毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。
今朝は、
冠雪の吾妻小富士に
暁の月が映えて
美しい朝焼けの風景が見れたが、
いかんせん書斎の窓からは
夥しい電線がそれを遮っている。
哲学者の中島先生ではないが、
日本の街ほど電線が
景観を壊して
醜くしているものはない。
今週は第5週目のオフ日にあたり
毎日、まったりと
読書や映画鑑賞なぞをしている。
「金持ち」じゃないが
「時間持ち」なので、
毎日、一日を一日かけて
堪能している。
仕事帰りに
伏拝の坂を下ってくると
福島盆地の灯りが見えてくる。
画像ソフトで
クロス処理してみた。
パセオ通りにも
冬のイルミが輝いている。
昨晩は、
来週のマイホールコンサートの
リハーサルが音楽堂であった。
このステージに上がるのは
4回目だが、アンサンブルのみんなが
用意ができるまでの10分ほど
エコーの効くホールの最前列で
何曲かソロを響かせた。
もちろん側鳴りはするものの
たしかに最後列まで
よく音が通って気持ちがいい。
つくづく、こんなホールで
リサイタルをやりたいものだと思う。
叶わぬ夢ではないので、
いつか実現させたいと思う。
今月は3つ、来月は1つ、
と合奏団の仕事が入って
なかなか多忙で嬉しい限りである。
6月に2つ、10月、12月にも
1つずつ既にコンサートの予定が
組まれている。
先日見た昭和36年の
『豚と軍艦』で
新人・ヒロインだった
吉村実子が、連ドラの
『おひさま』に近所の
婆さん役で出ていて驚いた。
20代で蠱惑的だった彼女も
立派な婆さまになっていた。
あれまぁ~
である。
夏休み中、
真夏の37度を越す日は
寝室のクーラーを入れて
遮光カーテンを閉めて
暗いベッドでやり過ごしている。
そして、0度近い冬は
寝室のヒーターをつけて
電気毛布をコタツがわりにして
布団に包まっている。
思えば、ずいぶんと
軟弱でヘタレな生活をしている。
こんなに床を離れられないのは、
偏に、小学時代、喘息で
二十回も入院したことにあるだろう。
なにせ、一日のほとんどを
病棟のベッドの上で
暮らしていたのであるから。
食事も、本を読むのも、勉強するのも、
テレビを見るのも、誰かと話をするのも、
みんな床の上であった。
今でも、毎朝、
ベッドで朝食を摂りながら
新聞とニュースを見ている。
休日は、昼食もベッドで食べている。
時折、ギターもベッドで弾くし、
ワープロで仕事もする。
いい歳をして、かくばかりに
床離れできない五十男である。
レンタルにあったが、
BSを録画したのを見てみたが
たいしたことなかった。
映画を毎日のように見ていると、
段々と擦れっ枯らしになってきて、
CGに一々驚くでもなく、
欠点や穴ばかり目について
よほどの名作、力作でないと
引き付けられなくなった。
そのうち、談志家元のように
頭の5分見ただけで、
タメだこりゃ、と全部見なくて
澄むようになるかもしれない。