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昆明の醤油3

2009-05-24 21:14:55 | Weblog
写真は昆明の拓東路にある明の永楽17年(1419年)に建てられた元代の風格を残すとされる道教寺院の真慶観。
 寺院内の碑文には清の時代に修復のために寄進した塩商人の名前が丁寧に彫り込まれている。驚くべきことに陝西(省)楡林府、貴州(省)鎮遠府、山東(省)武定府と各地からの寄進者の名前がズラリ。当時、中国の交易道としていかに雲南が重要な位置を占めていたかがわかる。

【塩の集散地で生まれた醤油】
 雲南では古来、茶と塩は重要な物産でした。茶はシーサンパンナ奥地の易武からプーアルをへて昆明へ、塩は大理に近い、山間の地・黒井などの雲南北部から馬の背に揺られて運ばれ、交易の拠点であるやはり昆明へと運ばれました。その塩と茶の集散地となった場所が拓東醤油工場のあった土地周辺だったのです。

 その証拠に醤油の直売所のほど近く、拓東路と白塔路との交差点にある道教寺院の真慶観には、清光緒7(1881)年に雲南の塩商人が修復費を集めたと記された祠が忘れ去られたように安置されています。その寺には、かつて茶をたてるために使われたという井戸も残っていました。名水地として名をはせた時期もあったのでしょう。

 また二〇世紀初頭に欧州人が撮影したという雲南写真展では拓東路の大門の下で半円状にがちがちに固められた塩と馬を脇に置き、ぼんやりたたずむ現地の運び人の姿を見つけました。

 このように塩、水の確保に苦労しない場所であることから自然と醤油工場もつくられ、雲南を代表するブランドへと成長する素地となったのでしょう。

(ちなみに問題の道教寺院は裏門から入ると真慶観、表門には三茂茶屋という安っぽい看板がある。一見すると土産物屋にしかみえない不思議なところ。
 勇気をもって奥に入るとようやく寺としての機能に出会える。このような奇妙な場所だからこそ、中国の数々の歴史の荒波に揉まれながらも、貴重な碑文が生き残ったのかもしれない。武定候、つまり三国志演義で有名な雲南に遠征したことでもしられる諸葛亮孔明に関する碑文もあった!)

*5月3日にお知らせしました雲南懇話会に参加ご希望の方は、できれば下記宛メールアドレスまでお知らせください、とのことです。お手数ですが、よろしくお願いします。
当ブログをごらんいただいているだけでも、本当にうれしいです。私の話というより、雲南懇話会の他の方々の話がきっとおもしろいかと思われます。有料ですが、ご興味がありましたら、ご参加ください。主催の前田さんも参加をお待ちしております、とのことでした。
(前田栄三 e3maeda@ab.auone-net.jp )
コメント (4)
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