『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

やさいの時間

2018-11-30 04:11:00 | ガーデニング
きょうは
国試の合否通知日である。

果たして、
仕事から帰ってきて
郵便箱内の封書は
重いか軽いか・・・。

諸手続き書類の入った
合格通知は
たいがい重いもんと
決まっている。

過去、
教員採用試験をはじめ、
結果だけ記された
紙切れ一枚の
軽い通知を何度か受け取った。

なので、
開けるまでもなく
重さで察せられる。

さてさて、
半と出るか
丁と出るか・・・。

。゚(|||´Д`|||)゚。 ドキドキ   

不安と期待が
ない交ぜになったような
心境である。

でも、
やるだけはやって臨んだので、
現実を受け容れるだけである。

駄目だった時は、
もう1回だけ受験しようと
腹は括っている。

二年間の
受験勉強はけっこう
楽しめたし、
それで得れた体系的知識は
無駄ではなかった。





茶室用の
ダミー障子窓の
枠作りをしている。

木材はダイソーのもので、
古楽器製作用の木工ボンドと
ハタガネという治具で
接着させた。

これから
ここに障子紙を貼る。





三十年来視てきた
『笑点』と
『サンデーモーニング』の
視聴をやめた。

どちらもマンネリで
時間の無駄に感じたからである。

その代わり、
今はEテレの
『やさいの時間』なぞを視て、
ガーデニングの勉強をしている。

春菊、エンドウ、レタスを
裏庭に栽培している。

室内では、
トレビス、クレソン、
パクチーを種から
栽培している。

自給自足は無理としても、
ちょいとプランターから
葉物野菜やハーブを摘んで
夕餉の菜の足しにする
というスローライフを
実行し始めたところである。




去年、下りの階段で
つまづいて、
大事な愛用の
信楽カップを割った。

ソーサーだけが
無傷だったので、
ピアノの上に
飾ってやった。

緋色が佳く出た
作家物だっただけに
失ったのが残念でならない。

片割れの相方を見ながら
モーツァルトの
ピアノ・ソナタK.545の第二楽章を
シミジミと弾いている。




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モスる

2018-11-26 07:56:00 | ガーデニング
買出し散歩の出で立ちが
たまたま緑のセーターに
緑のズックだった。

そしたら、
すぐに道端のコケに
目が行くので、
(この緑のモフモフ感が
好きなんだなぁ・・・)
と独りごちた。

庭石や
灯篭まわりも
少しずつ茶庭らしく
京の風情が出てきた。

コケの生息地を探索するのを
「ロケハン」に倣って
「コケハン」と称し、
ハンティング(採集)するのも
「コケハン」と言ってたが、
最近では更に略して
「モスる」と言っている。

なんだか、
「モスバに行く」みたいな
動詞だが・・・
短くて気に入っている。

「どーれ。
暇やし、ひとまわり、
モスってくっか・・・」(笑)





ハーブや野菜作りと共に
本格的にガーデニングに
のめり込もうと思って、
関連番組やサイトを見る機会が増えた。

散歩途中で
ヘビイチゴが可憐な実を
つけていたが、
その名前がワルイのが
なんとも気の毒に思えた。

ウィキに拠れば、
ヘビが食べるから、
ヘビがいそうな所に生育するから、
これを食べに来る小動物をヘビが狙うから、
など諸説がある。

毒があるという俗説から
ドクイチゴとも呼ばれるが、
実際は無毒で、味はよくないらしい。

学名は「Potentilla hebiichigo」
だそうなので、
冠の「ポテンティッラ」と
今後は呼ぶことにしよっと。




近所なので、
一日一回は
我が家の図書館代わりに
ツタヤ詣でをしているが、
散歩リュックを背負ったまま
久しぶりにエクセルで
「50円割引券」を使って
エスプレッソを喫してきた。

純粋に散歩だけだと
三日と続かないので、
あっちこっち彷徨しながら
小川のゴミみたいに
方々に引っ掛かりながら
流れて行くのが
性に合っているようだ。

かつては
郊外のド田舎だった我が家辺りも
今ではミナフク・エリア(南福島)として
外食産業が13軒もある
繁華街になった。

とりあえず
ない店はないほど、
なんでもある。

散歩のたびごとに
近所の氏神様には拝礼して
ひとつお願い事をしていく。

きのうは、
カミさんが風邪で寝込んでたので、
「早く治りますように・・・」
とお願いしてきた。




「やまや」も
散歩コースに入っているので、
来月の誕プレの
ラスト・アイテムとして
蒐集していた最後の
フォーティファイド・ワインの
「マルサラ 2012」(ドルチェ)を
買って帰った。

これで、
シェリー、ポルト、マデラ、
マルサラ、マラガの
ディジェスティフ(食後酒)用
デザート・ワインをコンプリートした。

酒精強化酒なので
エイジングできるから
ゆっくり成長を見るのも面白い。

シチリア産6年物のマルサラは、
なんと軽いことか・・・。
とても18%の度数とは
信じがたかった。

ヤフオクで
400円で落札したマラガよりも
遥かにライト・テイストなので、
やはりあっちの方が
ノンヴンテージながら
古いことが明らかだった。

エチケット(ラベル)には、
オーク樽で30ケ月以上熟成させたとある。
2年以上の熟成品を
「スペリオーレ」
とするようだ。

とはいえ、
さすがにテイスティングでは
樽香までは聞けなかったが、
アフターフレーバーには
シェリーのようなフロール感があった。

他にも、
ナッツ香やレーズン香、
仄かなスパイス香、
バニラ香なぞも聞き取れた。

「香り」は香道では
「聞香」(もんこう/ぶんこう)
といって古来、
「聞く」という 。

マルサラは、
ティラミスにエスプレッソと共に
使用されるので、
近々創ってみたい。



在京中の30歳の頃は、
「世界三大貴腐ワイン」を
テイスティングしたことがあった。

シャトー・ディケム(フランス)、
トカイ・アスー・エッセンシア(ハンガリー)、
トロッケン・ベーレン・アウスレーゼ(ドイツ)の
三品である。

その歴史的な
ヨーロピアン・テイストは
まさしく「飲む宝石」であり、
「高貴な甘露」とはこの事也、
と感動したのを覚えている。

蜂蜜レモン+焼酎では
この味は出ないなぁ・・・と、
馬鹿げたことも思ったっけ(笑)。








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庭師、干し葡萄酒を飲む

2018-11-05 07:28:00 | ガーデニング
昨晩は
珍しくカミさんが
「アタマ痛い」
と言って、
早々と8時頃に
休んでしまった。

それでも、
今朝は颯爽と出勤していったが。

自分も、
金曜あたりから
軽い胃炎を伴うダルさがあり、
土日と朝寝、昼寝と
なんぼでも寝れた。

今朝も、
すこーし背中を曲げると
痛みがある。

あの丈夫一式の
カミさんでさえ
プチ風邪気味なのだから、
虚弱ジジイの自分が
具合がワルクて
不思議であろうはずもない。

きのうは
寝ていながらも、
ディルとセルフィーユ(香草)が
フレンチで使い過ぎて
葉っぱがなくなってきたので、
園芸店に買いに行かないと・・・と、
妙に気が焦るので
仕方なくダルさに鞭うって
ヨッコラショと起き上がった。

シンドイ時でも
ゆっくり寝てられないのは
やっぱし何処か
貧乏性なんだろう。

園芸店から
貴重なハーブが
品切れになるのが
イヤなのである。

ディルとセルフィーユは
フレンチに必須のものなので、
いつでもポットから
摘み取れる状態に
しておきたいのだ。




地道なモスハン
(モンハンじゃなく)、
苔貼りで、徐々に
緑の面積が広がってきた。

灯篭や蹲(つくばい)、
庭石の周辺には
京都の茶庭の風情が
出てきた。

これを保つのには
朝晩水遣りをするという管理は
けっこう大変だが、
そこは「美」のメンテと考えて
初雪の積もった美しさなぞを
想像しながら庭師然として
やっている。

そう。
「ガーディナー」
「庭師」
としてのペルソナを生きる
というのも、
晩年のレイヤーとして
相応しいように思えた。

やはり、
人は土から出でて
土に戻るんだ。





三本目のアスパラも
芽生えてきた。

こやつは、先の二本が
幼生のうちに
料理されたのを知ってか、
いずれもの夭折を
根茎の遺伝的情報として
感知した節がある。

いきなり成体のように
枝葉の姿に
逸早く変態しよった。

これならば喰われまい、
というアスパラの
生き残り戦略なのかもしれない。

庭の片隅で、
生物の多様性や
進化的適応性を
観察するようで
面白くもある。

フェンネル、オレガノ、ミントの
若葉も次々と芽生えはじめて
頼もしい生命力である。

この子たちを
フレンチの香り付けや
緑の添え物として使えるのを
無常の喜びとしている。




散歩コースにもなっている
「やまや」(量販酒店)に
立ち寄って、
まだ未テイスティングの
シェリー酒の
「ペドロ・ヒメネス」
という葡萄種のハーフを
買ってきた。

ノン・ヴィンテージの
安価なテーブル・デザート・ワインである。

フラメンコのレッスン中に、
封を切って、
ちょっとだけ味見してみた。

(スペインの酒だから、
ま、いっか・・・という、
いいかげんな理由・・・笑)

トロリとした
粘性のあるテクスチュアで、
驚くほど甘く、
そして濃厚な干し葡萄の香りが
鼻腔から抜けた。

なるほど。
葡萄を干して
醸造するというのは
本当だったのだ。

それにしても
干し葡萄から
どうやって液体が
抽出できるのか
不思議にも思われた。

それほどに
ハンパないほどの
レーズン感なのである。

しかも、
どこか、ダイソーでよく買う
黒蜜のような甘さでもある。

980円のノンヴィンテージで
これだけのコクならば、
1986年物(3960円)は
どんな風に壜熟してるのか
試してみたくなり、
楽天に注文した。

(そういや、フミのバースデイ・ビンテージだ)

9日に届くので、
そのテースティングも
楽しみである。

こんな道楽やってて、
ボンビーを嘆いてりゃ
世話ぁない・・・(笑)。

┐(´Д`|||)┌

。。(〃_ _)σ∥ ハンセー

・・・でも、
人生、一度っきりだい!!

これを破滅型芸人タイプ、
「破天荒人生」というんだろう。

明日、死ぬかもしれないんだぞー(笑)。

3.11で
ワリー学習しちまったのぉ(笑)。

上方落語『地獄八景亡者戯』に
「こんな早う死ぬんなら、
あん時のあれ、
喰うときゃよかった、
と思いましてん・・・」
とある。

3.960円で、
ワーワー大騒ぎ・・・(笑)。

やっぱ、
ビンボー人だのぉ。

(_ _。)・・・シュン…


***

ペドロ・ヒメネス
(Pedro Ximenez)
について調べてみた。

糖分が非常に多く、
主産地はアンダルシア州コルドバや
マラガ地方でDOモンテーリャ・モレスや
DOマラガの甘いデザートワインの原料となる。

DOモンテーリャ・モレスでは
すべてのフィノ、アモンティヤードや
ヴィンテージワインの原料でもある。

元々糖度の高いブドウを、
収穫後に天日干しにし、
さらに凝縮させ、
収穫後、天日干ししたブドウを
水圧プレスで搾汁。

発酵後すぐに酒精強化して
長期間樽熟成する。

注文した
『トロ・アルバラ1986』は、
世界的権威ロバート・パーカーが
【92点】を付け絶賛したという。

そのコメントに拠れば・・・
「オイリーで重厚・深遠な極甘口ワイン。
レーズン、仄かな花の香り。

ミント、オレンジピール、
ハーブの香りを湛えた
香り豊かで華やかなワイン。

味わいは重厚で良質な酸と
スパイシーな味わい、
チョコレートの風味が感じられる
バランスのとれた甘さが心地良い」

某ワイン・ガイドでは
「暗いマホガニー色の色調。
コーヒーの香りを湛えたアロマ。
力強く風味豊かで凝縮感のある
円やかなオイリーで滑らかな口当たり」
と絶賛して「94点」としている。

さてさて、
どんなスンゴイ奴がくるのか
金曜日のご到着が
今から楽しみである。

(^◇^)┛ヨロピコ 凸.:*☆\(^^\) イラッシャーイ!


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作庭

2018-10-28 05:41:00 | ガーデニング
家中の片付けを
毎日のようにしながら、
ハンティングしてきた苔を
庭に敷き詰めて
茶庭の作庭にも勤しんでいる。

50㎏はあろうかという
蹲(つくばい)を
庭の端から汗だくで
ウンショ、ウンショと転がして
老母の部屋の
庭への出入り戸に引き寄せた。

部屋の整理が
一段落した暁には、
久しぶりに茶室にしようと
考えている。





これまで、
京都のマンション、
吉倉、清水町・・・と、
いずれの住まいにも茶室があり、
茶会やお弟子さんにお稽古をしていた。

実家を二世帯化してからは、
子どもたち三人と老母とで、
茶室にするゆとりはなかったが、
今は、カミさんと二人きりになり、
空き部屋だらけになった。

なので、
茶庭に合わせて
十数年ぶりに
茶室を創出しようと思う。

お茶は、
在京中に
裏千家の片桐先生
(片桐石州の家系)に、
十年間、お稽古をつけて頂いた。

先生は数年前に
ご他界されたが、
親身になって手取り足取り
「茶道」という伝統技芸を
ご伝授くださった。

三千家がある京都で暮らし、
利休居士の墓参りもし、
名だたる茶庭や茶室は
ほとんどすべて見て廻った。

馴染みの茶道具店にも
入りびたりで、
懐石道具ひとそろいを
一年かけて買い揃えた。

嵐山の信楽作家・
後藤安久さんの処へも
ちょいちょい茶碗やら
花入、石杯(ぐい呑)を
求めに出かけた。

茶道発祥の地で得た
総合芸術としての
「茶」の教養は
生涯にわたって
自分の中にある。

それは、
茶を立てぬ日があっても、
雪月花を愛で、
侘び寂びに生きる
茶人の矜恃としてある。

「人生深生き」の
マイ・ライフモットーには
「茶を遊ぶ」
「茶人を生きる」
というのも重要な
レイヤーである。





清水町の住まいでは、
茶室にするゆとりがなかったので、
二階の踊場を
一畳台目の茶室に設えた。

半畳ほどの手前座と
一畳ほどの客座だったが、
ユングルメ研究会
(ユング+グルメ)の
美女三人がキチキチに座って
何度も薄茶事を楽しんだ。

作庭もして、
金木犀の枝に
八朔の実を数個刺して
「遊び点景」にも
したりした(笑)。

カウンセリングの
お客様方にも
この茶室で
幾人もお茶を立てさせて
頂いたものである。

この家は
知人のご身内が
買い取ってくださり、
今の実家を二世帯に
リホームすることができた。




土曜の晩は、
カミさんがテニスで、
恒例のサタデイー・ナイト・フレンチでの
ロンリー・ディナーだった。

何を創ろうか
思案したが、
昼寝で見たイメージを
形にしてみようと、
思い立った。

例によって
アタマん中を
仏語モードに切り替えて、
フレンチ・シェフ・トーチャンに
変身する。

(/・`д・´) / トゥ~!!

四角いグラスに
牛肉とアッシェ(微塵切り)にした
モッツァレラとソシッス(ソーセージ)、
ブール・デルブ(香草バター)を
ミルフィーユ状に詰め込み、
パプール(蒸し)してみた。

香草は庭で摘んだ
ロマラン(ローズマリー)、
オリガン(オレガノ)、
ソージュ(セージ)、
の三種類である。

ソースは、
20年前に購入した
「25年物」の
ヴィネーグル・ド・ケレス
(シェリー・ヴィネガー)を
キャラメリゼしたミエル(蜂蜜)と合わせ、
セル・ド・クルヴェット(エビ塩)と
ポワヴル(胡椒)でアセゾネ(味付け)し、
仕上げにブールモンテ(バターつなぎ)する。

蒸しあがったヴィアンド(肉)を
いったん別皿に取り出すと、
溶けたブールとジュ(肉汁)が
流れ出たので、それを
ソースパンに入れて
メランジェ(混ぜ合わせ)した。

クトー・アパレット(パレット・ナイフ)で
慎重にヴィアンドをプラ(大皿)に移し、
真上からソースをかけ、
ウフ・ヴイイ(茹で卵)の黄身を
シノワ(茶漉し)で振りかける。

仕上げに
ハーブ・ポットの
セルフィーユ(チャービル)の葉を
ピンセットでナッペ(貼り付け)して
完成である。

この時、
お皿はオーヴンで
熱々にしておくと、
ソースの香りがフッと立つ。

夢で見たこの映像のタイトルは
『塔から降るミモザの花』である。

フランス語で
何て言うのか、
試しに翻訳サイトで検索したら、
「Fleurs du mimosa tombant de la tour」
(フルール・ド・ミモザ・トンバン・デ・ラ・トゥール)
となるそうな。

フルールやラ・トゥールは
ワインにもあるので知ってるが、
「落ちる」という動詞は
初めて知った。

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苔採り爺さん

2018-10-25 06:43:00 | ガーデニング
「モス・ハンター」
という洒落た呼称と
「コケ採り爺さん」
という自虐的呼称を
使い分けている。

♪ きょうもゆくゆく
   モス・ハンター ♪

♪ コケとりじいさん
   コケとりまんがな~ ♪

最近の散歩では、
もっぱら町内の
コケの繁茂地をチェックして
廻っている。

それが、
ワクワクするから
「無銭遊戯」としては
実にボンビー翁向きである。

思うに、
春のフキノトウ採りと
タケノコ採りにも、
毎度まいど、胸踊り
ワクワクするものである。

タダでいくらでも採れる喜び
というのに
エラク感激する性質(たち)は、
やはり「貧乏根性」なのだろう。

時折、自分はなんで
こんなにボンビーなんだろう、
神様はどーして
お金を沢山与えて下さらんのか、
と考えることがあるが、
思い当たる節がないでもない。

それは、
老母を見てきて
近年、気が付いた。

自分も親に似て、
金銭感覚が
どこか跳んでいるのである。

あれば、あるだけ
使ってしまう。

それで、なければないで、
塩舐めて暮らせるのである。

はやい話、
バカなんだろう(笑)。

知人からは、
「ないからこそ、慎ましく
暮らせるんじゃないですか?」
と諭されて
ナルホドと思ったこともある。

過分にあったら、
きっと愛人を作ったり、
目先の快楽に溺れて、
物事の「真実性」や
「真善美聖」から乖離した
遊興餓鬼道・愛欲畜生道に
陥るのやもしれぬ。

金銭感覚が疎く、
ギャンブラー性があり、
凡庸ライフを嫌うのは、
なんだか若くして
磨り減って消耗死した
モーツァルトを思い出した。

自我脆弱性ゆえに
物欲・所有欲と浪費・困窮の
負のスパイラルに呑まれたら
「欲中毒」「金依存症」になって
身を滅ぼすのであろう。

してみれば、
「天下の周りモノ」が、
こっちに廻ってこないのは、
御神意、神様の恩寵なのかもしれない。

いっそ、
「貧乏是幸ひ」
とでも書いて、
室礼の掛け軸に
飾ろうかしらん(笑)。

『がばいばあちゃん』では
貧乏を苦にせず
むしろそれを楽しく生きる
知恵と逞しさが活写されていた。

『清貧の思想』では、
西行や兼好、長明、良寛、芭蕉など
「世捨て人」たちの
一切を捨てきったシンプル・ライフと
心が充たされる風雅な暮しを
温故知新として知らしめた。

貧乏とは、
「本来無一物」への
回帰なのかもしれない。

事実、
いつ野垂れ死にしてもいいや、
という覚悟は
とうに出来ている。




散歩のたびに
せっせとコケを集めては
ジグソーパズルみたいに
灯篭まわりから
敷き詰めている。

庭全体が風雅な
「苔庭」に生まれ変わる頃、
町内の路傍からは
苔がキレイに
なくなってるだろう(笑)。




高速の鏡石パーキングの
石畳が「市松模様」に
なっていて、まるで
チェスボードのようで
美しかった。

そこに
木漏れ日と
枯葉がほどよく配され、
さながら一枚の
「秋」の構図であった。





散歩がてら
スーパーの鮮魚コーナーで
アルゼンチン赤海老2匹を
200円で買って帰った。

ついでに、
焼き芋コーナーで
半ケ130円も購入。

キッチンの奥に
長らく放置されていた
結婚式の引き出物の
銀トレイを磨きあげて
ランチの“ひとりパーティー”料理を
こしらえてみた。

エビ二尾を梨割りにして
半身四つをグリルパンで
殻の方だけカリリとグリルする。

頭んとこのミソが
火が入るとフツフツいって
美味そうだった。

銀器にアンディーヴ、
舞茸のグリル、
焼き芋(紅あづま)の
トロリとした処をスプーンで
フットボール形にすくい取って添えた。

胡桃パンを三角に切って
サンドイッチ用にセットする。

濃縮トマトジュースに
タバスコ、バルサミコ、
自家製レモンオリーヴ油を加えて
カクテルソースに仕上げた。

エビの身は殻から
ホロリと剥がれ、
パンにとってエビミソを
垂らして味をつけ
アンディーヴを挟んでやってみたが、
なかなか乙なものだった。

これに
バースデイ・ヴィンテージ(60年物)の
マデラ酒を合わせてみたが、
このペアリングは
天国的なヴィアン・マリアージュであった。

清澄な秋に相応しい
モーツァルトのK.136
『ディベルティメント D-Dur』
をBGMに聴きながらの
清貧のなかの
ささやかな贅沢である(笑)。

♪ヽ(´▽`)/ シャ~ワセ~




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