虚子
句を目にしつつ、僕に句会入りを勧めてくれる現役時代の先輩とのやりとりを思い起こしていました。
「君も絵だけでなく、そろそろ俳句もやったらどうかね。俳句も写生をするのだから同じだよ」
「いや、絵もまともに描けないのに、俳句ができるわけがないでしょう」
締めくくりは、野宮(ののみや)神社。
良縁、子宝、安産、それに受験合格の神様とあれば、境内も女性や若者たちでいっぱい。もちろん我々も、孫たちを念頭に詣でて帰途へ。
神社仏閣、国宝・重文、庵、庭園、小路、そして待ってくれていた紅葉と黄葉。心が癒され、充実した旅でした。
名古屋駅から伸びる桜通を歩いていて、イチョウ並木の見事な色付きとボリュームに感動、一気に6号の絵にしました。桜通は「名古屋名物」とも言える幅広い大通りのひとつ。2本の緩速車道分離帯や歩道沿いにイチョウが植えられています。
名古屋にはイチョウ並木のある大通りが他にもありますが、桜通は通行車両や夜間の明かりが比較的少ないせいか、色付きが良いように感じます。描くにあたっては、ひと口に黄金色といっても色付きの度合いや光と影、枝や葉の重なりなどによって随分違うものだ、と改めて感じつつ進めました。
背後のビルは名古屋駅のあるセントラルタワーズ。周辺では2027年の東京―名古屋間開業をにらんで200m級超高層ビルの建設ラッシュが続いており、新たにJR東海が建設している「JRゲートタワー」もてっぺんにクレーンを乗っけて工事が進んでいます。
漁港の岸壁には、船をつなぐためにさまざまな形をした鋼鉄製の出っ張りがありますね。
「係船柱(けいせんちゅう)」と呼ぶそうです。キノコ形やスリコギ形。曲がった木の幹のような形や山高帽子のような形もあります。
そこから伸びる何本ものロープが繋ぐ船も、同じようでいながらけっこう個性的。絵になる風景ですね。
今回は、キノコ形の係船柱が大きなタイヤの中心にすっぽり収まっている様子の面白さ、そこから扇形に伸びるロープやチェーン、係留された老朽漁船。
補修個所が目立つ老朽漁船には、岸壁から歩いて渡ることができる板の橋が架かっています。
甲板には、いろんな漁具が置いてあります。漁を退役した後、物置として余生を送っているのでしょう。
晴天の朝早く。
船、手前の比較的新しい太いロープ、チェーンも昇る太陽の光に染まっています。海面にもオレンジの模様が波打っています。
絵になる風景の主役たちや演出を詰め込み「欲張りすぎだな」と思いながら描きました。
愛知県内唯一のスキー場もある茶臼山高原
愛知県の西三河部を流れる一級河川・矢作川(やはぎがわ)の源流を、カメラに収めてきました。
初冬の風景を求めて愛知・長野両県境にある茶臼山高原をドライブしていた途中で出会ったのです。僕は矢作川べりで暮らしていたこともあり、休日の釣り場でもあった川の源流とあって嬉しい「発見」でした。
源流がある場所は、長野県根羽村にある展望台駐車場の近く。駐車場の一角に、矢作川の源流があることを示す石碑が立っているのに気づき、車両進入禁止の道を100mほど歩いたところにありました。
茶臼山(標高1415m)の岩清水が集まってきているのでしょう。3本の竹筒から音をたてて流れ出ています。S字カーブが連続する坂道を運転してきた疲れを、たちまち癒してくれました。
矢作川は、ここから山を下り愛知県の豊田市や岡崎市、安城市などを流れて、三河湾に注ぐ全長117キロ。
さほど大きな川ではありませんが、その流域はトヨタに代表される工業や日本のデンマークといわれる農業生産地を潤しています。