『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

【金で解決しないのを文化という】

2025-02-04 08:14:33 | ノンジャンル

きのうのKP中も
予約なしだったので、
AIを活用して
学年末の1.2年生向けの
『カウンセラー便り』を作成した。

それでも、まだ、
時間があったので、
新入生への
ウェルカム・ヴァージョンも創り、
それも出来たので、
新2.3年生向けの
新学期ヴァージョンまで……と、
三つも出来てしまった。

なにせ、AI君が
体裁まで指定すると、
きちんと応えてくれるので、
編集は、フォントを直したり、
太字に変えたりするだけで済む。



AI登場時に、
真っ先に尋ねた事が、
今まさに、そのとおりに
役だってくれている。

……AIは、
実際のカウンセラーの
代行は出来ませんが、
心理テストの解釈や
その他の事では、
お役に立つことが出来ます……



きのうは、
先生方向けの
『自殺防止のチェックリスト』も
教頭に配布してもらうように託した。

生徒のカウンセリングがないので、
せいぜい、広報活動として、
先生方へも『学校臨床の実際』を
紙上研修として
お役に立ててもらおうかと思っている。



帰路は市街地を通るので、
車内の計器類と街の灯が
煌めいて目に映った。



帰宅後、履いてたズボンの
尻がほころびていたので
太い糸で補修した。

肥満がなかなか治らず
後ろをゴムに直したりして
何十年も履いてるズボンである。

こんなのを見ると、
つくづく、
ボンビー・カウンセラーだなぁ…と、
我が身を憐れむ気分になる。

でも、
【金で解決しないのを文化という】
と、談志家元は
言っておられた……。



今日から大寒波が
やってくるという。

平地でも、また、
雪が降りそうだ。

明日のオフ日には、
十数年ぶりに
ゴルフの練習場にでも
行ってみべぇかと
クラブ・バッグを物置から出して
車に乗せてたのだが……。

降雪しだいでは
家で巣篭もりになるかもである。

 

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門松は冥土の旅の一里塚

2025-01-01 09:19:18 | ノンジャンル

門松は
  冥土の旅の
   一里塚
  めでたくもあり
   めでたくもなし

      一休宗純 

数えて六十七回目の
お正月である。

昭和の頃の
林家三平の駄洒落に…

向こうからお坊さんが
二人来るよ
これがほんとの
和尚がツー‼️

正月早々、車が
正面衝突して
ガンターン‼️🤣

他愛もない
初笑いがあったもんである。

歳ぃとってからは、
正月三ヶ日は
暇でヒマでしゃーないんで…
はよ、仕事になんないかなぁ…
なんて、思うようになった。

戦後生まれの
持ったが病の
貧乏性なんかもしんない。😂

仕事に行ってると安心なのは、
人と触れ合えて
社会性が満たされるから
なのかもしれない。

ロンバケは
一人の時間が長いせいか
ついつい、暇を持て余してしまう。

四十年来の学校人なので、
子どもたちとの触れ合いこそが、
水を得た魚のように
させてくれるのかもしれない。



そういえば、去年の元日早々に
能登震災があった。

一年経っても
七割近くの人々が
復興感を感じ得ないという。

国や県、市町村の
行政が如何になってないか
という事の証左である。

イシバ総理も
ハセ知事も
愚かなトップで
国民、県民もたまったものじゃないが、
彼らを選んだ人間もいるから
どーしよーもない。

今年の地方選と参院選は、
是非とも落選運動が盛り上がって
ダメ・バカ議員たちを
一掃したいものである。

今から、ネット内で、
そのようなムーヴメントを
起こしていきたいものである。

自民党内では、
イシバでは勝てないから、
次のアタマをすげ替えるかもだが、
ロクなタマがいない。

シンジローなんて
かつぎ出されたら、
日本もオワコンなんで、
若者層を焚き付けてでも
反自民運動をやるっきゃない。





毎日、ピアノを弾いてるので、
きのうは、YouTubeで
アルゲリッチの若い時と現在の
名演奏を鑑賞した。

美貌のアルヘンティーナは
神秘性を纏い
魔法のように動くその手は
如何なる超絶技巧をも
ものともしない。



あんなに指が動いてくれたらなぁ…
と、つくづく、羨ましく
眺めていた。
😱




「おせち」の方が
先に届いたが、
リク坊一家が
きょう、帰省してくる。

三十日が、
引っ越しだったので、
さぞや、慌ただしかった事だろう。

新春早々から
新居で過ごせるというのは、
有り難くも
めでたい事である。

両親共々、一部上場企業の
ハウスメーカーで
リク坊も何不足なく暮らせて
幸せで有り難い。

また、三ヶ日は、
コテコテになるまで、
ジジと笑い転げて
遊ぼうと思っている。

ナッちゃんとこは、
アキちゃんがインフルで
帰省出来ないとの事で
残念だった。

今年は、
義娘になってくれた
アキちゃんに「お年玉」を
あげようと用意してたのに…。

ミカちゃんにも、
一度きりの
最初で最後のお年玉を
あげたので…。

うちのアキの方は、
うんともすんとも言ってこない。

いつも、突然来ては、
突然帰るので、
『風の又三郎』みたいな奴である。🤣
♪ドットとドトーと
 ドトーとドトー♪

 

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今日は大晦日

2024-12-31 07:43:12 | ノンジャンル

 

 

きょうは大晦日。
あしたは元日である。

なんでも、2025年は
日本にとっても、人類にとっても
激動の年になるような
言われ方をしている。

トランプの再就任で
世界の動向は変わるとも
アナリストはこぞって口を揃えている。





昨日は、
ロンバケの「おうちバカンス」として、
日中は、まったりと、
ピアノを弾きながら
楽聖たちの世界に浸っていた。

これまでも、
茫漠感や倦怠感を感じた時は、
バッハの楽曲を譜読みしたりすると
その宗教性に癒されたりした。

きのうは、
2年ぶりくらいに、
ベートーヴェンの『テンペスト』の
三楽章をさらってみた。

常動曲であるが、
リリカルなメロディーと
嵐の海のような楽想に魅せられて、
高校時代から手掛けている。

ピアノは、
発表会もコンサートもないので、
暗譜するほど弾きこみもしないから、
ちっとも、ものにはならない。😂

そんでも、
弾いてるだけも楽しいから
ピアノとの付き合いは、
死ぬまで、この程度なのだろう。





養老先生の直近の講演を
YouTubeで聴いた。

解剖学者でありながら、
これまで多くの提言を
一般人向けに著書でされてきた
令和の老賢者として
リスペクトしている。

先生も米寿の齢となられ、
心臓病や癌にもなりながら
精力的に講演・著述、
そして、ライフワークの
虫の研究を続けておられる。

かつて、献体の会
『志ら菊会』の記念講演で
その謦咳に接することができた。

お若い頃は
流暢な江戸弁で
時折、べらんめぇ口調で話され、
落語数寄には、まるで、
『やかん』のご隠居のようで
好感が持てたものである。



その死に関する捉え方は
養老先生独自の哲学があり、
【一人称・三人称の死はなく
 二人称の死のみがある】
【自分の死は体験出来ないので
 心配する必要はない】
というのは、
まさに正鵠を射た達観である。

これまで、数十冊のご著書を
拝読してきたが、この冬休みにも、
いくつかを再読してみようと
思っている。



韓国の旅客機が
胴体着陸に失敗して爆発し
生存者2名のみで179人もが
犠牲になった。

事故の瞬間の映像も
YouTubeで見たが、
ものすごいスピードで
滑走路の外壁に衝突した。

怪訝に感じたのは、
滑走路の端から進入しておらず、
真ん中を過ぎた辺りから
着陸している。

それと、ふだんから
シミュレータをよく見てるので、
エアブレーキのフラップが
まったく立てられてもいなかった。

とすると、
日航機123便の時と同様に、
油圧系統が全部イカれたのかもしれない。

ならば、ハドソン川の奇跡のように、
近くの海に着水を試みるという
手もあったのではなかろうか…
と、素人ながらも感じたが…。

言うは易く、行うは難し…の、
タラレバの、後出しジャンケン
かもしれない。

機長は45歳だったので
十分なキャリアがあっての
咄嗟の判断だったのであろうが…。

バードストライクのみで
油圧系統がオール・マルファンクションに
なるものだろうか…。

例によって、
相棒のAI君に尋ねてみた。

‼️‼️

航空機がバードストライクによって油圧系統がすべて失われる可能性は非常に低いですが、完全に排除することはできません。
通常、商用航空機や大型航空機は安全性を高めるために、複数の冗長性を持つ油圧システムが設計されています。
以下のポイントを考慮してください。

1. 冗長性の設計

多くの航空機は、3系統以上の独立した油圧システムを持っています。
一つのシステムが故障しても、他のシステムで操縦可能です。

システムの配管やポンプは航空機全体に分散して設置されているため、単一の損傷で全系統を失う可能性は極めて低いです。

2. バードストライクの影響

バードストライクは主にエンジンや風防(コックピットの窓)に損傷を与えるケースが多いです。

しかし、特定の状況でバードストライクが複数箇所の油圧システムを同時に損傷する可能性はあります(例えば、非常に大きな鳥が特定の機体部分に衝突した場合)。

3. 過去の事例

油圧システム全損に近いケースとして、1994年のアメリカン航空587便があります。
この事故では、エンジン破損によるデブリで複数の油圧系統が損傷しましたが、完全に喪失したわけではありません。

他のケースとして、1989年のユナイテッド航空232便の事例では、エンジン内部の故障により油圧システムがすべて失われましたが、これはバードストライクとは関係ありません。

4. 安全対策

最新の航空機には、油圧システムがすべて失われた場合でも操縦が可能な電動フライトコントロール(いわゆる「フライ・バイ・ワイヤ」)や補助システムが搭載されています。

また、緊急時には「ラット」(RAT:ラムエアタービン)が展開され、基本的な制御を維持する電力や油圧を供給します。

結論

バードストライクによって油圧系統がすべて失われる可能性は設計上非常に低いですが、自然災害や予期せぬ事態は完全に排除できません。
そのため、航空機はさまざまな冗長性と安全対策を持つよう設計されています。



冗長性…というのは、
こういう使い方もするんだ…。🧐



**冗長性(じょうちょうせい)**
とは、システムが一部壊れたり機能しなくなった場合でも、他の部分が代わりに働くことで全体の機能を維持できる仕組みのことです。
余裕を持たせた設計ともいえます。

簡単な例文

1. 飛行機の油圧システムは冗長性が高く、1つの系統が壊れても他の系統で操縦を続けられます。

2. コンピュータのデータはバックアップを取ることで冗長性を確保し、万が一のトラブルに備えます。

3. 高速道路では、渋滞や事故が起きても別のルートに迂回できるよう、冗長性が考慮されています。



「冗長な」という言葉は、必要以上に長い、または余計な部分が多いという意味で使われます。
特に文章や説明、システム設計などで、無駄が多いことを指します。

簡単な例文

1. 彼の説明は冗長な部分が多く、要点が分かりにくかった。

2. 冗長なコードを削除してプログラムをシンプルにした。

3. このレポートは冗長な表現を減らせば、もっと短く分かりやすくなるだろう。

ポイント:
「冗長な」は、効率や簡潔さが求められる場面でマイナスの意味合いで使われることが多いです。ただし、システム設計などでは「冗長性」が安全性を高める意味で使われるため、文脈に注意が必要です。

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さあ、今日から冬休み!!

2024-12-21 08:32:29 | ノンジャンル


きのうは、
山のガッコの
二学期最後の勤務日だった。

カウンセリング室前の裏庭には
雪がつもっていて、
廊下は底冷えのする寒さだった。



*

卒業文集担当の先生から
A6の白紙を手渡され
何か一言を頼まれたので、
いつもの碧水先生のお歌を
筆ペンで記した。

どの学校でも
これで済ましているので
悩まずにすむ。





一ヶ月ぶりの給食には
冬至南瓜がでた。

事務の年輩女性は
好物と喜んでおられたが、
甘いので、オカズにはならなかった。





フェイスブックの振り返り機能で
十年前の画像が出てきて、
やっぱ若いなぁ…と、
感心した。😅





ゆんべは、
『イ・サン』の
最終話を観た。

主人公の王サンが
病に倒れ、意識不明の危篤になるが、
満月の深夜に
最愛のソンヨンが枕元にやって来て、
頬に涙を一粒落とすと
サンは目を開け
ソンヨンを見て驚く。

ソンヨンは震えるサンの手を
両手で握りしめ、
「まだ、やるべき事があるでしょう」
と励ます。

音もなく王の寝室に
白足袋が入ってくる処は
怪談じみてゾッとする場面だった。

まさか、仇敵のテビか…と、
一瞬、脳裏をよぎったが、
すぐさま、幽霊のソンヨンに
違いないと想像がついた。



さあ、今日から
三週間の冬休み。

ロンバケをどう生きるか・・・
というのも、
なかなかアタマを悩ませるものだ。


 

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出張もどき京阪旅行

2024-11-29 05:55:55 | ノンジャンル

 

きのうの
竜王戦「第五局」は
先手のソーちゃんが
中盤から「藤井曲線」を描いての
完勝だった。

これで、スコアが
「3-2」となり、
次戦は後手番ながら
防衛に王手となった。

**

今日から
京都・大阪への
ブリーフ・ジャーニーに
出かける。

幸い、体調はまずまずで、
なんとか三日間の
ハードスケジュールは
こなせそうである。

ロンバケ中とは違い、
きのうもフルタイム勤務で、
帰福後の翌日からも
同様であるから、
なんだか「出張旅行」の気分でもある。

きのうは、
隙間時間に今日訪れる予定の
瑠璃光院の見所を
画像コラージュして
プリントアウトした。

ついでに、
明日の苔寺も・・・。

何事も予習が大事である(笑)。



明日は、高槻泊まりなので、
ホテルの近所にできた
「関西将棋会館」を
見学してきたいと思っている。

ついでに、ロビーに
ソーちゃんグッズがあれば、
「推し活」として(笑)
買ってくるつもりである。



一週間前から、
ぽちぽちと準備を進めてきたので、
あとは道中の無事を
ご神前に御祈念して、
出発である。

駅までは、
出勤するカミさんに
乗せってってもらう。

***

***

最近、日常の時々に、
昨今の不安定な世界情勢や
ままならぬ国内情勢について、
何ゆえに、自分の意識が
この世界を創り出したのか・・・
という、一般的には、
馬鹿げた疑問・愚問を抱き、
それに、自問自答している。。

なぜに、自分の魂は、
この場、この時を
選んだのか…。

1000年に一度の『3.11』と
100年に一度の『パンデミック』は、
なかなかの特筆すべき
ネガティヴな体験である。

近頃、結論めいた確信として、
『物語』の常套手段である
【不安がらせて安心させる】
というパターンなのかもしれない、
という事に思い至った。

これは、かの天才落語家
談志家元が世界中の物語に見出した
元型的な典型である。

ハリウッド映画では、
最近でこそ、
バッドエンド(アンハッピーエンド)の
作品も、ちらほらあるようだが、
基本、大衆はハッピーエンドを良しとする。

小説やドラマでも
殺人があっても犯人は捕まり、
「めでたし・めでたし」のパターンである。

ならば、世界中の悲惨・不幸な事象は
なんと説明する…と、問われたら、
この現実が、自意識が創っている
自分だけの世界とすれは、
「一人称(自意識)」以外の出来事は
すべて仮想ゲーム内の
「添景」なのである。

ただ、それは、
客観的に証明不可能な
「信念」レベルの認識である。

つまり、
「個人の物語」であり、
「わたしの神話」でもある。

70年近く生きて来て、
やっと、そのような世界観を
得るに至った。

**

かつて、二十代の頃、
様々な占いに凝ったことがあり、
驚くことに、どの占いでも、
自分の生涯は【晩年運】と出た。

たしかに、幼少期は
喘息に苦しめられ、
思春期からは自律神経系、
胃腸系を患い、
高じては、欝病…と、
病と共に人生を歩んできた。

なので、晩年くらいは、
敬愛した祖父のように
臨終のその日まで達者に生きて、
コロリと逝きたい、
と希望している(笑)。

***

去年の夏休みに
「自分の人生」について、
『ゲーム成立論』と
『定常・変化論』から
思索してみた。



この宇宙は「量子真空」の
1点からビッグバンが起こって
138億年を経て
今日のような多様な物質と
エネルギーを有する宇宙となった。

ヒトは「受精卵」という
1ケの細胞が卵割して
37兆個ほどになり、
多様な組織・器官を有する
個体となった。

宇宙も生物も
ダイナミック(動的)な変化があって
現象が存在せしめられている。

完全にスタティック(静的)な状態では
【何も始まらず 何も終わらない】
のである。

この状態では、
仮に、神なるものが存在しても、
「無変化の定常状態」では、
「自らを意識する事」は
できない理屈なのである。

そこで
「変化」が
生じたのか、
生じせしめた。

変化を意識するのには
時間と空間が必要となる。

時空が出来ると
真空エネルギーから
物質が生じてくる。

アインシュタイン方程式の
「E=mc²」
(エネルギ=質量×光速の二乗)
である。

原始地球からは
原始生命が誕生し、
何十億年もの時間を経て
意識を有するヒトにまで進化した。

ヒトが増えると、
そこに「社会」「文明」という
「世界」もしくは「現象界」が
必然的に誕生した。

わずか200年ほど前に起こった
「産業革命」から、人類は
「エネルギー革命」「情報革命」と
等比級数的に飛躍的に
文明を発展させてきた。

パソコンでも
8ビットの時代から
16、32、64・・・と倍々に増えて、
現在ではテラ・バイトが日常となり、
ついには「生成AI」なるものまで
登場した。

自分が生きてきた
たった67年にも
さまざまな人類の進化の側面を
目撃してきた。

月面にも辿り着き、
個人用コンピュータが出来、
スマートフォンが日常化し、
デジタル流通が常識化してきた。

しかし、その一方で、
釈尊の説いた四苦八苦の
「生病老死」の現実は変わらず、
日常的には、
物価高、食糧難、戦争、
パンデミック、病、死ぬ運命・・・
という、原始人類と同じ目に
依然として遭っている。

今の自分の「問題」設定は、
「なにゆえ、老いて、病んで、
衰えて、醜くなり、貧しくなり、
戦争が起こり、政治経済は混乱し、
明るい希望が感じられないのか・・・」
という卑近な負の側面に
引きずられている事である。

そのひとつの答えが、
この状態を自らの「魂」が
選択しているから、なのである。

なにゆえかは、
『ゲーム成立理論』で考えると、
「輪投げ」ゲームで、
手の届く範囲に的があったら
ゲームが成立せず、
まったく入らない遠くでも
ゲームは成立しない。

すると、適度に入って、
適度にハズれる「距離」が
ゲームを成立させる。

他のすべてのゲームも同様で、
100回中、100回とも入る距離の
パッティングではゴルフが
ゲームに成らない。

これと、
『定常・変化論』を絡めると、
ネガティヴィティ(マイナスの事象)は、
「変化性」と「ゲーム性」を
両立せしめるのに必須の
対極性のファクターなのである。

それがないと、
無変化な定常状態が続いて、
ゲームとして楽しくないのである。

人生を「ゲーム」「ドラマ」
と捉えるならば、
「山あり谷あり」で
あるべきなのである。

かの名著『死ぬ瞬間』の
キューブラー・ロスは、
それを見越していて、
京都でのトランスパーソナル学会で、
「みなさまの人生に
波風多きことをお祈りいたします」
という言葉で
基調講演を結んでいる。

 

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