4月という月は天気が悪い日が多いです。
今日も地面は濡れて曇天模様ですね。で。
3月に行った歴史の街・佐倉の武家屋敷の記憶を呼び出しました。
↓佐倉「おはやし館」に展示されている山車人形
始めは美味しい蕎麦を食べたいと言うことで、
16号線からチョッと入ったお蕎麦屋さんに行きました。
コシのしっかりした食感があり、訪ねた甲斐がありました。
山菜のてんぷらもかりっとしていて、いい風味でした。
↑佐倉歴史通りの案内所
その後どうするかわからないまま、走り出して、
天気も好い日だったので、成田方面に転進しました。
佐倉市内に入って「武家屋敷通り」に行ったことがないということで、
立ち寄ることにしました。城址公園のサクラは固いつぼみでした。
ここ佐倉市は徳川家康の命により老中・土井利勝が慶長16年から、
7年間かけて佐倉城を築城し、11万石の城下町を形成した歴史があります。
今に数々の徳川時代の歴史遺産が残る街として知られています。
ミスタージャイアンツ・長嶋茂雄さんの高校のあるところです。
武家屋敷通りの一角に駐車場がありました。
通りは静まりかえっていて、
両側には一般人が生活する屋敷の構えが並んでいました
その中には5棟の武家屋敷が保存されていて、
そのうち旧河原家、旧但馬家、旧武居家の3棟が一般に公開されていました。
210円の木戸賃を納めて、ガイドさんに案内していただきました。
最初は一番石高が高かった旧河原邸です。(佐倉市指定有形文化財)
禄高300百石以上の藩士が居住したとされる大屋敷でした。
現在のサラリーマンの年収でい言えば1,500万円程度だそうです。
ボケの花とツバキが盛りでした
次いで、隣りの旧但馬家住宅です。(佐倉市指定有形文化財)
禄高100石以上の武士(今なら年収500万程度)が住む中屋敷です。
ツバキの一種、コンロンコクの高木があり、花の盛りでした。
肉厚の暗紅色の花びらが特徴だと言う。
もう1棟の旧武居家住宅は100石未満の藩士(年収500万未満)が住む小屋敷で、
3棟の中でも質素な佇まいでした。
ガイドさんによると、建物・居住様式、生活全般にわたり石高により厳しく制限されており、
門構え、開き戸、脇の立て板の枚数まで、
大屋敷は4枚で、中屋敷は3枚、
小屋敷は設置することすら許されていなかったという。
さまざまな制約(今で言えば差別)が身分・石高で細かく決められていた。
その様子を3棟を回りながらガイドさんが、案内してくれました。
「武士の家計簿」と言う映画がありましたが、
当時の武士の意外にも質素な暮らしぶりを知ることができました。
ところでこの武家屋敷通りに徒歩で入るには、
2つの坂道があります。
「くらやみ坂」と武士の古径「ひよどり坂」
「ひよどり坂」は江戸時代とほとんど変わらない風情が残っていて、
鬱蒼とした竹林を、緩やかにカーブしながら、
お城と武家屋敷通りを結ぶ道でした。