名古屋城の西之丸広場で開かれている、第69回名古屋城菊花大会を鑑賞してきました。会期は11月23日まで。名城菊の会の会員たちが丹精込めて育てた自慢の作品が並んでいます。
数百の大菊を咲かせる千輪作りをはじめ、品種は自由ながら赤・白・黄の3色を競う種目、一本仕立ての大菊5本を競う部門、岩や古木を使って風雪に耐えた感じを出す盆栽などさまざま。長い根を岩肌に滝のように這わせた作品もあります。
それぞれ、針金や支柱の制限などもあり、趣味とはいえ狙い通りの作品に育てるのは至難の技でしょう。
僕は何年か前に愛好家の勧めに、「自分には無理」とあきらめたものです。水やりや温度管理など1日たりとも気の抜けない毎日。ましてや今夏のような猛暑続きの日々は・・・と想像を巡らしながらの鑑賞でした。
オープニングイベントで演じられたストリート歌舞伎
「やっとかめ」。そう、名古屋弁です。「お久しぶり」という意味ですね。
この方言を冠につけた名古屋の「やっとかめ文化祭」が29日開幕しました。会期は11月20日までの23日間。「芸どころ・名古屋」の伝統芸能や歴史のある町並み歩きなど、文化の秋を楽しむ盛りだくさんなプログラムが用意されています。
初日の午後、名古屋・栄にあるナディアパーク2階の公開空地で催されたオープニングイベント。ストリート歌舞伎を皮切りに、辻狂言や尾張万歳、講談、名妓連組合によるお座敷芸「金のしゃちほこ」などのメニューに、詰めかけた市民の人垣ができていました。
期間中には、これらの演目はじめ、茶の湯や聞香、平針木遣り音頭、名古屋扇子作り、利き酒、和菓子作りなどの体験会が市内各地で。老舗料亭でのお座敷ライブ、名古屋能楽堂では伝統工芸の名古屋友禅を紹介する企画展などが組まれています。
さまざまなプログラムの開催場所や日程、チケット販売などの詳細は公式プログラムの案内パンフやホームページhttp://yattokame.jp/に掲載されています。
飛騨・高山の紅葉情報を見ると、高山市内でも「色づき始め」から「もうすぐ見ごろ」へと進んだようです。そこで描いたのがこれです。
以前、秋が深まった高山市へ列車で所用に出掛け、名古屋に帰るため高山駅の待合室にいた時でした。この季節に訪れながら、紅葉をまともに見ていなかったことに気づいたのです。
時計を見ると、列車の時刻まで30分近くあります。駅前に止まっていたタクシーに乗り込み、運転手さんにお願いしました。「近くで、あなたが『ここが一番だ』と思われている紅葉の風景に案内してください」
「分かりました。私が通りかかるたびに、ここだと思っているところがあります」。そう言って車を走らせてくれたのが、この景色です。
紅葉と黄葉に包まれた寺の参道。
「きれいすぎる」「とても自分には描けない」と見とれたものです。事実、帰っても描くことができず、写真はストックしたままになっていました。
やはり難しい課題でしたが、浸透力の少ない薄手の紙に思ったまま色を置き重ね10号の絵にしました。
わが家の狭い庭でも、草花たちの凄まじい生存競争が見られます。
ここに掲げた花は、「サルビア・レウカンサ」(メキシカンブッシュセージ)」いう品種ですが、他の品種のサルビアとの競争に敗れ、消滅寸前だったところを、救出・避難を試みた結果、このような花を咲かせているのです。
レウカンサは多年草。我が家の庭ではかなり前から庭にあり、1・5㍍ほどの背丈の茎や枝の先から伸びる花穂のスマートさと、白い花びらを包む紫色の咢のフェルト生地のような柔らかさ感で、秋の庭のスター的存在でした。
それを消滅寸前に追い込んだのは、僕の浮気でした。
数年前、園芸店で青いサルビアが目に留まり、レウカンサの横に植えたのです。
ところが、青いサルビアは旺盛な繁殖力でレウカンサを飲み込むように広がり、レウカンサは年ごとに小さくなって数も激減。昨年、レウカンサの挿し芽を試みたのですが失敗し、遂にこの春は掘り起こして植木鉢に植え替えていたのです。
根から伸びていた茎はわずか4本。太さは素麺ほどしかなく頼りなげでしたが、夏から初秋にかけて成長。計11本の茎が出て、中には背丈が1㍍ほど、太さはうどんぐらいのもあり、花穂も以前ほどの大きさではないものの満足です。
根元からは、たくさんの若い茎も伸びています。
一方で、レウカンサを追いやった青いサルビアの方は、どうでしょう。
何故か昨年までのような勢いがありません。背丈も3分の2ほどに縮まったようです。生存競争の相手がいなくなってしまったからでしょうか。
しかし、それだけではなさそうです。青いサルビアの足元には伸びてきた芝生が入り込み、スズランや蔓性植物もはびこっています。
鉢植えのレウカンサをどこに移植するか。さらに、今度は青いサルビアを掘り起こして、侵略者たちを取り除く救護作戦も必要です。
繰り返し突きつけられる狭い庭ならでの課題です。
今度は青いサルビアの救護も
愛知県・三河湾の篠島に行って来ました。
篠島は、昨年秋の水彩画教室でも訪ねた舞台。今回は家族での旅行とあって、案内役と付添人に徹しましたが、スケッチ会では目にできなかった風景も拾うことができました。
嬉しかったのは、シラスの天日干し作業に出会ったこと。「シラスの漁港別漁獲量では日本一」を誇る篠島漁港ですが、スケッチ会では目にできませんでした。
シラスに限らず魚介類の加工風景は、他の漁港でも天候次第のうえ、機械化が進んだせいもあってなかなか出会えないものですが、今回は広い干場に釜揚げしたシラスが次々に運ばれ、女性たちが手で広げる様子を目の当たりにできたのです。
ちょっとだけでしたが、シラスの釜揚げの様子も拝見。港ではシラス漁の漁船に網を用意する様子にも出会いました。
このあとの昼食は、タコのまる茹でと焼き大アサリ、そしてもちろんシラス丼を味わいました。
スケッチ会で散歩したホテルなどが並ぶ海岸に出ると真新しい堤防が出現。津波からの防衛策は、ここでも着々と進められていました。
かつて日本3大繊維問屋街だったころの名古屋・長者町の賑わいを、変貌する現代の街の中で蘇らせよう、という「第16回長者町・ゑびす祭り」が22、23日の日程で開催、初日に出かけてきました。
朝から今にも降りだしそうな空模様。午後には1つ、2つの小さな雨粒を顔に受けましたが、今年は長者町が会場のひとつにもなった「あいちトリエンナーレ2016」も23日が閉幕とあって、大勢の市民が通りを埋めていました。
祭の一番の呼び物は、巨大なフリーマーケット。
歩行者天国となった通りの両側に、テント張りの店がずらり。繊維街らしくさまざまな衣料品をはじめ、食器や置物、手作りアクセサリーなどの雑貨類の店、そして、から揚げや焼き鳥などのグルメ屋台が並びます。
大道芸やチンドン屋、山車、まき割り体験コーナー、さらに若者たちのダンスなどパフォーマンスのプログラムもいっぱい。子どもたちのための段ボール遊びや、夢や願い事を書いてロープに付けたりするコーナーなども用意されています。
目についたのは祭の運営にあたるスタッフたちのきびきびした動き。
雑踏の整理、催しの安全確保に気を配る中高年のスタッフ、あちこちに置いた分別ごみ袋が満杯になるとすぐ取り換える若者たちの姿に、この祭りにかける長者町の意気込みを感じました。
21日夜のNHKのBSプレミアム・美の壺「人生を共にする旅行鞄(かばん)」を見ていて、ハッと気づきました。番組の冒頭に出てきた「寅さんの鞄」です。
先日掲載した楽書き雑記「映画『男はつらいよ』の寅さんの故郷・葛飾柴又を訪ねてきました」の記事に、この「寅さんの鞄」の写真を添付するのを忘れていたのです。
この鞄は「寅さん記念館」で目にしました。中には腹巻、目覚まし時計、高島暦、うちわ、鎮痛薬ケロリン、金鳥蚊取り線香、はさみなど、旅する寅さんの全財産が入っています。
「記念館での話をブログに書くなら、この写真はぜひものだな」とカメラに収めてきたのです。
なのに、17枚も掲載した写真の中に載せていなかったのです。しかも、テレビを見るまで気が付かなかったのです。
ブログの掲載記事を引っ張り出して追加することも考えましたが、やはりきちんと掲載することにしました。
「鞄を忘れちゃ~、おしめ~よ~」と言われそうですね。
水彩画教室で出かけた近江八幡市へのスケッチ会で、八幡堀の水郷巡りをした舟からの風景の1枚です。
あいにくの雨。こんな時は舟遊びも一興、と乗り込んだ結果の収穫です。
小さな和舟。「食事処 和でん」裏の船着き場から赤煉瓦工場跡近くまでの間を往復する、所要時間35分・料金1000円のコースでした。
かなり進んでくぐったのがこの橋。八幡堀の橋の中には時代劇映画のロケなどで使われた橋もあるそうですが、この映画を見ていないし、手持ちのパンフレットなどでは名前も分かりません。しかし、剥がれ落ちたところがあるなど、かなり年季の入った橋のようです。
雨が小降りになっていたせいか、遠くもさほど煙ってはいません。雨があたらない橋の下に映り込んだ木々を入れました。ただし、緑が多すぎて面白くなかったので、両岸の花や遠景の木々を黄葉させるなどしました。
やっと今年も、芳香が戻ってきました。我が家のキンモクセイも開花宣言です。
先月下旬から今月初めにかけて関東地方から開花情報が届き「しばらくすれば、ここ名古屋の方も」と思っていたのに、今年は花芽の変化が超スローペース。例年より2週間近く遅れての開花、といったところでしょうか。
キンモクセイの開花は日照時間と気温に左右され、猛暑の年は遅くなるというデータの通りでした。
それでも、3日前から花芽の膨らみが一気に増し、黄緑色だったのがオレンジ色に。前日は蕾からの匂いも漂い始め、今朝は蕾の1~2割が開いて匂いも強まりました。
黄金色の小さな花の塊が、こんもりとした樹形を覆っています。猛暑の年は花付きも良くないそうですが、こちらは例年通りのように見えます。
近所や地区の公園のキンモクセイも、ほぼ同時に開花。辺りは今年もちょっとした「芳香通り」になりました。
まず、花模様の床を撮った1枚目と2枚目の写真を見比べてください。人影が入った2枚目は色褪せ、ボケてるようでね。でも、カメラや僕の腕のせいではありません。
閉幕(10月23日)までわずかとなった現代美術・芸術の国際展「あいちトリエンナーレ2016」。メーン会場である名古屋・栄の愛知芸術文化センター(愛知県美術館)を訪ねると、人気を集めた花模様の床は土足が解禁され、立ち入りも自由に。また3市の会場で試みられた毛糸のアート「ネットプロジェクト」の作品が、3~4枚目の写真のように2階のベランダへ集結するなど、フィナーレらしい企画に出会えました。
花模様の床は大巻伸嗣の作品。50㌢四方のフェルトに日本画の顔料で花や鳥を描き、美術館10階の約450平方㍍の部屋の床に敷き詰められています。
ここは土足禁止・立ち入り禁止の部屋でした。脱いだ靴を手にして、端に並んだ飛び石を渡って遠くから鑑賞する仕組みになっていたのです。1枚目の写真はその様子です。
それが、フィナーレの2週間は土足が解禁、しかも自由に歩き回れるようになっているのです。それが2枚目の写真。
美しかった絵も、踏みつけられることで、絵の具が剥がれ、色褪せてきます。こうした過程や時間の経過と変化。「それらをひっくるめて、作品として見ていただきたいのです」と会場のガイドさん。
宴の跡というか、何事にも終わりがある。しかし、それは再生への始まりでもある――ということでしょうか。
毛糸の「ネットプロジェクト」は、ブラジルの作家ジョアン・モデの作品。
名古屋市美術館や豊橋市、岡崎市の会場で企画され、立木などをつないだロープに、会場を訪れた人々が赤や黄色、青、緑などの毛糸を切り取って結びつけました。
「おみくじみたい」「風に揺れる様子が素敵」。どの会場でも親子連れや若者たち、そして白髪の男女も楽しそうに毛糸を結び、ネットは日に日に形や色も変化してきました。
2階のベランダで1つになった3会場のネット。誓い、願い、夢、祈り、目標、希望・・・・さまざまな思いを込めた色とりどりの毛糸アートが、さわやかな秋の風に舞っています。
靴のまま、中へも入れます
豊橋市PLAT会場にあったネット
名古屋市美術館会場にあったネット
先日、水彩画教室で出かけた滋賀県近江八幡市の宿泊スケッチは、あいにくの雨模様。特に初日の天気はひどく、あちこちを歩くのはあきらめ、八幡山城跡の八幡堀の舟に乗るなどで目にした風景の一枚です。
八幡堀は幅が平均約15㍍、長さ6㌔ほど。天正13年(1585年)、豊臣秀吉の甥(おい)である豊臣秀次が八幡山城を築く際、防衛のためと琵琶湖を活用した水運用の運河として設けたとされています。
舟からの景色は目線の違いもあって、新しい発見も少なくありません。
それはともかく、降りしきる雨の中での風景に挑戦してみたいと描きました。雨の当たる水面の様子や、全体に煙ったような感じを出してみたのですが。
信長・秀吉・家康の三英傑がパレードする今年の「名古屋まつり」は15、16日。初日に出かけると、好天に恵まれたとあってパレードのコースには大勢の市民が陣取り、歴史絵巻に見入りました。
初日のコースは、名古屋駅前から矢場町まで。
フラワーカーや「ナナちゃん隊」、少年鼓笛隊などに続いて、市民からの公募で選ばれた信長・秀吉・家康が、それぞれの武将やデパート代表の濃姫、ねね、千姫らとともにパレード。三英傑は馬や車の上から沿道の観客に手を振って応えていました。
栄周辺の各広場にはキッチンカーや屋台、ブースができ、県内外のグルメや観光案内所が設けられ、終日にぎわっていました。
16日の三英傑行列は「市役所から矢場町まで」。天気予報では「晴後曇」とまずまずです。
(信長)
(秀吉)
(家康)
「わたくし生まれも育ちも葛飾柴又です」
所用で東京へ出かけたついでに、映画「男はつらいよ」の寅さんが誇らしげに口にする「葛飾柴又」を訪ねてきました。帝釈天参道、寅さん記念館、監督・山田洋次の世界を知るミュージアム、寅さんが青空を眺めながら思いにふける江戸川堤防・・・。初めて訪れたのに、懐かしいところへ来た気分でした。
寅さんが旅に出る京成電鉄金町線の柴又へ。
駅前で寅さんの銅像に迎えられ、その先に帝釈天参道が続きます。鰻屋、蕎麦屋、くず餅、煎餅、天丼、佃煮、漬物、仏具店、民芸品店・・・。そして、やっぱり一番目につく団子屋さん。
「とらや」の看板が見えました。「映画がセット撮影でなかった4作目までは、ここで撮っていたそうですよ」と話しながら、団子を包んでくれた現在のさくらさん。
長旅から帰ってきた寅さんがなかなか中に入れず、店の前を行ったり来たり。「ああ、忙しいね」といいながら、笑顔で働くおいちゃん、おばちゃん。そんなシーンがよみがえりました。
参道の突き当りにある柴又帝釈天を参拝。これまた現在の御前様の読経を聞きながら、ひと休みしたあと、閑静な柴又の街を歩いて寅さん記念館へ。
まず、「男はつらいよ」48作の制作現場の様子。大道具、美術、メイク、演出、撮影、照明などが紹介されています。
当然のことですが、映画は寅さん役の渥美清や山田洋次監督だけではなく、マドンナたち、さくらや博、おいちゃん、おばちゃん、タコ社長、近所の人たち、そしてたくさんの製作スタッフによって作られたのだと改めて気づきます。
寅さんが生まれた開戦前年の昭和15年(1940年)から終戦、復興、浮き沈みする経済、激しく変貌する社会。そんな時代の流れには乗れないまま、恋を重ね、柴又への思いを胸に日本列島の隅々を旅するフーテンの寅さん。
それらを、妹さくら(倍賞千恵子)のナレーションで振り返るジオラマには、ほぼ同時代を歩んできた僕も引き込まれました。
帝釈天参道や「くるまや」、柴又駅舎、タコ社長が営み、博や「労働者諸君!」が働く「朝日印刷所」のセットも。
もちろん、吉永小百合や浅丘ルリ子、佐藤オリエ、栗原小巻、八千草薫、岸恵子、十朱幸代、長山藍子、大原麗子、松坂慶子らマドンナたちの写真にも包まれます。
寅さん記念館の向かいには山田洋次ミュージアム。「男はつらいよ」はじめ「学校」「東京家族」「幸せの黄色いハンカチ」「遥かなる山の呼び声」「武士の一分」「故郷」「おとうと」「下町の太陽」「たそがれ清兵衛」「母べえ」などを制作してきた山田監督の信条や教育に対する思いがいっぱい詰まっています。
映写機や大量のフィルムなどとともに、山田監督の言葉が掲示されています。
「ぼくの作品は、必ずといっていいほど社会からはみ出してしまった人間が主人公で、一流大学を出たエリートの技術者とか権力者、実力者とかいう人が主人公になったことはありません」
僕は武将や歴史上の人物、文化人らを知る資料館を訪ねることが少なくありません。しかし、映画を何度も観ているせいがあるにせよ、今回の「寅さん記念館」と「山田洋次ミュージアム」ほど、見終わって素晴らしい充実感と温かな思いに包まれたのは初めてだと思います。
そばを流れる江戸川の堤防へ。帝釈天参道でも記念館でも優しく流れていた「男はつらいよ」のメロディーをハミングつつ、余韻に浸ってきました。
庭の草木にも秋を感じるようになりましたが、ちょっと気になっている木があります。キンモクセイです。
例年ならキンモクセイは、名古屋でも9月下旬から10月上旬までに多くが開花。我が家の庭のキンモクセイも辺りいっぱいに芳香を放つのに、今年は10月中旬に入った今もその気配がないのです。散歩道を「芳香通り」にしくれるご近所のキンモクセイもまだのようです。
木を見ると、枝や葉の付け根あたりに花芽らしい粒状の芽が見えます。でも、大きさは長さ1~2㍉。上に掲載した写真の枝はやや膨らみがありますが、全体としては下の写真のようにまだ乏しいようです。
ただ、いつものことですが、ある朝、突然のように咲く印象がある花ですから、花芽も急に大きくなるのでは、と思っています。
キンモクセイの開花はサクラなどとは逆に北から南下してきますが、日照時間と気温に左右されやすく、猛暑の年は遅くなり、花付きも良くないとか。ネットによると関東ではすでに咲き終わった所が少なくないようなので、まもなく東海地方でも開花、ということでしょうか。
それにしても、近年の気象と植物の関係には驚くばかりですね。今年と去年のウメの名所の開花も、気象庁の記録では前年比や平年比が1カ月以上、中には50日も早かったり、遅かったりしたところがあったようですから。
ちなみにネットには来年のウメの開花予想もすでに出ており、平年並みかやや遅れそうとか。
この夏の猛暑や昨今の不安定な天候を考えると、キンモクセイの開花が少しぐらい遅い感じだからといって気にするのはおかしいですね。
ようやく「風景を描きたくなる季節」になりました。さあ、何処へ出かけましょうか。
風に揺れる草むらを行く河川敷、漁船や岸壁に乾された漁具が絵になる漁港、木洩れ日が魅力の雑木林、日差しにキラキラ光るせせらぎ、・・・。木々の色付きもこれからです。
この絵は以前出かけた京都・銀閣寺周辺の散歩道です。
丸太の階段、あちこちに岩がのぞく山肌。木洩れ日。汗ばんだ体を、時おり通り過ぎる風が癒してくれました。