『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

バッド・センス

2018-09-30 08:01:00 | アート
また
大型台風が
本州に上陸せんと
向かっている。

宇宙から
台風本体を観測されるまで
気象機器は進化したが、
防災においては
備えるよりはなくて、
それでも災害は起こる。

年間数回も入院するような
重症の喘息少年だったので、
台風の季節になると
発作が頻発したのを
今でも覚えている。

有り難いことに、
学童期の「小児喘息」として
病根は切れてくれたが、
自律神経の不安定さは
老齢になっても
不定愁訴として感知されて
「秋バテ」のこの時季
スッキリしない事この上ない。



カウンセリング室の
玄関を開けたら
足元にバッタが死んでいた。

ひと夏の生殖が終わって
生物としての使命と寿命を
全うしたのかもしれない。

種の保存としての
生殖を終えると、
個体保存の必要性がなくなり
生涯を終える生物は多い。

サケやカマキリのオスなぞは
顕著な例だろう。

ヒトは特異的スピシーズ(種)で
メスは閉経後でも多年にわたり
生き続ける。

医学の発達や
豊かになった食糧事情のせいで
寿命が世界一になった日本人は、
「老いを生きる」という課題と
向き合わねばならなくなった。

この実存的課題に
SNSやAIの進化は
ある程度役には立つかもしれないが、
根本の「いかに生きるか」は
個人の哲学的問題であり
アイデンティティやコスモロジーの
問題でもある。

年金受給が開始される
65歳からが「老年」とされるが、
「前老年期」の今を
形而下的/形而上的に
どう充足させるかが
目下の思案事項である。

ピンピン・コロリの
「ピンコロ」に憧れる
お年寄りの気持ちが
最近、漸くわかってきた(笑)。





子ども部屋で見つけた
オハジキにピンを接着して
ブレザー用のラペルピンを
ひとつこしらえた。

色ガラス物なので、
冬はちょっと寒々しいかもしれないが、
クリスマス・シーズンには
ステンドグラスっぽくて
いいかもしれない。

物による
「一日一アート」は
なかなか難しいが、
「ブログ書き」が
写真撮影・画像加工・コメント
という美術・文芸の
「アート」セラピーになってくれている。

ここには、
自尊感情と自己効力感を高めるために
「ドーダの精神」(これみよがし)を
意識的に横溢させ、
身辺雑記と謳いながらも、
全篇我が事の「自慢」なのである。

「自画自讃おおいにけっこう。
 自讃できぬ絵なら描かぬほうがいい」
という
「むのたけじ」の言葉に
大いに勇気を得て
共鳴している。

そーだ。そーだ。

藤井そーた?(笑)

ヾ(・ε・。) ← 分裂アタマ






「鯖缶」ブームに乗ろうと
プチ・マイブームで
「鯖缶フレンチ」を作っているが、
自分にドレッセ(盛り付け)の
才能がないことに気づいた。

何百皿という
名シェフたちのフレンチを
若い頃に十二分に堪能してきて、
フレンチ関連本も
山ほど見てきたのに、
自分の料理の
「垢抜け」しなさには辟易する。

まったくもって
センスがない。

。・゚・(ノД`)・゚・。ダメダ~

日頃、圧倒的に
家庭料理をやってるから
そのいい加減さが
「商業的」な美的センスを
損ねているのかもしれない。

グルメ番組で見る
新進気鋭のシェフたちの
斬新なドレッセには
目を奪われる。

絵画もやってきたので、
お皿をキャンバスに見立てて
自由に楽しく好きに
素材を飾ってみようと試みてるが、
どーも稚拙なシンメトリーから
脱せないでいる。

描画テストでは
これは可塑性のなさ、
幼児性の顕われ、
脳器質性障害に見られる
症状でもある。

とうぶん、
鯖缶レシピと
ドレッセを納得するまで
やってこうと
意地になっている(笑)。

なんとか「アシメ(不均衡)の美」を
皿上で表現してみたい。



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『半アオ』終わる

2018-09-29 11:11:00 | TV・ドラマ
半年間、
楽しく視聴してきた
朝の連ドラ『半分、青い』が
今朝で最終回だった。

親友ユーコの「夢」を
実現化した
「そよ風ファン」には
「マザー」と命名された。

それは多義的なもので、
スズメの母「ハルさん」、
リツの亡き母「ワコさん」、
クーちゃんの母「ユーコ」、
カンちゃんの母「スズメ」、
といった実母たちや
母なる大地を吹き渡り
すべてを優しく慈しみ
包み込むものという想いが
込められている。

リツの挨拶での
「この風は天国までも
届くことでしょう」
という言葉には、
願いと祈りが伝わってきた。

理系のエンジニアであっても、
物作りに「たましい」を込める、
という日本独自の宗教性の体現を
見たような気がした。

それは
スズメへのプレゼントの
「雨が楽しくなる傘」
にも現われている。




ふたりの愛の形も、
「結婚」というような
ありきたりの「かたち」ではなく、
「いつまでもそばにいる」という
「たましい」の在り方を認め合う
スピリチュアルなものであった。

孫としてのスズメ、
娘としてのスズメ、
姉としてのスズメ、
母としてのスズメ、
親友としてのスズメ、
弟子としてのスズメ、
そして、
パートナーとしてのスズメ、
という多面的な人間性を
丁寧にユーモラスに描いて見せた
脚本と演出、演技は秀逸だった。

歴代の連ドラでは
『あまちゃん』『ちゅらさん』に
並ぶ秀作ドラマであった。

( ^^)//パチパチ ☆*:.。(^^)。.:*☆パチパチ\\(^^ )





昨日も午後から、
定例のアウトリーチ(訪問支援)だった。

秋の田では、
もう稲刈りが始まっていた。

豊穣の秋だが、
猛暑による疲弊と
季節の変わり目の寒暖差、
前線・台風などの気圧差で、
自律神経が不安定気味である。

首周りから
背中にかけてが
鉛のように重くてだるい。

風邪が抜けないような
ハッキリしない体調が
ずっと続いているので、
栄養をとって、よく眠り、
安定剤やら抗うつ剤を
適量調整して凌いでいる。

ほんに、
このあちこち痛む
重い鎧のような着グルミを
ガバリと脱げたら
どんなに楽だろう(笑)。

曽野さん曰く
「あちこち痛いが、
それでも生きていく」




ご身内の様態急変で
今日のカウンセリング予約の
キャンセル連絡が入った。

こちらも体調が万全ではないので、
気を張ってお待ちしていたが、
そんなんで気が抜けて
カラダのダルさと痛みが
急に顕在化して感じられた。

もう、
午後からずっと
マンガを読みながら
ダラダラ、グデグデ
過ごそうと思う。

〜(˘・з・˘)〜 グデクデ

今朝は、
『半アオ』を見てから
10時まで二度寝してしまった。

□\(_ _).。o○

月曜日は
台風休校になると
いいなぁ・・・。

(人'∀'*)☆*:.。
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寄稿文

2018-09-28 04:19:00 | 風景
昨日は
日中の気温が
20℃まで届かず、
肌寒い一日だった。

朝と夕は、
書斎のストーヴを炊いて、
毛布を二枚掛けで寝た。

10月に入ったら
そろそろ早くも
電気毛布の登場かもしれない(笑)。

暑がりの寒がりという、
ほんにヘタレな
ジジイである。

ヾ(◎⊼◎) /゛



きのうは、
はじめて「薬王堂」という
新しいドラッグ・ストアに
行ってみた。

前日の広告チラシに
「キャノーラ油
1000ml・・・178円」
という超目玉商品が
出ていたので、
買いに行ったが
案の定「売りきれ」紙が
貼られていた。

(๑˃̵ᴗ˂̵)و クソ~

ほいでも、
珍しい「ピリ辛エビ塩」なる
調味料を見つけてきて
さっそく使っている。





これまで、
十数校に勤務してきたので、
いろんな学校のPTA新聞から
なんど寄稿依頼をされて
小文を書いたかわからない。

でも、
14年も365日ブログを書いているから、
原稿用紙を渡されたその場で
400字くらいはスラスラと書けるので、
担当の先生がよく驚かれる。

毎日、文章を書くという
訓練をしていればこそ
できる芸当なのだが、
あんまり安易にスラスラ書くと
何も考えず、いい加減な
やっつけ仕事に思われるのも不本意なので、
時折、もったいぶって締め切りの
ギリギリに出すこともある。

おとといは、
お二方の識者と
6時間も形而上的問題について
談論したが、少しも疲れず、
むしろ爽快感さえあった。

「知」の作業には、
書物を読んだり、
人の話を聞いたり、
だけのインプットでは
片手落ちで、
書いたり、話したり、という
アウトプットが必要なのである。





先日の
『トーキング松尾堂』で
今、鯖缶ブームというので、
さっそく薬王堂で買ってきて、
リエットをこしらえた。

レモンオリーヴ油、
室温バター、タイムをあわせ
フードプロセッサーで
繊維が残るていどに
かるくミキシングして、
スプーンでフットボール型にする。

Tちゃん先生に頂いた
濃厚なトマトジュースを
ジュレにして敷いてみた。

キューリの千切りと
皮をピーラーで
細長くむいて炙ったものを
緑の添え物に。

元型を留めない料理は
好みじゃないカミさんが、
「これ、なーに?」
と訊いてから
恐るおそる
味わっていた(笑)。
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仔猫ちゃん

2018-09-27 07:49:00 | ノンジャンル
きのうはオフ日だったが、
午後から、
テニス倶楽部の会長で
福高の先輩でもあるKさんが
久々においでになられ、
3時間半も「宇宙論」や
「存在論」「意識論」について
楽しい対談ができた。



そして、
夜は定例の
宗教臨床研究会に
愛猫家のTちゃん先生が
めちゃくちゃカワユイ
仔猫ちゃん2匹をつれて来て下さった。

しばし、
我が家のカウンセリング室を
キャット・ランみたいに
2匹が大喜びで駆け回って
その無邪気さ、可愛さに
大いに癒され楽しまさせて頂いた。

2匹とも
キレイな顔立ち、姿で
その生きた造形美にも
魅了された。

『仔猫とギター』
というブログ映えする
一枚も撮れた。

猫たちは
しばしの解放感に満たされ
おおハシャギしたあとで、
バスケットに入れられた。

「ミャ~。ミャ~」
と、出してくれという
哀れな鳴き声を
しばしあげていたが、
いつしか、おとなしくなってくれた。

それから、
2時間半ばかり
「家族論」「ケース検討」を
行って、楽しくも有意義な
時間であった。




自宅からは遠距離にある
T中のカウンセリング室だが、
これまで23年間の十数校を経てきて
最終形のような完璧な設えなので
何の不自由もなく
在室中は寛げている。

メイキング・コンセプトは、
「自由にして護られた空間」
である。

その小道具として、
絵画やヌイグルミ、
観葉植物、書籍、ギターなどが
ひと役かってくれている。

校内にあって
特異的な空間ではあるが、
それ以上に大切なのは、
「そこに誰がいるか」
ということである。

それなくば
ただの箱モノに過ぎない。

そこには、
「頼れる」教育臨床の専門家が
いなくてはならない。

それは、
児童・青年の心理と精神病理に
精通していて、
「学校・教育」を解し、
社会心理学、人間行動学にも
習熟している存在でなければならない。

尚且つ、
スピリチュアルな部分で
「たましい」を導き救う
「導師」「メンター」「ヒーラー」のような
「駆け込み寺」の和尚さんや
「教会懺悔室」の
牧師さんのようでなくてはならない。



長らく
アートセラピーをやっている
JCのMちゃんが
「黒板アート」で
具合が悪くて保健室へ行った
友だちへのメッセージを描いてくれた。

辛い状態にいる
友だちへの「やさしさ」が
よく表現されていたので
大いに誉めてあげた。

スマホで撮っておいてほしい、
と言うので、
腕だけ入れさせて記録した。

こういう作品も
プリントアウトして
カルテに加え、
過去の一連の作品と
系列的に心理的変容の分析や
主訴改善のアセス・データにする。

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病み上がり

2018-09-26 06:24:00 | 仕事
きのうは
病み上がりでの
出勤だった。

カラダが本調子じゃない時の
遠距離通勤は
正直こたえるものがある。

なので、
できるだけ
「仕事にいくぞー!」ε=ε=ヾ(*。>◇<)ノ
と肩肘張って構えずに
「遊びにでもいくかぁ・・・」
とヘニャヘニャした緩い気分で
行くことにしている。

〜(˘・з・˘)〜 ←こんな感じ(笑)




きのうは
ドンヨリ天気で雨降りの
寒い朝の出勤だった。

抜けきれていない風邪模様と
暗澹とした天気なので、
覚醒水準が低くって、
高速での単調なロングドライヴは
ボーッとし易くなる。

なので、
こういう時こそ
「計器飛行だ!」
と、“ひとりパイロットごっこ”で
日本という島国を南下しているつもりで、
機速、エンジン回転数、高度、方位、
傾斜値、気温、湿度、現在時なぞを
次々と読み上げて、
「ラージャー!」
と一々ひとり応答しながら
覚醒レベルを上げている。

計器オタク、メーターオタクなので、
もっと他に付けられるものがないか
いつも考えている。

ターボエンジンの
ブースト計や水温計、
油温計、油圧計、電圧計という
電子メーターも付けられるのだが、
それだとウン万円もするので、
さすがにそこまでは
道楽できない(笑)。





カウンセリングの
執務報告書を各学校で
自筆しているが、
その際には、愛用の
木製万年筆を用いている。

アマゾンで
480円(送料無料)のものだが、
なかなかに書き味がいい。

これまで、
インク詰まりで
何本も高級万年筆をダメにしてきたので、
今回はコンバーター式という
吸い上げインク式のものにした。

一週間に一回は
インク壜につっこんで
<吸い上げ&吐き出し>操作をして
詰まり防止をしている。

このインクは、
フミがドイツ旅行のお土産に
据え置きペンと一緒に
買ってきてくれたものである。

***

小学低学年は不登校、
小6までは小児喘息で
入院十数回というので
ろくろく学校に行っていなかったから、
字の下手さは
コンプレックスのひとつである。

なので、
今頃、ペン字の手本を見ながら、
「平仮名」の練習をしている。

今、気が付いたが・・・
大学ギター部の
「フラメンコ・アンサンブル」の
メンバーだった
NK、N、A、Tともみな書道家で
達筆だったが、
後に全員が校長になった。

自分だけが
教員あがりのカウンセラーという
特異なキャリアになったのも
「字は人なり」
ということなのだろうか。

そういや、
フラメンコ・アンサンブルの
パリージョ(カスタネット)だった
Jも校長になったが、
彼もキレイな大人字を書いていた。





黄金に染まる
棚倉の田園風景を見ながら、
午後から月一の
家庭訪問に出かけた。

不登校生で
会ってくれる子には、
こちらから出向いていく。

教員時代は
「家庭訪問」と言ったが、
現職では
「アウトリーチ(Outreach)」
とか
「訪問支援」
と言う。

その子が
もっとも興味を持っていること、
ゲームでもボカロでも動画でも、
何でも自由に楽しく話してもらって、
自分は生徒みたいな聞き役になって
それにほんとうに感心し
楽しんで共感する。

そうした関係を続けていく事で、
いつしか彼らの気持ちや意識が
現実社会に戻ってくるのである。

昭和40年代の
元祖・不登校児で、
オタク度においても
人後に落ちない自負があるので、
天性のカウンセラー資質が
あるのかもしれない(笑)。

(^▽^)> ヘヘ…♪





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