毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。
葉月も末
となりにけり。
明日から長月。
前線の影響で
不穏な天気ながら、
日中は31℃の夏日になるという。
大気が水蒸気に満ちてるのか、
湿度が80%もあり
フローリングがベタったとして
不快なので除湿を入れた。
そろそろ、
秋雨前線による
「秋の雨季」なのだろう。
此の地はまことに
四季がはっきりしている。
秋雨と梅雨と雨季があり、
冬は雪が降り、
夏は猛暑。
台風もくれば、
春の嵐もある。
きのうは
朝方は晴れ間が見えた。
吾妻山のうえに
小さな入道雲が湧いていたが、
散歩からもどる頃には、
もうつぶれかかっていた。
夏の名残りのような
空模様であった。
虚空蔵さまのお祭りで
お決まりの“牛なで”を
してきた。
患部をなでると
よくなる、
という信仰があるので、
石像の牛がトロトロと
輝いている。
ナツホが小学生の頃、
二人できた時も、
頭がよくなるようにと、
頭をなでた。
背後の阿武隈川の渓谷は、
いつもながら
なかなかの眺めである。
毎朝、ルーティンの
ブログを書く前に
連載を終えた心理サイトの
アクセスをチェックしている。
昨日も「14400」と
伸びていて、
24時間に1000単位が
5つもあり、
へぇ~と、人事みたいに
見ている。
これまで投稿したサイトで
一日14.400回なんて、
かつてない最高記録のアクセスなのに、
あまり嬉しくも感動もしないのは
なぜなのか・・・。
終わったことには
感心がなくなるのか、
「今ここで」の目の前のことが
常にいちばん大切なのかもしれない。
エリクソンの発達論では、
現年齢は
「統合期」の準備期でもあるので、
アイデンティティとコスモロジーの
統合作業が目下の
形而上的な課題としている。
これには、
一緒に熟交対話したり
インスパイアしてくれる
友人・知人・仲間がいる。
20代の頃から、
「現象から真実を引き出す」
という思考実験の訓練をしてきたので、
さすがに還暦ともなると、
いろいろと見えてきた世界がある。
「存在の意味」
「宇宙の真の姿」
「神論」
これらがインテグレートした形で
自分にとって納得できる辺りまで
近づいてきた感がある。
形而下的課題は、
サイコロジストとして、
ギタリストとして、
どう仕事や演奏スタイルを
習熟、完成させるか、
というオメガ点へ到達すべく
勉強、研究、熟考、実践、練習している。
来年4/14の
ファイナル・リサイタルの
ソロプログラムでは、
自家薬籠中の十八番物だけで
構成するつもりである。
もう何百、何千回も
弾いてきた曲ばかりを
今新たな気持ちで向き合って
練習している。
あと七ヶ月の間、
ギターと真摯に向き合い、
音楽と真摯に向き合い、
その向こうに何が見えるか
とことんやってみるつもりでいる。
第五週目の週休を
夏休みのリズムで
過ごしている。
ここ数日は、
前線の影響で
曇りか雨で
涼しくもある。
また少しばかり
残暑が戻るという予報だが、
少しずつ、秋モードの体に
馴れていってほしいものである。
抗コレステロール薬と抗鬱剤を
十数年来服用しているので、
内科と精神科の主治医に
二~三ヶ月おきに受診している。
最近も、
どちらのドクターからも
様子を訊かれて
「もう、夏バテです・・・」
と応えると
「今年はねぇ・・・。
自律神経やられるよねぇ」
と苦笑いされていた。
熱中症の危惧はなくなったが、
秋モードの体に
シフトチェンジするまで、
また自律神経系やホルモン系の
バランスが整うまで
「更年期障害」のような
心身の不調感を伴うかもしれない。
今時のHSP
(ハイリー・センシティブ・パーソン)
にも当てはまるので、
あまり内部感覚の痛覚やら症状には
捕らわれないようにしよう
と意識はしている。
なので、
ブロガーとしての
ルーティンを守り、
本を読み、漫画を読み、
録画番組を視、散歩をし、
買い物をし、料理を作り、
人とお会いしている。
大学ギター部の先輩から
二本のギターメンテを
請け負ったので、
隙間時間を見つけては、
ちょっとずつ作業に当っている。
弦をすべて外して、
サウンドホール内の
クリーニングから行うが、
毎度のことながら、
数十年を経た楽器からは
決まって毛玉が出てくる。
去年の女子後輩の
アン・ムク・ライちゃんたちの
ギターでも35年も経たものからは
立派に育った毛玉が採れた(笑)。
女性オーナーだと
自身の髪の毛なども含まれるから
恥ずかしく思うかもしれないが、
みなオバさんになった今は
「よく育てたねぇ・・・」
と、笑いのネタにもなる。
かく言う自分のギターでも
十数年ぶりにメンテしたものからは
立派な毛玉が出てきて、
「おー。育ったなぁ・・・」
と、毬藻を観るみたいに
変な感激がある。
次の工程として、
指板と金属フレットの磨きになるが、
三十年ものでは
銀色のフレットが黄銅色にまで
変色しているので、
金属コンパウンド『ピカール』で
磨き出しをかける。
これが、
なかなかの重労働で、
フレット1本を甦られるのに
1分は磨かなければならない。
細いフレットを
親指と人差し指で
ギュッと挟みながらやるので、
やりすぎると爪の内側に
炎症を起こしたこともある。
それと、
この季節では
いくら強冷房下ではあっても、
7~8本磨いただけで
汗が滝のように流れる。
でも、
黄銅色から銀メダルみたいな
ピカピカな色が復元すると
やはり古楽器を補修しているような
修復家としての職人的充実感がある。
指板の木目も甦り、
薄くオイルをコーティングすると
新品のような輝きを取り戻す。
駅前の「こむこむ」前に
突如あらわれた
巨大なモニュメント
『サン・チャイルド』に
市民の非難が殺到したというので、
早々と撤去となり、
アーティストに依頼発注した市長は
責任をとって給与の一部を自主返納した。
はじめて見た時、
「なんじゃ、こりゃ?!」
と意味不明だった。
二階の天井まである大きさに
奇異な防護服に、
胸に電子カウンターで
「000」と表示されている。
ひと目で
作品の意図が理解できない。
今回の騒動で
ようやく作品の真意が解り、
それを批難した市民感覚も
了解できた。
作者は、
もうフクシマは防護服は要りませんよ、
放射能0ですよ、
と言いたかったのだろう。
市民感情としては、
フクシマがそれほどに汚染されていた、
という二次的風評被害を懸念するのと、
現在でも決して「0」ではないんだ、
という苛立ちを、その禍々しい
警告色から感じるのである。
それを「子ども未来館」の前に
堂々と設置するのは如何なものか、
というので
「やめてくれ」
となったのである。
おそらく、
制作費、設置費などで
一千万以上はかかったと思われるが、
解体してゴミになるのは
なんとも血税の無駄遣いであった。
新市長は、
自分の任期内の仕事として
目に見える偶像を設置し、
退任後も孫に自慢して
聞かせる気だったかもしれないが、
とんだオウンゴールとなった。
もっとも、
決定を下した市議会も
見識がなかったのだろう。
どーせやるならば、
市民に公募するなり、
コンセンサスを
得るべきであったろう。
一昨日、
「9470」だったカウンターが
昨日は「12.760」に達していた。
もう、
一々驚きもしないが、
「へぇ~・・・」
という感じはある。
ウィンドウズ95と同時に
我が家にもパソコンがやってきて
ネットが始まり、
HP、掲示板、複数サイトでのブログ、
と20年来、相当の書き込み、
投稿をしてきた。
懐かしいのは、
某ブログで短篇を連載した時、
毎日の訪問者が「1」だった。
でも、
向こう側にいる
その誰かに伝えるために、
毎日、怠らず
楽しんで書き続けたことがある。
なんだか、
カウンセリングにも似た
一対一の全人的な
濃密な関係性と言えないこともない。
なので、
「12.760」なぞという
今だかつてないアクセスに、
本来なら大喜びしてもいいのだが、
でも、なんだか、
誰が読んでいるか解らない状況よりも、
誰かがしっかり読んでくれている、
と確信して書いていた頃の気持ちを
忘れずにいたい。
今週はソータ・ウィークで、
日曜の『アベマ戦』にはじまり、
昨日の順位戦、31日の新人王戦と、
対局中継が目白押しなので
ソーシアン(ファン)としては
嬉しい限りである。
心理屋の間では、
フロイト派→フロイディアン、
ユング派→ユンギャン、
ロジャース派→ロジェリアン、
などと称すので、
ソータ派→ソーシアン
となる。
アベマ戦では、
チェスクロック戦という
特別ルールで、
持ち時間5分の超早指しで、
反射神経の勝負でもあった。
相手は高見叡王だったが、
ベストオブ3局マッチで、
2-1でソータが制した。
5歳からの11年間で
何万局と指しているのだろうから、
一手5秒でも
間違いなく直感で
最善手を指し続けるのは
驚異的である。
昨日の青野九段との
順位戦では、
双方持ち時間合わせて12時間の
本格の半日戦だったが、
対局の中盤には
圧倒的優勢から勝勢になり
ソータは持ち時間2・5時間を
余しての楽勝だった。
早い段階での
「投了」も有り得る
敗着の一局だったが、
九段の65才の意地なのか
時間を使いきるまで指し、
プロとして「棋譜を汚した」という
ファンの批判コメントもあった。
解説者や視聴者のコメントで、
「無慈悲な16歳」
「鬼高校生」
と揶揄され畏怖されるほどの
勝負師としての
厳しい指し手を連発し、
老九段の緩手を咎めた。
それは、まるで、
棋界に彗星のごと登場した
≪四百年に一人の天才≫が
昭和世代の旧棋士たちに
「引導を渡す」
世代交代の通過儀礼を
見るかのようであった。
この日の対局では、
いつものように、
年長者、高段者に敬意を表し、
20分前に下座に着座して
精神を集中し決戦を待つ
稀代の天才少年棋士に対して、
元理事の老九段は6分遅刻して
三倍の18分のペナルティで開始された。
敗戦後の生コメには
「大事な棋戦に
遅刻してくるようでは、
もう勝敗以前・・・」
という厳しい評論も多々あった。
棋界の歴代勝率第一位の
ソータに対しては、
他の棋士たちも
襟を正して
「藤井くん」ではなく
「藤井先生」とマジで
呼ぶようになってきた。
≪四百年に一人の天才≫
というのも
棋界から出た称号なのである。
年老いても
自分を凌ぐ若い才能には
敬意を表したい、
と自戒させられた棋戦でもあった。
昼食・夕食を交えての
14時間もの棋戦では、
一手に1時間の長考もあるので、
その間は仕事や勉強、
編曲なぞをやっている。
昨晩は、
カレーにトッピングする
ピスタチオの殻むきをしながらの
観戦だった。
これを炒ってから
擂鉢に入れて
カミさんに擂粉木棒で
ドッコン、ドッコン潰させた。
とたんに
得も言えぬナッティな香りが
キッチンに広がり、
タイ風カレーのフレーバーと
マリアージュして、
エスニック・レストランのような
アロマチックな晩餐になった。
連載終了した日に
最高の8459アクセスを
記録した心理サイトが、
2週間して昨日は9470で
記録更新していた。
ワンクリックで
アクセス数が確認できるので、
これまでも、連載終了物は、
反響を見るのに
ひと月ほどは様子を見ている。
なんといっても、
人様に読まれてこそ
書き手としては
モチベーションが上がるので、
終わった事は振り返るまい
とは思いながらも、
次の連載物のネタを考えながら、
新しい創作のエネルギー源として
カウンターをチラ見している。
今朝の朝刊のトップに
「さくらももこ」の訃報が
報じられていた。
乳癌で
享年53という。
日曜の夕食の時間帯は
子どもたちが幼い頃から
『まる子』と『サザエさん』を
見ながら・・・という
スタイルだったので、
今もその習慣が続いている。
まる子は作者の分身でもあるので、
なんだか大人になった「まる子」が
亡くなったような感じがして、
ちょっと寂しくもある。
もっとも、
サザエさんの長谷川町子も
平成4年に亡くなって
久しい。
それでも、
作品と作中キャラは
生き続けるのである。
まる子も
もやは国民アニメ化した。
こないだは
お姉ちゃん役の声優がなくなり、
主役のTARAKOは落胆したようだが、
原作者の死去で
また落胆のコメントが載った。
親友だった
吉本ばななも
さぞかし落胆していることだろう。
かつては
エッセイも幾冊か読んだが、
改行せずの長文なのが読み辛くて
愛読書には至らなかった。
漫画の軽快さに比して
文章はそうでなかったのが
不思議でもあった。
それでも
感性は鋭い作家だった。
夏休みが明け、
ひと月ぶりに校門をくぐると、
さすがに、
職場に戻った、
日常が帰ってきた、
バカンスが終わった、
という感慨が湧いた。
幸い、生徒たちは
課題テスト日で、
指導委員会会議はなかった。
カウンセリング室が
執務室であるが、
スクールカウンセラー第一期生として
もう二十年来、
書類仕事も自らオリジナルの雛形を
創り出してきたので、
それを整理したり書くことは
まったく苦もなく
仕事感もない。
教員時代は
始業式前は、
どこか気が重かったが、
それは、また授業が毎日ある、
というプレッシャーだったかもしれない。
今は、授業からは解放され、
自分好みに整えた自室に
訪れてくる生徒や教員、父兄方を
話し相手としているから
ずっと気は楽である。
授業は
生徒が変わるだけで、
教授メソッドは十年一日(いちじつ)
変わるものではない。
カウンセリングは
百人来たら百人とも内容が違う。
百人の不登校生には
百通りの家族背景があり、
自己実現のしようがある。
「事実は小説より奇なり」
であるから、
人間や物語に興味がある自分には
それぞれのライヴ人生に
立ち会っているようで
興味がつきない。
臨床心理学は
「人助け」の学問でもあるから、
公共に資する充足感もあり、
人間研究は「自分とは何か」という
形而上的好奇心も満足させてくれる。
講演では
自作冗句(ジョーク)で
「乞食とカウンセラーは
三日やったらやめられませんから・・・」
と聴衆を笑わせている。
もっとも、
プロの仕事としては、
楽なことばかりではない。
「生き死に」の問題は
日常茶飯だし、愚痴や不満も
恒常的に聴いているから
ストレスフルであることは確かである。
だから、
自身も「うつ病」になった。
でも、
懇意の研究会仲間だったドクターからは
「それは、カウンセラーの勲章だよ」
と慰められ
嬉しくも思った。
愚痴ばっかり言ってる
お母さんからは
「いつも、先生を
ゴミ箱代わりにして、すみません」
と謝られたことがあるが、
そのゴミの中に
ダイヤモンドを見つけることができるから
プロなのであり、
この商売の妙味で、
やめられないのである。
生身の人間の物語は
小説や映画、漫画、ドラマの
フィクション物には
比べようもないライヴ感があるのは
当然であろう。
それでも、
出来得る限りの『物語』の
プロトタイプを吸収すべく
小説、映画、漫画、ドラマには
「ソフト喰い」と自嘲自覚しながら
脳内データベース化している。
玄関の室礼を
ひと月ごとに改める
という修練を、
茶道を嗜むようになって来、
三十年あまり続けている。
京都・吉倉・清水町の家には
茶室があったので、
その床の間の室礼をも
掛け軸、茶花、飾り物の
三点構成で常に考えていた。
茶会もしばしば催したので、
道具組み、会記なども
隙間時間があると
いつもあれこれと
考えながらいた。
子どもたちの美術作品類も
目利きして、表装しては
室礼に取り入れている。
邪心欲心たっぷりの
似非禅坊主の
ケレン味にまみれた
禅語の書なぞよりも、
無垢で邪気の無い
我が子の書画の方が
百倍も尊い。
それを解さぬ
似非茶人や俗人客も
交わるに値せずと
値踏みが出来る。
お盆に帰省して、
また都会に戻った
アキの中学時代の作品を
表装して飾った。
なんだか
瓢げていて面白味があり、
大好きな
仙躓想陝覆擦鵑?い?椶
今日から二学期。
今朝は雨で
涼しい。
とはいえ、
寝室は27℃で
湿度70%なので
あまり快適とは言い難い。
昨晩も
熱帯夜だったのか、
寝苦しくて
眠りが浅かった。
夏休みは終わったが、
今週は第5週なので、
非常勤だから
明日から週末までは
まだ休みである。
週2日の
棚倉勤務が始まる
来週からが
本格的な始動である。
この夏休みは
ほんとに猛暑・酷暑にやられたが、
冷房と遮光カーテンで
暗い穴蔵生活をしながら
なんとか生き延びた。
還暦の夏。
朝寝・昼寝・夜寝と
よく寝た。
散歩と筋トレも
欠かさなかった。
マンガを沢山読んだ。
専門の勉強も
よくした。
土日と近所で
朝から花火がドンドンと
あがったので、
虚空蔵さまの夏祭りだと思い、
散歩コースの目的地にした。
途中にある春日神社は
長年近所に住んでいて
一度もお参りしたことがなかったので、
初めて、大鳥居をくぐって
石段を登った。
うまくいけば、
山の頂上で隣の虚空蔵さまに
連なっているかと期待したが、
残念ながら連絡路はなかった。
なので、
低い小山を昇り降りして、
また虚空蔵さま目指して
昇りなおした。
カンカン照りではなかったが、
湿度が80%近くあり、
30℃くらいの陽気だったので
丘登りといっても
かなりシンドイものだった。
それでも、
ブロガーには
「インスタ映え」ならぬ
「ブログ映え」しそうな
被写体がけっこうあり、
「取材! 冒険!」
と、己れに鞭打ってガンバッた。
これがホンマの「蛇口」があり、
「水神」さま「雷神」さまの石塔に
床しさが感じられた。
祭りの二日目だというのに、
以前は山門の外まで
延々と張り出していた
露店の姿がまったくなく、
「エーッ!?」
と怪訝に思い
いささか落胆もした。
ナツホが小学生の時分に
一緒に来て以来だったが、
その時も露店が減っていて
寂しく思ったが、
それでもまだいくらかあって
お祭りらしかった。
なのに、
山門に辿りつくまで
ガランとして店もなく
人もいない。
朝方あがった
威勢のいい花火は
なんだったの?!
と思ってしまった。
“元祖・お祭り大好き少年”なので
隆盛を誇っていた頃の
虚空蔵さまのお祭りに
何度も訪れた記憶から、
こうも寂れて様変わりしたことに
失望を禁じえなかった。
それでも、
宝暦二年建立という山門をくぐり、
百日紅越しに臨む本堂は、
プチ京都の風情があって
ちょっぴり慰められた。
まだ正午前というのに、
誰もが年老いた氏子たちが、
わらわらと祭事の片付けに
汗していた。
カメラを手にした
バックパッカーみたいな
散歩姿だったので、
「今年は露店は出なかったんですか?」
と訊ねてみたら、
Vサインを示して
「二軒だけね・・・」
と寂しげに苦笑いしながら
おせーてくれた。
ふたりの老氏子によって
ゴザの上に賽銭箱が
ひっくり返され、
奉納金がジャラジャラと
出てきた処に立ち合わせたが、
見れば両手にすくえるほどの
十円、五円玉ばかりだった。
なるほど・・・
ここまで寂れたかぁ・・・と、
感慨深いものが
ないでもなかった。
若者はいず、
参拝客は来ず・・・。
どこの宗門も
寂れるばかりである。
オウム事件来、
宗教へのアレルギーが増し、
既存宗教も社会問題や
個人の自己実現問題に処方箋もなく、
SNSに心奪われる若者は
神様・仏様より
スマホ様なのである。
かく言う自分も
訴求力・魅力のなくなった教会から
60年目にして脱会して、
独り信仰に切り替えた。
きのうは
散歩前に家のご神前で
ご祈念をし、
近所の氏神様、春日神社、
水神様、雷神様、虚空蔵様と
神様ショッピング・デーだった。
子どもの頃から
神信心が好きだったと言う
金光教の教祖は
『信心文さ』と
大人たちから囃されもし
崇められもしたという。
自分もそうだったので、
さしずめ、
『信心修さ』かと思って、
苦笑した。
息子たちも
小さい頃は、
家の前にあったお地蔵様に
手を合わせていたことがあったが、
はたして大人になった今、
そういう敬虔な心や
人間を越えるものに対する
畏怖する心があるのだろうか。
神は実在するものか、
人間の創出した
「至高なるもの」の
メタファーなのか、
というのも毎月の
宗教臨床研究会の
テーマでもある。
『瑠璃と料理の王様』に出てきた
李朝期の黄銅匙(サッカラ)というのが
魅力的だったので、
ヤフオクに出品されていたものを参考に
古楽器工房でコピーを作ってみた。
カレー用のスプーンを
ペンチではさんで
まずはバーナーで
真っ赤になるまで熱する。
それから、
金床にのせて金槌で
トンテン、カンテンと
叩くこと数十分。
これがけっこう
たいへんな作業であった。
室内には冷房をガンガン効かしていたが、
それでも汗がしたたり落ちた。
途中から、
ヘンデルの『調子のよい鍛冶屋』の
鼻歌を口ずさみながら、
なんとか真っ平らになった。
それを水を張ったバケツに
ジューっと入れて焼〆る。
それから取っ手の
膨らみを削り落とすのに
グラインダーとベルトサンダーで
ウイウイやること数十分。
その間は、
防塵マスクと
防塵ゴーグル姿である。
なんとか
ストレート・ライン出しができたので、
仕上げは古楽器製作と同じく
オイル研ぎの行程である。
耐水ペーパーに
オリーヴオイルをつけて
根気よく研ぎ出していく。
これまた、
冷房してても
汗が噴き出す。
最後は
金属用コンパウンドで磨きあげ、
洗剤で洗い落として
完成である。
サッカラの黄銅色こそないが、
形はデッドコピーできたので
1.5時間ほどで
ヤフオクの一本1.500円分の
仕事をした気分で
満足した。
明日は、さっそく、
この李朝風のサッカラに似合う
カレーを作って、
使い心地を試してみたい。
キムチがあったので、
ボンカレーに入れて
ラム肉を付け加えてみようと思う。