名古屋・名城公園の「藤の回廊」の様子を昨日掲載しましたが、もう一つ、この時期の同公園の売り物であるツツジに登場してもらいます。
名城公園のツツジは、池の周りを中心にランニングコースや散策道の至るところにあり、一体どのくらい植えられているのか見当もつきません。赤、白、ピンク、赤紫・・・。まさに競演です。
藤と同様、まだ蕾のままの木が多く、大型連休も花数が増え続けることでしょう。
ヤマブキも散策道を彩っています
名古屋・名城公園の「藤の回廊」の様子を昨日掲載しましたが、もう一つ、この時期の同公園の売り物であるツツジに登場してもらいます。
名城公園のツツジは、池の周りを中心にランニングコースや散策道の至るところにあり、一体どのくらい植えられているのか見当もつきません。赤、白、ピンク、赤紫・・・。まさに競演です。
藤と同様、まだ蕾のままの木が多く、大型連休も花数が増え続けることでしょう。
ヤマブキも散策道を彩っています
名古屋城に隣接する名城公園の「藤の回廊」へ。回廊を部分的に歩いたことはありますが、全てを回ったのは初めてで、規模の大きさを実感しました。
藤の回廊は全長660㍍。9品種85株の藤棚が続いています。
時期的に少し早く、見ごろはこれからといったところ。それでも早咲き種を中心に棚から下がる三尺藤など赤紫、青紫、白などの花房が名古屋城の堀を渡る風に揺らぐ藤見物を満喫できました。
都心の再開発地。名古屋駅周辺でも、しばしばこんな風景を目にします。古いビルが取り壊され、そのあとに突然現れた古い隣家の壁。思わず足が止まります。
トタンやモルタルなどの朽ちた壁。剥がれた塗装。真っ赤な錆や黒いシミ、穴。ちぎれ落ちたり、ゆがんだり。
夕涼みや物干し場であるベランダ。トイレやふろ場の窓。配管や電線、傾いた柱もすべてむき出しです。
歳月が経過するにつれて、どんな製品でも腐食や摩耗などによって変わっていくことを経年変化とか経年劣化といいますが、現場にたたずんでいると地域や人々の歴史や暮らしが思い起こされます。
この風景は誰かが意図して造ったものではない、まさに歳月が生み出した「経年アート」といえますね。
500円硬貨の図柄にも使われているほど身近な存在なのに、意外と知られていない花と言えば?
そう、桐の花です。名古屋の徳源寺(東区新出来1丁目)という古刹で見てきました。
徳川園にほど近い徳源寺の境内にある桐は2本。いずれも、幹の太さは子どもだと2人の両手でやっと抱けるぐらい。10㍍以上はありそうな高さで、境内を覆うように広がり、釣り鐘状の花をびっしり付けた房が強い芳香を放って咲いています。
桐は成長が早く、軽くて湿気を吸収しないので下駄やタンスなどの家具材として重宝され、かつては女子が生まれた家庭では桐を1本植えて結婚に備えたものでした。
僕が子どもころ育った家の畑にも1本あり、祖母が「○○子(僕の妹)が嫁に行く時は、下駄もタンスもこれで大丈夫」と話していたのを思い出します。
同様の記憶を持つ人たちでしょう。境内には桐の花をカメラに収める同年配の女性や夫婦連れの姿があり、毎年のように見に来ているという人たちも少なくなく、ちょっと気になる話を聞かせてくれました。
「去年より花の房が小さい」「毎年来ているけど、昔はもっと大きな房が木の全体にあった」「以前、台風にやられてからよくない。早く元気になって欲しいですね」
週替わりで主役が替わる街路樹の花。サクラ、シデコブシに次いでハナミズキに替わりました。
ハナミズキを「区の木」にしている名古屋市昭和区に出掛けると、満開のハナミズキの白やピンクの通りが迎えてくれました。
昭和区の花がハナミズキになったのは1989年(平成元年)。
区のホームページによれば、この年迎えた名古屋市制100周年記念事業として区の木と花の選定にあたり、区民の投票で区の木にはハナミズキがヒマラヤスギやヤマモモを抑えて選ばれました。
ちなみに区の花にはハナショウブが選ばれています。
街中の通りの何本かの街路樹もハナミズキになっており、今回は区役所に近い塩付通や桜花学園高校南側の通りを歩いてみました。
桜花学園高の通りは、以前は校名の通り桜並木でしたが、玄関周辺の数本以外はハナミズキ並木になったそうです。
通りだけでなく民家の庭のハナミズキも満開。チューリップや芽が吹きだしたイチョウなどとともに、春爛漫の装いでした。
トキワマンサク
広々とした都市公園に出掛けると、何度も訪れているのに初めて存在を知る花木が結構あります。名古屋・鶴舞公園にある名古屋市緑化センターの庭で、新しい2つの花木に出会いました。
「トキワマンサク」と「リキュウバイ(ウメザキウツギ)」。いずれも名前は見聞したことがありますが、花を目にしたのは初めてです。
トキワマンサクは常緑低木樹。マンサク科の中で、1種だけでトキワマンサク属を名乗っているそうです。国内での自生地は少なく、絶滅危惧種に指定されています。
遠くから見た時は「きれいな若葉の木があるな」と思いながら近づき、その正体が淡い黄緑色で短冊型のリボンのような小さな花弁の集まりだと気づきました。
マンサクといえば早春に「まず咲くことから名付けられた」とよく聞きますが、トキワマンサクの開花期は4月下旬から5月初めにかけて。 トキワマンサクの変種として「ベニバナトキワマンサク」というピンク色の花を咲かせる花が園芸ファンの中で人気のようです。
もう一つのリキュウバイも、最初は遅咲き桜だろうと思って近づき、見上げました。
中国原産の落葉低木樹。サクラと同じバラ科で、5弁の白い花は清楚な感じです。日本には明治末期に渡来。茶席の茶花として用いられたことで、千利休に因んだ名前が付けられたようです。
リキュウバイ
名古屋城北側の名城公園を訪れると、建設中だった新しい複合施設がほぼ完成、ゴールデンウイーク前の4月27日(木)オープンに向けて仕上げの作業が進んでいました。
この施設は名古屋市が都市公園を魅力あるものにと、民間企業から募って進めている事業のひとつ。
園内でランニングを楽しむ人らのためのシャワーやロッカーなどを備えたランニングステーションのほか、カフェやレストランも設けられます。
施設の名称は「tonarino(トナリノ)」。
名古屋城の隣にある施設だとか、住まいや職場の隣の人ら誰とでも訪れてください、いうことでしょうか。
ランニングは苦手な僕ですが、ウオーキングの真似事として、時おり名城公園にも訪れて花木や庭園を見ながらの歩きを楽しんでいます。
そのたびに、現在あるフラワープラザの他にもお茶や軽食でひと息つけるところがあれば、と思っていただけに、訪れる楽しみが増えました。
いずれも名古屋市農業センターで
桜が散り、バラの開花を待つ名古屋の都市公園の今の主役は――。チューリップやスイセン、ツツジなど数ある中で、ひと際目を引くボケも主役の資格十分でしょう。
中国原産の低木落葉樹で、サクラやウメ、リンゴなど同じバラ科の仲間。日本へは平安初期に渡来、愛好家らによって新しい品種が生み出され、現在ではさまざまな色や一重、八重など200種以上も。
バラ科といっても棘には縁のない仲間が多い中で、ボケはハマナスなどと同様に枝には鋭い棘がいっぱい。だから垣根として植えられることも。ただ、これも品種改良などで棘のないのもあるそうです。
ボケは漢字では木瓜と表記されますが、小さな実が瓜の形に似ているので「木瓜(もけ)」と呼ばれていたのが転訛したようです。
俳句歳時記を開くと、深紅色のものを「緋木瓜」、白色のものを「白木瓜」、紅白雑色のものを「更紗木瓜」というとか。「更紗」なんて、ちょっといい感じですね。
わが家の庭にもボケがありますが、棘のある品種。
これまで庭いじりをしていて何度も刺されたので、とうとう数年前から花の終った後に伸びないように上部を切り取り、低い背丈の花を楽しんでいます。
こちらは、我が家の庭のです
名古屋・東山植物園の「しゃくなげの森」を見てきました。気温の上昇とともに花数もどんどん増えているようです。
早咲きから遅咲きまで、若木から古木まで約150種、950本あるといわれ、赤、白、ピンク、さらにオレンジや紫色とりどり。ソメイヨシノの花びらが舞う下で、新しいスターらしく華やかに美を競い合っています。
名古屋市内を南北に縦断する堀川運河に架かる五条橋の一隅を描きました。
「五条橋って京都じゃないの?童謡『牛若丸』の歌詞にも『京の五条の橋の上』ってあるでしょ」。
こんな声が聞こえそうですが、名古屋市民にとっては、堀川運河にある33の橋(上流の黒川の部分をあわせれば57橋)の中で、五条橋はその歴史とともに知名度の高い橋のひとつなのです。
名古屋の五条橋は1610年代、徳川家康の命で現在の清須市にあった清洲城が、現在の名古屋城として移転・築城(清洲越し)した際、清洲城下の五条天神川にあった五条橋も、これまた家康の命で開削・建設した堀川運河へそっくり架け替えたと言われています。
1938年(昭和13年)、木製だった橋は現在のコンクリート橋に改修されましたが、欄干や擬宝珠など、かつての形を残しており、名古屋市の都市景観重要建造物に指定。清洲時代の擬宝珠(ぎぼし)は名古屋城に展示されているそうです。
絵にしたのはレンガ造りの橋台と、川面に影を映す橋脚の風景。橋台のレンガ壁は橋がコンクリート化されるより前の明治年間の改修で築かれ、歳月の経過を感じる色合いも出てきました。
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100号の水彩画。「日本のモン・サン・ミシェルにしたくて、桜も入れました」と、会長
の服部さん
「絵を描くのに、年齢は関係ない。いつかはパリ画壇で知られる画家に」
こんな夢を抱く名古屋の絵画グループ「ムーランルージュ会」の絵画展を、名古屋市博物館ギャラリーで見てきました。展覧会は16日(日)まで。
展覧会のタイトルも、印象的な「第1回なごや赤い風車展」。
赤い風車は、パリのモンマルトルに1890年ごろからあるキャバレー「ムーランルージュ」(仏語で赤い風車)に掲げられ、ピカソやモジリアーニ、ユトリロ、ドガ、ルノアール、ロートレック、マチスら芸術家集団が腕を磨いた街・モンマルトルのシンボルとして親しまれています。
「私は現在、古希(70)ですが、絵にトシは関係ない。夢も大きいほどいいですから」と、名古屋のムーランルージュの会を率いる西区在住の服部栄蔵さん。
「床屋が稼業。それに病身だけど子どものころから好きだった絵を描いてみたい、と50代になって武蔵野美術大学の通信教育課程に。1日おきの人工透析を受けながらスクーリングにも通いました。半分の2年間しかできませんでしたが、絵を手放すことはなかったです」
「今も人工透析、それに少しですが床屋も続けています。でも、頭の中は絵のことでいっぱいです」と服部さん。
歌手の八代亜紀が何度も入選したことで知られる、フランスのル・サロン展にも4回入選。アンデパンダン展にも出品するまでになったそうです。
展覧会は武蔵野美大通信教育時代の友人や、名古屋で夢見る仲間に呼びかけて企画。会場には18人の油彩、水彩、アクリル、日本画など大小約60点が展示されています。
※掲載した作品の写真の一部に、室内照明が入るなどしています。申し訳ありません。
まだまだ桜は続きます。ソメイヨシノよりひと足遅れて、今度はシダレザクラ。
豊田市郊外へドライブ、徳川家康の始祖である松平家の菩提寺「高月院(こうげついん)」=豊田市松平町=の境内で見てきました。
市教委の説明書きによると、高月院は1367年(貞治6年)の創建。1602年(慶長7年)家康から100石を下賜され、現在は境内が国指定史跡{松平家遺跡}に。散策道の途中には国指定文化財の松平東照宮もあります。
豊田市の中心から東に10キロほど。カーブが繰り返し続く山間にありますが、近年は近くに東海環状自動車道の豊田松平ICができて観光客も増えているようです。
今回のお目当てのシダレザクラは境内の本堂の前にあって、根回り4㍍、胸回り1・7㍍、樹高8㍍。市の名木に指定、そばに「元信君(徳川家康公)御手植」との立て札があります。
根元近くで大きな幹が二股になって大きく広がり、境内がさほど広くないせいもあってか、シダレザクラが一層大きく見えてなかなかの壮観。参道の周りは満開のソメイヨシノが盛り立てていました。
名古屋市農業センターの小さな桜トンネル
名古屋の桜も、そろそろフィナーレ。名古屋市農業センターの桜㊤と、郊外の空き地に咲く桜㊦を描きました。
枝垂れ梅で知られる名古屋市農業センターには、桜も若木から古木まで結構あります。
絵にしたのは本館裏で咲く桜。家畜舎などから離れており、ここを訪れる入園者は多くないようですが、緩い坂になっている小さくて短い桜トンネルです。
2枚目は、農業センターからさほど離れていない泰増寺という寺に向かって歩く道端の小さな畑を鋏んだ空き地で見つけました。比較的大きな古木があり、枝が左右に大きく広がっています。
名古屋郊外の空き地で見かけた桜
名古屋の桜も満開へ。そこで1枚、絵にしました。
先に掲載した名古屋のスケッチグループ「かこう会」の作品展を、名古屋市博物館ギャラリーで見た帰りに、近くのさくら名所100選のひとつ、山崎川堤防に立ち寄ってきました。
桜のシーズンには例年、この山崎川を含めて何カ所か出かけます。でも、花を描くのは苦手なのと、描こうとした時にはシーズンが終わってしまい、作品にしたのは数枚しかありません。
しかし、この日は「かこう会」の気軽なスケッチ画に刺激され、意欲十分。堤防の石段が花見客であふれ、腰を下ろすことができないのでスケッチは諦めましたが、 帰宅後、一気に10号に描き上げました。
山崎川の桜は2・8キロの堤防の両岸に約600本あり、鯉が泳ぐ川を包み込むように咲き誇ります。古木の枝は川面に届かんばかり。川面から頭を出した小さな洲に咲いていた数本の菜の花も加えました。
画材も画法も自由。教室ではないので先生もいない。とにかくスケッチに出かけ、お絵描きを楽しもう――。
ユニークなモットーで、名古屋の絵仲間ではちょっと知られた「かこう会」の作品展が、名古屋市博物館ギャラリー(瑞穂区瑞穂通)で開かれています。9日(日)まで。
会の歴史は結構古く、50年以上も前の1965年の発足。2月から12月までの第3日曜日を基本に、バスで東海地方を中心にスケッチ旅行(雨天決、行)。入会金1000円、年会費6000円。旅費(3000円前後)は自己負担――などとなっているようですが、詳細はネットに掲載されています。
現在の会員は約80人。先生はいませんが、中には絵画教室を開いているメンバーもいます。自分も気ままに描く時間を楽しみたい、ということでしょう。
またスケッチ会の企画や郵便などでの連絡、バスの手配、スケッチ先の安全確認を兼ねた下見などをするために、会長を中心に数人のスタッフがいます。
会長の法月俊雄さんは言います。
「私が開いている教室でもそうですが、何を描くか、どう描くかなんて言いません。楽しんで描く場を用意するだけ。うまく描こうとか、言われたから描かねばと苦しんで描いても、いい作品はできっこないですから」
さらに付け加えました。
「ただ、地元の人を"先生"にしてください。話しかけて、その建物、山や川、風習や暮らしなどに耳を傾ける。モチーフに愛着が沸き、スケッチが楽しくなり、絵も一段と良くなりますから」
博物館ギャラリーの2部屋を使い、6号サイズを中心に水彩、油彩、ペン、パステル画など約140点が並ぶ会場を一巡して納得しました。絵を始めたばかりでも気後れしないで描いた絵、夫婦でスケッチを楽しんだ作品もあります。
公募展会場などのような緊張感はなく、開放感があると言ったらいいでしょうか。作者自身のコメントにも目を通しつつ、そう感じました。
「この景色が夕方になったら、と想像して描いてみました」と、夕日に染まる風景画にした作品。楽しかったでしょうね。
工場の建物が並ぶ風景を、どの角度から描こうか考えた結果「全部描いちゃお・・・」と、4枚を1つの額に収めた作品も。
法月さんの評は――。「いいですね。次へのステップにもなるでしょう」