『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

空振りハンティング

2019-02-28 07:40:00 | 趣味
日曜の晩、
カミさんと
常連のお鮨屋さんに行ったら、
フキノトウが平鉢に活けてあったので、
オーッ!!・・・となった。

「世の中に
  たえて蕗の薹のなかりせば
   春の心はのどけからまし」
というほどの
偏執的な蕗の薹ハンターである。

聞けば、「四季の里」で
採ってきたというので、
ハンティング欲求が沸々と騒ぎ、
早速、出かけてみた。





いつの間にやら、
雪ウサギが山腹に現れ、
如月、弥生は
もう早春であることを
感じさせられた。

「四季の里」に着くや、
さっそく水林自然林へと
分け入って、
「フキノトや~い!」
と、目を皿にして、
血眼になって探した(笑)。

されど、
去年の採集ポイントにも
その姿はなく、
辺りを散策しても
あの黄緑の可憐な姿は
ついぞ発見に至らなかった。

あんまし、
奥深くに入ると
熊と遭遇する危険もあるので
鬱蒼とした林にまでは
立ち入らなかった。





クライエントのA君が
ガラス職人に憧憬を抱いてる
というので、
「四季の里」内の工房見学に誘ったが、
体験はひとりでしてみたい、
というので、下見のつもりで
職人さんに色々と話を聞いてきた。

親切に色々と
教えてくだすったが、
奥さんが言うには
「3K以上ですよ・・・」
とのことだった。

キケン・キツイ・キタナイの
3Kである。

最近では、
介護職や看護職で、
これに、
カレシ出来ない・キュウリョウ安い、
などが加わって、
5K以上という
ブラック職場もあるようだ。





『大草原の小さな家』の
パイロット版を
ユーチューブで観た。

ほぼ原作どおりの
場面展開だったが、
番犬ジャックは原作では
ブルドックだったけど、
さすがに見てくれがワルイからか
雑種の毛のフサフサした犬になっていた。

政府の政策で
大草原の家を去るはめになった
インガルス一家のその後が
知りたくなって
続篇の『プラム・クリークの土手で』を
今借りてきて読んでいる。

今度は、
クリーク側の土手の横穴が
ローラたちの住居になるが、
なんだか秘密基地っぽくて
子ども心をくすぐる。

***

BS4Kで、
4月3日から毎週水曜の
夜9時30分から
再放送がスタートするが、
4K装置がない我が家でも
はたして視れるのか
期待と不安で待っている。


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才能を見る

2019-02-27 09:44:00 | 仕事
車を換えてから
トリップ・カウンターの数値が
旧車とは変わり、
14インチから13インチの
タイヤに換わったからかと
怪訝に思っている。

室外温度表示も
道路沿いの気温表示板と
2℃くらい誤差があって、
どーも大雑把な精度のようである。





高速の長距離ドライヴに
飽いてくると、
3Dナビと高度計で浮遊感を味わい、
2Dナビと方位コンパスで
運航感を楽しもうとしている。

高速の途中では
サービス・エリアや
オービス・ポイント、
絶景ポインなどがあって
できるだけ単調ドライヴに
ならないように
それらを意識化している。

真上をドーンと
通過している太いパイプ・ラインには
「グリーン・ライン」と命名して、
ここから1㎞ほどの下り坂になるので、
運動会のスタート・ラインのつもりで
V字のボトムまで
フル・スロットルにベタ踏みし
最高機速(車速)をマークする。

もっとも軽は
140㎞/hがマックスなので
大したスピードではないが・・・。

前のターボ4WD車では、
エンジンの最高パフォーマンスを
時々引き出してやる
メンテのつもりでもあった。





中高のカウンセリング現場では
アートセラピーを
取り入れているが、
自分で道具を持参して
セッション内で黙々と
描画作業する子もいる。

きのうは
A子ちゃんの下絵から
彩色の完成まで
じっくりと鑑賞させてもらったが、
それは見事な手際であった。

コピックという
筆状のフェルトペンを
100本ほど専用袋に
ぎっちり詰めて持参したが、
これはけっこう高価で
72色で1.8万もする。

単なる“お絵描き”ではなく、
その製作過程が
“たましい”の真剣勝負のようでもあり、
楽しみながらも
サイキックなエネルギーが
全人的に投じられているのが
傍から観ていて感じられる。

それゆえに
仕上がった作品も
今時のアイテムではあるが、
見事にこちらの“たましい”に
伝わってくるものがある。

当人の許可を得て、
製作過程と作品の撮影、
ブログアップをさせてもらった。

“やらせ”ではなく、
本番・真剣勝負の
アートセラピー・セッション中の
一場面を切り取って
掲載できるのは、
心理臨床家にとっては
とても貴重な
資料提供の機会を頂いたと
A子ちゃんに感謝している。

当人も
自分や作品の画像を見て
嬉しそうにしていた。

このまま、
研修会やレクチャーに
サンプル画像として
使えそうである。

心理分析の実際では、
この碧眼、青毛の女の子が、
A子ちゃんの深層心理の
何を投影しているのか、
その内的人格と外的人格の
様相を対話で探り、その過程で
彼女の病理性・問題性の変容を
丹念に根気よく観察していくのである。

心理療法とは、
薬というケミカルな物質に拠って
脳というハードに作用するのでなく、
イメージや言葉、暗示、動作などに拠って
精神作用というソフトに働きかけるのである。





没後一日にして、
さっそくキーンさんの特番が
BS-TBSで放映された。

この局が、
キーンさんが帰化後、
7年間オッカケ取材をしてきた
そのストックがあればこそ
逸速く追悼番組が組めたのだろう。

これには、
さすがのNHKでさえ
後手を引いたようだ。

公共放送局では、
じっくりと編纂して
しかるべく時に
追悼特番を打つのだろう。

それは、それで、
楽しみである。

TBSのカメラも
なかなか真摯に誠実に
キーンさんの晩年を描いて
心に響くものがあった。

ことに、
2017年のケンブリッジ大再訪のシーンは、
若き日の留学地だったので
単なる懐かしさだけではない、
もう二度とは来れまいという感傷と
万感の喜びが表れていた。

かのバートランド・ラッセルとも
若き日に酒を酌み交わしたというから、
その交流歴たるやすごいものである。

追悼番組で
初めて知ったことも
多々あった。

キーンさんは
語学の天才で、
ラテン語は元より、
ギリシア、ロシア、
ドイツ、フランス語に
日本語ほどに堪能だったという。

それゆえに、
日本人でも読めない
古文を草書の原文で
判読できたというから、
天才的言語能力の持ち主でも
あられたのだ。

彼の翻訳がなければ、
川端康成のノーベル文学賞も
なかったという。

2008年の
外国人初の文化勲章授与式では、
マエストロ小澤や
ノーベル賞受賞の益川さんらと
堂々と顔を並べているから、
その偉人度の高さが伺える。

番組では最後に、
キーンさんの両親指が
大きく弓反りになった画像が
アップになり、
『キーン全集』を担当した編集長が
文字どおり「万巻の書」を読み、
それを押さえながら
メモをとってきたからだ、
と謎解きをしてくれた。

まさに、
文学者の【鑑】としか
言いようがない。







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ブログ文学

2019-02-26 04:56:00 | 勉強
河合先生とキーンさんによる
対談のいくつかを
再読している。

どちらも
鬼籍の人となったが、
私淑する先生でもある。

書棚に20年近くもあり
すっかり表紙の焼けた
『河合隼雄 全対話』の9巻目を
久しぶりに紐解いた。

やはり、
賢人どうしの対談には、
「温故知新」的な
学びの種子が
眠っているものである。





キーンさんの
日本文学者としての出発は、
太平洋戦争時の
情報部将校として
日本兵の日記を読むことだった。

そして、後に、
『紫式部日記』『蜻蛉日記』
『更級日記』『土佐日記』などの
「日記文学」に日本文学の本質を
見出したという。

「日本の場合、日記は
単なる記録ではなく、
非常に大切な文学です」
と言う。

日記は自分で自分のことを書くが、
その日の観点から出来事を見ており、
日が続くことが一種の構造になり、
時間が構造になる・・・とある。

そこで、はたと気づいたが・・・
2004年から、毎日、毎日、
飽きもせずに
365日書き続けてる
『我がブログ』も
日本伝統の「日記文学」なのかぁ・・・
という誇大な妄想を抱いてしまった(笑)。

最近では、
「自分史」なぞという方が
通りがいいが、
「日記文学」では
大上段過ぎて
気恥ずかしいもんねぇ。

その伝でいけば、
ツイッターなるものも
矮小化した「日記文学」の
亜種なのかもしれん。





ぽちぽちと、
リサイタル準備をしている。

まずは、
ロビー頒布物の在庫確認と
その帳簿付けである。

これから、
いちばんの目玉商品である
去年の『2018ライヴ』を30枚ほど
増産しなくてはならない。

今年でハケきれなかったものは、
講演&ミニコンの
頒布物にしようと思う。

それでも余ったら、
鍋敷きか瓦け投げか、
鳥除けにでも
するっきゃない(笑)。

行きつけのお鮨屋さんに
毎年依頼している
二色刷りA3のポスターは
オフィス・エイトで
10円コピーのものである。

テルサにも
それで頼んできた。

さすがに、
音楽堂のものだけは、
80円のフルカラー・コピーにして、
「青」「緑」「オレンジ」も
出るようにした。

なにせ、
庭に「金のなる木」があって
やってるわけじゃないので、
自前でできることは
全部自家製で済ませている。

だって、
演奏すんのも
自分なんだもん。





行きつけの
お鮨屋さんでは、
仕上げの“アガリ”に
いつも作家物の備前で
焙じ茶を入れてくださる。

備前焼に偏愛があり、
ことに作家物は
自分も蒐集しているので、
モノの良し悪しは判る。

備前独特の
「窯変(ようへん)」と言われる
妖しい文様、柄は、
炎がつくる偶然性のアートで
同じものはひとつとしてなく、
何ともいい難い魅力がある。

備前には
たいそうな「侘び寂び」感があるのだが、
茶道では
一「楽」二「萩」三「唐津」
と言って、
あまり重用されないのが
不思議である。





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大人死ス

2019-02-25 08:56:00 | 風景
キーンさんが
亡くなった。

まことの親日家であられ、
3.11の日本の悲劇に
心を痛められ、
なんと在米中の身でありながら
来日し帰化の一大決心をされた。

あっぱれな
生き様である。

流暢な日本語で
誠実味あふれる語り口も
大好きだった。

寂聴さんとの対談テープも
たしか、探せばあると思う。





日本文学者として、
河合先生とはよく
紙上対談をされており、
そのすべてに目を通してきた。

キーンさんの言うことならば、
間違いない、信用がおける、と思わせる
お人柄と学識の深さがあって、
これをまことの
“教養人”というのだろう、
と常々思っていた。

今日は、
職場に一書を携えて
日本名「鬼怒鳴門(キーン・ドナルド)」氏の
言葉に触れて、私淑した師としても、
あらたに何かを学びたい。

キーン先生
96歳の大往生である。

よく生き、よく死ぬ、
という垂訓を頂いた。

ありがとうございました。





『盤上のアルファ』が
最終回だった。

八方めでたし、めでたし、
のエンディングだった。

日頃、
ソータの名勝負を
見てきたので、
いかな役者を持っても
盤上の迫力は
演技で表現しきれるものではなかった。

当然と言えば、
当然だろう。

ヒロインの
比嘉 愛未(ひが まなみ)は
どこかで見たことあると思ってたら、
連ドラ『どんど晴れ』の主役だった。

昨日のNHK杯の解説が
森下九段だったが、
ドラマにも
親子棋士役として
登場していた。





パソコンの左手にある書棚が
エントロピーが増大して
乱雑極まりない。

カウンセリング用の
応接チェァ正面の書棚は
なかば飾り物然とした
書籍やCD類が整然としているのに
対照的である。

でも、
一見、雑然としている書棚こそ、
リアルタイムで活用されている
ということなのだろう。

気がついたら、
時折、手を入れているのだが、
また、しばらくすると
雑然となる。

ま、作業場も兼ねているので、
仕方がない・・・と、
諦めるよりない。
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虫食い

2019-02-24 07:36:00 | オシャレ
背中のアテローマ(粉瘤)も
ほぼ治りかけてきて、
今は大判カットバンの
粘着部分の痒みに
耐えている。

そしたら、
今度はそろそろ
花粉症が出始めた。

就寝中の鼻づまりと
喉の渇きで目が覚めるほどで、
副鼻腔炎で処方された
点鼻剤をスプレーすると
もののみごとに鼻腔の通りがよくなる。

アレグラの
ジェネリックを朝晩
2錠呑んでいる。





先日届いた『心理師ライセンス』を
ダイソーの216円の木製フレームに収め
クライエントの出入りする
扉の前に示した。

主治医のクリニック玄関には、
医師免許や博士号学位記が
開示されていて、
それを真似してみた。

ただ、
博士号じゃなく、
修士号なのは、
ちと冴えないが・・・(笑)。

ノーベル賞受賞の“会社員”
田中耕一さんは、
授賞式で
「ドクター・タナカ」
と紹介されて、
「ノー。アイム・マスター」
と訂正したのが
印象的だった。

修士でノーベル賞を受賞したのは
これまで二人しかいないらしい。





“楽壇ひとり”の広報活動で
音楽堂にチラシとポスターを
届けに出向く車中で、
スーツの右腕に
オリオンの三ツ星みたいな
虫喰いができていて、
アッ!っと驚くタメゴローだった。

クローク内の防虫剤が
期限切れだったので、
実験的に庭のローズマリーと
オレガノの束をブーケにして
ハーブの防虫効果を試していた。

そしたら、
この結果である・・・。

あわてて、
他のスーツも点検してみたが、
今の処、被害にはあってないようだ。

いつもはアマゾンで
3ケまとめて3.000円で
購入しているが、
今回はふと思いついて
ダイソーに言ってみたら
ちゃんと置いてあった。

6つで648円で済んだが、
はたしてダイソー製が
奏効してくれるか。

孔の開いた箇所は、
替えズボンの裾の返し部分を
切り出して、表具用糊で
ジグソー・パズルみたいに
補修するつもりである。

古楽器の補修と同様に
この作業もけっこう楽しく、
補修工房『グランママ』の職人さんにも
誉められたことがある。





『大草原の小さなおうち』を
読了した。

面白かった。

なぜ病床で
これがふと読みたくなったのか、
なんとなく了解できた。

開拓時代の話で、
家族が力を合わせて
大草原の中に
「0」からログハウスを建て、
家具を作り、畑をつくり、狩猟をし・・・と、
ロハスな生活に人生の喜びを感じる
というものだったからだ。

今のセミ・リタイアメント生活に
なにを生き甲斐としていったら
いいんだろうか・・・と、
漠然とした不安を抱いていた。

ローラという少女の眼を通して、
「窓にガラスが入って、
これで冬でも外の雪が
家の中から見れる。
なんて素敵なことだろう・・・」
と、一時が万事、
不足を嘆かず、足ることの喜びが
縷々描かれている。

父親は鉛を溶かして
弾丸(たま)を作り、
火薬とライフルで
野鳥や野兎を狩ってくる。

それを薪でローストして
一家で分け合う。

ただ、毎日毎日、
パンとジビエばっかりなので、
畑にタネを撒いて
これで野菜も食せたら、
それこそもう「王様の食事」になる、
とローラは夢見る。

文化的な娯楽は、
月夜の大草原で
父親が弾くヴァイオリン、
母親の歌、そして隣人の踊り・・・。

現代人は
「衣食住」があるのが当たり前で、
ついつい、その有難味を忘れてしまう。

この物語には
トイレや浴室の記述が
全く出てこなくて、
そこんとこはどーなってんの?
と、ツッコミを入れたくもなるが、
ウォシュレットや
常時給湯可能なバス・ユニットさえ
当たり前の我われは、
ローラにしてみれば、まさに、
「王侯貴族」のような生活なのだろう。

老後の漠たる不安のひとつに、
物質的に満ち足りているこの生活で、
なにを生き甲斐にしたらいいのか・・・
という現代人の悩みがある。

余生を毎日バカンス
というわけにもいくまい。

最近では、漠然と、
滅私奉公、則天去私、ヴォランティア、
などという
利他的行動をどう自己実現に
組み込んでいけるか・・・
考えている。

『復興支援リサイタル』は
6回でファイナルとなるが、
そこから、また、新たな、
何かへの、誰かへの、「支援」を
生き甲斐にしていけたら
いいのだが・・・。

















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