風の遊子(ゆうし)の楽がきノート

旅人を意味する遊子(ゆうし)のように、気ままに歩き、自己満足の域を出ない水彩画を描いたり、ちょっといい話を綴れたら・・・

楽書き雑記「ヒマワリとパンパスグラス。花壇も季節のバトンタッチ=名古屋・鶴舞公園」

2019-08-31 06:35:19 | 日記・エッセイ・コラム


夏から秋へ。名古屋・鶴舞公園を彩る花壇の草木も、季節のバトンタッチです。象徴的なヒマワリとパンパスグラスをカメラに収めてきました。

公園のほぼ中央にあるヒマワリ畑。ちょうど満開の時を迎え、心持ち過ごしやすくなった日差しを浴びて行く夏を惜しんでいるようです。
公園の意図は分かりませんが、開花の早さを競い合うような観光園などとは違った光景に何故かホッとしました。


ススキの親分のようなパンパスグラス(別名・シロガネヨシ)は、園内の緑化センターの花壇に。
背丈が2㍍以上。大きな羽毛のような花穂が伸びて初秋の風に揺れています。

バラ園では秋に向けた剪定作業などが行われていました。




 楽書き雑記「現れて・消えていく。名古屋の現代工芸作家・秋田和弥さん」

2019-08-29 17:44:37 | アート・文化

 

天井から吊るした器具の動きに合わせて下の面に白い線や模様が描かれ、すぐ消えてしまいます。
名古屋市民ギャラリー矢田(地下鉄ナゴヤドーム矢田下車)で開催中の市内在住の現代工芸作家・秋田和弥さん(63歳)の個展。なぜ?首を傾げつつ見とれ、楽しめました。9月1日(日)まで。

秋田さんは自動車メーカーの技術部門を3年前に定年退職。素材を加工したりエレクトロニクスなどを使って、見る人の感性を刺激するアートの創作に取り組んでいるそうです。

定年後の趣味とはいえ、その本気度は驚くばかり。複数の大学の研究生や聴講生として学び、研究に没頭、わずか3年間なのに次々と成果を発表しています。

最初に手掛けたのは、地元特産の三河森下紙を使った造形。三河森下紙は現代工芸美術の先駆者として知られる藤井達吉(1881~1964)によって、美術工芸の小原和紙としての地位を確立したのですが、一方で最大の消費先だった番傘が消えて衰退していることに関心を持った秋田さんは、行灯や石ボタルなどといった作品を創作してきました。


「紙は面白いですが歴史が長いので新しい作品作りは大変です」と秋田さん。現在向き合っているのが今回の展示作品というわけです。

熱によって物質の色が変化するサーモクロミックという顔料を接着剤とともに塗った紙を板に張り、上から吊るした管を左右前後に揺らして50~60度前後の空気を吹き当てます。
するとここに掲載した写真のように白い線や模様が描かれ、消えていく仕組みのようで、作品名もずばり「現れて・消えていく」というわけです。

見ていると揺れ方によって楕円形や四角形、曲線などさまざま。同じ模様は出現しません。
筒先と面の距離や室内の気温でも違います。秋田さんの勧めで自分の手のひらを面に当ててみました。手が冷たいと薄くしか白色が付かないようです。

開催中のあいちトリエンナーレでも、いろいろな作品を見かけますが、この「現れて消えていく」のような作品だと子どもだけでなく大人たちも結構楽しめそうだな、と思いました。

僕の手のひらを置いてみました

 

 


楽書き雑記「優しさあふれる父母と娘たちの家族展『輝彩展6歩目』=名古屋市民ギャラリー栄」

2019-08-27 16:01:58 | アート・文化

大津亮次さん

美恵子さん

真弥さん

愛さん


名古屋市民ギャラリー栄で開催中の「輝彩展」と題する父母と娘たちの家族展を見てきました。
休んだ年もあるそうですが、今回が「6歩目」。家族で描く楽しさと優しさいっぱいの作品が並んでいます。9月1日(日)まで。

名古屋市北区在住の大津亮次さん、美恵子さん夫婦(ともに64歳)、それに子ども4姉妹のうち2女の真弥さんと3女の愛さん。

職人仕事の傍ら描いている亮次さんの作品は、油彩やパステルの力強いタッチと鮮やかな色使いが特徴。寺をモチーフにした今回の作品からも、創作を心から楽しむ様子が伝わってきます。

美恵子さんは水彩画。市内の絵画クラブに所属するなどして描いている風景画は、淡く柔らかな水使いと色使いにホッとさせられます。

娘さんたちの作品も見る側を楽しませてくれます。
詩的な言葉を絵に書き込んだ真弥さんの作品。キノコの子どもと海や森の動物たちとのふれあいを描いた愛さんの作品。どちらも楽しさと優しさがいっぱいです。

亮次さん


美恵子さん

 

真弥さん

 

愛さん

  

 


楽描き水彩画「瀬戸内の島々の命と暮らし支えるエネルギー配達船?尾道港」

2019-08-26 06:26:53 | アート・文化

 

数年前に尾道に出掛けた際、港に係留されていた緑一色の船を写真をもとに描きました。

小型船ですが、船の種類はよく分かりません。ただ、ずんぐりとした船体や船上の様子などから勝手に想像を膨らませると小型タンカー、さらに言えば瀬戸内の島々をめぐるエネルギー配達船ではないでしょうか。

瀬戸内海に人が住む島がいくつあるのか。
有人・無人の判断基準がはっきりしないため数字がいろいろありますが、ネットの記述の一例によれば日本には314の有人島があり、瀬戸内海はその半数を占めるとか。

当然、これらの島々では島民の日常生活だけでなく漁船や車、ハウス栽培、建設機械などに必要なエネルギーの配達は、瀬戸内海の命と暮らしに欠かせません。

緑一色とはいえ錆も目立つ船体とそれを映す海面に絞り、船上の器具の一部や背景は少し整理しました。10号です。


 


楽書き雑記「踊りまくる名古屋の夏のフィナーレ=にっぽんど真ん中祭り」

2019-08-24 17:06:12 | 日記・エッセイ・コラム

 

 

名古屋の夏を締めくくる第21回「にっぽんど真ん中祭り」(通称・どまつり)に、本祭1日目の24日に出かけてきました。本祭は25日が最終日です。

学生たちが中心になってスタートさせたこの踊り祭りは、前夜祭などを含めて日程が4日間となるなど規模も拡大。博多祇園山笠や青森ねぶた祭などとともに全国最大級になりました。

全国から地域や大学、企業などの幼児から高齢者まで約200チーム、約20,000人の踊り子が参加。
都心の久屋大通公園をメーン会場に商店街など合わせ23会場で、「よさこいソーラン」をアレンジした地域性豊かな曲を、激しくリズミカルに色とりどりの衣装で踊りまくります。

例年は都心の大通りで楽しんできましたが、今年はそれに加えて名古屋城会場や地域商店街の会場も回ってきました。

大通りでは中央分離帯を挟み両側の通りで、名古屋城では二之丸庭園で、それぞれ積み重ねた練習の成果を披露。猛暑の夏のフィナーレらしく、この日の最高気温も34度に達する中で踊りチームも観客も汗だくになって楽しんでいました。

 

チームの後に続いてオシボリなどを運ぶ支援隊。ご苦労様でした。



楽書き雑記「古い町並みで賑わう若い鑑賞者たち=あいちトリエン散歩・初参加の名古屋市の四間道・円頓寺界隈」

2019-08-22 06:20:35 | 日記・エッセイ・コラム

 

あいちトリエンナーレ(10月14日まで)に初めて参加している名古屋の四間道(しけみち)と円頓寺(えんどうじ)界隈へ行ってきました。
400年を超える城下町での現代アート展。なかを歩いての作品鑑賞は、愛知県美術館などとは違う味わいがありました。

四間道と円頓寺は1610年、覇権を掌握した家康の命で名古屋城下への物資輸送のため掘削した堀川運河沿いにできた商人らの町。四間道には豪商らの白壁の蔵や町屋が並び、町並み保存地区になっています。

円頓寺は四間道に隣接した古くからの商店街ですが、戦後の再開発から取り残されて、せっかくのアーケード街もいつの間にかシャッター通りに。しかし、近年になって若い店主らが奮起、パリ祭と銘打ったイベントなど町おこしを進めています。

トリエン作品巡りは四間道の豪商だった伊藤家住宅からスタート。
米穀卸商で尾張藩の御用商人だった伊藤家の住宅は築300年。2年前にあった市民見学会の日には水彩画仲間と土間の隅に作品を展示させてもらったことがあります。
古民家の中には、古い家具類を積み重ねて造った小さな通路などが展示されていました。

なかに点々とある展示場へ。
映像や写真、絵画の作品に出合いました。途中にある黒塀や白壁の蔵なども魅力的です。屋根の上に祀られた「屋根神さま」にも出会いました。疫病や火災から守るため名古屋独特のものといわれています。

鑑賞者にこの界隈についての印象などを紙に書いてもらう「町内ビッグデータ」というコーナーがありました。今後の町づくりに役立てたいとのことですが、トリエン開幕から3週間ほどのわりには数多いコメントが寄せられていました。大半は若者たちのようです。
SNSではなく、紙に書いて考えを述べる若者がまだこんなに多くいる。なんだかうれしくなりました。

鑑賞する若者たちについてもう一つ。
円頓寺本町商店街の狭い展示室の部屋で、日本の統治下で子ども時代を過ごした台湾の高齢者たちが、次々にインタビューされる画面が映し出されていました。
「日本の歌を憶えているか?」「日本人先生の名前は?」「どんな先生だった?」などと質問。

高齢者たちが答えます。
「憶えているよ」「さっき薬を飲んだかどうかも憶えていないのに、そんな昔のことを・・・」。
最初の反応はさまざまですが、共通しているのは少し間を置いた後、誰もが歌詞も曲もきちんと歌われることです。君が代や蛍の光、ふるさと・・・。唱歌だけでなく軍歌も。先生の名前も懐かし気に次々出てきます。同様の質問と答えが延々と流れます。

展示部屋の中は、僕からすれば孫かひ孫と言える若者たちばかりですが、まんじりともせず画面に向かい聞き入っています。立ち上がる気配はありません。「月月火水木金金」(海軍歌)なんて知らないはずなのに。
若者の心の中では国家や教育、戦争、祖父母、などといった言葉と思いが行き来していることでしょう。数多い映像作品の中でも傑作の一つだとも思いました。




楽書き雑記「被爆者の体験を聞き描いた高校生の作品も=名古屋で被爆74周年原爆絵画展」

2019-08-20 14:47:36 | 日記・エッセイ・コラム


広島と長崎に原爆が投下されて74周年。名古屋市原爆被爆者の会が市民ギャラリーで開いている原爆絵画展を見てきました。25日(日)までです。

 市原爆被爆者の会によると現在、全国の被爆者は145,844人(1年間で約1万人減、平均年齢82.65歳)。愛知県内の被爆者1,861人(同約100人減)、名古屋市内の被爆者722人(同62人減)。

このうち原爆症認定者は全国で7,269人。全被爆者の0.049%という現実だそうです。

今年の原爆絵画展には、被爆者自身が描いた作品以外に広島の高校生たちが描いた作品を展示しています。

12年前から広島市立基町高校普通科創造表現コースの生徒たちが、被爆者たちから直接体験や記憶を聞きながら制作しており、すでに140枚ほどになっているとか。名古屋市原爆被爆者の会ではこれらを借り受けて、原爆の記憶を風化させないため順次紹介していくそうです。

今回展に展示しているのは10枚。
水を求めて炎の中を弱々しく歩く人々、焼けただれた皮膚と流れる血、逃げまどい石段に倒れた大勢の人々、重なる遺体・・・。

 作品には生徒の興味深いコメントもついています。
「人の心の中と向かい合う難しさを知った」「原爆についての自分の知識不足と認識不足を知った」
「悩み苦しんだけど、描くことができ創作に自信がついた」「画面の人を減らして描いたら『もっと多かった』と言われ、記憶をきちっと描いてほしいという被爆者の思いに気づいた」

 

 


楽書き雑記「生き生き、カラフルなティンガティンガ絵画を中心に=名古屋・ささしまライブのJICA中部で『はずむ!カラフルアフリカ展』を開催中」

2019-08-18 06:18:24 | 日記・エッセイ・コラム

 

JICA中部(独立行政法人国際協力機構中部センター)が、センターのある名古屋・ささしまライブで催している「はずむ!カラフルアフリカ展」を見てきました。

日本とアフリカ大陸の国々との相互理解を深めるプログラムのひとつ。アフリカの人々の暮らしや豊かな自然を描いたアート作品が迎えてくれます。1110日(日)まで。入場無料です。

作品の中心はアフリカン現代アートである「ティンガティンガ・アート」。
ティンガティンガは、日本ではタレントのジミー大西さんの制作活動で一躍有名になりましたが、アフリカのタンザニアで1960年代末に生まれた創作方法。人々の暮らしや、自然、動物、鳥などを6色のペンキで生き生きとカラフルに描き出しているそうです。

ティンガティンガ作品に加えて、現在は多治見市立共栄小学校とケニアの子どもたちが制作した「日本とケニアの文化・自然」と題する大型絵画(1㍍×3.6㍍)も展示。

この後、910日から名古屋市立丸の内中学校&ウガンダ、1010日からは名古屋市立蓬莱小学校&タンザニアを展示する予定だそうです。

他にも人々の暮らしや労働、タンザニアのティンガティンガ「芸術村」の様子なども写真で紹介しています。

 



楽書き雑記「デジタルアートの光と映像に包まれたボーイング787=中部国際空港の『フライト・オブ・ドリームズ』に行ってきました」

2019-08-16 06:18:15 | 日記・エッセイ・コラム

 

中部国際空港(セントレア・愛知県常滑市)にある「フライト・オブ・ドリームズ」へ初めて行ってきました。
チームラボのデジタルアートの映像や飛行音などに包まれたボーイング787型機の巨体に見入り、孫のお供で訪れていることを忘れるほどでした。

フライト・オブ・ドリームズは昨年秋、旅客ターミナルビル前から駐車場へと伸びる動く歩道の終点に開設されました。4階建てビルの1~3階が格納庫のようになっており、ボーイング787が駐機されています。

この787は初号機。各種の機能テストなどに使用されたあと、機体全体の約35%にあたる部分を造っているこの地に贈られたそうです。

巨大な機体を上から見たり、下から見たり。前から、後ろからも。
機内に入ってコックピットを見ることもできます。

館内全体に美しく迫力のある映像と飛行機の飛ぶ音が流れます。星やオーロラの夜空、眼下に広がる海やお花畑。飛行機に乗って飛んでいる感じです。

紙飛行機を折って飛ばしたり、飛行機の機体の絵に好きな色で彩色したり。大きなスクリーンにはボーイング社の組み立て現場が映し出されています。

現役時代に航空機の胴体などの製造現場を見る機会が何度かありましたが、その時とは一味も二味も違った感動のひとときでした。


  

 


楽書き雑記「ジェンダー間の不均衡の可視化や、スマホで見る作品も=あいちトリエン散歩・名古屋市美術館」

2019-08-14 06:37:55 | 日記・エッセイ・コラム

 

 

 

あいちトリエンナーレ2019(10月14日まで)会場の一つ、名古屋市美術館会場を見てきました。
愛知県
美術館での企画展示の1つが中止という事態に出鼻をくじかれたトリエンナーレですが、猛暑の中を熱心なファンが訪れています。


公園から名古屋市美術館の玄関に続く通路に、各国の国旗の模様を印刷したポリエチレン袋を入れたひと抱えほどの円筒型ボックスが、10個余り並んでいました。

これもトリエンナーレの屋外作品。題名は「西洋のゴミ袋」とあり、トリエンナーレのHPなどによると作家はアフリカ諸国とそれらを植民地支配していた国々との関係を作品化してきたそうです。この作品についての説明ははっきりしませんが、題名からはかなり重いメッセージが込められているように思います。

「現代アートはやはり難しい」と思いつつ入館すると、多くの観客が足を止めているコーナーがありました。

社会的、文化的につくられた性別(ジェンダー)間の不公平・不均衡を可視化し、考える場のようです。
職場や街、地域、家庭内、バスや電車内など、日常生活の中でどのような抑圧を感じたり、暴力や暴言、ハラスメントを受けたか、女性たちが匿名で書いた証言や悲鳴がフロアいっぱいに展示されています。

コーナーには机にピンクの用紙が置かれ、何人かの女性が書き込んでいます。立ち止まって読む観客の中心は女性やカップルですが、中高年男性の真剣な様子が印象的でした。

他にも女性の「立ち位置」を問う作品や、母親から自分が人工授精で生まれてきたことを知らされて以来、「選択された生」にまつわる創作を続けているというアーティストの作品なども展示されています。

これまで見たことがなかった表現方法の作品がありました。
壁に15台ほどのスマホが並び「スマホで鑑賞し、シェアもしていただけます」と。若い女性が次々にスマホを向けていました。
ちょっとした「展覧会革命」を見る思いでした。

 

 


楽書き雑記「猛暑の犠牲?=名古屋・伏見の『御園のタブノキ』の葉が茶褐色に」

2019-08-13 05:35:38 | 日記・エッセイ・コラム

葉のほとんどが枯れたタブノキ

いつもは緑で覆われています


「猛暑続きの犠牲になったのだろうか」
名古屋の地下鉄伏見駅から伏見通沿いの歩道を名古屋市美術館に向かって歩く途中、馴染みのある大きな街路樹の葉のほとんどが枯れているのに気づきました。道路を隔てた御園座側にある街路樹は緑のまま。近づくと「養生中」と書いた札があり一安心しましたが、街のシンボルだけに心配です。

この木はクスノキ科の常緑樹「タブノキ」。樹齢約250年、樹高10㍍、幹回り3.8㍍。途中で2本の幹になって枝が12~15㍍の幅に広がっています。
かつて道路拡張のため伐採案が出ましたが「御園のタブノキとして、古くから親しんできたご神木である」という市民の声で撤回されたと言われています。

管理する名古屋国道維持第一出張所が架けた札には「樹木衰退のため養生中です」とあり、根元の周りの地面に肥料や薬品を地中に注入するためらしい筒が10本ほど差し込まれています。

幹が途中で割れて2本になった原因だろうと思われる強い風や、名古屋の街が爆撃で焦土と化した大戦をも乗り越えてきた御園のタブノキ。今回も乗り越えることでしょう。

根元に肥料や薬品を注入するためらしい筒が

 

 


楽書き雑記「廃校のプールを泳ぐウミガメやサメたち。『むろと廃校水族館』は想像以上にワクワクでした=高知県東部の旅・室戸市②完」

2019-08-11 06:21:34 | 日記・エッセイ・コラム

 

 

「室戸を訪れたら、ぜひ見てきたい」。それは「むろと廃校水族館」でした。
長い歴史を閉じた小さな小学校がそのまま水族館になり、太平洋だけでなく子どものころの遊び場だった小川の魚たちも泳いでいる。それらの多くは地元の漁師たちからのプレゼント――。考えただけでもワクワクです。

水族館として再生したのは、室戸岬から徳島方向に少し走ったところにある旧椎名小学校。室戸市教育委員会の記録では昭和20年(1945)に141人いた児童が平成12年(2000年)には3人になって休校、6年後には廃校に。
残された鉄筋コンクリート造3階建ての校舎が昨年4月、そっくり水族館になりました。

1番の目玉は大水槽。子どもたちが夏を楽しんだ25㍍プールに、アカウミガメやサメがゆったり泳いでいます。サバやアジ、ボラ、シイラなどもいるようです。プールを囲む観光客や子どもたちから歓声が沸きます。

手洗い場だったところにはナマコやヒトデ、カニ・・・。イセエビもいます。それらを自由にタッチして楽しめるようになっていました。
大小の水槽にはタカアシガニ。ゴンズイ。タツノオトシゴ。
高知では口にする機会が多いウツボが重なり合うように何匹も。そのどう猛な顔とガラス越しににらめっこするようにカメラに収めました。

金魚もいます。
飼育・展示している海と川の生き物は50種類、1000匹以上。
ほとんどは、地元の漁師が定置網などにかかった獲物を届けてくれたのです。

だからしょっちゅう「新入生」がいます。他の廃校からやってきた「転入生」もいます。
なので、展示している魚の購入費は必要ありません。
ちなみに生徒数が多くなれば「卒業生」として、海へ放たれるそうです。

図書室の書棚には海や川の生き物に関する本。地元の漁師が水揚げしたミンククジラの骨格標本も。
理科室にはホルマリン漬けの標本がずらり。市民から寄せられた室戸で昔いたという動物のはく製も並んでいました。ペンギンは遠洋漁船で持ち帰り飼っていたようです。

掲示された説明や案内もほとんど手作り。
水族館の管理・運営にあたっているのは、室戸でウミガメの学術調査をしている「日本ウミガメ協議会」のメンバーたち。
年中無休(荒天の時は臨時休館)。つまり、毎日「授業参観日」なのです。すごいなあ。

予想像以上のワクワク感と童心にかえることができた旅の締めくくりでした。





楽書き雑記「巨岩と断崖と弘法大師と=高知県東部の旅・ジオパークの街・室戸市へ①」

2019-08-10 06:20:53 | 日記・エッセイ・コラム

 

高知県東部の旅は、市の全域が世界ジオパークに認定されている県東端の室戸市へ。

以前、マイカーでこちらの方へやってきた時は、日程のやりくりがつかずにちょっと見ただけ。その反省と今回は4人連れということで観光タクシーのお世話になりました。
まず、これまで日本に上陸した大型台風を真っ先に受け止めてきた室戸岬です。

どこまでも広がる太平洋の海原。遠くからやってきた大波をはじき返す巨大な岩々。切り立つ断崖。まさに大自然のアートです。折から沖合にある台風の影響で寄せるうねりや波も高いようです。

同じ高知県の西端にある足摺岬に立った時と同様、気分が高揚します。水平線を見つめながら「向こうはアメリカ。なんちゅうたち(何といっても)土佐の隣はアメリカぜよ(だよ)」と気炎をあげていた子供のころを思い出しました。

幾重にも重なる海崖と剣先のような巨岩の間を歩きます。
ハマユウ、サボテン・・・。中南米からの帰化植物で生態系を壊しかねないと対策が論議されているというリュウゼツランも。

巨大なタコのような樹木にも出会いました。国の天然記念物に指定されている「アコウ」です。亜熱帯ではよく見かけますが、枝や幹から垂らした何本もの気根で岩にへばり付いて成長、樹高を低くすることで猛烈な台風から身を守っているようです。

振り返った向こうの山には室戸岬灯台。レンズの直径2・6㍍、光の到達距離は日本一の49キロだそうです。

 「むろとジオパークセンター」へ。
ヒトが生きる地球(大地)の自然・歴史・文化遺産を教育やツーリズムを通して保全していこうという、ユネスコの世界ジオパークに室戸が認定されたのは2011年。以来、自然体験やツアーなどの基地になっています。

数多くの展示資料の中で、くぎ付けになったのは巨大地震の発生源である海溝の立体模型。ここは台風だけでなく地震観測の最前線でもあるのです。
100年前後ごとに繰り返されている南海トラフ巨大地震に備え、津波避難所や海抜を示す数字をあちこちで見かけます。

かつて土佐備長炭の生産で栄えた室戸市内の吉良川町にも立ち寄ってきました。土佐漆喰を使った土蔵などの街並みは、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。

室戸には室戸山最御崎寺(むろとざんほつみさきじ)など、四国八十八ケ所霊場の札所が3カ所もあります。
近くには19歳の弘法大師が修行したという洞窟・御厨人窟(みくろど)。中へは入れませんでしたが、入ったところで凡人には何も悟ることはできないでしょう。

大師ゆかりの地のわりには、お遍路さんの姿をあまり見かけません。猛暑の昼間は避けて夜間に歩く人が多いと聞きました。近くには青年大師像、さらに幕末の志士・中岡慎太郎像もありました。

遍路といえば、現役時代の仲間の一人は退職後、①引き返すことなく最後まで歩き通す②ケータイは持参しない②宿坊は利用してもホテルには泊まらない――などを自分に誓い、八十八ヶ所の全行程を打ち上げました。話を聞きながら、尊敬の念と己の甘さを痛感したものです。

明日は人気の「廃校水族館」です。

 

弘法大師が修行した洞窟・御厨人窟(みくろど)

青年大師像

 

中岡慎太郎像

 

  


楽書き雑記「庭を彩る夏の花々=北川村のモネの庭・マルモッタン②完」

2019-08-08 06:30:30 | 日記・エッセイ・コラム



高知県東部の旅でまず訪れた北川村の「モネの庭・マルモッタン」。
昨日は北川村にモネの庭が誕生したいきさつと、庭園に設けてある3つの庭のうちスイレンが浮かぶ「水の庭」取り上げましたが、今日は残りの「花の庭」と「光の庭」に咲く季節の草花や花木類を集めてみました。。

 「花の庭」は四季の花が咲き誇る咲く庭。「光の庭」はモネが地中海を旅して描いた作品をイメージして、暖かな気候帯の草木が中心になっています。

どちらも今は夏から秋にかけての花があちこちに咲き誇っていますが、手をかけすぎていない庭の自然感、観光地らしくないゆったり感が漂います。とにかく時間の流れを忘れさせるひとときでした。


 


楽書き雑記「高知県東部の旅『北川村 モネの庭・マルモッタン』①」

2019-08-07 06:31:28 | 日記・エッセイ・コラム

 

卒業した高知市にある高校の同窓会総会に出席したあと妹夫婦らと落ち合い、2組の夫婦で高知県東部の北川村と室戸市を旅してきました。

北川村では「北川村 モネの庭 マルモッタン」、室戸市では室戸岬や弘法大師(空海)ゆかりの地などを回るコース。まずモネの庭から――。

このモネの庭が誕生して来年で20年。では、なぜ高知の山村に?
ご存じの方が多いかもしれませんが、ふるさと高知への思いもあって北川村の公式ホームページなどから振り返っておきます。

1990年代に入り、深刻化した地方の過疎化と高齢化。北川村も例外ではなく、さまざまな歯止め策を模索しました。
まず目指した特産の柚子でワインをつくる計画は、ワイナリーを誘致できずに断念、発想を180度転換して打ち出したのがフラワーガーデン構想でした。

96年、村の担当者が何のつてもないままフランス・ジベルニーにあるモネの庭へ。
庭の責任者を皮切りにクロード・モネ財団のトップ、さらにモネ作品の殿堂でもあるパリのオルセー美術館の主任学芸員らにも次々会って、北川村のガーデン構想を熱っぽくぶっつけ、協力を訴えました。

北川村は倒幕の志士のひとりで、陸援隊長だった中岡慎太郎を生んだ村。「アポなし」でぶつかっていった担当者の行動は、中岡に通じるものがあったのではないでしょうか。

この熱意が通じたのでしょう。

クロード・モネ財団は「モネの庭」の名称を国外で初めて使うことを認め、スイレン栽培のイロハから庭づくりの監修まで、北川村に足を運んで指導。互いの交流を深めました。
こうしてちょうど2000年。「北川村 モネの庭 マルモッタン」が誕生したのです。

北川村と隣接する馬路村(うまじむら)では、88年に過疎対策として柚子ジュース「ごっくん馬路村」を売り出し、ポン酢しょうゆなどたちまち全国に知られるブランド品に成長させました。相次ぐ大ヒットに「さすが土佐。進取の気性と物怖じしない行動力はすごい」と、ふるさと高知の取り組みを喜んだものです。

前置きが長くなりましたが、北川村のモネの庭を訪れたのは2回目。フランス・ジベルニーのモネの庭も訪ねました。ジベルニーの庭にあるモネの住まいやアトリエが北川村には無いのは致し方ないとして、2つの庭は素敵な姉妹です。

モネの庭は「水の庭」「光の庭」「花の庭」の3つからなります。まずは印象画の巨匠モネが愛し、数多くの名作を生んだスイレンの池のある水の庭から散策します。

スイレンの池。ジベルニーからも贈られたという赤や白いスイレンが咲き、水面に映り、風に揺らぎます。モネが描いていたフランス北部のジベルニーでは青いスイレンは咲かせることができなかったそうですが、北川村では6月末から10月末まで見ることができるそうです。

開園から20年近く。周辺の木々も大きくなって池を包みます。

池の奥にある小さな緑の太鼓橋。僕はジベルニーでもそうだったように橋の上に佇み、モネが白内障のためほとんど見えなくなった目で水面を見つめて描いた作品を思い起こしました。

僕はジベルニーでも、前回の北川村でも「この風景はぜひ描いてみたい」と意気込んだものです。でも、とても作品にはできませんでした。
今回もどうなりますやら・・・。
明日は残る2つの「花の庭」と「光の庭」を中心に掲載します。