『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

穢されたライセンス

2024-05-25 04:35:19 | 社会問題

オフ日のきのう。

YouTubeの音楽サイトにハマッて
前夜に寝たのが
珍しく1時過ぎたが、
7時間は眠ったのに、
日中、眠気が強くて
午睡したら3時間も
眠ってしまった。

どうやら、
脳内が大分と
くたびれたのかもしれない。

もう、肉体は
前期高齢者の齢に達してるのに
アタマんなかには
いまだに青年期・壮年期の
イメージが残存している。

先日、曽野綾子さんの
動画を視ていたら、
「老いは、それを経験する為に
神様がくださった恩寵である」
というような事を
仰っていた。

なるほど、
少年期・青年期・壮年期・・・と、
カラダは楽に自由に過ごせてきたが、
老年期ともなると
節々は痛み、関節はギクシャクして
神経痛には悩まされている。

この着ぐるみのような
肉体をベロンと脱いで
純度の高い精神のみの
エネルギー体である「魂」に
なれたら、さぞかし
軽々として楽なのかもしれない。

肉体という物質である以上、
重力の影響を受け、
諸々の時空の物理的縛りに
否応なく支配される。

その「縛り」「ハンディ」は
ヒトとしてこの地球に生きる
ゲームの「ルール」のようにさえ
思える時がある。

「存在」そのものは、
究極は「ワンネス」であり、
「ノン・デュアル(不二)」
なのかもしれないが、
それでは、
【何も始まらず 何も終わらない】
【究極の無】
に留まってしまう。

なので、
「真空のゆらぎ」から
原初の素粒子(物質・反物質)が生じ、
それがビッグバン後に
原子・分子・生命体・・・と、
創生されてきたと思われる。

元は単細胞である受精卵は
発生(卵割)の過程を経て
多細胞化し、組織・器官に分化し
最終的に「意識」を生じるまでになる。

言うまでもなく、
精子・卵子は
原生殖細胞から生じたものであり、
その構造体も分子・原子・素粒子に
還元される。

人智の先端科学をして
未だに宇宙の4%しか解明できず、
ダークマター(暗黒物質)やら
ダークエネルギーなどと
未知の対象は手つかずの
「ブラックボックス」のままである。

それを「神秘」といい、
文字通り「神様の秘密」だが、
これを知る、理解するという事は
ヒトが神とは同格にはなれない以上
未来永劫に「神秘」のままで
受容するよりないのだろう。

時折、
バカボン・パパの名言のように
「これでいいのだ」
と自分に言い聞かせて
神秘を神秘のままにして、
神様任せにしておくことにしている。



*

86歳の叔母さんが
「近所の噂󠄀では
 美味しいんだって・・・」
と言うカフェの
ラーメンを試食してきた。

ラーメン愛好家としては、
特筆すべきものではなく
普通のもんだった(笑)。

厨房をのぞいたら
オバちゃんが作ってたが、
何の外連味もない
昭和の頃のような
鶏ガラスープだった。

そんでも、
炒飯もあったので、
次回はそれを試食してみたい。

“食の探求”は
死ぬまで続くのだろうか・・・。

亡父は、最晩年、
亡くなる半年前頃、
「喰うのも飽きた・・・。
 生きるのも飽きた・・・」
と、御馳走と愛孫を前に
そうこぼしていた。

末期がんと
抗がん剤治療が
辛かったのもあろうが・・・。



***

書斎のPC前には、
捨て置かずに
諸々の感謝状・賞状・証書の類が
貼られてある。

これまでの
人生の足跡でもあるこれらは、
そのアイテムから
諸々の物語が瞬時にして
立ち上がる。

「二十年勤続」で
感謝状を頂いたK高の
一枚に目をやれば、
たちどころに、
カウンセリング室の風景やら、
出会った人々が走馬灯のように
思い起こされる。

してみれば、
それは、既に終わった
“ひとつの人生”なのかもしれない。



*

「5年連続出場」で頂ける
国内最大のフォルクローレ祭の
町長からの感謝状は額縁付きであった。

その一枚からも
当時の楽屋や舞台の様子、
練習や本番の心境が
手に取るように蘇る。

それらの経験は
すべて自分の財産だが、
それを思い起こして
味わう間もないほど、
新たな経験を生きようと
準備もし、今を、明日を
生きている。


**+

今に至るまで、
一度も「書道」を
習ったことがないが、
小5の時の「かきぞめ展」で
一度だけ「特選」を取って
表彰されたことがある。

この時の様子も
よく覚えていて、
何枚も書いた中で、
気合・筆致が納得したものを
提出したら、それが評価された。

爾来、「へた字」に悩んでいたが、
ワープロの登場と共に、
「下手字コンプレックス」は解消したが、
いまだに、手書きの字の下手さは
酷いもんだなぁ・・・と、
なさけなく思いつつ、
老いて、書室をこしらえては
「書」を楽しんでいる。



***

主治医のクリニックに
長らく「博士号」の学位記が
掲げられていたのを見て、
かっこいいなぁ・・・と、
憧れて見ていた。

自分は一歩及ばずの
「修士号」なので、
冴えないなぁ・・・とも(😿)。

でも、
「オサム・モノノフ」
と解釈すれば、
わるくない称号でもある(笑)。

かつては、
週刊誌に
「70万で博士号が取れます」
という広告があって(笑)、
それが、ディグリー・ミルという
文字通りのペーパー商法で、
後に摘発されたが、
(金で解決するんなら・・・)
と、一時、血迷ったことがある(笑)。

『ウィキペディア』に拠れば・・・
ディプロマミル(diploma mill)
ディグリーミル(degree mill)とは、
実際に就学せずとも
金銭と引き換えに高等教育の
「学位」を授与すると称する
機関・組織・団体・非認定大学のこと。

それらは学位商法とも呼ばれる。

転じて、アメリカのスラングで、
入学卒業が非常に容易な大学を
皮肉をこめてこう呼ぶ。
(日本のFランに相当する)

そういや、
ナッちゃんも
マスターだった(笑)。

それも、トーチャンより格上の
旧・帝国大(旧・一期校)の
院修了である。

ちなみに、
「院」は卒業と言わず、
「修了」という・・・とは、
「無事、卒業できました」
と、恩師にお礼申し上げた時、
「大学院は修了って言うんですよ」
と教わった。

なので、マスコミなどの
学者の経歴紹介で
未だに「卒業」と言うのを聞くと、
(間違ってんなぁ・・・)
と、苦笑している。

*

公認心理師のライセンスには
当時の文科省大臣と厚生大臣名が
連名されている。

どちらも
腐れ自民党の衆院議員で、
公安資料にも
統一教会との関係者とあるので、
「汚名」が記されていて
辟易する。







 


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