『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

弥生晦日

2011-03-31 09:15:00 | 大震災/コロナ禍


宝塚在住の教え子K君から
心温まる支援物資が届いた。

彼の神具店も
今回の震災で少なからず
影響を受けているらしい。

また、宝塚でも水や電池の
買占めがある、というので
驚いた。

たしかに、備えあれば憂いなし、
なのだろうが、西日本にまで
災害心理が及んでいるとは
思わなかった。




余震は3.11直後よりは
大分減ってはきたが
それでも、日に数回は
グラッとくる。

震度3は、もはや日常茶飯事である。

おそらくは、プレートが安定するまで
1年はかかるのだろう。

3.11以後、気象庁から発表になった
地震情報はすでに数百回を超えているが
地図にプロットしてみると
見事に東日本にV字形を成している。

太平洋沖のカウンター・バランスで
くると言われている
内陸型の震度6クラスの大余震は
V字の中央ラインにある
福島・茨城が想定されているが
東京とて同ライン上にある。

かつての三陸沖地震のときには
2ヵ月半後にやってきたというので、
原発収束もままならぬ今、
再度、福島で起こったら
まさに「泣きっ面に蜂」である。





ガソリンがなくて足が奪われ
いささか気が滅入っていたこともあり
しばらく避難所の巡回ケアができなかったが
やっとガソリンを得て
また再開した。

昨日は、いつも図書館を利用している
飯坂学習センターに出かけた。

見慣れた「三裸婦」の塑像が
春の陽光を浴びて輝いていたが
この地に一日も早く
女神たちが祝福をもたらしてくれることを
祈るばかりだ。

近くの北高にも寄ってきた。

被災した子どもたちは
新学期は、こちらに一時転校したり
臨時学級で授業を受けることになる。

それでも、単調な避難所暮らしから
早く学校で友人たちと再会したい
という思いを抱いているようだった。

新学期が始まっても
スクール・カウンセラーとして
勤務高の生徒だけではなく
避難所暮らしの被災地の子どもたちをも
定期的に巡回して
メンタル面で支えていけたら、
と考えている。


    すべきこと知りてせざるは
     知らざるに等しと
      こころ恥ぢつつ思ふ

                碧水歌










.
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修復

2011-03-30 08:44:00 | 大震災/コロナ禍


3.11の震度6で
十数年まえに購入した
登り窯の平清水焼
「蹲踞(うずくまる)」花入が
落下して粉々になってしまった。

想い出の大事な逸品だったので
補修して使うことにした。

3Dジグソーパズルのように
欠片をボンドで接着し
さらにその上から金漆で
水が漏れぬよう目止めした。



趣は変わったが
また別な風合いの
花入になり、これこれで
侘び寂びがあって
いいかもしれない。

なにより、未曾有の
2011.3.11大震災の記録を
後世まで留めてくれる
証拠品である。







ついでに、破損した
プラモデルのボーファイターも
修復した。

フヤオクに完成品として
出品しようと思っていたが、
あちこちヒビが入ってしまい
完品じゃなくなってしまったので
断念せざるを得なくなった。



とるに足らぬ小さなことも
 生甲斐につながるものと
  しみじみ思ふ

 そまつにせぬ 
  すべてをたいせつにするこころ
   不況時代をのりきるこころ

               碧水歌

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帰郷

2011-03-29 09:18:00 | 大震災/コロナ禍


子どもたちが
2週間ぶりで
疎開先の京都から
帰ってきた。

原発の状況は依然として
収束していないが
いつまでも疎開先のお宅に
ご迷惑はかけられないのと
二人ともテニスと卓球選手なので
とてもジッとしていられないようなので
さっそく今日から練習に行くようだ。

2週間前は高速が不通だったので
乏しいガソリンを心配しながら
復旧したばかりの東北新幹線の
那須塩原まで3時間もかけて
送ったが、数日前にやっと高速が開通し
迎えに行くのは1時間で到着した。

東北新幹線が全線復旧するのには
4月末までかかるという。

高速もいたるところ補修がしてあって
波打っている箇所が少なからずあった。

こちらには3.11以後
書店にもコンビニにも
新刊雑誌がまったく入ってこなくなったので、
アキには、京都のコンビニで
わざわざ30年来通読している
『ビッグコミック・オリジナル』と
『ビッグ・コミック』を
買ってきてもらった。

帰り道、ナッちゃんが
「お鮨が食べたい」
と言うので、
行きつけの鮨屋に寄って
久々の家族4人での
和やかな夕餉のひと時となった。





京都のテレビでも
このCMを散々見たというので
ナッちゃんとトーちゃんとで
「ま・ほ・う・の・ことばで
 ポポポポ~ン」
とアニメの真似をして唄いながら
大爆笑をした。

ナッちゃんは
「ありがとうマウス」までの
ロング・バージョンの他に
なんとか「サイ」
という新しいバージョンも
京都で見たというので
近々、こちらでも流れるのかもしれない
と期待している。

東日本だけに流れている
コマーシャルかと思ったら
どうやら全国中に放映されているようだ。

ほんとに「耳タコ」状態で食傷気味であるが
あとでパロって、あちこちで
お笑いネタにできるかも
と思い、稚拙なキャラの動きや歌詞を
しっかり覚えてやろうと
意識して見るようにしたら
さほどに苦痛でもなくなった(笑)。

中3のナッちゃんには
卒業の謝恩会で、みんなで
コスプレしてやったら
パカ受けするぞ、
と入れ知恵しておいた。

きっと
「懐かしィ~」
と腹を抱えて爆笑する
会場の様子が目に浮かびそうだ。

してみれば、日本史上、最大災害時ゆえ
テレビ史上でも、トンデモCMの
ベスト3に入るかもしれない。
昭和天皇大葬の礼のときや
阪神大震災のときにも
これほど印象に残ったCMは思い浮かばない。

それと、仁科亜季子親子の子宮頚癌検診と
オシムの脳卒中検診の啓発CM…。
「思いやり」CMは
昔の笹川良一の
顰蹙を買ったトンデモCM
「一日一善!」
を思い出してしまった(笑)。




アキたちも京都で見た、という
『金八ファイナル』を
ビデオ録画で観た。

トンデモCMを飛ばせるので
精神衛生にはオンタイムで見るより
そのほうがよかった。

大学生の頃、
シリーズ1が始まり
最近の性同一性障害の生徒を演じた
上戸彩のシリーズ6あたりまで観たが
その後の7,8は見ていない。

シリーズ2の主役生徒・加藤優が
アッコ役の劇中のセリフではないが
「ハゲ・デブ・オヤジ」で
出てきたときは笑ってしまった。

でも、素人臭くもありながら
なかなかいい存在感を出していた。
現実にも建設業者というので
まさにハマリ役であった。

************


大卒後、大阪で高校教師になったが
関西の子どもたちも金八先生に
魅了されている子が多かったのは意外だった。

そして、自分の福島訛りの
アクセントとイントネーションが
どこか博多訛りの
金八先生に似ていたせいか
「先生。真似しているやろ」
と多くの子どもたちに言われ、
中には、ほんとに
「金八っつぁん」
と呼ぶ生徒までいた。

過去、福島の炭鉱に
九州の炭鉱従事者が
ずいぶん移住していた歴史があり
久留米など九州の地名がついた
町も多いのである。
それゆえ、どこか福島弁と九州弁に
共通した発音があるのかもしれない。

当時、金八先生は、子どもたちに
絶大な人気があった教師像だったので
似ているなら、それを利用してやろうと思い
ビデオで全編録画して
金八の語り方の魅力を
分析してみた。

そして、分かったのは説教・授業における
「宣教師口調」と「語り部口調」
というパフォーマンスだった。
これは、毎日、HRや授業、部活で
子どもたちに何かしら話しをする
喋り稼業には大いに役に立った。


32年にわたる
ロングラン・シリーズが
主演の実年齢の定年と同じくして
幕を閉じたというのは
なかなかドラマティックでいい。

完結した今、秀作シリーズとして
未視聴のシリーズ7,8も
DVDがレンタルされているようなら
これから見てみたいとも思っている。

ちなみに、中学教師のカミさんは
はなっから、同業者の葛藤を
ドラマでまで見たくないと
頑なに見てこなかった。
その心理もまた
わかるような気がする。


  先生になる易しくて
   先生たることは難し
    といふ話をきく


   いい大人に接することが出来る子ども
    しあはせなりと
     改めておもふ  

                碧水歌
              




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震災の春

2011-03-28 09:00:00 | 大震災/コロナ禍


昨日、米沢からK君親子が
ギターレッスンに来て
米沢名物の『峠の力餅』と
『酒饅頭』を買ってきてくれた。

祖母が米沢生まれで
どちらも子どもの頃から
馴染んでいた味なので
こんな非常時には、変わらぬ味が
心をホッとさせてくれた。

カミさんも山形生まれなので
『峠の力餅』を食べながら、
かつてあった奥羽本線・板谷峠駅の
スイッチバック列車を懐かしがっていた。

ほんとうに、3.11を境に
日常がガラリと変貌してしまったが
昔から変わらぬ老舗の味には
心を癒してくれる力があることを
今回、はじめて知り得た。


  些細なることなりといへ
   気づきしこと
    先づ感謝をと思ひつぶやく

            碧水歌
 






近所に、今が盛りとばかりに
咲き誇る白梅を
一枝手折って
根の出たアジサイの葉と共に
一輪挿しに活けてみた。

部屋中に
梅の高貴な香りが漂い
陶然とする。

早春が訪れているのに
外気も寒く
心もどこか薄ら寒い。

 

  こころふさぐわれを見つめて
   ものいはずなぐさめて咲く
    藪椿の花

               碧水歌







先日、ギターのレッスン帰りに
階下の駐車場の隅に、
フキノトウが四輪
ひっそり咲いていて驚いた。

よほど、一輪摘んで、蕗味噌にしようかと
思ったが、街中では貴重なものなので
そっとして帰ってきた。

今朝、ふと思い出して、隆先生に
「自然に生えたんでしょうかね」
とメールで訊ねたら、
「自然に出たと思います。
 自分には心当たりありませんから。
 もっと沢山なったら 摘んで持って行ってください」
とのお許しもいただいた(笑)。

いつもなら、この時期に
山までドライヴに出かけ
残雪の中に芽吹いているフキノトウを
採取してきては自家製フキ味噌を作っている。

でも、今のところ
ガソリンが血の一滴にも匹敵するほど
貴重なものなので
優雅な山菜摘みには出られない。



春風に似たるこころを持ちたしと
 吹く春風に
  吹かれつつ思ふ

 目に見えぬ根に支へられて
  さく花あり木草もあり
   と思ひ思ふも

                碧水歌

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支援物資

2011-03-27 10:17:00 | 大震災/コロナ禍

     すべて世話になりゐるなかの
      苦しみなり
       苦しみがすべての土台にあらず
 
                    碧水歌





大阪の教え子ふたりから
ダンボール3箱もの
支援物資が届いた。

膝を痛めてるので
箱ごと持ち上げられず
玄関で開封して
少しずつ小分けして運んだ。

米から野菜からレトルト食品から
缶詰・御菓子・電池・ティッシュ・
トイレット・ペーパー…と
ありとあらゆるものが
詰め込まれていた。

たいへんな物量である。

(ほんまに、ありがたいなぁ…。
 おおきに。おおきに)
と、心中、何度も礼を言いながら
仕分けした。

持つべきものは
可愛い教え子である。



写真と手紙も添えられていて、
昨日まで、鬱っぽくて
哀しい気持ちに支配され辛かったが
なんだか、気持ちがグッと楽になった。

やはり真心に癒されたのだろう。
そして、人と人とが
つながっている、という
連帯の安心感が
癒してくれたのかもしれない。

ほんとうに
教え子に助けられた。

ありがとう。


 ともに世話になる
  といふ点同じなり
   社長と社員 
    先生と生徒


   頭のよい賢さと
    も一つ人間としての賢さと
     二つありといふ
 
               碧水歌      
      




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