いま、名古屋地方の花見の主役はフジ。「天下一の藤棚」を誇る愛知県津島市の天王川公園で開催中の「藤まつり」(5月5日まで)に行ってきました。
自慢の藤棚は長さ275m、幅が12~30mで、棚の面積は約5,000㎡。九尺藤を中心に12種、114本のフジが優雅な姿を水面に映します。
周辺にも大小の藤棚があり、ちょうど見ごろのようでした。
祭りの会場には多くの屋台が並び、野点や民謡、ダンスなど、さまざまな催しが日替わりで繰り広げられています。
いま、名古屋地方の花見の主役はフジ。「天下一の藤棚」を誇る愛知県津島市の天王川公園で開催中の「藤まつり」(5月5日まで)に行ってきました。
自慢の藤棚は長さ275m、幅が12~30mで、棚の面積は約5,000㎡。九尺藤を中心に12種、114本のフジが優雅な姿を水面に映します。
周辺にも大小の藤棚があり、ちょうど見ごろのようでした。
祭りの会場には多くの屋台が並び、野点や民謡、ダンスなど、さまざまな催しが日替わりで繰り広げられています。
以上は山田彊一先生の作品展から
名古屋市郊外の長久手市に出かけ、僕が通う水彩画教室の講師・山田彊一先生(77)の展覧会と、アート界の次代を担う愛知県立芸術大学のキャンパスを歩いてきました。
3か月おきのスケッチ会の一環。こんなコースで絵にするところがあるだろうか?の気持ちもありましたが、学生たちの創作現場をナマで拝見し、彼らのこれからに期待と拍手を送りました。
長久手市文化の家では、この日(27日)まで開催されていた「山田彊一と『愛知のアート力』展」へ。山田先生の作品と、若いころからアート仲間でライバルでもあった作家たちの作品が並んでいました。
山田先生は20代から30代、50代・・・現在までの歩みを知る14点を展示。
これまでの作家生活の根底にある「日展など既存の公募団体には負けない」「ライバルたちにも負けまい」「己の人生観を表現する」といった思いで満ちています。
山田先生自身が企画、この秋にニューヨークで開催を予定している『妖怪』展に向けてレディ-・ガガやマリリンモンローを妖怪にした作品からも、そんな意気込みが伝わってきました。
愛知県立芸術大学(愛知芸大)で目にしたのは、わが国の文化遺産を守る使命感の成果です。
それを目の当たりにできるのが、キャンパス内にある法隆寺金堂壁画模写展示館。現在、春季展が開催されており、拝見してきました。
愛知芸大では、日本の貴重な文化を保存するのも芸大の使命である、という片岡珠子らの熱意で模写・復元事業に力を入れ、昭和49年(1974年)から法隆寺の金堂壁画の模写制作に着手しました。
16年もかけたという阿弥陀浄土図や薬師浄土図、釈迦浄土図、そして普賢菩薩象、観音菩薩像などの模写を成し遂げた作品が並んでいます。またこれらの事業で習得した技術を自身の創作活動として生かした伊藤若冲「雪中雄鶏図」なども展示されています。
このほか、高松塚古墳壁画や西大寺十二天像などの模写も手掛けています。
愛知芸大の卒展や名古屋城本丸御殿の襖絵などを見るたびに思うことですが、欧州に比べて遅れているといわれる模写・復元事業の取り組みの大切さを改めて知りました。
キャンパスを歩き、彫刻などに使う岩石や大木、作品の数々に出会い、制作に取り組む学生たちの姿を目にすることもできました。
学生たちに交じって学生食堂で昼食。「ああ、自分もこんなに輝く目をしていたのだ」と半世紀前を思い起こしもしました。
以下の写真は愛知県立芸術大学キャンパスから
「〇〇ちゃん、あのころもすごい字を書いていたのだね」
「僕はいま、高年者大学(名古屋市鯱城学園)で絵を習っているよ」
ファーストネームで呼び合う会話で盛り上がります。
昭和30年(1955年)に、名古屋・中川区の市立戸田小学校を卒業した同窓生たちの作品展。ほぼ同年配という興味もあって、会場の名古屋市民ギャラリーで拝見してきました。5月1日(日)まで。
戸田小学校は、開校が明治5年(1872年)という歴史のある学校。今回の作品展をした生徒は終戦から4年たった昭和24年(1949)に入学、昭和30年に卒業生しました。約80人だったそうです。
今回の作品展は、3年ほど前に約20人が古希を記念して出かけた温泉旅行の宴席で、趣味などの話で盛り上がり「やってみようじゃないか」となったそうです。
「まさに酒の勢いでした。作品は2、3人からしか出ないだろうな、と思っていたのですが・・・」
出品したのは11人。水彩画や手芸、伊勢型紙、写真・・・。干支を描いた年賀、初孫が生まれた15年前に家族みんなを描いたという油絵もあります。
2人の女性からは「5年生の時に書いたのだけど」と習字が出品されました。戸田小一帯は伊勢湾台風の高潮で冠水するなどしたものの、難を逃れた作品だそうです。
ここにも掲載しましたが、それにしても見事な字ですね。
次は喜寿展とか・・・と水を向けると、「そのためには元気でいることですね」。
そうです。お互いに、がんばりましょう。
展示会場も同窓会のようです
動物園を訪ねて、テレビで紹介されるような動物同士が縄張りやメスを巡る激しい争いは見たことはありません。飢える心配はないし、複数の群れをつくる環境でもないので当然ですが、ときおり小競り合いや威嚇を目にすることはあります。
描いた絵はアシカ池での威嚇の場面です。
アシカの池では、しばしば存在感を示すようなオスの大きな鳴き声が響きますが、オスとは違った甲高い声が突然聞こえました。
泳いでいた一頭が水から顔を出し、池中央の岩場に空いた穴に近づいた時でした。
「キエーッ」。
大声と同時に、穴の中から声の主が顔を出し、2度、3度と怒りの声を続けました。「ここは私の穴よ。近づかないでよ」。安眠を妨げられたせいもあるでしょう。えらい剣幕です。
近づいた方は、上半身を大きく左右に振って応じていましたが、再び水中に戻って泳ぎ去りました。
穴からのぞいた顔だけに日差しが当たり、激しい剣幕ぶりが面白くて描きました。
手入れらしいことをせず、品種名すら知ろうとしなかったサボテンが、花を咲かせました。その生命力に驚くとともに、放置状態にしていたことにちょっぴり後ろめたさも感じています。
このサボテンが、もうひとつのサボテンとともにベランダの隅にころがっているのに気付いたのは15年以上前。子どもらが、同居していた時代に自分たちの部屋の窓際に置いていたのかもしれません。
それぞれ、ぐい吞みぐらいの鉢に、干からびたような状態でした。
とりあえず別の鉢に移植、軒下の雨ができるだけあたらないところに置いてありましたが、手入れといえば年に1・2度、液肥を他の草花にやるついでに数滴垂らす程度。水もそばの草花に撒く水が飛び散るぐらいでした。
その後、もうひとつのサボテンは時おり花を見せてくれたものの、こちらは姿・形ともほとんど変化なし。もともとサボテンにはあまり興味がなかったので、そんなものだろうと思っていました。
ところが全く雨や風があたらないガラスケースに移した一昨年あたりから、3本くらいだった親指大の茎?から新しい茎が出始め、このような姿に。数えると大小30本も。うち9本の頭に3月初めごろ赤い粒状のものが出現、それが大きくなってピンクの花が次々開いているのです。
図鑑を見ると、マミラリア属にある品種に似ていますが、品種はものすごく多いそうなのでよくわかりません。いずれにせよ、丈夫で育てやすい種類でしょう。
なにせ、温度や湿度、光の量など、サボテンの管理に必要とされる知識も気配りも乏しい管理者のもとで花を咲かせたのですから。おわびに、鉢をひと回り大きくしてやろうかな。
名古屋・東山植物園の「しゃくなげの森」を歩いてきました。ほぼ満開ですが、まだツボミ状態の遅咲き品種もあり、しばらくは楽しめそうです。
赤、白、ピンク、紫・・・。若木から古木まで150種、940本。ウエディング・ブーケ、ジョイフルデイ、真珠姫、太陽、パープルスプレンダー・・・。バラのようにエレガントな名前がついています。
「シャクナゲは咲いたか バラはまだかいな」
そう思って園内のローズガーデンを覗いてきましたが、つぼみの状態を見るとまだまだのようです。
つぼみのシャクナゲも残っています
バラのつぼみは固く、開花はまだまだのようです
最高気温が20度を超す日が多くなりました。
シロクマにとっては、プールの中で過ごす時間が長くなります。
浮かべたボールや遊具を相手に、抑えて沈めてみたり、持ち上げてみたり。
遊びが飽きたのか、プールを出ると「氷山」を勢いよく駆け上がり、しばらく空を見上げています。
雲の形や動きを見ているのでしょうか。
父母や兄妹のことに思いをはせているのでしょうか。
それとも、風の匂いをかいでいるのかな。
「ことしも暑くなりそうだな・・・」
名古屋の松坂屋美術館で、第71回春の院展が開かれています。会期は4月24日(日)まで。
同人と受賞作、地元作家の入選作などを展示。初日には同人代表理事である田渕俊夫さんによるギャラリートークがあり、カルチャーセンターで絵画を学ぶ僕らにとっても得るものが少なくありませんでした。
田渕さんはギャラリートークで今回展の入選者330人のうち、自身が教鞭をとったことのある愛知県立芸術大学(愛知芸大)の卒業生らが51人もいることを紹介。「愛知芸大はこれからの日本画を背負っていく立場にある。期待しています」と話し「新しい感覚で描かれた作品が多く、同人たちもそれに刺激を受けて一生懸命に描くので、作品がどんどん良くなっていく」と続けました。
展示コーナーを回りながら、地元作家の作品を中心に作家本人の狙いや思いに耳を傾けながら講評。
100歳になった母が手編みをする姿を描いた作品には「生きざまが良く表現されている」と評価。これに対する女性作家の「昨年も描き、これが最後かなと思っていたのに重い病からも立ち直り、一層元気になった様子を描きました」との言葉には、周りの聴衆からも拍手が送られていました。
「補色を使って見事に表現している」
「もうひと工夫が欲しかった」
「次々に新しい題材に挑戦するのはいいことだが、ひとつのテーマと取り組むことも大切。ただし、同じようなものを何度も描けばいいわけではなく、突き詰めることです」
写真の活用についても話しました。
「時間が限られた海外旅行などでは、撮ってきた写真をもとに描くことが多いでしょう。でも、絵を描くことで大切なのは、現場で目にした瞬間に感じたこと、これを描こうと思ったことを描ききることです」
「そのために少しの時間でもスケッチをする。写真に頼ってばかりではいけない。自分もカメラを持たずに出かけたこともあります」
写真を手に余計なものを描きこんでみたり、感動が薄れた創作を繰り返す自分には、改めて反省と勉強になりました。
この絵の寝姿は「優等生」ですが・・・
真昼の動物園を訪れると、カバのように寝姿だけしか見ることができずに家路につく動物が少なくありません。数多くいるカンガルーの庭でもほとんどが横座りしたままや、お昼寝中が少なくありません。
一頭の寝姿を描いてみました。
それにしても、カンガルーの寝姿の恰好はすごいですね。
仰向け、横向き、うつ伏せ・・・。そこに足や手の格好が加わって、両手を突き上げて手のひらを合わせたり、頭にやったり、広げたり。
仰向けになって両手両足を開き、すべてをさらけ出して「どうだ」と言わんばかりの姿も。
その点、この絵にしたカンガルー君の寝姿は、優等生で面白くないかもしれません。
穴の中や樹上、水面、岩陰などではなく、なんら防壁のないところで、これほどまでに無防備な姿で寝ることができるのは、彼らの生息地・オーストラリアには外敵がほとんどおらず、仲間同士でキックボクシングはしても殺し合いはないからでしょう。
園舎を囲む客からは、カンガルーのそんな様子にいつも笑いが聞こえます。
でも、よく見るとカンガルーって、寝ているときの姿だけでなく、起きているときもヒトにそっくりですね。おっさんスタイル、おばはんスタイル・・・。
描いた寝姿とは違う写真も何枚か掲載しました。
神社の境内では、狛犬だけでなく牛や馬、狐などの像に出会います。
ここにあるのは猿の像。「狛猿」というわけです。
見事に苔むした2体の像のうち、ひとつは赤ちゃんを抱っこする母子猿、もうひとつは父親というわけでしょうか。
なかなかユニーク。迫力さえ感じる一方で、優しさを感じます。
今年は申年とあって、正月には観光バスもやってきたそうです。
この神社は、三重県いなべ市藤原町坂本松原という地名の山間にある鳴谷神社(なるたにじんじゃ)。近くの町に所用で出かけて紹介され、立ち寄ってきました。
神社によると、鳴谷神社は比叡山延暦寺を開山した最澄(767~822年)が、鈴鹿山脈の藤原岳山麓に建立した聖寶寺(しょうぼうじ)の守護神として設けた21社のひとつ。
その後、長島一揆の余波で焼失、そして再建。所属宗派が変更、神社名も変わり、地域を流れる鳴谷川にちなんで鳴谷神社と命名されましたが、地元では「山王さん」の愛称で親しまれています。
神社の象徴であり、守護神にしているのは「魔が去る」「勝る」からだとか。もちろん、像の足元に3匹の猿が彫られているように「見ざる」「聞かざる「言わざる」もあります。
さらに、恨みや怒りなどを「思わざる」の意味も込められているそうです。
ネットにも掲載されるなどした結果、旅行会社も目をつけて、今年の正月には観光バスもやってきたといい、駐車場もできています。
とはいえ、山間の小さな神社。僕のカーナビでは古いせいか見つけることができず、地元の人たちに訪ね歩いてたどり着きました。
お出かけになるなら、事前に地図で確認しておいた方が懸命だと思います。
所用で三重県亀山市に出かけ、立ち寄った亀山城のサクラを描きました。数奇な歴史を秘めた地方の城の春には、前回描いた華やかな名古屋城とは違う懐かしい趣を感じます。
亀山城(伊勢亀山城)は広重の浮世絵・東海道五十三次に描かれた「亀山雪晴」で知られていますが、古くから交通の要衝にあるため何度か戦場になって藩主が交代、上洛する徳川家康らの休泊所になったこともありました。
江戸初期には幕府から伝達された丹波亀山城(京都府)の天守解体指示が、間違って伊勢亀山城に対するものとされ、天守解体の憂き目にもあったそうです。
明治政府の廃城令でほとんどが取り壊され、石垣などとともに残った多門櫓が全国に現存する数少ない多門櫓のひとつとして、三重県の史跡に指定。台風や2007年の三重県中部地震で一部が崩落するなどしましたが修復され、その際に板壁が江戸時代のように漆喰壁になりました。
この地方のサクラも赤みが増し、平野部のほとんどは「散り始め」や「落下盛ん」の状態に。急いで絵にしなければと、6号サイズで一気に描きあげました。
名古屋のサクラのシーズンも、そろそろフィナーレ。今年は花の期間が長かったので、例年以上に楽しめました。
でも、僕にとって絵にした場合、一番落差が大きい題材のようです。
かといって、逃げたくないので例年通り1、2枚は描いてみるつもりで、1枚目が名古屋城の堀端の石垣を覆うようにして咲く様子です。やや逆光のサクラと、隙間から伸びる草や苔むした石垣を描きました。
結局、今年も圧倒的なサクラの力に弾き飛ばされた感じです。でも、混色しだり、スポンジなどいろんな手を使って描くことを楽しめました。
≪祖父江正子さんの作品≫
≪中島順子さんの作品≫
仕事を通して知り合い、互いに絵を描くことで余生を楽しんでいる女性2人が初めて企画した「最初の1歩! 150歳展」と題する展覧会が、名古屋・栄の名古屋市民ギャラリーで開かれています。
80歳の祖父江正子さんと70歳の中島順子さん。10歳の年齢差はありますが、「これからも2年おきぐらいに開き、2歩・3歩と歩んでいきます」という2人の意気込みに拍手したいと思います。10日(日)まで。
7年前にご主人を亡くした祖父江さん。「いつまでも気落ちしてはおれない」と、絵を趣味にし始めていた4年前の春、長野県諏訪市の原田泰治美術館で、当時108歳だった新潟県出身の画家・後藤はつのさんが描く100号の作品を目にして釘づけになりました。
「後藤さんは73歳の手習いから絵の世界に入られた。私も長生きして後藤さんのような絵が描けるようになろう」と思い立ったそうです。
こんな祖父江さんの姿勢に中島さんも感動、祖父江さんが学ぶ水彩画の先生の指導で絵描きをスタートさせました。やがて中島さんは長野県に転居しましたが、絵の交流を続けるうち「思い切って、やりましょうよ」と踏み切ったのが、今回の展覧会の開催です。
展示されているのは4~8号サイズの作品約30点。風景画・花・果実・・・。作品からは「描きたいものを描こう」と筆を走らせた楽しさが伝わってきます。
「現在112歳になられた後藤さんにお会いしたり、日野原重明さんのお話をうかがって力を頂いています。長生きして描き続けます」と祖父江さん。今回の展覧会にも、112歳の後藤さんの写真と祖父江さんが後藤さんを可愛らしく描いた絵を展示しています。
「こんなにうれしい展覧会ができるなんて、夢のようです。祖父江さんとの目標ができました」と中島さん。期待しています。
僕たち水彩画仲間もグループ展「第9回風の游子展」を5月31日から6月5日まで、同じ名古屋市民ギャラリーで開く予定で準備しています。こちらは6人なので、祖父江・中島さんの150歳展にならえば、450歳展ということになります。いずれ、ブログでもご案内しますので、よろしくお願いします。
名古屋の都心へ出たついでに、花見どころとしても定番中の定番である名古屋城へ3日午前中に立ち寄ってきました。
全国に先駆けて3月19日に開花宣言が出た名古屋のサクラは、ちょうど満開。途中の冷え込みもあって、花の期間を長く楽しめています。
かつては職場の仲間たちと夜桜の宴などを楽しんだ名古屋城ですが、サクラの満開時に来たのは久しぶり。
3日も朝から大勢の市民や外国人客がつめかけ、門にある観覧券売り場には長蛇の列が。堀の外まで列が伸びているのを見たのは初めてです。
石垣を覆うサクラ。松の枝を包むようにして咲くサクラ。中でも、お堀端のサクラには、目にした花見客のあちこちから「すごい」の言葉が飛び交い、僕にとっても「今年の花見のハイライト」でした。
カラスに向かって「カアー」と鳴くイワトビペンギンを描きました
このイワトビペンが鳴いたのです
ペンギンって、どんな声で鳴くのかご存知ですか。
僕は先日、初めて聞きました。これまで聞き流していた可能性もありますが・・・。
名古屋の東山動物園は植物園が併設されているので、自然林を含めて緑がいっぱい。だから、空を自由に飛び回る鳥もたくさんいます。
一番目につくのはカラスでしょう。動物たちの食事中に、ちゃっかりお相伴させてもらっているカラスがいます。子ゾウのさくらちゃんが水浴びをする水たまりでも「カラスの行水」をよく見かけます。
先日、ペンギン舎を訪れた時でした。
70mほど離れた雑木林の方から、いつも以上に大きな声でカラスの合唱が聞こえてきます。
その時、岩場にいた一羽の頭に飾り羽が特徴のイワトビペンギンが、林の方に向かって大きな声を上げたのです。
「カアー」
なに、これ。再び雑木林からカラスが鳴く声が聞こえると、応えるように声を張り上げました。
「カアー」
カラスよりもひと回り大きな体。胸から息を一気に吐き出すような高くて鋭く太い声は、カラスたちに届いたことは間違いないでしょう。しばらく、カラスの声が止まったようですから。
でも、1度にひと声だけで、カラスのように続けて何度も鳴きはしませんでした。カラスの声が小さいとその方向を見ているだけです。
カメラの位置を変えて構えた直後、カラスの大きな声が聞こえてきました。すかさず、ペンギンが返しました。10分間ほどその繰り返しが続き、ペンギンが声を張り上げる様子を描いたのがこの絵です。
ペンギン舎にはイワトビペンギンだけでなく、コウテイペンギン、フンボルトペンギンの計3種のペンギンが多数いますが、もう1羽が時おり同じような声で加わっただけで、残りは知らんふりでした。
鳴き声を描けないのは残念です。
ネットにも北海道旭川市の旭山動物園のペンギンたちをはじめ、いろんな鳴き声の録音が紹介されています。その中には、東山動物園のペンギンと似た声もありましたが、僕の聞いたイワトビペンギンの声はどれよりも大きく高かった気がします。
種類によって違いがあり、同じ種類の中でもさまざま。もちろん、成鳥とヒナでは全く違うようです。ひと声だけでなく連続して鳴いているのもいます。
僕が聞いたイワトビペンギンだって、いつも同じではないでしょう。動物にとって声は最も大事なコミュニケーション手段ですから。
何千、何万もいる営巣地で、海から揚がってきた親鳥が迷わずに子どものところへたどり着ける訳が分かった気がします。
また、この日のイワトビペンギンの声を文字で表現する場合、「カアー」なのか「カー」、あるいは「クワー」なのか、自信はありません。でも、僕には「カアー」と聞こえました。
僕はカラスの鳴き声にペンギンが「うるさい。静かにしろ」と一喝しているように思いましたが、ペンギンがカラスの真似をしていたのかもしれません。
あるいは、自分の声の自慢をしてみたり、種類の違う動物仲間とのコミュニケーションを試みていたのかも・・・。
「何をバカなことを、くどくど言っているのだ」と笑われそうですが、だから動物園に出かけること、動物を描くことが楽しいのです。
動物園内の木立にとまるカラス
シマウマ舎にもカラスの姿が
アジアゾウのさくらちゃんの水浴び場でも「カラスの行水」です