【トリは一羽飼いが基本】
昆明市中心区のような都会では、活きたトリを自宅で絞めるのは春節(旧正月)や遠方の親戚が来たときなどの特別な日に限られる。(ゴールデンウイーク前や国慶節前など休みが一週間もあると、宿舎では早朝から「コケー」と元気な声がこだました。連休が進むにつれ、徐々に聞こえなくなっていく状況は、妙にリアルだった。)
したがって普段は、活きたトリよりも処理され肉となったものを買う人の方が多かった。
市場の「肉区」には、羽と臓物を取り除かれたトリたちがずらりと並ぶ。そのすべてに安らかなお顔と、黄色い足が2本、当たり前のようについていた。一羽買いが基本で、気に入ったトリを重さを量って購入する。
さすがにトリ一羽分ともなると3人家族では一度に食べきれないので、小分けして冷凍保存して使いきっていた。
私の通っていた市場では鶏肉を売る人に「切って(砍:カン)!」と叫ぶと、おばさん大きくうなずいて、手にした大きな包丁でバンバン骨ごと砕いて一口サイズに切ってくれた。爪の先も「のどに刺さってはいけない」と目の前で一本ずつ包丁でたたき落とす。そして最後にトリの頭と足まで丁寧にビニール袋に詰めてくれるのだった。
この「頭」と「足」がくせもので、どうしても最後まで慣れることができなかった。スープから、安らかなお顔が出てくるたびにぎょっとしてしまう。でもよい出汁が出るので、スープにはかかせない。
また中国で主賓として呼ばれると、なぜは彼らは、ごちそうだといわんばかりに、お顔や足をわざわざ取り分けてくれるのだ。あまりにうれしそうによそるので「これは、いやがらせかしらん?」」とも思ったが、中国の人にとっては宝物のような子供にも、無条件に取り分ける様子を見ると、どうももてなしの基本であるらしい。
さて、初めて市場で、しっかりもののおばさんからトリ肉を一羽分、買ったときのこと。
子連れの私を見るや、
「子供の口に合わせたサイズにまで切ったほうがいいだろう」
と、あっという間に迫力たっぷりに切っていくのには度肝を抜かれた。次に行ったときには、ちゃんと
「子供は喜んで口に入れたか?」と真顔で聞く。私が「喜んで食べた」というと、納得したようにうなずくのだった。そして驚くべきことに一月ごとに子供の口に合わせて、その切り分けるサイズが大きくなっていった。その心遣いが、うれしかった。
昆明市中心区のような都会では、活きたトリを自宅で絞めるのは春節(旧正月)や遠方の親戚が来たときなどの特別な日に限られる。(ゴールデンウイーク前や国慶節前など休みが一週間もあると、宿舎では早朝から「コケー」と元気な声がこだました。連休が進むにつれ、徐々に聞こえなくなっていく状況は、妙にリアルだった。)
したがって普段は、活きたトリよりも処理され肉となったものを買う人の方が多かった。
市場の「肉区」には、羽と臓物を取り除かれたトリたちがずらりと並ぶ。そのすべてに安らかなお顔と、黄色い足が2本、当たり前のようについていた。一羽買いが基本で、気に入ったトリを重さを量って購入する。
さすがにトリ一羽分ともなると3人家族では一度に食べきれないので、小分けして冷凍保存して使いきっていた。
私の通っていた市場では鶏肉を売る人に「切って(砍:カン)!」と叫ぶと、おばさん大きくうなずいて、手にした大きな包丁でバンバン骨ごと砕いて一口サイズに切ってくれた。爪の先も「のどに刺さってはいけない」と目の前で一本ずつ包丁でたたき落とす。そして最後にトリの頭と足まで丁寧にビニール袋に詰めてくれるのだった。
この「頭」と「足」がくせもので、どうしても最後まで慣れることができなかった。スープから、安らかなお顔が出てくるたびにぎょっとしてしまう。でもよい出汁が出るので、スープにはかかせない。
また中国で主賓として呼ばれると、なぜは彼らは、ごちそうだといわんばかりに、お顔や足をわざわざ取り分けてくれるのだ。あまりにうれしそうによそるので「これは、いやがらせかしらん?」」とも思ったが、中国の人にとっては宝物のような子供にも、無条件に取り分ける様子を見ると、どうももてなしの基本であるらしい。
さて、初めて市場で、しっかりもののおばさんからトリ肉を一羽分、買ったときのこと。
子連れの私を見るや、
「子供の口に合わせたサイズにまで切ったほうがいいだろう」
と、あっという間に迫力たっぷりに切っていくのには度肝を抜かれた。次に行ったときには、ちゃんと
「子供は喜んで口に入れたか?」と真顔で聞く。私が「喜んで食べた」というと、納得したようにうなずくのだった。そして驚くべきことに一月ごとに子供の口に合わせて、その切り分けるサイズが大きくなっていった。その心遣いが、うれしかった。