志村けんが死んだ・・・。
コロナにやられた。
古希を過ぎた高齢であり、
ヘビードリンカー、
ヘビースモーカー、
だったというので、
銀座か何処かの酒場で
感染したのやもしれぬ。
彼を主役に映画を撮りたいと
構想を温めていた
山田洋次監督は、
「もすこし健康に留意してほしかった・・・」
と、その早死にを
惜しむコメントを寄せた。
ドリフの『全員集合』に
初めて出演したシーンを
今も覚えている。
荒井 注の付き人として、
引退後にデヴューさせようと、
イカリヤ長さんが抜擢し、
舞台袖の上から下まで、
ただ、ヤカンをさげて、
中腰の瓢げたかっこで
通り過ぎるだけの役だった(笑)。
初めて画面に
「志村けん」の名が
テロップされた時だった。
ライヴ会場の子どもたちも
TV前の自分も、その不思議なキャラに
目をパチクリさせた。
!?(ʘʘ)!!
その後の彼の活躍は
『東村山音頭』で大ブレイクし、
『ひげダンス』を流行らせた。
中でも、
いちばんウケたのは、
股間から首を出す
白鳥の着ぐるみだった(笑)。
動くたびに
ブラン、ブランいう首に、
腹を抱えて笑った記憶がある。
ヒ~!! _(_ _)ノ彡☆ バンバン!
そして、
『変なおじさん』
『バカ殿』
『ひとみ婆さん』
という秀逸なオリジナル・キャラを
創作したのは、
稀有なコメディアンである。
「なんだ、チミはッ?!」
「なんだ、チミはッ・・・ってかぁ」
「あ、だかーら、変なおーずさんぅ!」
「ダッふんだぁ!!」
「アイーン!!」
「あんだってぇ・・・?!」
「だっいぃじょンぶだぁ~!!」
・・・数々の名文句を
日本コメディー史に残した。
前人未到の境地を開拓し、
独創性(オリジナリティ)を
創出する人々を
「天才」と言う。
その死は惜しまれるが、
小池百合子都知事の言を借りれば
「コロナの恐ろしさを世に知らしめて、
最後にいい仕事をされたと思います」
に納得した。
【後世に教訓を残す者】を
「Sacrifice/サクリファイス/犠牲者」
と言う。
事実、彼を知る若者たちに、
コロナの脅威を身をもって示したので、
その死は有意義であったと思われる。
最近、忘れがちになるが、
憎むべきは習近平/テドロスの
凶悪コンビ。
【凶悪王/醜悪王】が
【笑いの王】を死に至らしめた、
この深層的な意味は
奈辺にあるのだろうか。
悪が善を滅ぼす?
「表現の自由」弾圧の弊害?
悪政が「笑い/喜び」を封殺?
「ナンダ!! チミたちはッ!?」(凶悪コンビに・・・)
「笑い」とユーモアを忘れるな!!
「大丈夫だぁーッ!!」(笑)
「愛ーンっ!!」(笑)
⋰⋰⋰
かつて、
小野高校に勤務していた頃、
志村けんが鶴瓶の番組で
ブラリと学校に来たことがあった。
残念ながら、
勤務日でなかったので、
当人には会えなかったが、
カウンセリングを受けていた子たちが
生・志村と話をしてテレビにも出た。
その素顔は
いたって真面目っぽく、
かえって、浮足立って
ニタラニタラしてた
教頭さんの方が、よっぽど
芸人みたいだった(笑)。
弓道場にも足を運んで、
全国大会に出場したA子ちゃんに
手ほどきを受けたら、
思いのほか真っ直ぐに的近くまで跳んで、
その時に、初めて、
TVで見せるような
お道化た笑顔になって
「ドーダ!!」
をしてみせ、
生徒たちを笑わせてくれた。
あの時、TVとは違った
彼の生身の優しさ、繊細さを
感じ取った生徒たちには
一生の思い出になったに違いない。
その彼らも、
今回の訃報には、
哀しい思いをしたことだろう。
希代の笑芸人・志村けん・・・
その死を悼み、合掌。
(-人-)
山木屋の仕事帰りに
よく立ち寄っていた
「月見食堂」が
今日で閉店する。
なので、
きのうは、わざわざ、
川俣まで出向いて
“最後”の「昭和ラーメン」(400円)を
心して賞味してきた。
いつに変わらず、
素晴らしく、美味しかった。
お昼時に訪ねたのは
初めてであるが、
「閉店」を惜しんでの
“駆け込み”客と思しき層も
散見され、常連と共に、
満員御礼だった。
コロナ警戒のこの時節柄、
狭い店内で肩寄せ合うように、
みな、お婆ちゃんが作る
その懐かしい味の
“最後”を味わっていた。
昭和・平成・令和と
五十一年の長きにわたり、
健勝に営んでこられた
お婆ちゃんは
まことにアッパレである。
仕事帰りに寄っては、
多客のいない夕方に
よく長話をさせてもらったものである。
毎日、YouTubeで視聴している
『エハン塾』(2017)で、
「量子もつれ」の実験が
パルマ島と離れた島との間で成功した、
と知った。
その実験手順は・・・
1 2つの光子(フォトン)AとBを接触させる。
2 片方のBをレーザーで離島へ飛ばす。
3 Aを時計回りにスピンさせると、Bは瞬時(同時)に逆スピンになる。
4 Aに第三のCを接触させると、離島においてCと逆スピンの光子が出現する。
この現象は距離とは関係なく、
何億光年離れていても生じるので、
アインシュタインを終生悩ませて
「信じ難い現象」と言わしめた。
しかし、現実は事実である。
光速に影響されずに、
同時に変化するというのは、
情報の「移動」ではなく、
まるで一つの物質に光が当たると
同時に影が生じるような
同一事象の「極性」変異とも
思わされる。
第三の量子が
離れたところで生じるのは、
AとBで「情報」を共有しているので、
あたかも、C→A→B→C'と
情報が瞬時/同時に
伝達しているようにも見える。
しかし、それは、
経時的な情報の「移動」ではない。
まるで、時空にワームホールがあって、
量子どうしが「表裏」で接着していて、
「表」が決まると「裏」が決まるような
イメージを思わせる。
この「量子テレポーテーション」という
実験事実を応用できれば、
理論的には、素粒子からできている
人間(情報)をも「瞬間移動」できる
可能性はある。
それこそ、
『スタートレック』で
散々見た、あの、「転送」マシンが
近未来に登場するやも・・・である。
ニュートン、アインシュタイの唱えた
マクロコスモスに適応できる法則性は
量子力学の登場によって、
ミクロコスモスでは適応できないことが判明した。
「波動エネルギーであり粒子である」
という量子の性質や、
「トンネル効果」
「量子テレポーテーション」
という摩訶不思議な現象が
現実にあるが、
果たして、これらが、
実世界の現実とどう関係性があるのか、
まだ、専門家も理解できていない。
一足飛びに妄想的な
スピリチュアル解釈に陥ることなく、
理性的に、科学的に、合理的に、
これらの量子世界と現実界との
相応関係について
考えを続けている。
コロナにやられた。
古希を過ぎた高齢であり、
ヘビードリンカー、
ヘビースモーカー、
だったというので、
銀座か何処かの酒場で
感染したのやもしれぬ。
彼を主役に映画を撮りたいと
構想を温めていた
山田洋次監督は、
「もすこし健康に留意してほしかった・・・」
と、その早死にを
惜しむコメントを寄せた。
ドリフの『全員集合』に
初めて出演したシーンを
今も覚えている。
荒井 注の付き人として、
引退後にデヴューさせようと、
イカリヤ長さんが抜擢し、
舞台袖の上から下まで、
ただ、ヤカンをさげて、
中腰の瓢げたかっこで
通り過ぎるだけの役だった(笑)。
初めて画面に
「志村けん」の名が
テロップされた時だった。
ライヴ会場の子どもたちも
TV前の自分も、その不思議なキャラに
目をパチクリさせた。
!?(ʘʘ)!!
その後の彼の活躍は
『東村山音頭』で大ブレイクし、
『ひげダンス』を流行らせた。
中でも、
いちばんウケたのは、
股間から首を出す
白鳥の着ぐるみだった(笑)。
動くたびに
ブラン、ブランいう首に、
腹を抱えて笑った記憶がある。
ヒ~!! _(_ _)ノ彡☆ バンバン!
そして、
『変なおじさん』
『バカ殿』
『ひとみ婆さん』
という秀逸なオリジナル・キャラを
創作したのは、
稀有なコメディアンである。
「なんだ、チミはッ?!」
「なんだ、チミはッ・・・ってかぁ」
「あ、だかーら、変なおーずさんぅ!」
「ダッふんだぁ!!」
「アイーン!!」
「あんだってぇ・・・?!」
「だっいぃじょンぶだぁ~!!」
・・・数々の名文句を
日本コメディー史に残した。
前人未到の境地を開拓し、
独創性(オリジナリティ)を
創出する人々を
「天才」と言う。
その死は惜しまれるが、
小池百合子都知事の言を借りれば
「コロナの恐ろしさを世に知らしめて、
最後にいい仕事をされたと思います」
に納得した。
【後世に教訓を残す者】を
「Sacrifice/サクリファイス/犠牲者」
と言う。
事実、彼を知る若者たちに、
コロナの脅威を身をもって示したので、
その死は有意義であったと思われる。
最近、忘れがちになるが、
憎むべきは習近平/テドロスの
凶悪コンビ。
【凶悪王/醜悪王】が
【笑いの王】を死に至らしめた、
この深層的な意味は
奈辺にあるのだろうか。
悪が善を滅ぼす?
「表現の自由」弾圧の弊害?
悪政が「笑い/喜び」を封殺?
「ナンダ!! チミたちはッ!?」(凶悪コンビに・・・)
「笑い」とユーモアを忘れるな!!
「大丈夫だぁーッ!!」(笑)
「愛ーンっ!!」(笑)
⋰⋰⋰
かつて、
小野高校に勤務していた頃、
志村けんが鶴瓶の番組で
ブラリと学校に来たことがあった。
残念ながら、
勤務日でなかったので、
当人には会えなかったが、
カウンセリングを受けていた子たちが
生・志村と話をしてテレビにも出た。
その素顔は
いたって真面目っぽく、
かえって、浮足立って
ニタラニタラしてた
教頭さんの方が、よっぽど
芸人みたいだった(笑)。
弓道場にも足を運んで、
全国大会に出場したA子ちゃんに
手ほどきを受けたら、
思いのほか真っ直ぐに的近くまで跳んで、
その時に、初めて、
TVで見せるような
お道化た笑顔になって
「ドーダ!!」
をしてみせ、
生徒たちを笑わせてくれた。
あの時、TVとは違った
彼の生身の優しさ、繊細さを
感じ取った生徒たちには
一生の思い出になったに違いない。
その彼らも、
今回の訃報には、
哀しい思いをしたことだろう。
希代の笑芸人・志村けん・・・
その死を悼み、合掌。
(-人-)
山木屋の仕事帰りに
よく立ち寄っていた
「月見食堂」が
今日で閉店する。
なので、
きのうは、わざわざ、
川俣まで出向いて
“最後”の「昭和ラーメン」(400円)を
心して賞味してきた。
いつに変わらず、
素晴らしく、美味しかった。
お昼時に訪ねたのは
初めてであるが、
「閉店」を惜しんでの
“駆け込み”客と思しき層も
散見され、常連と共に、
満員御礼だった。
コロナ警戒のこの時節柄、
狭い店内で肩寄せ合うように、
みな、お婆ちゃんが作る
その懐かしい味の
“最後”を味わっていた。
昭和・平成・令和と
五十一年の長きにわたり、
健勝に営んでこられた
お婆ちゃんは
まことにアッパレである。
仕事帰りに寄っては、
多客のいない夕方に
よく長話をさせてもらったものである。
毎日、YouTubeで視聴している
『エハン塾』(2017)で、
「量子もつれ」の実験が
パルマ島と離れた島との間で成功した、
と知った。
その実験手順は・・・
1 2つの光子(フォトン)AとBを接触させる。
2 片方のBをレーザーで離島へ飛ばす。
3 Aを時計回りにスピンさせると、Bは瞬時(同時)に逆スピンになる。
4 Aに第三のCを接触させると、離島においてCと逆スピンの光子が出現する。
この現象は距離とは関係なく、
何億光年離れていても生じるので、
アインシュタインを終生悩ませて
「信じ難い現象」と言わしめた。
しかし、現実は事実である。
光速に影響されずに、
同時に変化するというのは、
情報の「移動」ではなく、
まるで一つの物質に光が当たると
同時に影が生じるような
同一事象の「極性」変異とも
思わされる。
第三の量子が
離れたところで生じるのは、
AとBで「情報」を共有しているので、
あたかも、C→A→B→C'と
情報が瞬時/同時に
伝達しているようにも見える。
しかし、それは、
経時的な情報の「移動」ではない。
まるで、時空にワームホールがあって、
量子どうしが「表裏」で接着していて、
「表」が決まると「裏」が決まるような
イメージを思わせる。
この「量子テレポーテーション」という
実験事実を応用できれば、
理論的には、素粒子からできている
人間(情報)をも「瞬間移動」できる
可能性はある。
それこそ、
『スタートレック』で
散々見た、あの、「転送」マシンが
近未来に登場するやも・・・である。
ニュートン、アインシュタイの唱えた
マクロコスモスに適応できる法則性は
量子力学の登場によって、
ミクロコスモスでは適応できないことが判明した。
「波動エネルギーであり粒子である」
という量子の性質や、
「トンネル効果」
「量子テレポーテーション」
という摩訶不思議な現象が
現実にあるが、
果たして、これらが、
実世界の現実とどう関係性があるのか、
まだ、専門家も理解できていない。
一足飛びに妄想的な
スピリチュアル解釈に陥ることなく、
理性的に、科学的に、合理的に、
これらの量子世界と現実界との
相応関係について
考えを続けている。