今年度、4月から
もうすでに45本の映画を観た。
この夏休みにも
BSで撮りためたものを
何本か観る予定である。
BS録画で観たが、
まるで、マンガそのものを
映像化したような造りだった。
97年の作品で、
敵役にシュワちゃんが扮している。
当時、21歳だった
バットガール役の
アリシア・シルヴァーストーンが
可愛いかった。
レンタルの新作で借りてきた。
アル中の機長に
デンゼル・ワシントンが扮している。
背面飛行で
大事故を回避した場面は
見物だった。
**************
『あまちゃん』を語る
夫婦なるもの
奈保子。ドラマの最初の方で、組合長とかつ枝さん、大吉さんと小百合さん、たちが元夫婦だったというエピソードが語られますね。しかも、かつ枝さんは離婚したのに一緒に暮らしてるし、いつもみんな一緒にいてワイワイやっているんですね。その姿がなんだか奇妙にも感じられたんです。
先生。なるほど。そういえばそうですね。それと、春子と正宗夫婦もなんだか一時は実家に同居したりして妙な塩梅でしたものね。
奈保子。それに、夏と忠兵衛だって、年中離ればなれじゃないですか。ふつうじゃない夫婦の形態が『あまちゃん』には多く登場するのは意図してなんでしょうかね。
先生。さあ。作家に聞いてみないと分らないけど…(笑)。でも、夫婦という法的な形式よりも、実存の方に重きをおく、というような「存在のあり方」を見せられているようにも感じますけどね。
奈保子。なるほど。それは、ターナーのコムニタス論のようですね。
先生。そうですね。身分や地位、生別などの社会構造の次元を超越した「自由で平等な実存的な人間関係のあり方」、という意味では、まさしくコムニタスみたいに見えますが、でも、ターナーの言うコムニタスは、通過儀礼の境界における「特別な人間関係の様式」ですからね。
奈保子。あ、そうか。狭義には違いますね。
先生。ターナーは、そういうコムニタス状況というものは長くは続かなくて、いつの間にか集団内に構造が生じるか、あるいは解体してしまう、と言っているでしょ。
奈保子。とすれば、漁協や海女カフェやスナックで、しょっちゅうワイワイやっているのは、村社会における祭りの延長のようなものかもしれませんね。
先生。その方が分りやすいかもね。だから、元夫婦も一緒になって騒いでいられるんでしょうね。オールウェイズ飲み会の雰囲気かな。
スペインの田舎の方では、いまだにジプシーたちが夜明かしで飲んで騒いでフラメンコを歌ったり踊ったりしていますものね。
奈保子。なるほど。ラテン系の生活様式にはそういうのが見られますね。
先生。都市や都会ほど社会が構造化され、人間関係が切断されていますからね。
奈保子。それと、舞台の北三陸というのが過疎や老齢化の問題があって、ドラマにも出てきたK3NSPでしたっけ? 「北三陸をなんとかすっぺ」フォーラムがありましたね。
先生。はいはい。
奈保子。共同体が深刻な共通テーマを抱えているからこそ、仮想敵国ではないですが、絆がしっかり出来ているのではないでしょうか。
先生。それと、三陸には、津波や山背による被害の歴史というのがあるから、3.11の遥か以前から、共同体としての結束、つまり「絆」がしっかりしていなかったら、やってこれなかったのかもしれませんね。
奈保子。そうかもしれませんね。宮沢賢治の「寒さの夏はおろおろ歩き」というフレーズを思い返しました。
先生。ユイ・ママも教師の妻、議員の妻として「よい夫婦」であらねばならないことの仮面に疲れてしまって、蒸発してしまうでしょ。
奈保子。あれが、それまでの生活史についての記憶を失ったまま、東京で全く別の人間として生活を始めていたとしたら、解離性とん走ということになりますね。
先生。そうだね。そしたら、解離性障害だね。
奈保子。なんだか、夫婦って、大変なんですね…。
先生。そう。夫婦って、大変なんですよ…(笑)。
もうすでに45本の映画を観た。
この夏休みにも
BSで撮りためたものを
何本か観る予定である。
BS録画で観たが、
まるで、マンガそのものを
映像化したような造りだった。
97年の作品で、
敵役にシュワちゃんが扮している。
当時、21歳だった
バットガール役の
アリシア・シルヴァーストーンが
可愛いかった。
レンタルの新作で借りてきた。
アル中の機長に
デンゼル・ワシントンが扮している。
背面飛行で
大事故を回避した場面は
見物だった。
**************
『あまちゃん』を語る
夫婦なるもの
奈保子。ドラマの最初の方で、組合長とかつ枝さん、大吉さんと小百合さん、たちが元夫婦だったというエピソードが語られますね。しかも、かつ枝さんは離婚したのに一緒に暮らしてるし、いつもみんな一緒にいてワイワイやっているんですね。その姿がなんだか奇妙にも感じられたんです。
先生。なるほど。そういえばそうですね。それと、春子と正宗夫婦もなんだか一時は実家に同居したりして妙な塩梅でしたものね。
奈保子。それに、夏と忠兵衛だって、年中離ればなれじゃないですか。ふつうじゃない夫婦の形態が『あまちゃん』には多く登場するのは意図してなんでしょうかね。
先生。さあ。作家に聞いてみないと分らないけど…(笑)。でも、夫婦という法的な形式よりも、実存の方に重きをおく、というような「存在のあり方」を見せられているようにも感じますけどね。
奈保子。なるほど。それは、ターナーのコムニタス論のようですね。
先生。そうですね。身分や地位、生別などの社会構造の次元を超越した「自由で平等な実存的な人間関係のあり方」、という意味では、まさしくコムニタスみたいに見えますが、でも、ターナーの言うコムニタスは、通過儀礼の境界における「特別な人間関係の様式」ですからね。
奈保子。あ、そうか。狭義には違いますね。
先生。ターナーは、そういうコムニタス状況というものは長くは続かなくて、いつの間にか集団内に構造が生じるか、あるいは解体してしまう、と言っているでしょ。
奈保子。とすれば、漁協や海女カフェやスナックで、しょっちゅうワイワイやっているのは、村社会における祭りの延長のようなものかもしれませんね。
先生。その方が分りやすいかもね。だから、元夫婦も一緒になって騒いでいられるんでしょうね。オールウェイズ飲み会の雰囲気かな。
スペインの田舎の方では、いまだにジプシーたちが夜明かしで飲んで騒いでフラメンコを歌ったり踊ったりしていますものね。
奈保子。なるほど。ラテン系の生活様式にはそういうのが見られますね。
先生。都市や都会ほど社会が構造化され、人間関係が切断されていますからね。
奈保子。それと、舞台の北三陸というのが過疎や老齢化の問題があって、ドラマにも出てきたK3NSPでしたっけ? 「北三陸をなんとかすっぺ」フォーラムがありましたね。
先生。はいはい。
奈保子。共同体が深刻な共通テーマを抱えているからこそ、仮想敵国ではないですが、絆がしっかり出来ているのではないでしょうか。
先生。それと、三陸には、津波や山背による被害の歴史というのがあるから、3.11の遥か以前から、共同体としての結束、つまり「絆」がしっかりしていなかったら、やってこれなかったのかもしれませんね。
奈保子。そうかもしれませんね。宮沢賢治の「寒さの夏はおろおろ歩き」というフレーズを思い返しました。
先生。ユイ・ママも教師の妻、議員の妻として「よい夫婦」であらねばならないことの仮面に疲れてしまって、蒸発してしまうでしょ。
奈保子。あれが、それまでの生活史についての記憶を失ったまま、東京で全く別の人間として生活を始めていたとしたら、解離性とん走ということになりますね。
先生。そうだね。そしたら、解離性障害だね。
奈保子。なんだか、夫婦って、大変なんですね…。
先生。そう。夫婦って、大変なんですよ…(笑)。