たにしのアブク 風綴り

87歳になります。独り徘徊と追慕の日々は永く切ない。

映画「孤高のメス」患者を救う 信念のメスが走る

2010-06-10 07:57:41 | 劇場映画

海辺の地方都市にある市民病院――
医療のあるべき姿とは?病院とは?医師とは?
映画「孤高のメス」を観てきました。

その病院は大学からの派遣医師に頼り切る、無責任さが蔓延していた。
難しい患者の受け入れはお断り、
手術の途中でも手に負えなくなれば、
患部にガーゼを詰めて大学病院へたらい回し。



看護師の浪子(夏川結衣)は、
男の子を育てながら、母子家庭を支えている、
そんな病院のやり方に不満でありながら、
日常の現場に馴らされていた。

映画は、疲れて帰ってから書き続けた浪子の日記が、
ストーリーのベースになって展開する。

この病院に外科医の当麻鉄彦(堤真一)が赴任してくる。

アメリカの大学で臓器移植など高度医療を身につけた彼は、
この病院を支配する怠惰で無責任な医師たちに失望する。
彼の信条は“患者を救う”がすべて。
目の前の患者を助けるのに、最善の全精力を傾ける。
出来ないといって、しり込みするチームメンバーを指導しながら、
細心の注意で、緻密で、丁寧で、正確に、困難な手術を成し遂げる。
看護師の浪子が尊敬の眼差しに変っていく。



医師を志す人間の、当然のあるべき姿だ(と、たにしの爺は思う)。
このような医師が「孤高」とされるような病院現場が、
現代日本の医療状況となっているのか……

案の定、映画では、前から居付いている「怠惰な、無責任医師たち」は、
この赴任医師が許せない。
「売名行為だ」だとマスコミに垂れ込んだりする。

 たにしの爺は、「孤高の医師」に診てもらいたい。
ところが、この4月、当市の市民総合病院で許せない若い医師に出会った。
訴えたいほどの、怒りを覚えた一言がある。

患者(消費者)は、最良の商品(医療)を求めて、病院(マーケット)に行く。
適切な求めたい商品(診立て、治療)が欲しいのだ。
ところが、提供された商品(医療技術)がいいものであるか、
悪いものであるか、購入者には分からない。

支払った代金は1万6千円。
クーリングオフの対象にならないだろうか。