大阪のミカちゃんから、
カミさんの誕生日と「母の日」の
お祝いとして
デザート・ワインセットが
送られてきた。
ソーテルヌ、
トロッケン・ベーレン・アウスレーゼ、
トカイ・サモロドニ、
という最高級の
世界三大貴腐ワインである。
しかも、
2018、2020、2006
というヴィンテージ物なので、
ほどよく熟成もされている。
そっそく、
『サモロドニ』から
あけてみたが、
最上の『エッセンシア』や
『5プトーニュ』に劣らず
酸味・甘味・アロマ・ボディが
ウェル・バランスの
極上ワインであった。
*
リク坊の
お散歩中の
「オヤツ」写真も
ワインに劣らず
ジジババには
眼福をもたらす贈り物だった。
「3歳になったのに、
まだ、ベビーカーに乗ってんだぁ・・・」
と、ジイジは驚いたが、
「途中で、抱っこをせがまれると
たいへんなんじゃない・・・」
と、バアバは母親の身になって
案じていた(笑)。
*
数日前から、
誤嚥性肺炎で発熱して
案じていたホームの老母が、
抗生剤と解熱剤点滴のおかげで、
解熱し、通常食が摂れるようになった、
と連絡がきて、安堵に
胸を撫でおろしている。
90歳を過ぎた老人が
誤嚥性肺炎になると、
イコール「死」を意味するが、
右側の片肺だけの初期の炎症で
早期に手当ができたので、
事なきを得たようだ。
見舞いに持参した
金光教の「ご神米」を
枕下に入れたので、
ホーム長さんからは
「お守りが効きましたね」
というメールがきた(笑)。
自分も時々、
むせる事が多くなったので、
誤嚥には気を付けているが、
無意識で食べている方が多いので、
咳込んでから、いつも
後悔している有様である。
誤嚥の「えん」は
漢字では、なかなか覚えにくいが、
口偏に「燕/ツバメ」と書く。
燕雀 (えんじゃく) 、
燕尾服(えんびふく)、
というから、音読みは
そこから来るのだろう。
「嚥」は、
「のむ。のみこむ」
という意味と
「のど」という意味がある。
「嚥下(えんげ)」というのが、
医療や介護でよく聞かれる
言葉である。
辞書によれば、
ツバメの子が
餌を丸呑みにする様子から
「口」+「燕」となったという。
不思議な事に、
英語の「swallow」には、
「ツバメ」と「飲み込む」という
両方の意味がある。
*
裏庭で
毎年のように稔っていた
ブラックベリーの幹が
真っ白いカビに覆われて
枯れてしまった。
まだ、先っぽだけは
緑の葉をつけていたので、
それを挿し木すれば、
再生するかもだが・・・。
*
36歳で教員を辞めてから、
今年で30年目になるが、
その間に、ちょうど
30冊ばかりの自費本を
上梓してきた。
一般の取次流通には出さず、
もっぱらネットや委託販売、
講演会やコンサートでの
ロビー販売をしてきたが、
それでも、数百冊の部数しか
出ていない。
図書館に寄贈したのも
いくつかある。
殊に、3.11関連の
『震災三部作』は
赴任した学校には必ず
寄贈している。
本で儲けようと思ったことは
いちどもなく、
むしろ、「名刺代わり」で
こちらの「パーソナリティ」を
手っ取り早く理解して頂くのに
便利なツールだと思っている。
ジャンルが多岐に渡り過ぎて、
日々のブログの延長と
あまり変わりないように
思っている。
その折々の
マイ・ブームを
まとめて記した
エピソード『自分史』とも言える。
思いつくままに
時系列で挙げると、
宗教・童話・教育・偲び草・震災・
魂理学・児童殺傷事件・社会事件・
楽器製作・鮨・フレンチ・音楽・
ギター・階段・小説・エッセイ・・・と、
“何もんやねん?!”
と、自分でも言いたくなる(笑)。
*
最初に製本したのは、
教員の退職記念に二冊造った。
教職の「卒業論文」のつもりで、
『金光教祖の円相図』という
パトグラフィカル(病跡学的)な
研究エッセイである。
当時、傾倒していた
分析心理学(深層心理学)の手法で
金光教祖の事跡を
心理分析したものである。
金光教に分析心理学的なメスを
入れたものだが、
総じて、金光教の先生方には
あまり評判がよろしくなかった(笑)。
それでも、自分的には、
腑に落ちる事大ありで、
やってよかったと思っている。
それにより、
金光教の価値を低めたわけではなく、
逆に、その普遍的価値を見出したので、
教内の先生方に、その辺りを
汲み取って頂けなかったのは
残念ではあった。
金光教を第一義として
修行され、布教に努力されている
目上の先生方に、
「人間は、金光教の為に
生きてるのではありませんよ」
と、憎まれ口をきいたりしたので(笑)、
小面憎い若造だと
思われたに違いない。
そうなると、
【坊主憎けりゃ袈裟まで憎い】で、
誰がお前の物なんか認めるか・・・
となるのも当然だろう(笑)。
こういうトリックスターを
その内部に包含してこそ、
懐の深い、奥ゆかしさにもなるのだが、
いったん組織化されると
集団凝集力によって、
異物を排除しようという
力学が働くのである。
これは、
宗教教団に限らず、
国家・社会・企業組織など、
如何なる集団にも起こり得る
社会心理的力動なのだが、
その結果としては、
その集団は衰退するというのも
歴史的な事実なのである。