師走に入って3日目、雨模様の日が続いています。
11月の26日から回復して30日まで好天が続いていました。
どうやらお天気具合は4、5日のサイクルで替わるようです。
<以下、掲載の写真は撮った順で本文の順にはなっていません>
11月末の好天の具合を見て都内・目黒区を歩いてきました。
目黒駅から行人坂→大円寺→目黒不動尊→林試の森公園→五百羅漢寺を往復しました。
東京23区の中でも、目黒区はこれまであまり縁のない区でした。
学生時代、友人が祐天寺に住んでいて、
「旨い寿司や」があるというので、2、3人で押しかけ記憶があります。
そのときのお寿司の具合は全く記憶に残っていませんが、
鮮明に思い出せる奇遇というか、出会いに遭遇しました。
中学時代クラスで2年だったか、3年になってからか、
東京に転校した校長先生のお嬢さんがいました。
その女性がカウンターで同伴者とお寿司を摘んでいました。
双方、認識して「あっ」とか「おっ」とか言ったかもしれませんが、
他に言葉を交わしたか記憶はありません。
そのあと成人してから、ある作家先生を訪ねたことがあります。
書斎でお話を伺って、
床から天井まで書棚と本の山に埋まった光景に驚嘆しました。
もう、半世紀も前のことです。
それ以来、目黒駅は山手線で通過したことは幾度もありますが、
降りて街に出たことはありませんでした。
駅の西口から「行人坂」という、勾配のきつい坂を下りました。
かなりの人通りで車も多いです。
途中の石垣の中に小さな祠が祀ってあって、
「目黒川架橋供養勢至菩薩像」が祀られているという。
祠の脇に「行人坂」と書かれていました。
この祠の前から少し坂を下り平な道になった辺りに「天台宗大円寺」がありました。
「大円寺」の由来は、
湯殿山の高僧行人が建てた大日如来堂に始まると言われています。
江戸時代の寛永年間、この付近に跋扈する悪人たちを放逐するため、
江戸幕府は湯殿山(山形県)から高僧行人・大海法印を招き寺を開きました。
大海法印は悪人たちを一掃した功績で「大円寺」の称号が付いたという。
行人とは修業僧のことで、修業僧が行き交う坂で「行人坂」と言われるという。
山門を入ると境内左手の崖に幾段にも並ぶ石仏群がありました。
釈迦三尊像、五百羅漢像などから成る520体ほどの石仏像は、
江戸の大火のひとつ「行人坂火事」の犠牲者供養のために、
石工が50年かけて作ったものだそうです。
本堂左にある釈迦堂には、国の重要文化財に指定された生身の釈迦如来像といわれる、
清涼寺式釈迦如来像が祀られています。
大円寺を出て左に行くと「目黒雅叙園」の前に達します。
道の一角には「八百屋お七」の井戸というのがあります。
「雅叙園」の脇を通っていくと目黒川の太鼓橋に出ました。
桜で有名な目黒川です。
<この項未完>
今日はここまでにします。