毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。
郊外のカフェに食事に出たら、
ススキと月見草が咲いていて、
アキアカネが群れをなして
飛んでいた。
今年は、大雨を期に
突然、秋に突入した感がある。
このまま残暑もなく
清々しい季節に移行してくれたら
ありがたいものだが。
生徒の水死事故から
やや「うつ」っぽくなって、
特有の「希死念慮」や「貧困妄想」で
気を病んでいたが、
教え子たちから慰められて
少しずつ回復してきた。
カフェに
外人向けの
英文観光ガイドがあり、
「音楽堂」の写真が載っていた。
世界的名ホールの写真が
アマチュア音楽家の自分を
鼓舞してくれているようで、
(ああ・・・。
来年も、再来年も、
復興支援のために、
フクシマのために、
みんなのために、
ギターを弾かなくては・・・)
と思えた。
カフェの帰り道、
久しぶりに
「四季の里」に寄って、
誰もいない東屋で、
1時間、10月のコスキンの2曲を
練習した。
園内のいちばん端にあるので、
人がいなくて
広大な景色を前にして、
気持ちよく練習できた。
まだ憂いな気持ちは
完全に払拭されてはいないが、
それもまた音楽として
ギターの音に表現してみようと思う。
気持ちが落ち込んで
「うつ」っぽくなると、
自分はダメな人間だなぁ…と、
つくづく情けなくなって
死にたくなってくる。
三つの勤務校の校長が
いずれも自分と同級生で、
先日も関連中学に連絡を
取ったら、そこの校長が
大学ギター部の
同期の親友であった。
なんだか、自分だけが
一介の非常勤カウンセラーで、
社会的地位も報酬も
遥かに低いかと思うと、
比較しても詮ない事だが、
なんだか情けなく感じてしまう。
高学歴プアというのも
当てはまるが、なにせ
カミさんの1/4しか
稼いでいないので
家の中でも肩身が狭い。
だから、夕飯は
ちょっとしか
食べないようにしている。
元気のいい時は、
「俺は道落者だ」
などと嘯いているが、
「うつ」になると
途端にダメダメ人間という
自己嫌悪に陥ってしまう。
周囲からは
自分のやりたい仕事と
音楽ができて羨ましい
と言われることがあるが、
その実、「貧すりゃ鈍する」で
劣等感の塊みたいな
悶々とした気持ちを抱いている。
学問や音楽や
生徒たちと向き合っている時には、
辛うじて、自分は
人生の時間とエネルギーを
人様とは違った事に注いできたんだ…と、
出世とは異なる「特異な道」を歩んできた事を
納得しようと自分に言い聞かせているが・・・。
人を癒すサイコセラピストや
アーティストの道を選んだ者は、
己の貧しさと惨めさに耐えて
人々の笑顔と感謝の言葉を
生甲斐、報酬としなくては
ならないのかもしれない。
ここ数日の急激な
秋への季節転換で、
脳が機能障害を起こしているようだ。
やる気が起きないし、
過食に走って
体重が1キロ増えてしまった。
本を読む気力もないので、
仕方なく、撮り貯めた映画を
観るともなく眺めている。
『華氏451』は、
トリュフォーの監督による
1966年のイギリスのSFものだが、
近未来を描いているのが、
今見ると滑稽でしかない。
消防士が火事を消すのではなく、
禁制の本を見つけては焼くという
ヘンテコな焚書映画である。
紙が燃え始める温度が
華氏451度(摂氏233度)
ということらしい。
退屈極まりない
お寒い映画だった。
妹尾河童の原作は
ベストセラーになったが、
戦時中もので
連ドラの『カーネーション』や
『ごちそうさん』と被っているような
内容でもあった。
ランちゃんは
ずいぶんと老けていた。
題名の意味は
「9.5週間の付き合い」
ということらしい。
美女のキム・ベイシンガーが
惜しげもなく裸身を晒し、
あらゆるラヴシーンを
連続して見せる
極めてエロティックな作品である。
組織の暗殺者が事故で
記憶喪失になり、
「私は誰?」の状態で
ドタバタ劇となる。
珍しいプロットではあった。
ジャキー・チェンが
脇役という珍しい作品。
ラストの
少林寺の僧侶と
軍隊の戦いは
凄惨でもあった。
「リベリオン」とは
「謀反」という意味で、
これも近未来もので、
戦争をなくすために、
感情を生起させるような
あらゆる芸術作品を抹殺しようと
政府が弾圧するという
ムリっぽい内容で『華氏451』に
どこか似ていた。
先々月から、
先生、生徒と
学校関係者が立て続けに
亡くなったので、
カウンセラーとして
いささか気が滅入っている。
幸い、
メンタル・クリニックの
定期診察日だったので、
ドクターに少しだけ
溢すことができた。
自分も「うつ」持ちなので、
ふと「死にたい」という気分に
襲われることがある。
気が付いたら、
どうやったら楽に死ねるだろうか、
と本気で考えている自分がいて、
「希死念慮」から
「自殺企図」の段階だなぁ…と、
メタ認知している自分もいる。
来年の『復興支援リサイタル』の
会場予約もしてあるし、
2016年の第3回の
プログラムも決まっており、
10月のコスキン出場の手続きもした。
第一、息子がまだ大3と高3だし、
自宅でも5つの学校でも
何十人ものクライエントを
抱えている身なので
簡単に死ねるわけもないのだが・・・。
それでも、ふと
「死のうかなぁ…」
と本気で考えている自分と
「なんとか生きなければ」
と立て直そうとする自分が
葛藤している。
親しい先生方には、
「もう、死ぬかもしれない…」
と、甘えなのか、
弱気の心情を吐露して
「そんなこと言わないで下さい…」
と窘められたり、
笑われたりしている。
先日、
医大の解剖学教室の
「しらぎく会」に
献体の手続きをして、
カミさんには
「葬儀はしなくていいから」
という遺言らしきことを
伝えておいた。
昔から
「死ぬ死ぬと言ってる奴で
死んだためしがない」
という名言があるが、
その類なのかもしれないが…。
昨日からの寒々とした
雨天気のせいなのか、
なにせ、気が重い。
大学ギター部の夏合宿で
恒例のレクチャー&コンサートを
やってきた。
OB会会長を引き受けた
5年ほど前から、
春・夏と年に2回
参加している。
今年は、1年生が
6名入部していて
全部で30名ほどだという。
春もレッスンした
2年生の彼は、
難曲の『タンゴ・アン・スカイ』が
以前よりもだいぶ進歩していた。
この調子なら
来年か再来年には、
音楽堂での定演で
ソリストとして舞台に立てるだろう。
去年の女性部長だったAちゃんは、
『復興支援リサイタル』では
ボランティアで
ステージ・マネージャーを務めてくれた。
4年なので
同じく音楽堂で、
独奏者として卒業演奏するようだ。
レッスンでは、
思うように弾けず
悔しそうだったが、
こちらの厳しい要求にもかかわらず、
「今までで一番楽しかった」
と言ってくれた。
これから院試と練習で
忙しそうである。
恒例の新入生のための
『禁じられた遊び』と
『アルハンブラの想い出』の
模範演奏をした後、
こないだ棚倉夏祭で初演した
『鬼平』の主題曲
『インスピラシオン』をやってみた。
あれからも
かなり弾き込んだので、
ほぼ完成に近づいている。
これならば10月のコスキンには
十分にピーキングに
持っていけそうである。