みなさん、こんにちは。
本日は、《東日本大震災 五年慰霊祭》に、全国から、大勢の皆様のご臨席を賜りまして、まことに、ありがたく、たいへん感激いたしております。
さて、今日は《3.11を生きる》という、いささか大仰なテーマで、お話をさせて頂きます。
私が、3.11を体験いたしましたのは、五十三才の時でございます。
私は、戦後生まれですので、五十三年間生きて参りまして、あれ以上の大きな災難と申しますか、出来事はなかったわけでございます。
従いまして、あれだけの大きな、衝撃的な出来事は、私のそれまでの、漫然とした、惰弱な生き方を、大いに改めてくれました。
その改まりとは、具体的に申し上げますと、二つのことを教訓として得たように思います。
まず、その一つ目は、一言で申しますと、あの時以来、私は、
「今月今日、今、ここで、一心に、深く生きよう」
と思ったわけであります。
日本は世界一の長寿国でありまして、今の世の中は、健康ブームで、アンチエイジングやら、健康食品の話題が毎日のように、耳に入って参ります。
長生きは、大変けっこうな事なんですが、3.11以来、私は、人生はその「長さ」をもって価値があるのではなく、その「深さ」によってこそ、価値があるのではないか、と思うようになりました。
それで、私は勝手にそれを「長生き」ではなく、「深生き」と呼んで、密かに、3.11を契機に、自分のライフ・スタイルを改変しよう、と選択したわけです。
3.11を体験しましてから、「一寸先は闇」と言われますように、 先の事は分らないわけですから、とにかく、「今、ここで」(here and now)、目の前の事と、一心に、真剣に向き合おうと…。
仕事はもちろんの事ですが、私は幼少の頃より、クラシック・ギターを趣味として取り組んで参りましたので、音楽とも一心に向き合うという事も、日々、実践させて頂いております。
他にも、例えば、息をするのにも、ありがたく息をさせて頂くわけです。
私は、小学校時代に、十数回も入院歴のございます、重症の小児喘息でしたので、呼吸が楽にできるということには、ものすごく、幸せを感じるわけです。
それと、3.11以前から、逆流性食道炎という、食事のたびに胸が焼ける厄介な病気を患いまして、薬物療法を受けていたのですが、何度も再発を繰り返しまして、何年も難儀致しておりました。
それで、食事をする時には、ただ漫然と食べたり飲んだりするのではなく、何を食べるにも、一口一口をありがたく、美味しく、愉しく、食べさせて頂き、お茶やお酒を頂く時も、一口一口をありがたく、美味しく、嬉しい気持ちで、飲ませて頂くようにして参りました。
それは、カウンセリングや臨床心理学では、行動の意識化と言ったり、昨今では、「マインドフルネス」と呼ぶこともございます。
そのように、私なりの「深生き」を実践しておりますと、必然的に、あらゆることに、感謝をするという習慣が身についてきまして、また、それは、ひじょうに「精神衛生にもよい」ということに気が付いたわけです。
それで、それを、実際のカウンセリング場面でも、応用いたしまして、「感謝療法」と命名しまして、中学生や高校生の生徒さんたちにも、実践しております。
これは、「フルタイム感謝」を目標として実践しよう、というんですが、実際の処は、なかなか難しくて、こうして、お話させて頂いている間は、同時に感謝はできませんので、始まる前と終わってから感謝をさせてもらうわけです。
ですから、実際的には、「フルタイム感謝」を理想としながらも、「パートタイム感謝」にならざるを得ないんですね。
そしたら、私の先生であられます哲人歌人・金光碧水先生のお歌に
世話になるすべてに
禮をいふこころ
神を現はし
神になる心
…というのがございました。
これは、我が意を得たり、と思ったわけですね。
「すべてに礼をいう」という事こそ、私が、3.11以後、「深生き」というライフ・スタイルの実践のなかで、もっとも大切なルーティンであるわけです。
ともすると、あれだけの人類史上・未曾有の大災害の後には、どうしても、嘆きや恨み事・不平・不満・愚痴・不足が、自ずと出て参るものなんですね。
それは仕方のない、当たり前のことなんですが…。人によりましては、それが何年も、続くわけです。
そうしますと、心がどんどん狭くなって、そして、暗くなって、やがて、心身の健康をも損なうようになってしまうんですね。
原発関連死は二千人以上おられますし、 原発自殺も百人を超えていると思います。