写真は2008年8月8日の市街地からほど近い昆明国際空港の到着ロビーの出口付近。普段からあまり賑わいのない空港とはいえ、これほど人がいない空港ははじめてのこと。写真奥には脇目もふらずに巡回する集団警備員の姿が。この6人体制の警備は街のあちこちで見られた。
【トイレが遠い】
5年前は成田から昆明へ直行便で昆明に到着できました。これが、4年前から上海や北京などで国際便から国内便に乗り換えなければ(上海の場合は国際空港の浦東から、国内空港の虹橋へバスなどで移動しなければならないことも)たどり着けなくなってしまい、どんどん雲南は離れていくなあ、と感じていました。
ところが、今回はさらに遠くに。無謀にも北京オリピック前の8月6日に出発することになった不運も重なり、一月前に予約を入れようとすると、バカ高い席をのぞいて満席だったのです(「北京オリンピックでも日本からの観光客は少ない」とニュースで報じていたので油断していた!)そのためバンコク経由で行くことになり、せっかくならバンコクを一日観光しようと旅程を組んだところ、なんとオリンピック開会式当日の中国入りとなりました。
さぞや入国手続きは厳格に違いないとおそれていると、昆明・巫家垻国際空港の入国手続きは係官が微笑みすら浮かべて、あっさりと完了。流れるように空港のタクシー乗り場へ到着。麻薬捜査犬はいるものの、いつも以上に人の少ない空港でこれは楽だ、と思っていると、娘の「トイレー」の一言。
あわてて空港ロビーに戻ろうとすると、さきほど出たばかりの出口にはいつも間にか警備員やわけのわからないお友達風連中が座り「再入場はだめ」と封鎖します。私も必死に食い下がりましたが、前のホテルで借りるか、道ばたでどうぞ、とすげない返事です。さらに、ふと、前を見ると、黒帽に黒の防弾チョッキをものものしく身につけた警備員の集団が通り過ぎて行くではないですか。どうやら巡回警備らしい。
わけのわからないものものしさに、しょげかえっていると、どこへ行っていたのか同行していた夫が意気揚々と帰ってきて「リコンファームできたよー」と脳天気な声。彼は彼らのお昼休み中になんの苦もなく入り、航空会社のカウンターで手続きしていたのでした。娘と私は一呼吸、間が悪かった、というわけです。しかし、そんな穴だらけの警備でいいのか?
一方、帰国の際の荷物検査では、白族らしい服を着た標準語の話せないおばあさんから道ばたで買った、白い飴のようなハッカのような食べ物を見とがめられ「あわや麻薬」の疑いでちょっとだけ、足止めを食らうという笑えないハプニングもありました。
【すべてはオリンピックのため】
街では、テロの起こった路上付近で検問ボックスが設置されていたり(怪しそうな自転車を止めてみたりするだけ)、銀行のある繁華街では空港と同様に集団の巡回警備が見られましたが、それこそ集団で前をきっちりと見ているだけ。
地元の新聞には例の黒帽の巡回警備員の写真とともに一面で「我々は北京オリンピック成功のために、閉会の日まで警備を続けます」との文字が。またテロの起きた公共バスも便利なので利用していましたが、こちらはまったくのノーガードでした。
今回は昆明から遠距離バスで雲南名物「過橋米線(クオチャオ・ミーシエン)」という料理を追って、その発祥の地といわれる個旧や蒙自へも行きましたが、警備は、いつもはバス乗り場ではなかったバスターミナルで手荷物を開けての検査と、昆明から高速道路に乗るあたりで、検問でした。その内容は運転手が手続きをし、公安の人がバスに乗り込んで、ひと渡り目で見て「オーケー」で終わり。そんなことで不審者が本当にわかるのかと、疑問のわく警備体制がそこかしこで展開されていました。
【お盆に焚く火も禁止に】
一方で、市民は、オリンピックで盛り上がっているかというと、さにあらず。相変わらず、ひまそうな人はテレビをつけっぱなしにはしているものの、見ている番組は「カンフー時代劇」もの。オリンピックで興奮しているのはスローガンのかかれた垂れ幕ぐらい。たまに「今日は都合により、お休みします」の張り紙に「オリンピック観戦のためかしら?」と類推するのが関の山でした。
とはいえ、昆明市内ではあれほどたくさんいた物乞いはほとんど見あたらず、路上で食べ物を売る人々に写真の許可を求めると、たいてい「ダメ」。彼らは許可なく、路上で店を出しているので、取り締まりが厳しくなると、とってもまずいことになるのです。カメラを持っているだけで、警戒して怒り出す人もいるほど、市民のほうがピリピリとした空気になっていました。警備網はテロを起こす可能性のある人を探すより、市民に規律を守らせるほうに結果的には重点がおかれていたのです。
旧暦の7月半ば(今年は8月13日から8月15日)には昔からある風習で、毎年、河の岸辺や路上でお線香を焚き、紙銭を焼き、お供え物を供える光景が各所で見られるのですが、それも「ゴミになる」と厳しい取り締まりの対象となっていました。祭祀のあとの片付けの勧めではなく、一足飛びの禁止。なぜ、そこまで、と思わずにはいられませんでした。
そんな中でも市民憩いの公園では自慢の鳥の鳴き声を聞き合わせたり、踊りや太極拳を楽しむ、といった落ち着いた光景も、そこかしこで市内のメインストリートでファッションショーが開かれたりと落ち着いた暮らしぶりも、たくさん見られました。
(この章つづく)
【トイレが遠い】
5年前は成田から昆明へ直行便で昆明に到着できました。これが、4年前から上海や北京などで国際便から国内便に乗り換えなければ(上海の場合は国際空港の浦東から、国内空港の虹橋へバスなどで移動しなければならないことも)たどり着けなくなってしまい、どんどん雲南は離れていくなあ、と感じていました。
ところが、今回はさらに遠くに。無謀にも北京オリピック前の8月6日に出発することになった不運も重なり、一月前に予約を入れようとすると、バカ高い席をのぞいて満席だったのです(「北京オリンピックでも日本からの観光客は少ない」とニュースで報じていたので油断していた!)そのためバンコク経由で行くことになり、せっかくならバンコクを一日観光しようと旅程を組んだところ、なんとオリンピック開会式当日の中国入りとなりました。
さぞや入国手続きは厳格に違いないとおそれていると、昆明・巫家垻国際空港の入国手続きは係官が微笑みすら浮かべて、あっさりと完了。流れるように空港のタクシー乗り場へ到着。麻薬捜査犬はいるものの、いつも以上に人の少ない空港でこれは楽だ、と思っていると、娘の「トイレー」の一言。
あわてて空港ロビーに戻ろうとすると、さきほど出たばかりの出口にはいつも間にか警備員やわけのわからないお友達風連中が座り「再入場はだめ」と封鎖します。私も必死に食い下がりましたが、前のホテルで借りるか、道ばたでどうぞ、とすげない返事です。さらに、ふと、前を見ると、黒帽に黒の防弾チョッキをものものしく身につけた警備員の集団が通り過ぎて行くではないですか。どうやら巡回警備らしい。
わけのわからないものものしさに、しょげかえっていると、どこへ行っていたのか同行していた夫が意気揚々と帰ってきて「リコンファームできたよー」と脳天気な声。彼は彼らのお昼休み中になんの苦もなく入り、航空会社のカウンターで手続きしていたのでした。娘と私は一呼吸、間が悪かった、というわけです。しかし、そんな穴だらけの警備でいいのか?
一方、帰国の際の荷物検査では、白族らしい服を着た標準語の話せないおばあさんから道ばたで買った、白い飴のようなハッカのような食べ物を見とがめられ「あわや麻薬」の疑いでちょっとだけ、足止めを食らうという笑えないハプニングもありました。
【すべてはオリンピックのため】
街では、テロの起こった路上付近で検問ボックスが設置されていたり(怪しそうな自転車を止めてみたりするだけ)、銀行のある繁華街では空港と同様に集団の巡回警備が見られましたが、それこそ集団で前をきっちりと見ているだけ。
地元の新聞には例の黒帽の巡回警備員の写真とともに一面で「我々は北京オリンピック成功のために、閉会の日まで警備を続けます」との文字が。またテロの起きた公共バスも便利なので利用していましたが、こちらはまったくのノーガードでした。
今回は昆明から遠距離バスで雲南名物「過橋米線(クオチャオ・ミーシエン)」という料理を追って、その発祥の地といわれる個旧や蒙自へも行きましたが、警備は、いつもはバス乗り場ではなかったバスターミナルで手荷物を開けての検査と、昆明から高速道路に乗るあたりで、検問でした。その内容は運転手が手続きをし、公安の人がバスに乗り込んで、ひと渡り目で見て「オーケー」で終わり。そんなことで不審者が本当にわかるのかと、疑問のわく警備体制がそこかしこで展開されていました。
【お盆に焚く火も禁止に】
一方で、市民は、オリンピックで盛り上がっているかというと、さにあらず。相変わらず、ひまそうな人はテレビをつけっぱなしにはしているものの、見ている番組は「カンフー時代劇」もの。オリンピックで興奮しているのはスローガンのかかれた垂れ幕ぐらい。たまに「今日は都合により、お休みします」の張り紙に「オリンピック観戦のためかしら?」と類推するのが関の山でした。
とはいえ、昆明市内ではあれほどたくさんいた物乞いはほとんど見あたらず、路上で食べ物を売る人々に写真の許可を求めると、たいてい「ダメ」。彼らは許可なく、路上で店を出しているので、取り締まりが厳しくなると、とってもまずいことになるのです。カメラを持っているだけで、警戒して怒り出す人もいるほど、市民のほうがピリピリとした空気になっていました。警備網はテロを起こす可能性のある人を探すより、市民に規律を守らせるほうに結果的には重点がおかれていたのです。
旧暦の7月半ば(今年は8月13日から8月15日)には昔からある風習で、毎年、河の岸辺や路上でお線香を焚き、紙銭を焼き、お供え物を供える光景が各所で見られるのですが、それも「ゴミになる」と厳しい取り締まりの対象となっていました。祭祀のあとの片付けの勧めではなく、一足飛びの禁止。なぜ、そこまで、と思わずにはいられませんでした。
そんな中でも市民憩いの公園では自慢の鳥の鳴き声を聞き合わせたり、踊りや太極拳を楽しむ、といった落ち着いた光景も、そこかしこで市内のメインストリートでファッションショーが開かれたりと落ち着いた暮らしぶりも、たくさん見られました。
(この章つづく)