たにしのアブク 風綴り

87歳になります。独り徘徊と追慕の日々は永く切ない。

山本兼一作「火天の城」を読みました。凄い小説でした。

2019-11-17 15:28:08 | 本・読書

大型22ポイント活字で読む時代小説シリーズ。
初めて知った作家の凄い小説に出会いました。
山本兼一著「火天の城」です。

図書館の書棚に分厚い茶色い背表紙の本。
行く度に3分冊がずしっと収まっている。
題名から戦国小説物とは思っていました。

裏表紙の紹介コピーを読んでみました。
「安土城」が舞台であることを知って、
今年5月に近江八幡に泊る旅をした際、
ガイドさんの説明が記憶に甦りました。

読み始めたら面白くて、止められない。
いままで読んだことのない分野でした。



「信長の夢は、天下一の棟梁父子に託された。
天に聳える五重の天主を建てよ!
信長の野望と大工の意地、情熱、創意工夫…
未曽有の建造物の真相に迫る。松本清張賞受賞作」
(裏表紙の内容紹介文より)

「清洲城」の織田勢は、押し寄せる5万の今川勢と対峙していた。
岡部又右衛門以言は、毎朝のならいで、
身を清め、口をすすいで熱田神宮の本殿で拝礼を行っていた。



朝もやの中に5,6騎が駆ける馬蹄の響きが聞こえてきた。
織田の棟梁信長に違いあるまい--又右衛門はそう思っていた。
「出撃と決めたか」

「清洲の織田信長である。戦勝祈願をたのもう」
「大工はおらぬか。宮番匠がおるであろう」
「宮の御修理番匠岡部又右衛門にござります」
「小さな輿を作りたい、今川の首が乗るのよ」と信長。
「よい檜がござるゆえ、さっそく細工いたしましょう」



義元の首を先頭に信長と2千の将兵が清洲城に凱旋したのは、
永禄3年(1560年)5月19日、信長27歳の夏であった。
小説は概略、こんな書き出しで始まる。

この出会いから又右衛門は信長お気に入りの番匠に、
安土城築城の総棟梁として心血精魂を込めて仕える。
信長の求める前代未聞の五重の天主城を築き上げた。



小説の舞台と背景は琵琶湖畔近江八幡市の安土山一帯、
織田信長が天正4年から約3年の歳月をかけて完成し、
本能寺の変後、焼失して石垣だけが残っている安土城。

この安土城の築城の総棟梁として差配をとった、
番匠・岡部又右衛門以言(もちとき)の職人気質と、
以俊(もちとし)父子の執念の城づくりが凄いです。

圧巻は安土山を削り石で築き上げる石垣づくり。
石垣組の棟梁のこだわりと総棟梁としての葛藤。

城を支える巨大柱になる4本檜を探しに、
敵地である今川領の木曽上松に乗り込む。

檜の杣頭を説得し、
伊勢神宮遷都に育てた切ってはならない、
檜の切り出しに持ち込む気迫が凄い。

そしてその4本の巨大檜が木曽川を流す日。
洪水の川は檜の杣統領を巻き込んで渦巻く。



信長は城の天主は「吹き抜け」にせよと命じる。
設計絵図はライバル棟梁たちとコンペになった。

又右衛門は悩んだ。
信長お抱えの棟梁としてコンペに敗れたら、
面目丸つぶれになる。

それに「吹き抜けの天主」など作ったら、
城内部に煙突を抱え込むようなものだ。
又右衛門は葛藤して苦悩の日々だった。
それを救ったのは息子の以俊だった。

「吹き抜け」を組んだ他の棟梁の絵図を、
信長は採用しないで又右衛門父子の設計を採った。
石の語るを聞き、木の声に耳を傾け、
「安土城」は3年の歳月で落成した。



読後感としては、とにかく面白い。
作者は凄い筆力で大工、石や、屋根やを描く。

みな職人としての矜持のかたまり。
妥協なき城作りの職人魂が、作者のペン先から紡ぎ出され、
職人たちの息遣いが伝わってくる。

面白かったが結局、安土城は炎上してしまう。
信長も死に、光秀も死んで、又右衛門も死に、
いまはその城を再現することはできない。
石垣など城跡が残っているのみです。



山本兼一さんの作品は初めて読みました。
「利休にたずねよ」で直木賞をを受賞している作家ですね。
戦そのものより、銃や刀など、
モノづくりの現場職人に焦点を作品を残されていることを知りました。
「利休にたずねよ」を読みたくなりました。

18日は左目の硝子体注射の日です。
しばらくアップは中止します。