『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

花寄せ

2024-03-15 09:00:46 | 室礼改め

昨晩は
寝入って熟睡中の
0時15分に
凄まじい地鳴りと共に
かなり大き目な余震に
目を覚まされた。

けっこうな揺れだったので、
すぐさま足元のテレビをつけてみたら、
「震度4」とあり
勤務校のK中あたりは「震度5」とあった。

来週の月曜に
最終勤務日になるが、
箱庭療法の遊具などが
床に落ちて壊れていないといいな
と懸念された。

それと、4階のカウンセリング室での
執務中でなくて、幸いした。

いつか、大余震が来たら・・・と、
常々、シミュレーションはしているが、
4階で揺れが増幅することも考えられ、
震度5以上だったら、
床に「大の字」で腹ばいになろうと
考えている。

一昨年には「震度6」
その前年は「震度5」
の余震があり、
去年も同程度のものを覚悟していたが、
とうとうなく、久しぶりに
昨晩の「震度4」がやや大きめだった。

それでも、3.11来、
何千回という余震を体験しているので、
あの日の「震度6」の3分間や
当日「震度5」規模の余震が
二百回以上あった恐怖に比べれば
ずいぶんと耐性ができている。

ただ、きのう、
カウンセリングをやったばかりの
「地震恐怖症」のJCは
先日の「震度2」でも
恐怖・心悸亢進・冷や汗・振るえが
1時間ほど治まらなかったという。

なので、ゆんべの余震では
そうとうに肝を潰したことだろう。

来週の面接で、
場合によっては、
パニック障害用の
トランキライザーの頓服を
ドクターに処方してもらうように
リファーが必要かもしれない。

 



*

3年生を担任していた
カミさんが
卒業式で花束を沢山もらってきたので、
家じゅうの花入れを総動員して、
玄関室礼に「花寄せ」をした。

6年間の
『復興支援リサイタル』を
やっていた頃は、
閉演後にはいつも
こんな感じになっていた。

今現在、花粉症もピークで
目が痒いばかりでなく、
全身の倦怠感や眠気があり、
毎日、ロラタジンを服用している。

***

きのうのベントには
珍しく、前夜の菜の残りで
小肌の酢〆をバーナーで炙って
おかずの一品とした。

 



*

きょうは、
山の学校の
最終勤務日である。

おそらく、まだ、
おとついの積雪が
溶けずにあるだろう。

 



*

真福寺前の
お地蔵様も
すっぽり雪をかぶっておられて、
『笠地蔵』の爺様のように
蓑笠でもかぶらせてあげたい
ような心境になった。

***

 

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朝飲みタンギー爺さん(笑)

2023-04-09 09:01:15 | 室礼改め

端午の節句を
迎えるのに
玄関室礼を改めた。

我が家では
ダンゴ三兄弟だったが、
本物の鯉幟なぞ
買う余裕もなく、
あげる場所さえもなかったので、
そんな孫たちを不憫に思ったのか
亡父が30年前に兜を買ってくれた。

三人とも
文字通り“孫可愛がり”されたので、
亡き祖父を覚えてはいなくとも、
その愛情は彼らの情操を
豊かに育んでくれた。

庭のレンギョウとボケも
亡き父が手植えして
今春もみごとに
開花している。

***

そろそろ自分の人生の
“店仕舞い”を控え、
近年、昭和へのノスタルジーが
年ごとに募るようである。

終活の一貫でもある
《昭和食堂》めぐりも
こつこつと続けている。

最近は、
街中の『大政食堂』に
何度も通っている。

50年以上もつづいており、
老婆店主が真摯に
経営を貫いているが、
他の閉店になった店々のように
いつ仕舞いになるやも分からぬので、
行けるうちに行っておこうと
足まめに通っている。

きのうは
ワンタンメン(700円)を
やってきた。

麺と鶏ガラスープは
まぎれもない昭和味で、
今や、絶滅危惧種ラーメンである。

ワンタンが
やや硬かったのが
残念だったが、
そこはそれ“老婆の休日”だから(笑)、
よしとするっきゃない(笑)。

全メニューを制覇する気はないが、
餃子やら、炒飯やら、
まだ味わっておきたい
定番品目がいくつかある。

土曜のきのう、
朝10時開店のところ、
11時頃に出かけてみたら、
すでに二人の常連らしき老人が
しっかり“朝飲み”をしていた。

隣卓で真向いになったひとりは、
どこかで見たことのある風貌で
(あっ!!  そーだ!!
  ゴッホのタンギー爺さんだ!!)
と、唐突に思い出した(笑)。

ご当人を面前に、
スマホでググッてみたら、
その絵が出てきて、
当人と並べてみたら
なぜか吹き出したくなってしまった(笑)。

タンギー爺さん、
餃子をアテにチューハイを
うまそうにチビチビやっている(笑)。

土曜の11時だっちゅうに・・・。
ま、いいや・・・(笑)。

・・・にしても、
昭和食堂ならではの
点景である(笑)。

これが、ファミレスや
洋食店では似つわしくない。

カウンターの爺様は、
ホルモンをアテにやってたが、
途中から「ご飯と味噌汁」を
頼んでいた。

ふたりとも後期高齢者の風情だが、
前期高齢者の自分もいれると、
「ジイ様が集う昭和食堂」で
一句吐きたくなるようだった(笑)。

平成生まれや
令和生まれには、
昭和食堂の「昭和味」は
時代遅れの異次元なものかもしれず、
店構えも古臭くてダサいから、
アホげなギャルやユーチューバーも
いい按排に寄ってこず、
〈G様サンクチュアリー〉は
昭和ジジイの楽園にもなっている(笑)。

なので、
「昭和食堂」めぐりは、
楽しい終活でもある。

*

“昭和飯”から帰宅すると、
これまた、グッド・タイミングで
妙齢の郵便配達おねーちゃんが、
来てくれて、Amazonに注文してた
「ちばてつや」の昭和漫画を
届けてくれた。

奥付を見たら、
「昭和50年」初刊とある。

自分が高3の頃の
書籍である。

短編集なので、
作品自体はさらに古い
70年代のものだと思う。

『螢 三七子』はじめ
『あるあしかの話』なぞ、
文学的ともいえる
秀作だった。

ここにも、
昭和テイストが溢れており、
日本的美観の
「侘び・寂び」
「もののあはれ」
が、そこはとなく感じられた。

*

ブログを書いてたら、
突然に、雪が降りだして
驚いた。

強風と相まって、
まるで、ブリザードのようである。

庭のナポレオン桜の花と
不思議な光景を見せていた。

漫画『美味しんぼ』のなかに、
菓子職人が悩んだ末に
吉野葛を厚めに工夫した
「葛桜」を茶席で供し、
それに感嘆した宗匠が
『暖雪』と命名する・・・
という一話があった。

 

 

*** 『魂理学』試論ノート7 ***

我われは「経験するため」に
この現象界にやってきた・・・
というのが、多くの
スピリチュアリズムが説くところである。

全米でベストセラーにもなった
『神との対話』では、
神は自らを経験するために、
自分の一部から自意識を分離させ、
自身をメタ認知できるようにした、
という。

それ自身で完結している
完全無欠なるものは、
完全なるゆえに、もはや
「何も始まらない。
 何も終わらない」
という、
「全クリ」
「コンプリート終了」
「完全飽和」
「究極・至高」
「ω(オメガ)」
の状態で
「無」に回帰してしまうのだろう。

なので、
自らを意識・経験する為には、
「不完全なるもの」
「自分を外から見たり、
考えたりするもの」
の存在が必要となった。

それゆえに、
電場の「+」と「-」
磁場の「N」と「S」
のように、
宇宙には「対極性」という
性質が生じた。

また、物質は
その根源の素粒子から物体まで、
「波動性」と「粒子性」
という重ね合わせの
量子的性質を有する。

魂理学では、
『神との対話』で言う処の
「神」という大元は
「サムシング・グレイト」
(何か偉大なもの)
より、さらに
パーソニファイ(人格化)を避けて、
あえて「原存在」とした。

この「原存在」が、
宇宙、生命を創生した
大元と考えてみた。

「わたしが存在している」
という疑いようのない
「自意識」の現象は、
この大元に根源があって、
同様の「自意識」があるだろう、
と推察している。

ただし、先述のように、
その自意識は、
自らの「完全性」ゆえに
「自分が存在している」
というメタ認が機能しないので、
多様性を創生させた。

「目」は、鏡なしでは、
「目自身」を見ることはできない。

この場合、投影という
作業が必要となる。

漫画的に、
「右目」は自分を見るには
「左目」を眼窩から取り外して(笑)、
視神経を延長コードでつないで見る、
という方法もありそうだが、
これだと、「右目」は
自分自身で自分を見たことにはならず、
やっぱり他者に確認をしてもらう、
ということになる。

**

人間的価値観と擬人化でもって
「原存在」の振る舞いを考えてみると、
「何も始まらない。何も終わらない」
のは、退屈きわまりないであろう(笑)。

「神の退屈」である(笑)。

精神科医で、深層心理の分析家で、
高名であったユングのところに、
アメリカン・ドリームを為して、
財も地位も名声も、何もかも
得た人たちが多く訪れた
という話がある。

これらの人々は、
物質世界での究極を極めたがゆえに、
その後にどうしていいか
方向喪失感に陥り、
とどのつまり、アル中や
ドラッグ中毒になったという。

その作用で
トリップ感や幻想感に
浸れるからなのであろう。

この話は、
「神の退屈」に
どこか似ているような気がした。

【この世は、神が見ている夢である】
という格言は、どこか、
【中らずと雖も遠からず】
ではないだろうか。

多くのスピ系本の結論では、
「我々は神の分身であり、
 我々は、個々に経験をする為に
 現象界に肉体を持って生まれた」
という。

また、これに、
ゲーム理論を加えて、
ゲームが「楽しく」成立するには、
ルールや制限が必要なのだという。

「肉体の桎梏」がそれであり、
「有限の寿命」も、
テニスやゴルフの
アウト・オブ・バウンズ(OB)
なのである。

それがないと、
ゲームとして成立しないのである。

人間の持つ、
ある種の「不自由性」は、
完全なる「自由」である
「原存在=神」が
ゲームを楽しむために設定された。

「苦しみ」も「辛さ」も
「痛み」も「死の恐怖」も
神(原存在)が体験し、
「自意識」でもって、
味わうためなのである。

そして、この過程は、
永遠・無限に繰り返される。

「楽しみ」「楽さ」「快感」「幸福」
に浸っていたければ、
それを選択する「自意識」として
存在すればいいが、
それとて、そればかりだと、
自ずとそれらの状態に慣れ、
麻痺し、飽いて、やがて無感動になり、
その対極を味わわねば
成立しなくなるのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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京の名残りを味わふ

2023-03-24 08:53:53 | 室礼改め

 

『京の旅』の名残りを
味わうかのように、
玄関室礼に
所縁(ゆかり)のアイテムを
飾ってみた。

桜色の紗の弁当包み。
『竹茂楼』の手拭い。
そして、京焼の団扇皿。

*

 

玄関を飾っていた
卒業式の花々を
神棚に入れ替えした。

朝に晩に、
ご祈念させて頂いてる神棚は、
老母が父が亡くなった25年前に、
大工さんに設えてもらい、
岡山の金光町の神具店で
揃えたものである。

ご神体は
『天地書附』
(てんちかきつけ)
という、教祖様の
書かれたものである。

右側が神様で、
左側が御霊様である。

月に一度は、
酒を布に湿らせたもので
「酒掃」という
お清めをさせて頂いてる。

神棚にお供えしたお酒は
並のものでも
極上の味になる・・・
と聞いたので、
頂き物の『純米吟醸』が
更に美味になるか
楽しみである。

*

庭のレンギョウが
真っ黄色に咲きだした。

樹勢の強い
生命力のある樹で、
これから、どんどん
伸長してくるので、
定期的な剪定が欠かせない。

サクランボも
まだ名残りの花を
咲かせている。

*

カウンセリング室前の木瓜も
優しげな朱色に染まりだした。

まさに、これから、
春爛漫にならんかという
庭の風情である。

ほいでも、
昨日、中国内で起こった
大黄砂嵐の余勢が
今日あたり
日本にやってくるというので、
午後から空は黄ばみそうである。

いっそのこと、
慈雨で清浄化してくれたら
いいのに・・・。

*

昨晩は、
フレンチの夕餉にした。

200円台と安価だった
ノルウェー・サーモンを
塩で〆てから酢に浸すという
「江戸前」仕事を施し、
さらにキッチンペーパーに包み
寝かして味を馴染ましてから
エマンセ(スライス)して
同系色のアシェットにドレッセした。

ソーモン(鮭)には、
アネット(ディル)が
定番なので、運よく、
スーパーのハーブコーナーで
それを見つけた。

ポワヴル・ロゼ
(ピンク・ペッパー)
のパンチのあるアロマと、
ユイル・ドリーヴ・シトロン
(レモン風味オリーヴ油)
の風味もヴィアン・マリアージュである。

フレンチをこさえる時は、
脳内をフレンチ・モードに
切り替えるので、必然的に
料理用語も仏語になる。

そう言えば、京都散策で、
妙心寺前を通り、
40年前に訪れた
『ブラッスリー関』が
まだ在ったのには驚いた。

その折、頂いた、
『グリル・ド・ラングスティーヌ』
(手長海老のグリル)
を鮮明に想い出した。

智積院会館で
ランチをした際、
りく坊のキッズ椀に
動物の絵がフランス語と共に
筆記体で描かれていたので、
それを読んでみたら
「フランス語わかるんですか?」
と、ミカちゃんが驚いていた(笑)。

「料理用語だけね・・・」
と言うと、
いちど家族フレンチを
振舞われたので、
納得した様子だった。

 

 

 

 

 

 

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雛飾り

2023-02-06 08:58:30 | 室礼改め

 

 

 

きのうは朝から
ソーちゃんの「棋王戦」
第一局を観戦した。

前日の検分の様子も
録画で見れて、
ホテルに到着しても
きちんスタッフに礼をする彼は
さすがに素敵な青年に見えた。

対局場に
羽織袴姿で向かう姿は、
さながら映画の一シーンのようで、
歌舞伎の大向うなら
「藤井ッ!!」
と掛け声をかけたいくらいである(笑)。

*

対局場では
正式な総礼の前にも、
全員に一礼するのも
彼の見事なマナーである。

それに対し、
渡辺棋王は歩きながら
頭をチョコンと下げるだけだった(笑)。

彼の奥様は漫画家で、
『将棋の渡辺くん』は
学校の図書館で面白く読んだが、
どうも、彼の生態は
ASDっぽいなぁ・・・と感じた(笑)。

きのうの立会人の
青野九段は、
かつて、ソーちゃんとの順位戦で
15分ほど遅刻してきて、
放送開始にも関わらず
なかなか現れず、
視聴者の顰蹙をかった。

厳粛な対局に遅刻してくるなんて・・・
と腹立たしく思ったが、
そんな心掛けだから、
コテンパンにやられた時には
溜飲が下がった。

プロ棋界の人々もそれぞれで、
当然ながら、誰もが
聖人君主というわけでもない。

*

棋戦の昼休には
玄関室礼を「雛飾り」に改めた。

 

在京中に『高島屋』の
茶道具コーナーで購入した
京都四条派・神沢 亜光の
はんなりした画風が気に入って
四十年来、茶室や玄関を飾っている。

他にも、
立ち雛の色紙が
いくつかあるが、
色彩が強すぎたり、
お雛様の顔立ちが
イマイチだったりで、
これ一択で飾っている。

*

 

棋戦を観戦しながらも、
工房に丸一日こもって
こつこつと楽器のパーツ造りに励んだ。

まずは、
ネックと指板を
三種つくり、
そのうちの一本を仕上げた。

今日は、
それに合うボディの
ベンディング(曲げ)加工を
しようかと思う。

***

 

朝方、出勤の準備をしていたら、
K中の教頭先生から電話がきて、
「今日は午後から全員下校になり、
午前中の予約が入ってませんので、
別な日に変更願います」
とのことで、
いきなりオフってしまった。

こういう日も珍しい。

前夜から
「明日は勤務」モードで
今朝も直前まで
「緊張モード」だったので、
降ってわいた「休み」感が
徐々に湧いてきた(笑)。

きのう一日、
棋戦観戦と楽器作りで
外出してなかったので、
きょうは、久しぶりに
山にでも行って
自然にふれてきようかとも
考えた。

 

 

 

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玄関室礼

2022-11-07 08:45:34 | 室礼改め

 

きのうは
玄関室礼(しつらい)を改めた。

 

今年33歳になる
長男のフミが
保育園で初めて字を覚えた時に
山頭火の歌を書かせたものを
晩秋の今頃にいつも掛けている。

幼児の 外連味(けれんみ)のない
児童画にも通ずる無垢な感じが
山頭火の自由句とよく融合している。

「た」の字が抜けて、
あとで付け足したので、
「これがホントのタヌキだぁ~」
なぞと、親子で笑いもした。

落款は、
中国への修学旅行で、
一級篆刻士に彫ってもらった
「陰陽印」である。

土湯の湧き水で
松煙墨を端渓硯でおろし、
象牙筆で書かせたもので、
濃淡、カスリにも味がある。

灰釉信楽には
庭の紅葉とウコギの若葉を
取り合わせてみた。

詫び寂び感にあわせて
在京中に幼いフミを連れての
金沢旅行で買った
飴釉の大樋焼を飾ってみた。

*

日中は
小春日和の温もりだったので、
散歩がてら近所の『やまや』まで
『ドランビュイ』を買いに出た。

帰りには
『からあげの匠』に寄って、
新発売の『油淋鶏』と
『手羽先揚げ』を買って、
裏のパチンコ店の大駐車場で
ジベタリアンになって(笑)
吾妻山を眺めながら
スナック食した。

『散歩のとき何か食べたくなって』
という池波 正太郎のエッセイ朗読を
車中のCDで幾度も聞いてたので、
(これも、そうだなぁ…)
と思い出し、独りほくそ笑んだ。

*

帰宅してからは、
作り置いてた
冷凍のパイ包み焼きを
解凍して片付けた。

ディジェスティフ
(食後酒)として、
ドランビュイを開封して
久しぶりに、
その高貴な香りを聞き、
深みのあるコクを楽しんだ。

かつて、この銘酒を
なんちゃってフレンチ・レストランで
カルト・ド・ヴァン(ワインリスト)に
“ドライヴイン”と記載されていて、
苦笑したことがある。

その一件で、
自分の中では、
“ナンチャッテ”から“オバカ”に
ワンランク降格になった(笑)。

*

きのうは
ソーちゃんのJT杯準決があり、
稲葉八段を下して、
決勝に進出した。

去年は、決勝で
トヨピーに敗れたが、
今回の相手は
何度も勝っている
イケメン・シンタローなので、
今度こそは優勝してほしいものである。

*

夕方、久しぶりに、
従妹のミキティ夫妻が
白菜と大根をもってきてくれ、
しばし、歓談もできて嬉しかった。

凸型の変形大根が
一本あったので、
「下にミニトマト二つ付けて
ブログにアップすべぇか…」
とお道化たら、
すかさず、カミさんが
「冷蔵庫にあったの、
すぐ、料理に使っちゃうもんね」
と、おバカを諫められた(笑)。

 

 

 

 

 

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