月の第五週目と
月初めの休みが重なり、
今日から「私的七連休」である(笑)。
もっとも、
木曜日には杉妻会館での
「SC研修会」が入ってるが・・・。
金曜日には、
ソーちゃんの『棋聖戦』の
第一局が始まる。

今朝は、
どんよりとした雨雲が垂れ込んで
梅雨のような霧雨である。
今週一週間は
ほぼ雨降りのようなので、
どうやら梅雨に入ったようである。
庭の紫陽花の花芽も
膨らみはじめている。
*
きのうは
ピーカンの晴れ日で、
カミさんが「土曜学級」の
代休日だったので、
先々月、ミツオ叔父さんを亡くした
ミッちゃん叔母ちゃんを誘って、
郊外にオープンした
『道の駅ふくしま』に寄ってから
米沢まで高速で出かけてきた。
オープンしたてで、
休日は駐車場も満車で
レジには長蛇の列と聞いたので、
平日の開店時間9時半に到着するよう
出向いたが、それでも、
駐車場はほぼ満車に近く、
レジもまた長打の列であった。
朝食がわりに
『ラーメンよしだ』のおばちゃんが
作ったという「おはぎ」と、
韓国料理店の春雨餃子と、
おやつに麦煎餅を買った。

米沢には、
祖母の実家である
「音羽屋」という旅館があったが、
父の従弟になる当主も亡くなり、
旅館も廃業して平地になっている。
亡き父は
その旅館に下宿して、
名門の興譲館高校と
山大工学部に
七年間通っていたので、
従弟のクニちゃんとは兄弟同様の仲で、
自分たち家族も何度も
旅館に泊まっている。
そこから
歩いて行ける近所に
上杉神社があり、
自分も幼少期には
ハトコたちと遊んでいるのだが、
きのうはさっぱりデジャヴュ感覚は
感じられなかった(笑)。
80歳になった叔母も
ちょいちょい祖母を伴って
音羽屋を訪れていたので、
上杉神社や立泉寺のことを
よく覚えていた。

祖母の叔父には
大橋乙羽(おとわ/ペンネーム)という
マイナーな文学者がいて、
ウィキペディアにも載っている。
尾崎紅葉が率いる
「硯友社」という文学結社に入り、
後に、当時、最大の出版社「博文館」に
娘婿養子となって、
樋口一葉をデビューさせたり、
尾崎紅葉らを担当した、
日本の近代文学における
編集者の先駆者とされている。
当人も、
小節『花鳥集』『若菜籠』や
紀行文集『千山万水』などを
記している。
亡き父とも血続きなので、
やはり、どこか、目元に
父に似た面影がある。
当然、自分とも血続きなので、
ブロガーの自分が
文章を編んだり、
自著を作ったりするのが好きなのも
若干の血のなせる業かもしれない(笑)。

境内は
古木や苔が美しく、
それに見とれていたら、
健脚のカミさんが
ひとり小高い処にあった墓碑から
降りてくるところだった(笑)。
古めかしい境内のたたずまいは
どこか京都らしい感じが
しないでもなかった。

上杉鷹山は、
【為せば成る】
の箴言を家訓とした
名大名だった。

戦国時代から
江戸時代前期にかけての武将・
直江 兼続(なおえ かねつぐ)は、
米沢藩(主君 上杉景勝)の家老だった。
大河ドラマでも
「愛」の字を兜につけた姿で
一躍有名になった。
地元には
「かねたん」なる
マスコット・キャラクターもある(笑)。

大正元年に作られた
巨大石灯篭には
十二支のレリーフが刻まれており、
面白く鑑賞できた。

音羽屋から
歩いて数分の処に、
名物の「酒饅頭」を商う、
『岩倉』がある。
幼少期から、
よくこの饅頭を食べてたので、
なつかしく思い、
立ち寄ってみた。
齢80を過ぎる老婆が
店守りをしていたが、
潰れた音羽屋の親戚だと告げると、
一瞬、目の色が変わり、
饒舌になった。
1ケ90円の饅頭のみで、
70年以上も続いてる。

温泉マニアのカミさんが
ネットで調べ上げた
「白布温泉」まで
米沢市内から足を延ばした。
最上川の源流という
渓谷を眼下に望む
露天風呂に浴してきたが、
奥まった秘湯であったので、
他客は誰もいずノンビリできた。
月初めの休みが重なり、
今日から「私的七連休」である(笑)。
もっとも、
木曜日には杉妻会館での
「SC研修会」が入ってるが・・・。
金曜日には、
ソーちゃんの『棋聖戦』の
第一局が始まる。

今朝は、
どんよりとした雨雲が垂れ込んで
梅雨のような霧雨である。
今週一週間は
ほぼ雨降りのようなので、
どうやら梅雨に入ったようである。
庭の紫陽花の花芽も
膨らみはじめている。
*
きのうは
ピーカンの晴れ日で、
カミさんが「土曜学級」の
代休日だったので、
先々月、ミツオ叔父さんを亡くした
ミッちゃん叔母ちゃんを誘って、
郊外にオープンした
『道の駅ふくしま』に寄ってから
米沢まで高速で出かけてきた。
オープンしたてで、
休日は駐車場も満車で
レジには長蛇の列と聞いたので、
平日の開店時間9時半に到着するよう
出向いたが、それでも、
駐車場はほぼ満車に近く、
レジもまた長打の列であった。
朝食がわりに
『ラーメンよしだ』のおばちゃんが
作ったという「おはぎ」と、
韓国料理店の春雨餃子と、
おやつに麦煎餅を買った。

米沢には、
祖母の実家である
「音羽屋」という旅館があったが、
父の従弟になる当主も亡くなり、
旅館も廃業して平地になっている。
亡き父は
その旅館に下宿して、
名門の興譲館高校と
山大工学部に
七年間通っていたので、
従弟のクニちゃんとは兄弟同様の仲で、
自分たち家族も何度も
旅館に泊まっている。
そこから
歩いて行ける近所に
上杉神社があり、
自分も幼少期には
ハトコたちと遊んでいるのだが、
きのうはさっぱりデジャヴュ感覚は
感じられなかった(笑)。
80歳になった叔母も
ちょいちょい祖母を伴って
音羽屋を訪れていたので、
上杉神社や立泉寺のことを
よく覚えていた。

祖母の叔父には
大橋乙羽(おとわ/ペンネーム)という
マイナーな文学者がいて、
ウィキペディアにも載っている。
尾崎紅葉が率いる
「硯友社」という文学結社に入り、
後に、当時、最大の出版社「博文館」に
娘婿養子となって、
樋口一葉をデビューさせたり、
尾崎紅葉らを担当した、
日本の近代文学における
編集者の先駆者とされている。
当人も、
小節『花鳥集』『若菜籠』や
紀行文集『千山万水』などを
記している。
亡き父とも血続きなので、
やはり、どこか、目元に
父に似た面影がある。
当然、自分とも血続きなので、
ブロガーの自分が
文章を編んだり、
自著を作ったりするのが好きなのも
若干の血のなせる業かもしれない(笑)。

境内は
古木や苔が美しく、
それに見とれていたら、
健脚のカミさんが
ひとり小高い処にあった墓碑から
降りてくるところだった(笑)。
古めかしい境内のたたずまいは
どこか京都らしい感じが
しないでもなかった。

上杉鷹山は、
【為せば成る】
の箴言を家訓とした
名大名だった。

戦国時代から
江戸時代前期にかけての武将・
直江 兼続(なおえ かねつぐ)は、
米沢藩(主君 上杉景勝)の家老だった。
大河ドラマでも
「愛」の字を兜につけた姿で
一躍有名になった。
地元には
「かねたん」なる
マスコット・キャラクターもある(笑)。

大正元年に作られた
巨大石灯篭には
十二支のレリーフが刻まれており、
面白く鑑賞できた。

音羽屋から
歩いて数分の処に、
名物の「酒饅頭」を商う、
『岩倉』がある。
幼少期から、
よくこの饅頭を食べてたので、
なつかしく思い、
立ち寄ってみた。
齢80を過ぎる老婆が
店守りをしていたが、
潰れた音羽屋の親戚だと告げると、
一瞬、目の色が変わり、
饒舌になった。
1ケ90円の饅頭のみで、
70年以上も続いてる。

温泉マニアのカミさんが
ネットで調べ上げた
「白布温泉」まで
米沢市内から足を延ばした。
最上川の源流という
渓谷を眼下に望む
露天風呂に浴してきたが、
奥まった秘湯であったので、
他客は誰もいずノンビリできた。