おとついの入院の朝も
翌日の退院の午前も
秋晴れの爽やかさであった。
故郷の霊峰
吾妻山を拝みながら
清々しい気分で
病院玄関に佇むことができた。
大学1年の虫垂炎から
肥厚性鼻炎、アテローマ(粉瘤)と
5回ほどオペをやってきた。
憂鬱な個人イベントではあるが、
近頃では、その過程の辛苦をも
十分に味わって克明に記憶しておこう
とさえ思っている。
「明・暗」共々に
他人に代わってもらう事が出来ぬ
「我が人生」である。
入院や手術というのは
日常の仕事や生活から切断される
非日常的体験なので、
いわば「異世界物語」でもある。
であればこそ、こたびは、
「病」の超克というプロセスも
別世界体験として
事の一々をよく味わってきた。
20年来のブロガーの性(さが)で
その一々をスマホ撮りして、
「自分劇場」の主演・監督、
そしてエディターのすべての過程を
味わいつつ「今、ここ」を体験してきた。
*
秋の日差しに輝く
野の風景、遠くの山を眺め、
難関としていた
大腸洗浄剤を味わった。
その後は
緩やかな便意が10回以上も起こり
洗浄は滞りなく完了。
次いで、術衣に着替え、
点滴、内視鏡室での麻酔・・・。
点滴の管に
注射筒で麻酔が混入されると
止血剤の黄色い部分に
麻酔の透明な部分が合間に挟まり、
それが、手元の固定針の処まで
淡々と迫って来る。
その瞬時、
映画『デッドマン・ウォーキング』の
ラストシーンの薬殺刑で
最初に打たれる睡眠剤が
管の中を流れて体内に入ろうとする
シーンが思い浮かんだ。
透明の麻酔薬が
針を通過した辺りで、
執刀医から
「それでは、すぐに
眠くなりますので、
そろそろ、始めますね・・・」
と、挿入箇所への軟膏麻酔を
塗る感触を感じたのが
最後だったかもしれない・・・。
あとは、夢の中だった。
ただ、今回は、なぜだか、
東南アジアと思しき女性たちから
オナカん中に棒を入れられて
グリグリされて
「いてー、いてー!」
と悲鳴を上げる夢を見て(笑)、
ほんとに痛覚を感じていた。
覚醒剤(睡眠拮抗剤)が打たれると
処置室で目が覚め、
「はい。佐々木さん・・・
終わりましたよー」
と看護婦さんから声をかけられて、
あっという間に感じたが、
30分くらいを夢でワープした感じだった。
大腸粘膜には痛覚がないので
開腹手術だった盲腸の時のような
痛みは全くなく、鎮痛剤も不要だった。
三度のアテローマ・オペでは
皮下とは言え、
親指大の組織を摘出するのに
メスで切られ、電メスで焼かれ、
縫合針で縫われ・・・と、
三種の痛みに襲われるのを
鎮痛剤で緩和させた。
*
今回は、
電メスで切除後に
ステンレス製のクリップを
何か所かで止めて
結紮・縫合したという。
その現物は見なかったが、
病室に戻ってから
画像検索してみたら、
極小さなもので、
1週間ほどで自然に排泄されるという。
傷口は「人工潰瘍」状態なので、
稀に再出血する事があるらしく、
術後の数日は、力んだり、
運動は厳禁だという。
消化の良くない
繊維質やら硬い物も
数日は避けた方がいいようだ。
傷口が完全に塞がって
組織が復元するには
十日程度かかるらしく、
(指の傷と同じかも・・・)
稀には、傷口から雑菌が入り
感染性炎症を起こす場合もあるという。
*
入院中の気慰みには
リク坊や「推し」の
韓国JKアスリートの
ヤェダちゃんの動画なぞを見て
回復の時を過ごした。
リク坊の描いた絵を
色紙表具したら
彼の落款を押そうと
印字体も検索してみた。
久しぶりに、
余材を使って
篆刻をしてみようかと思う。
*
カミさんが仕事帰りに
顔を見に寄りたかったらしく、
病院に面会できるか電話したら、
一泊入院のポリープ切除なんて
抜歯みたいなもんだから、
面会は出来ない、
と言われたらしい・・・。
なんだかなぁ・・・。
たしかに、誰もがやるような
軽い処置程度の内視鏡オペだけど、
病院スタッフから
そんな風に言われるとなぁ・・・。
なんだか、患者を軽んじてるようで
😤腹立たしいなぁ・・・。
術中には万一の穿孔「事故」も
起こる可能性はあるし、
術後に安静にしてないと
出血の不安もあるし、
がん化してないか
組織検査結果の不安もあるのにねぇ・・・。😫
患者の不安心理を
何だと思ってんだろう。
😠💨 プンスカ プンプン❗
それと、思い出したが、
退院直前の最後の止血剤を点滴してたら、
日替わりの日勤ナースがやってきて、
「他の患者さん処に行きたいので、
早く終わらないかなぁ・・・」
と、点滴の速度を上げたものだから、
(おいおい。あんたの都合かい・・・)
と、ややムッとした。
これまで
アテローマと三度もオペしてる
総合医院なので、
なんだか、メディカル・スタッフの
「医療者」としての態度には
ガッカリするものがあった。
主治医(執刀医)のS先生や
内視鏡スタッフは好感が持てたが、
日替わりになるナースは
順送りで次々に交代するので、
ガラガラとPCを乗っけたワゴンで
やって来て、せっせと
バイタル・データを入力する
監視役みたいにも感じられた。
河合先生から聞いた
看護師の鑑の話がある。
あるホスピスの看護婦さんで、
特段に美人というのでもなく
格別に優しいというのでもないが、
患者さんたちから
いちばん信頼されている人がいたという。
そのワケは
「あの人は、全身全霊で
病室に入ってくる・・・」
と、患者さんたちは
口々に言ったという。
これは、心理療法家にとっては、
「機能的関与」ではなく
「全人的関与」で・・・
という臨床心得を語っている
エピソードである。
「機能的関与」とは
制服を来た職業柄の
対人態度である。
車掌服を着た車掌さんは
「つぎわぁ、とぉきょー」
という独特のイントネーションになる。
それは、制服的な役割の
パフォーマンスなのである。
これが、制服を着ておらず、
客席の一人ひとりに
「次は、東京でっせぇー!」
とは言わないものである(笑)。
院内にいる心理療法師も
パラメディカル・スタッフとして
白衣を着ているが、
その制服の役柄として
「機能的」に患者さんに
相対してはならぬ・・・と言うのである。
ただし、
「全人的」に治療的面接する、
患者さんと相対する、
というのは、なかなかに
心的エネルギーを使うものである。
野球に例えるなら、
9回ずっとサードで
いつライナーが来てもいいように
気を張って守っているような
ものかもしれない。
・・・なので、
こたびの院内で感じた不満は、
ルーティン化して
日常に流されていて
測定器の数値ばかり見て、
患者さんの「人間」全体を
見ようとしないナースたちに、
「機能的関与」だなぁ・・・と、
思った次第である。
「看護」の「看」は
「手」と「目」で「看る」と、
看護科の専攻生には教えた事があるが、
他にも、観察の「観る」
視認の「視る」
専門的眼での「診る」
があろう。
クライエントでもある
知人からは、
「だって、看護師って激務なんですよ。
家事、育児もやんなっきゃだし・・・」
とも聞いたことがある。
かつては、
「3K」の
「危険・きつい・汚い」
だけでなく
「彼氏できない・子ども作れない・・・」
など「10K」という話も
耳にした事はあるが・・・。
*
きのうは、
退院後、直帰して、
家のご神前に
「お礼」のご祈念を
させて頂いた。
そして、
気持ちを改めるのに、
庭に花芽を出した百合と
紫陽花の若葉を
名残りのギヤマン花入に
活けてみた。
*
きのうの
王座戦「第二局」は
先手のソーちゃんが
キレイな「藤井曲線」を描き
不安なしで完勝した。
これで、
早くも「2-0」となり
防衛にあと一勝である。
残り三局での一勝なので、
防衛は確実だろう。