『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

コガネムシは金持ちだぁ~♪

2024-12-08 07:00:47 | 懐石

吾妻の山々も
雪化粧をし、
すっかり冬めいてきた。

巷では、
コロナ、インフル、マイコの
“トリプルデミック”が
流行っており、
身内の者も罹って
難儀をしたという。

*

きのうは、
叔母・叔父さんたちと
常連の三星懐石での
会食会だった。

叔母二人とは
幼い頃、同居していた
気心の通う間柄なので、
二時間のあいだ
笑いっぱなしだった。

特に、八十になったばかりの
タカちゃんは、
ピン芸人顔負けのオシャベリなので、
ハラが捩れるほどに
笑わされた。

常連店の座敷ならではの
無礼講だったから、
哄笑でもって
愉快な叔母の笑劇場を満喫できた。





先付けは、
揚げ胡麻豆腐。

お喋りの叔母さんが
いきなり山葵でむせて
ヒヤリとしたが、
気だけは若いので
「婆さん。あるあるだねぇ…」
と、自虐ネタで
笑わせてくれた。

スーパーでも
胡麻豆腐は買えるものだが、
それを片栗粉をつけて
「揚げ出汁豆腐」にする
という発想はなかなか
家庭では浮かばないが、
今度、やってみようと思った。





八寸は、
焼き白子、烏賊の黄身焼き、
海老の含め煮、生麩田楽、
干柿の天麩羅。

先月のフレンチ同様、
鱈の白子に
まったく臭みがないので、
それなりの下拵えが
施されているのだろう。

烏賊はお造りでも出された
身のぶ厚い樽烏賊で
モッチリと噛み応えがあった。

先日の京都での
『美濃吉』『熊彦』『錦水亭』の
八寸にも引けを取らぬものであった。





煮物椀は、
錦真蒸、紅葉麩、
黄柚子・・・の牛乳仕立て。

最高の一番出汁に
わずかに牛乳が加わって
モダン且つ華やいだ
吸い地であった。





お造りは、
縞鯵、樽烏賊、紅葉鯛、鮪。

シマアジは、
透明な身に
銀皮の跡が残り
美しく見栄えも佳かった。





蒸し物は、
鮟肝、生麩、トリュフの
餡かけ茶碗蒸し。

蛸唐草の碗蓋を取ると
ふわりとトリュフの艶冶な香りが
立ち昇った。

まったりした味わいの鮟肝は
恰もフォアグラのような食感だった。

翡翠のような銀杏も
碗の底に潜んでいた。





焼き物は、
寒ブリに寒大根の
バルサミコ仕立て。

鰤ダイコンは
鉄板の取り合わせである。

バルサミコもモダンな
風味である。




〆は、
香り豊かな
切干大根のご飯。

叔母曰く
「ちょっとずつ、
ゆっくり食べると
おなか一杯になるねぇ・・・」

まさに、同感。





主菓子は、
紫芋と手亡(白隠元豆)の羊羹。

穏やかな甘味に癒され、
そこに、お薄を喫すると
法悦の心地よさに
陶然となった。

**

今回は、
年長叔母の
ご馳走振舞いだったので、
「ゴチになりやす!!」だった。

持つべきものは、
ケチでない“小金持ち”の
叔母さんたちである(笑)。

「2000万の通帳が
どっかいっちゃった・・・」
だの、
「手元にいつでも使える200万、
現金で隠してある・・・」
だの言うので、
「死んだら、家(や)探ししよーッ!!」
と、年少叔母と大笑いになった。

 

 

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京都入り「初日」

2024-11-30 07:22:20 | 懐石

きのうは、
カミさんに送ってもらい
駅に着いたら、
通勤の人たちは皆
コートにジャンパー姿だった。

自分だけジャケパン・スタイルで
寒々としたかっこで
馬鹿みたいに見えた。

そっか、季節は冬だったんだぁ…と、
馬鹿みたいに、人々の防寒スタイルで
気がついた。

幸い、新幹線に乗ったら
暖房でポカポカだったので助かったが、
カラダが芯まで冷えて
風邪ぇ引かなきゃいいんだけど…
と懸念された。

🤧💦
(夜から頭痛になった)

東京まで93分。
京都まで131分。
およそ3,5時間で行けるようになり、
新幹線もスピードアップしている。

ただ350キロの猛スピードだと、
地形のアップ・ダウンや
カーブのバンクで減速・加速すると
落下するような重力加速度を
感じる箇所が数カ所ある。

京都には11時半に着いたので

隣接するホテル・グランヴィア内の
『美濃吉』で昼懐石をした。

自家製の胡麻豆腐の揚げ出汁は、深味のある餡と共に美味しく頂いた。

 

京都は白味噌。はんなり、こっくりした煮物椀。

 

明石の鯛は、関西ならではである。

 

海老芋と蕪の炊合せ。

 

サワラの焼き物とマイタケ、三度豆の天麩羅。パウダー状の雪塩が供された。

 

ご飯には、ちりめんじゃこが…。

 

〆の甘味は、胡麻風味の白玉善哉。

 


京阪→叡山電鉄で
八瀬比叡山口の瑠璃光院まで
脚を伸ばした。

 

早々と、クリスマスツリーが

飾られていた。

 

文知摺觀音でも見た
床もみじの本場の京都版がある。

在京中にはなかった名所で
かつての料亭を大阪のお寺さんが
買い上げて、観光寺院に仕立てたと
タクシーの運転手さんから伺った。

北野白梅町からは
嵐電に乗って、嵐山まで赴いた。

ペンションでひとっ風呂浴びてから
30年前の在京中に行った
『熊彦』で夕懐石を頂いた。

夜の渡月橋も風情があった。

 

平日の夕餉だったので、
さすかの老舗も
広間には中国人アベックと
自分一人のみだった。

(この二人は
クチャクチャ食べ音が激しく、
文化の違いとはいえ、
品がないなぁ…と、
ゲンナリした)

女将さんが挨拶に来られたので、
30年前に『玉締め炮烙膳』を
頂いたことを話したら、
なつかしがって下さり
「まだ、うちが娘の頃どした」
と、生粋の京都弁で言うので、
【東(あづま)男に京女】
の格言を思い出し、出来るだけ
ハキハキした東言葉で応じた。

かつて、京都出身の女の先生に
「センセの話しぶりは
男らしおますなぁ…」
と言われた事がある。

そしたら、
『男はつらいよ』の中でも
寅さんの話しぶりに
京都の芸妓たちが
「おたくはんの話し言葉は
惚れ惚れしまんなぁ~」
と、うっとりするシーンがあった。

そんな不思議な相性が、
両者にはあるのやもしれぬ

 

豪華な前菜。

 

海老真丈の煮物椀。

 

サワラの焼き物。古備前風のお皿が見事だった。

 

炊合せは、美濃吉と同じ、蕪と海老芋。

 

酢の物は、鯖の砧巻き。龍紋の黒楽平碗が見事なものだった。

 

茸ご飯。奨め上手の中居さんが「お代わりをどうぞ」と言うので、頂いた。

 

〆は、紅葉狩りを彷彿させるグレープフルーツのゼリー。

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一所懸命・一生懸命の“ひとり茶事”

2024-11-23 06:20:05 | 懐石

きのうは
月一の『ひとり茶事』に
三ツ星懐石店に
出向いてきた。

毎月、通っているので、
親方、女将さんとも
すっかり馴染みになり、
常連さんのお仲間入りに
なったかもしれない。





先付は
『帆立の黄身酒盗和え』

朱いクコの実も
酒に漬けられたものだった。

帆立に合間って
鰹の腸(わた)も
深みのある味だった。





吹き寄せは、
『鯖河豚の唐揚げ
 海老の含め煮
 カリフラワーの甘酢煮
 蜂蜜漬け髙田梅の天麩羅
 エリンギの卸し酢』





煮物椀は
『牡蠣真蒸の霙(みぞれ)仕立て』

熱々の真蒸を頂くと
牡蠣の風味が鼻孔から抜け、
これまた、熱々の椀つゆが
それを追い掛けて
陶然となった。

紅葉麩と黄柚子の
コントラストも、
ついこないだ
紅葉狩りで眺めた景色を
彷彿させた。





続いては、お造り。

皮付き金目鯛は、
透明な淡いピンク色の身に
ほどよく脂が乗っていて
旬の旨味を感じさせてくれた。

それに比する処の鮪の赤身は、
鮮やかなガーネット色で、
しっとりとした食感と共に、
濃厚な味わいが口中に拡がった。

透き通るような鯛の白身は、
ほんのり薄紅色がまだらにあり、
ぷりっとした弾力と
繊細な旨味で愉しませてくれた。

紋甲イカは、
ねっとり絹のように滑らかで、
その光沢は新雪の肌にも似ていた。

これらの彩りが
土味のある鳴海織部に盛られては
まさに、目でも舌でも楽しめる
一皿となる。



***

蒸し物は
『豚角煮の東寺蒸し』

湯葉を使ったものを
「東寺蒸し」というが、
京都には生麩を扱う専門店が
いくつかあった。

碗ごと蒸してあるので、
熱々で供され、
塗りの木匙で葛餡とともに
とろとろの湯葉と
ほろほろの角煮をすくう。

一碗を平らげると、
カラダが芯から温もり
薄っすら汗ばむほどだった。

まさに、
晩秋から初冬にかけての
温かいご馳走である。



***

つづいて
『白子の素揚げ』が
出汁のきいた土佐酢で
供される。

白子の「白」と
紅葉卸の薄桃色、
パプリカの黄と赤、
獅子唐の緑が
縁に山道のある黒小鉢に
映えていた。

カリ、トロリ・・・
とした、これまた熱々の
佳肴である。

臭みも全くなく、
河豚のそれにも
匹敵する旬の味わいである。



***

〆には
『豆ご飯』

お新香・味噌汁と共に
しみじみと美味しく頂いた。



***

仕舞には
『白玉善哉』と『お薄』が
供された。

口中を甘くしてから
抹茶でそれを濯いだ。

自服以外に
薄茶を頂くのは、
まさに、月一の
この機会だけである。

なので、
いつものように、
一碗に感謝し
「一期一会」の今を
マインドフルネス精神に則り、
利休居士が戦国武将たちに立てた
「この世の別れ」の茶のように
心して喫した。






 

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【生きる事は食べる事】

2024-10-26 05:27:48 | 懐石

きのうは、
月一の【ひとり茶事】を
三ツ星懐石店で
堪能してきた。

本物のプロの
職人やシェフたちの
妙技を味わい、
こころを和ませ、
且つ、豊かさを味わうべく、
毎月、馴染みの
懐石、フレンチ、鮨店と
定期的に訪れている。

加齢と共に
運動も出来なくなり、
もっぱらゴロゴロとして
漫画読み、YouTube視聴のみでは
残り少ない人生に
彩りが淋しいものである。

そこで、
満腹の為ではなく、
その技芸も味わえる満足の為に、
一流料理人の元を
訪れている。

それも、馴染みになれば、
気心安く、口福の時を
楽しめる。

***



付きだしは、
「ホタテの菊花巻き」

張られた三杯酢が
とてもマイルドで
最後に飲み干せるものだった。

 



吹き寄せは、
「鮭の玉素焼き、海老含め煮、
出汁巻玉子、もずく酢、丸十檸檬煮」

丸十とは、
薩摩芋のことである。

 



煮物椀は、
「零余子(ムカゴ)真蒸と
白玉の豆乳仕立て」

紅葉麩と青柚子、
錦霰(にしきあられ)により
深まる秋の風情が
一椀の中に見事に描かれていた。

ほっこりした真蒸に
もっちりした白玉。
はんなり味の吸い地は
とろりとした飲み口だった。

椀底まで吸い切ると
思わず、
「ほぉ~ッ
と、香しい吐息が漏れた。

 



つづいては、お造り。
紅葉鯛に中トロ、
烏賊、雲丹。

目にも鮮やかな
黄交趾(こうち)の蓋物に盛られ、
鮪の真紅、雲丹の橙(だいだい)が映え、
恰も、紅葉の山里を
彷彿させるものだった。

 



強肴(しいざかな)は
赤絵の蓋物での
「鰈の蕎麦粒蒸し」

旨味の濃い鰈が
蕎麦掻きのような生地で被われ
蒸しにかけられ、
熱々の葛餡が張られている。

時折、蕎麦粒の
ぷつんとした歯応えがあり、
また、その香ばしさも感じられた
面白き逸品だった。

 



揚げ物は、
「海老団子と獅子唐、パプリカ」

熱々で、
カリリ、フワリとした
二段階の食感は
食楽のひとつで、
揚げ物ならではの
お楽しみでもある。

 



〆は、
「舞茸ご飯に
えのき茸の味噌汁、お新香」

ご飯にたどり着くと、
ホッと安堵するのは、
なぜだろう・・・(笑)。

家庭でも
何万、何千回となく
食べてきているから
なのだろうか・・・。

試しに、手元のスマホの
電卓で66年×365日を
概算してみたら
「24.090回」となった。

なるほど、
生まれてから、
それほどの回数も
ご飯を食べてりゃ、
ホッともするわいなぁ・・・(笑)。

 



茶懐石でもあるので、
主菓子には
「南瓜羮と無花果の甘露煮」

 



お仕舞いに
お薄が共された。

左手の掌(たなごころ)に
碗の高台を受け、
右手の五指は直角に張って、
茶の湯の作法に則り
諸事万物に黙礼して後
喫した。

今月も、無事、
店主、女将、半東さんの
おもてなしを受けて
『ひとり茶事』を
恙(つつが)無く
やらせて頂く事が出来て
お礼を申し上げた。

来月の予約も
させて頂き、
お三方のお見送りを受けて、
市中の山居を後にした。

来月は、
その一週間後に、
上洛して、
『美濃吉』『たん熊』『錦水亭』で
本格「京懐石」を
堪能してくる。

【生きる事は食べる事】
でもある。

ならば、心して、
有り難く
深く味わわねばなるまい。



***

きのうから
竜王戦「第三局」が
京都の仁和寺で始まった。

勝敗は、今日の夕方頃になりそうだ。

きょうは、これから、
山のガッコの文化祭を見に行く。

なにせ、全校生4人で、
その全員の母子共々に
カウンセリングをやっているから、
SCは関係深い学校人でもある。

また、文化祭を直接見て、
各人の努力の跡を認めて、
カウンセリングでも
しっかり誉める材料にしたいとも
考えている。

ポジティブ・ストローク
(肯定的評価)は、
その子の「自己効力感」を
増進させるものである。

幼少期から誉められて育てられた子は、
確固たる「自己肯定感」が身に付き、
しっかりしたアイデンティティを
早くから確立することができ、
「自分のやりたい事」を
確実に遂行していく、
という自己実現の道を
歩むものである。



*

リク坊の
「七五三」の写真が
送られてきた。

まだ、四つなのに、
前倒しで、撮ったようだ(笑)。

この子も
褒められて育ってきたので、
どんなパフォーマンスも
自信に満ちた表情でやり、
終わってから、必ずや
「楽しかった」
と言うから、大したものである。

先日の
結婚式での「乾杯の音頭」も
テーブルに戻ってくると
「楽しかった」
と言っていたので
ジイジは感心したものである。

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【郷に入らば郷を味わえ】(笑)

2024-10-04 06:45:28 | 懐石

腺窩性扁桃炎も
抗生物質が効いてくれて
治まりつつあるようで有難い。

きのうの朝方は
それでもカラダがしんどくて
鎮痛剤を呑んでの出勤だったが、
フルタイムを勤務しても
退勤時には疲弊も体調悪化も
しなかったので、
これはトンネルを抜けたか・・・と、
嬉しく思った。

きのうは
ご新規さんがキャンセルになったものの
5人のJCのうち3人もが
希死念慮があり、二人は
要医療ケア一歩手前の
プチ・デプ(ちょい鬱)で
推奨している生活改善療法
(日光浴・補液・軽運動・温浴)を
継続して実践してくれないので、
この気候変動が激しい外的環境も
ストレスになっており、
セラピストの方が心穏やかではない。

さるドクターも仰っていたが、
医者やクスリが治すのではなく、
患者さんの「治そう」
「生活を改めよう」という
治療意欲がなくては
手助けしたくとも稔らない、
というのに、尤もだな・・・と
痛感している。

そしたら、
自分の組織検査結果「良性」の
「お礼」のメールを差し上げた
Tちゃん先生から返信を頂いて、
我が事への注意も喚起されていて
アタタタ・・・。゚(;´д`) ゚。
と思わされた。

「何事もなく安心すると、
この病気を通して
神様に教えて頂き、
見直した食生活も、
段々と以前の通りでも大丈夫のように
思えてくるかもしれません。

『大酒大食するは絶食のもとぞ』
というみ教えの通り、
何事も過ぎれば、良いものも
体に毒になってしまい、
内蔵も疲れてしまうと思います。

どうか、喉元過ぎれば…
となりませんよう、
身体に負担のかからない食生活を
維持していただきますように、
よくお願いさせて頂いております」

きょうは、オフ日なので、
これから、『ひとり快気祝い』の
第二弾に、オープンしたばかりの
フレンチのデジュネ(ランチ)に
予約してある・・・。

(^▽^)>テヘヘ…♪

(美食はしますが・・・
大酒・大食はしませんので・・・)
神様、許してつかぁーさい・・・ (´人`)

きのうも
11月末の上洛での
教え子たちとの会食会や
自分の「ひとり懐石」の
予約を京都の店にしたばっかである・・・。

 (´д`|||)

ま、ふだんは
夕餉の残り物・余り物の
粗食の手作りベントを
有難く頂いているわけだし・・・。

たまの職人仕事を味わうのは
人生の「ハレとケ」のメリハリ、
「気晴らし」「気養い」としても
大事な「3R」(リフレッシュ・
リラクゼーション・レクリエーション)
という事にしている(笑)。

*

ポリープ切除の三日前に
ギター練習でこしらえた
指先の血豆がカサブタになり、
今朝方、きれいに落ちていたので、
これをメルクマールとして
術後の緩下剤『モビコール』の服用を
今日で止めにした。

思えば、血便が出て
切除を終えるまで、
丸々2ケ月半ほど
毎朝、服用していたので、
楽々ゆるゆるのお通じがあったが、
いきなり、それをやめて
大丈夫かしら・・・という、
一抹の不安もあるが・・・。

術後二週間が過ぎて、
まったく血便が観られないので、
切除部の「人工潰瘍」も
キレイに元通りの上皮細胞に
復元してくれたもの
と信じている。

*

今朝方、カミさんの車が
出発した跡の庭に
二階の廊下から
オレンジの点が見えたので、
何か知らん・・・と、
怪訝に思って、よくよく観たら、
早成りで熟した柿がポトリと
落ちたものだった。

昨日、嵐山のペンションに
宿の予約を入れたばかりなので、
(そうだ・・・。
 落柿舎(らくししゃ)にでも
 行ってみっか・・・)
と、ふと脳裏に浮かんだ。

在京中は、観光シーズンを避けて、
夕刻の頃に、フミを抱っこして
家族三人で人気のない嵯峨野を
よく散策して歩いた。

その原風景が彼に残っているのか
後年、リク坊をつれて
ちょいちょい嵐山に行ってるようだ(笑)。

*

公けには
コロナ明けだそうで、
インバウンドも回復し、
京都のホテル・宿は軒並み
11月末のシーズンオフにも関わらず
変動相場で3~5万という価格帯で、
高けぇなぁ・・・と、感じた。

こういう時は
ペンションが安上がりなので、
検索してみたら、
渡月橋の近くの一軒が
朝食付きで10100円という
廉価だったので、さっそく予約した。

電話口の御主人の対応も
物腰柔らかで、
「お待ち申しております・・・」
という好対応だったので
これはアタリだなと感じた。



対して、
夕餉の懐石に選んだ
近所の「熊彦」は
40年ぶりに訪れるが、
電話対応が、待たされるわ、
温かみのない口調だわ・・・で、
『船場吉兆』みたいに
この老舗も慣れっこに堕したか・・・
と、懸念された。

京都には、
観光客ズレしている店が少なくなく、
前の客のキャンセル料理を出されたり、
蟻が徳利に入ってたり、
ギューギューに詰め込まれたり・・・
という不快な思いをした店も多々あった。

なので、
老舗「たん熊」の嵐山店も
大丈夫かいな・・・と、
電話対応で不安がらせるようだった。

40年前は、
金光第一高の理科会で
京都習いの「ごはん食べ」の
幹事を仰せつかってたので、
フレンチやら懐石やら、
散策を兼ねて、定期考査中の
息抜きの愉しみとして出かけていた。

理科会は
物・化・生・地の先生方が
7名ほどおられたので、
毎回、賑やかに
散策と昼餐を楽しんだ記憶がある。

京都お生まれの先生からは
東北出身の自分がいつも
「散策会」を企画してたので、
「せんせ。よう、いろんなとこ、
知ってはりますなぁ・・・」
と、感心もされた(笑)。

マンション管理組合の
理事も務めたことがあるが、
京都人は金閣も清水も
行ったことがない
という人が普通だった(笑)。

そんなものなのかなぁ・・・
と思ったものである。

なにせ、自分とカミさんは
東北人なので、
在京中は外国暮らしをしてるような
高揚感があり、毎週末は
「中年・修学旅行生」のように
ありとあらゆる処を
視尽くして廻ったし、
食べ尽くして廻った(笑)。

閑話休題。



40年前の『熊彦』と
玄関の様子は同じだが、
内部は改装されたようである。

当時は、わりとキチャナイ
(古びた?・・・笑)
玄関口の椅子席での
安価な松花堂弁当だったが、
「玉〆炮烙焼き」という
茶碗蒸しの大仰版(笑)が
名物として出てきた。

今回は、一人旅なので、
弁当よりは豪華な、
それでも最安価な
懐石のコースにした。



果たして、
月一で通っている
地元の三ツ星懐石と
どっちに軍配があがるか・・・
サービスも込めて
判定してみたい。

*

『錦水亭』にも
在京中に、存命だった父が
母親と孫の顔を見に来た折、
昼餐に出向いたことがある。

平成元年生まれのフミが
1歳頃だから、
そうすると35年前くらいになる。

長岡京市は
筍の名産地で、
『錦水亭』も筍料理が売りだが、
シーズン外は通常の懐石もある。

やはり、日本料理は
関西が本場で、
なかでも「京料理」は
千利休が居た地でもあり、
茶懐石・会席ともに発展した
歴史的な地なので、
【郷に入らば郷を味わえ】(笑)
である。













 




 

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