さぁ、いよいよ入り口が見えて来ました。 琉球石灰岩の崖に手掘りで掘った壕です。 と言っても当時はみんな手堀です。 かつては沢山の人がいて、こんな「ジャングルの中の洞窟」じゃなく、施設って感じの雰囲気だったんでしょうね。
当時この壕を掘るのに手伝わされたと言う方も多数健在で、全員ではないかも知れませんが賃金を貰っていたと言う証言もあるそうです。 観音寺部隊が使っていたそうで、護部隊壕と言われてたようです。
では入ります。
最初真っ直ぐ歩いていくと左に曲がる角に来ました。 良く見ると焚き火のような跡とビンがあります。 曲がり角なので明かりを付けていたのか最近の物なのかは分かりませんが、ビンは当時の物ですね。
曲がると直ぐに岩が沢山。 この時は落盤したのかと思って怖かったんですが、後から調べたら牛が奥に入らないように詰まれた物だそうです。 以前この辺りはちゃんとした牛の水のみ場等もあり(今も跡が残ってる)、その牛とは別物だと思いますが、オイラが石垣に来て間もない頃に通った時は水牛を見た覚えがあります。
つづく
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