『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

炎暑/酷暑/猛暑・・・読書三昧・音楽三昧

2019-07-31 04:47:00 | 
猛暑続きである。

今日は37℃になるとか・・・。

さすがに、
終日、冷房下の寝室と
茹だるような炎熱の廊下/トイレとを
出入りしてると、
枝雀の落語にある
「わいは、焼き豆腐かぁ・・・」
と、言いたくなる。

水を潜ったり
焼かれたり…という、
落語ならではの喩えである。

熱中症にこそならねど、
さすがに、毎晩の熱帯夜つづきで、
朝の寝起きは最悪で・・・
ダルさや節々の痛さに悩まされている。

その不快感が続くと
「うつ」になってまうので、
もう躊躇せずに
市販のイブプロフェンを
朝だけ呑んでいる。

物理的ストレスで
免疫力が低下してか、
体中の右側だけ
口内炎や毛嚢炎が
いくつか出来ていて
その痛みも二次的ストレスになっている。

あと一週間も
猛暑日が続くというので、
ウンザリだが・・・・・・
この間に上手くカラダが
「暑熱順化」してくれればいいのだが・・・。

まさに、
夏休みでよかった・・・であるし、
エアコン、扇風機があってよかった。

今朝方、
やや、焦げ臭いニオイがして、
扇風機のモーター部分に触れてみたら
恐ろしいほどに加熱していて、
ちっとヤバかった。

なにせ、前日の午前から
オールナイトで朝方まで20時間近く
ぶん回していたから・・・
危うくモーターが焼き切れる処だった。

文明の利器によって
命がつながれているという
危うい感じがしないでもない・・・。

かつて、パリやインドで
40℃の炎暑で数千人が死んだことがある・・・
というのは、エアコンなしでの
状況下である。





猛暑日には
不要不急の外出は
極力控えているので、
もっぱら、寝室に籠もって
音楽を聞きながらの
読書にあてている。

この夏休みは、
また、村上春樹を
いくつか読もうと思っている。

例によって
古書店の100円コーナーで
旧著を幾冊か仕入れてきた。

『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』
という長ったらしい名の作品は
2013年の震災以降のもので、
作者の「オウム事件」以前・以後の
作風の変化同様に、
デヴュー時の70年代とは
かなり異質感がある。

それでも、
「死と再生」という
通過儀礼的なテーマは
一貫しているようだ。

作品のストーリーを味わいながらも、
箴言的箇所には朱線を引き、
心理分析素材には付箋を貼りながら
分析的にも読んだ。

「限定して興味を持てる対象が
この人生でひとつでも見つかれば、
それはもう立派な達成じゃないですか」

「コーヒー豆に凝るのは、
貧乏な生活を送っている彼にとっての
ほとんど唯一の贅沢だった」

「才能というのは、
肉体と意識の強靭な集中に支えられて、
初めて機能を発揮するものだ」

「モーツァルトやシューベルトは若死にしたが、
彼らは生命を削り、早すぎる死を受容することによって、
その天才の代価を支払うことになる。
それは命を賭けた取り引のようなものだ」

「何かの手段を見つけて、
積極的に命を絶つほどのエネルギーは
俺にはないが、
死を黙ってそのまま受容するくらいはできる」

「人生は長く、時として過酷なものだ。
犠牲者が必要とされる場合もある。
誰かがその役を務めなくてはならない。
そして人の身体は脆く、傷つきやすく、
切れば血が流れるように作られている」

ユンギャン(ユング派)の
サイコアナリスト(心理分析家)としては、
多重のペルソナ(外的人格)と
アニマ(内的人格)を
曼荼羅的に統合すべく
self realization(自己実現化)を
図ろうとする表層意識の努力が破綻して、
5人グループ内のひとりは〔狂い/他殺死〕に及び、
主人公は〔トラウマ/魂の放浪〕となると読めた。

もすこし突っ込んで、
掘り下げもできそうなので、
いずれ、お弟子さんとの
「魂理学セミナー」での
テキストの一つとしても
取り上げたいと思っている。

かつては、
1000頁にも及ぶ
世紀の大作/傑作/問題作である
『ねじまき鳥クロニクル』を
1年間かけて分析したのを
発表し冊子化もした。
(https://ncode.syosetu.com/n3675dt/)

発表来、
2年半経つが
現在、ちょうど1万人の
アクセスを得ている。

河合先生が生きておられたら、
やられたかもしれない仕事を
代わりにやらせて頂いているような
思いでいる。

***

デヴュー作で
〔群像新人賞〕受賞作の
『風の歌を聴け』は、
モザイク的な
メタ文学的な構成であり、
それはそれで斬新でもあったが、
物語としては円熟の現在に比して
薄っぺらいものだった。

ただ、これより、
作者の一貫して
「性」への「聖性と俗性」の追求が
ひとつのテーマになっていくことは
よく理解できた。

それは、
図らずもユングが
「性は、天国から地獄まである」
と言った名言に
通ずるものを感じさせられた。

この点も、
魂理学セミナーでの
これからの
研究分析テーマとしたいと思っている。

***

今は、2009年の
『1Q84』を読み始めている。

これも、1000頁ほどの大作だが、
3.11前の作者の到達点を
理解するのにいい作品かもしれない。

まだ、
1巻目だが、
デュアル・ストラクチュア
(二重構成)の一話が、
まるでオキニの漫画
『響』に酷似しており、
あんがい、ここからヒントを得て
創作されたのかも、
と思わないでもなかった。





読書に飽くと、
録画物を鑑賞して、
酷暑中のホーム・バケーションを
やり過ごしている。

BSプレミアムで録った
ウィーンフィルの
『シェーンブルン・サマコン』を鑑賞した。

2017年のニュー・イヤーに初登場した
ドゥダメルの指揮であった。

彼は、ベネズエラ出身という
珍しいキャリアながら、
ラトルやアバドに認められ、
コンクール優勝後に
ヨーロッパで活躍するようになった。

ヴァルトビューネでも、
2017年に
ベルリン・フィルを指揮している。

***

先週の
音楽堂への定演通いで、
『ぶらあぼ』なる
フリー冊子を初めて
ロビーで手に取った。

けっこうな厚みで、
全国のクラシック・コンサートが
網羅されており、
その規模に驚かされた。






ライフ・モットーの
「人生深生き」
を実践するにあたっては、
「嫌なことはやらないこと」

「好きな事・物・人」
と共に在ること、
を遂行している。

今の実家を改築した住まいが
“終(つい)の棲家”になることは
間違いないが、
これまで、仙台、大阪、京都と
棲んできて、
市内では柳町、吉倉、清水町と
暮らしてきた。

16年前の前宅でも、
幸いに「書斎」兼「カウンセリング室」兼
「ギターレッスン室」を持てていたが、
「書香」と「古楽器」が共にあることが、
自分にとっての“幸福アイテム”と
気づきはじめていた。

そして、
京都の住まいからこの方35年間、
ずっと「茶室」も持てている。

元同僚のクモ博士・田中先生が
学会で来福の折、
拙宅のお茶室で
おもてなしさせて頂いたら、
しみじみと
「こんなん、ふつう持てへんでぇ・・・」
と仰っていた。

これも、
我が幸福アイテムの
一つなのだろう。

去年、作庭した苔庭も、
さらなる幸福アイテムになる筈だったが、
残念ながら根が付かず、
風で飛んだり、枯れたり、
今は夏草の繁茂する勢力に
すっかり隠されてしまっている。

プチ・マイブームだった苔熱も、
近頃はすっかり醒めた感がある。

***

とりあえず、
今日、明日、あさって・・・
さらに数日の猛暑に耐え、
生き延びることが
初老を生きる課題のようでもある。

´´(;´ρ`A) アチィ…  

あ、そ、そ…。
今日は、
午前中にカウンセリング、
午後からギターレッスン、
夜から宗教臨床セミナー、
があったんだっけ・・・。

まったくのオフ日と
ちゃうかったーぃ。

ヽ( ̄д ̄;)ノ=3=3=3 ハタラカネバ…




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猛暑で、もうしょーがない

2019-07-30 04:46:00 | 風景
昨日は関東まで
梅雨明けとなった。

東北も、
今日明日には、
梅雨明け宣言がなされるだろう。

きのうは
35℃を越して、
しっかり全国ランキング入り。

今週の中ごろには
37℃という予想日もある。

夜もしっかり
「熱帯夜」続きである。

案の定、
今朝方は、
寝起きがダルくて、
クスリを呑もうかどうか
迷っている。

「暑熱順化」には、
熱い風呂がいいというので、
毎日、41℃のバスタブに浸かって
軽く汗をかいている。






隣近所の家々も
それぞれに
遮光に工夫されている。

エアコンの室外機に、
反射率の高い
メタリック・カバーを付けると
冷房効率が多少アップするというので、
運転席用の物を
ダイソーで買ってこようかと
思ってる。

二階の部屋や廊下は
いくらカーテンをしようが、
屋根が熱せられるので、
冷房なしだと
アタマがボーッとするような
暑熱地獄になる。

昨日は、
午後から一雨があって
いくらか気温が低下してくれたが、
湿度が80%近くにもなり、
28℃くらいでも不快指数は
グッと上がるような状況だった。

梅雨寒むの時期には、
冷えすぎてオナカを痛くした
「しまむら」のクール敷きパッドが
やっと本領を発揮してくれ、
25℃まで冷房すると
ヒンヤリ感が心地よい。






3.11来、
「心の復興支援」にと、
毎夏、金光大阪の元同僚だった
ハネちゃんが
桃を送って下さっている。

桃の産地のフクシマが
原発被害で
収穫できない時期に、
和歌山の桃が送られてきて、
有り難い気持ちと
不思議な思いが交錯した。

それでも、
心理カウンセラーとしても
ギタリストとしても
「心の復興支援」を担っていた自分を
さらに支援して下さって、
ほんに、ありがたいことである。

ゆんべは、
久しぶりに電話で
関西弁をまじえて、
お礼方々、歓談ができてよかった。

11年も
“内地留学”していた様なものなので、
外国留学に例えたら
カタコトでも現地語が
使えるようになるものである。

卒業生からも
情報が入っていたが、
母校の野球部が
惜しくも決勝で敗れたという。

過去2回、
甲子園に出場して
「金光(こんこう)」という
名を全国に知らしめた。

関西圏では、
天理教を母体とする「天理高校」と同様に
金光教を母体とする「金光大阪高校」も
徐々に知名度が上がってきているようだ。

自分も金光教つながりで、
創立期から黎明期の11年間を
生物教師/クラス担任/テニス部顧問
などを務めた。

帰福後には、
ありがたくも
2度ほど「心理屋」として
教員研修の講師にも
招聘して頂いたことがある。






3.11の年、
2011年の11月に
敬愛する立川談志・家元が
ご逝去された。

師匠から直接頂いた
数十枚の色紙を元に、
『家元礼賛』というサイトを
開いていたが
(http://www.jade.dti.ne.jp/~osamu/iemoto1.htm)
なんだか、自分ひとりが独占しているのが
心苦しくなって、全国のファンに
一部を放出しようと決意し、
ヤフオクに十数枚を出品したら
たちまちビッターが加熱気味に喰らいついて、
1点5万円でも落札されたものがある。

『家元礼賛』を
ご覧になられていた落札者からは、
「すごいなぁ。
羨ましいなぁ・・・と、
思っていました。
このたびは、貴重なコレクションを
全国のファンに放出して下さり、
ほんとうに有難うございました」
という
お礼の言葉が相次いだ。

タダで頂いた色紙が、
三十数万円にもなり、
天国から家元の
「この野郎、儲けやがって…(笑)。
どうでぇー。
大したもんだろッ。
俺様の人気は・・・」
という
声が聞こえてきた。

地デジ変更期だったので、
その売り上げで、
寝室用の大画面ハイビジョンと
ブルーレイ・レコーダーを2台購入した。

それまで、
アナログ放送を
ブラウン管とビデオ・デッキで
「録る/視る」してたので、
いきなり
「デジタル/ハイビジョン/ブルーレイ」
に変わった時には、
圧倒的な美しさと緻密な情報量に
おっ魂消たものである。

同時に、
これも、家元オッカケの
おかげだなぁ・・・と、
ありがたく感じた。

ふだん、メイン・デッキにしている
ブルーレイ・レコーダーのリモコンが
8年目で寿命がきたのか、
機能不全になったので、
ダメ元で分解点検してみた。

そしたら、
基盤はほぼプリント状態で、
ハンダ溶接で切れた配線をつなぐという
昭和レベルの修理は効かなかった(笑)。

なので、
これは「お役御免」で、
ご苦労様でした・・・となり、
アマゾンで新品の汎用代替品を
1.599円で購入した。

純正品だと
中古しかなく、
それも3.999円と高くつく。

毎日のように、8年間、
使い続けてきたリモコンの
仕様が変わるのは、
慣れるまでには
いささか時間が掛かりそうである。









という





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猛暑だぞー!!

2019-07-29 06:45:00 | 音楽
「梅雨明け」宣言は
まだ公表されていないが、
今週はずっと猛暑日になるそうな。

熱中症体質ジジイは
「厳重」警戒期間である。

もう、日がな一日、
寝室の遮光カーテンを閉めきって、
蝙蝠(コウモリ)みたような
薄暗い洞穴のような部屋で
枕灯頼りに本読んで暮らすか、
音楽聴いたり、録画物を観て
毎日暮らすようである。

でも、
“お籠もり”生活は
普段からなので(笑)、
特段、苦にもならず、
“ソフト喰い”の
インプットをすればいい。

熱波が去ったら、
外出したり、
楽器を弾いたり、
茶を立てたり・・・と、
アウトプットすりゃぁいい。





先週の水曜から
一日おきに(金)(日)と
橘高・福高・ジュニオケと
3つの定演を聴いてきた。

稀有な不思議な体験でもある。

それでも、
連続してアマオケを聴いたことで
気づいたことも随分とあった。

ジュニオケだけが
プロの指揮者だったので、
さすがに「商売人」は違うなぁ・・・と、
部活顧問や音楽教師との差を
歴然と感じさせられた。

まして、
ジュニオケ常任の田中氏は、
桐朋出身で、かの斉藤秀雄に
師事しているのだから、
小澤、秋山、山本(直)らと同系列の
バリバリである。

誰やらの本に
「素人がプロオケを指揮するより、
一流指揮者が小学生オケを演奏した方が
遥かにいい・・・」
というのを読んだことがある。

誇張しての物言いだとは思うが、
小5から高3までのメンバーによる
ジュニア・オーケストラも
いわば「子ども楽団」である。

その“おこちゃまオケ”を
プロが指揮すると
こうも鳴り、響き、歌わせるものか・・・と、
認識を新たにした。

ff(フォルテッシモ/最強部)から
PP(ピアニッシモ/最弱部)までの
ダイナミック・レンジが大きく
それだけ音楽のスケール感も大きかった。

子どもたちも
指揮者のスイングにシンクロするように
手弾き、口吹きではなく、
体全体が楽器と一体になって
演奏していた。

これは、
ウィーン・フィルやベルリン・フィルの中継で
よく目にする、管弦の奏者たちが
体を大袈裟に揺らしながら
演奏する姿でもあった。

ギター・レッスンでも、
しばしば
「指で弾かないで、
 そこの親指の引き下ろしは
 肩から弾いて・・・」
とか
「この和音は、体全体を使って・・・」
と教えることがある。

それが「力感」であって、
指先だけで弾いては
“魂が乗らない”
“聞き手に届かない”
ひいては
“聞き手の魂を揺さぶらない”
ただの〔音出し〕に
堕するのである。

自分の耳の楽しみにだけなら
それでもよかろうが、
仮にも人様に聞かせるのであれば、
歌であれ、器楽であれ、
最低限の音感、奏法、表現法でもって
パフォーマンスできなければ・・・と、
生徒さんや学生さんたちには
指導している。

誰にも習わないでやってる
趣味のカラオケや楽器演奏も結構だが、
申し訳ないが、
進んでそれを聴きたいとは思わない。

たいていは“独りよがり”で、
自己陶酔行為を見せられてるようで
いたたまれなくなる。

***

三日も続けて
音楽堂通いをしてると、
さすがに“時間的”前乗りに
慣れてくるものである。

開演の1時間前に赴いて
駐車場を確保し、
開演15分前まで後部座席で
ゆったりとカウチ気分で
読書して過ごすことを覚えた。

冷房を効かせて、
音楽もかけてなので、
自室に居るのと変わらず、
45分間が雰囲気を変えての
読書タイムになっていい。

***

6年間のリサイタルやリハ以外にも、
ギター部や合奏団での
ヘビーユーザーであり、
また同時に、音楽堂ラバーなので、
表舞台はもとより、
舞台裏から、楽屋、練習室、通用口まで
知悉している。

なので、
家から10分、
距離にして4.3kmの
音楽堂に、
三日続け通うのも
全く苦ではない。






2時からの
「マチネー」(昼公演)から
帰宅すると、
寝室内は32℃にもなって、
サウナ状態だった。

枕元のデジタル計には
「熱中症注意!」の
ハザード表示が点滅していた。

急速冷房にして、
まずは、ゆったりと
ベッドをカウチ代わりに
寛いだ。

最近、ダイソーの
「大豆/黒豆/グリーンピース」の
〔マメ三兄弟〕がオキニで、
ジャムの空き瓶に詰めては
ポリポリやっている。

『ためしてガッテン』で
大豆イソフラボンが
筋減少を予防してくれると知ったので、
サプリ代わりに美味しく摂取している。

***

音楽堂で、
知人のリューティエ〔製作家〕の
Q吉っつぁんの「展示即売会」の
チラシを見つけた。

ただ、
フクシマ空港でやるらしく、
市内ならまだしも、
そこまで出向く気には
なれないなぁ・・・と、
思った。






新聞をスクラップする代わりに、
接写して、ブログ・アップしておくと、
なんぞの時に、キーワード検索で
「データベース」になってくれる。



ビルスマが亡くなった。
バロック・チェロで奏でる
彼のバッハ『無伴奏チェロ組曲』は
今でも愛聴盤である。



宮迫が“罪滅ぼし”にと
被害者支援団体に
寄付を申し出たら、
「クロい金はお断り」
と、はねられたと言う。

もらったのと
同額の150万だったから、
気持ち悪がられたのだろう。

卒業生のやることが拙速で、
もちっとアタマ使えやい・・・と、
いささか嘆かわしかった。



いまだに、
「京アニ」のニュースが
連日流れているが、
新聞には関係者や目撃者の
PTSD対策として
「臨床心理士」らが対応する、
と報じられており、
まだまだ国家資格の「公認心理師」の
知名度の低さが嘆かわしく感じた。



新刊書に、
還暦過ぎての
ライフ・スタイルを謳歌するかのような
コピーを見て、
「いいね」これ・・・と、
ほくそ笑んでしまった。

(´ε`●) フ…








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蓮の花

2019-07-28 05:06:00 | 風景
二日続けての晴天と
30℃を超える夏日になり、
こりゃ梅雨明けだな…と、
思ってたら、今朝は、
台風崩れの低気圧で雨降りである。

今週から、
35℃超えの猛暑日が続きそうで、
いよいよ、盛夏来たれり…
となりそうである。

熱中症には
厳重警戒せねばである。

幸い、
20年物のエアコンも
クリーニングしたせいで
臭いもなくしっかり機能してくれている。






久しぶりに晴れ渡った昨日、
(そうだ。ビオパークに行こう!)
と思い立ち、
車に冷房を効かせて
熱さにもめげずに出かけてきた。

近くに迫ってくる
吾妻山・一切経は
夏山の風情である。

期待のハスは
まだ七部咲きだったが、
それでも涼やかに水面(みなも)に
咲き誇っていた。

***

♪どぶに落ちても
  根のあるやつは
   いつかは蓮(はちす)の花と咲く♪

・・・は『寅さん』の主題歌である。

良寛の唯一の弟子であった貞心尼は、
『蓮(はちす)の露』に、
師との相聞歌を残している。

 はじめてあひ見奉りて  貞心尼

  君にかくあひ見ることのうれしさも
   まださめやらぬ夢かとぞ思ふ

 御かへし    良寛

  夢の世にかつまどろみて
   ゆめを又かたるも夢もそれがまにまに

聡明美人として
評判の高かった貞心は、
三十才にして齢七十の良寛に出逢い、
互いに一目惚れのように魅かれ合う。

その臨終に際しては、
かけつけた貞心の手を取り、
涙をこぼしながら、

 いついつと待ちにし人はきたりけり
  いまはあひ見てなにかおもはむ  

と喜びを現し、
貞心は、

 生き死にのさかひはなれてすむ身にも
  さらぬわかれのあるぞかなしき

と返歌した。

僧侶どうし、
聖人どうしでありながら、
生身の人間の情感が溢れており、
それでいて性愛を超越した
ロマンチック・ラブが観られるのは
日本人としては稀有な関係である。

良寛は辞世に・・・

 うらを見せ
  おもてを見せて
   ちるもみぢ

と告げて瞑目したという。

薄紅色と白い蓮が
寄り添うように咲いているのを見て、
四十も離れたふたりの
淡い恋心を羨ましく感じた。






リサイタルで使っていた
CD用ポップの額縁が
大量に用済みになったので、
ファイルしていた写真や絵を
額装してみた。

2000年5月5日に、
弁天山と阿武隈川での釣り人を
スケッチしたものがあったので、
児童画みたいに稚拙なれど
タイムカプセルのような興趣があったので、
飾ってみた。

裏磐梯と曾原湖の
パノラマ写真も
アルバムにあるよりも
額装して日々ながめたほうが
心の糧になりそうである。






他界して
すでに5年経つ
パコの17才から21才頃の
古い録音を毎日聴いている。

晩年の66才頃には、
もう、その頃の原型は失われていて、
「モデルノ」(現代スタイル)の嚆矢として
フラメンコ・ギターを進化させてきた
完成形に到達していた。

今の若いギタリストは
皆そのパコのスタイルを踏襲している。

でも、正直、
フュージョン化したあまり、
伝統的な旋法やコンパスが
駄々崩れになってるのは
ちっとも好きではない。

先日、東京の専門店の主人と
電話でそんなハナシをしたら、
「そんなのは、フラメンコを
理解してるとは言えない」
と憤慨されてしまった。

ま、「売り手」側としては
ドガチャカで何でもありの
「モデルノ」を否定されては
商売にならないのかもしれないが、
フラメンコだって純然たる
「クラシック・ファン」がいても
よかろうと思う。

最近になって、
ハビエル・コンデや
グリシャ・ゴリャチェフなどの若手が、
ものすごいテクニックと音楽性で
パコやサビカスの名曲を
演奏しているのは、
クラシック・フラメンコのファンとしては
嬉しい限りである。





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コンサート疲れ

2019-07-27 05:13:00 | 音楽
なんか今朝方は、
背中の張りが苦しくって
目が覚めた。

思い当たるのは、
きのう2時間近く福高の定演で
音楽堂の椅子に座りっぱで、
きっと凝って血の巡りが
ワルクなったのだろう。

仕方なく、
朝の4時から
電動マッサージ椅子で
半時ほどグリグリやっていた。

気がつくと
肩が吊り上ってるので、
緊張をほぐすのに
筋弛緩作用のある
アルプラゾラムを0.4mg服用した。

背中や首が凝ると
「気」まで塞ぐような気がする。

そうすると気鬱になってまう。

***

明日は、2時から
フミが団員だった
FTVジュニア・オーケストラの
『ドヴォ8』を聴きに行くつもりだが、
ちょうどその頃に、
台風5号が直撃しそうである。

どーなるんだべー(笑)。

定演「三連荘(れんちゃん)」で
少々、聴きくたびれてきたなぁ・・・。





音楽堂の案内に
5時開演とあったので、
4時半に入場したら、
パンフには5時半開演とあり、
(うっそー・・・)
と、いささかゲンナリした。

こういう、
広報間違いは
時たまあって時間繰りに
悩まされる。

しょーがないので、
二階の裏ロビーで
「らも氏」のエッセイを読みながら
持参したコーヒーで時間を潰した。

***

考えてみたら、
母校の定演でもあった。

指揮者は、なんと!
K高の同僚だった
音楽科のB先生で、
担任クラスの子をカウンセリングした時に
コンサルの後で、音楽談義になり、
所属する「ラルカータ室内合奏団」の
コンサート・チケを買わされたことがあった。

昨日のプロフィールを見て、
福女/山大特音の出身だと初めてしったが、
指揮ぶりはなかなか堂に入っていた。

K高ではブラス部が10名にも満たず、
レベルも低かったので
腕が振るいようがなかったのだろうが、
「梅響」(福高オケ)という手駒を手に入れ、
存分にクラシックの本流を
演奏されているようだった。

幼少時から
ピアノをやってこられ、
音感教育も受けてこられ、
自らもヴァイオリンの研鑽もしているので
「絶対音感」があるのか、
さすがにオケのピッチもテンポも
橘響(橘オケ)のように狂いがなかった。

もっとも、
それが当たり前で、
そこから音楽への個性的な解釈やら
色づけが始まるのだが・・・。

『ウィリアム・テル』序曲は、
のっけの「夜明け」出だしの
チェロ独奏が味わい深かった。

運動会で有名な「スイス軍の行進曲」では、
『セビリアの理髪師』序曲のように
短いフレーズを繰り返しながら
徐々にボリュームつまみを上げるような
「ロッシーニ・クレッシェンド」は
使われていなかった。

バレエ組曲『くるみ割り人形』は、
何曲かをギター合奏団でもやり、
ヴァルトビューネでの小澤征爾のライヴや
バレエも見ているので、
全9曲とも好きである。

おしなべて
それぞれの曲の良さ、
純音楽的なチャイコっぽさは表現されていたが、
残念ながらバレエのイメージが浮かばず、
“ダンサブル”でなかたっのは、
アタックが弱かったからであろう。

飛び跳ねる「中国人」や、
可愛げな少年・少女の「金平糖」、
コザックダンスのような踊り手たち・・・が、
目に浮かぶには、メリハリのある
アーティキュレーションが要る。

これは、フラメンコギターを弾くうえでも、
“ダンサブル”な演奏には
踊り手のサパテアート(タップ音)を意識して
伝統的なアクセントを
明瞭に強調するということが
重要なことと一緒である。

『花のワルツ』では、
クラリネット・ソロが上手で感心したが、
そこからトゥッティ(総奏)に移るまでの
盛り上げ方に
「来るぞ、来るぞ!」「来たー!」という
上昇感や緊張の緩和感が
演出されていなかったのは残念だった。

24人の「金平糖の精」の侍女たちが踊る
華やかなワルツなので、
賑やかさのなかにもエレガンスが
欲しかった。

***

休憩後に、この日のメイン
『ラフ2』が奏された。

前日からの好天気が幸いして
カラリとした空気感により
弦楽器は橘オケよりは
鳴ってはいたが、
やはり元気なブラスに対抗するほどには
ダイナミズムや透明感が足りなかった。

ホルン・ガールズのパートになると
音が割れたり、くぐもって、
いささか濁り感があった。

ここでも、
クラリネットがいい仕事をしていた。

***

二階席から
聴衆の様子も観察していたが、
さすがに、『ラフ2』初体験という
高校生や父兄たちには、
ちっとばかり荷が重かったのではなかろうか。

頭(こうべ)を垂れる者、
唖然と硬直してる者、
退屈紛れにパンフ読んでる者、
・・・と、重厚長大なロシアン交響曲は、
油コテコテのボルシチに
硬い黒パン、強烈なウォッカのような、
とっつきにくさがあったのではなかろうか。

2週間の間、
毎日3回ずつ聞いて、
スコアも見ていたが、
それでも曲の全体像が
まだつかみきれてはいない。

やはり、
軽音コンサートで
『ジブリ・メドレー』を
聴くようなワケにはいかない
真っ当な交響曲だった。

やっつけ練習の
橘オケの『ブラ4』よりは、
はるかに優れた演奏ではあった。







コンサートが跳ねたのは
8時前だったが、
『たかのは』に寄って
円盤餃子で夕食とした。

ここが最後の秘境
「円盤」未開拓地だった。

これにて、
エンバニストの
訪歴ミッション・コンプリートである。

16ケ1.060円。

例によって、
フリビー片手に
『クイズ・タイムショック』の
背面の電飾ウォッチみたいに
手前から反時計廻りに
平らげていく。

ここのは、
下味がついてないので、
ツマランかった。

そうなると、
タレ味が左右されるので、
通常タレの他に、
酢+胡椒、
醤油+一味・・・
というように
少皿で味変を図った。

何ケかは
皮の閉じがあまくて開いた
“ハラキリ”状態もあり、
そいつは、頂けなかったなぁ・・・。






夏休みは、
読書三昧、映画三昧である。

1955年の『泥棒成金』では
初めて若き日の
グレース・ケリーを見た。

ヒッチコック監督が、
例によって大滝秀治みたいな顔で(笑)、
ちゃっかりバスの乗客で登場した。

昔のフィルムの
「フルカラー」「総天然色」
といった感じの空気感は佳かった。

噺は他愛もないものだった。

85年の『恋におちて』は
デニーロとストリープが
若くて驚いた。

噺は不倫物で
昼メロ・レベルの
大したもんじゃなかった。

老けたデニーロの
『マイ・インターン』も佳かったが、
なんたって、
78年の『ディアハンター』と
90年の『レナードの朝』が
最高であった。



コメント
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